校長室
星影さやかな夜に 第一回
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カナンとシャンバラの間の空にある孤島。 自由都市プレッシオが位置するその孤島に、一つの街ほどの大きさの肥大化しすぎた竜がいる。 その竜の名前はイグニート。太りすぎたゆえに神経回路が劣化し、考えることをやめた哀れな竜だ。 「もふもふだぁー!!」 巨大な足が大地を踏みしめる、その周辺。 五百蔵 東雲(いよろい・しののめ)は狂喜乱舞しながら、イグニートのでっぷりと太ったお腹に飛びついた。 「包まれるような圧倒的な肉感……極上のソファーのようなこの感覚……。 いやぁー、時間はかかったけど、イグニートさんのところまで来て良かったぁー!」 東雲は満面の笑みを浮かべながら、イグニートのお腹をもふもふする。 対してイグニートは気がついていないのか、ずっと同じ場所に止まったままだった。 「もふもふ、もふもふ。うー、お持ち帰りしたいなぁ」 東雲は極上の感触を満喫しつつ、<子守唄>や<オープンユアハート▽>でイグニートの心を開かせようする。 しかし、イグニートは意に介した様子もなく、首をもたげ明後日の方向を向いていた。 「ツンデレさんだぁ! そういうところも可愛い!」 東雲は楽しそうに笑う。 その様子を少し離れた場所で見ながら、上杉 三郎景虎(うえすぎ・さぶろうかげとら)は長いため息を吐いた。 「……おかしい。 人喰い勇者とやらを調べる筈が、いぐにぃととやらを如何に籠絡するかへ、目的が変わってしまっている」 三郎景虎はまるで手間のかかる弟を見るような目をしていた。 「東雲が動物好きなのは知っていたが、まさか竜までとは思わなかった」 「そうだよねぇ。大体の人間ってさぁ、竜を見たら恐れをなして逃げるのに」 三郎景虎は声のした方向に目をやった。 そこに立っていたのは、男性にしては低身長。女性と見間違えるほどの中性的な容姿の白髪の男だ。 「イグニートさんの元へ行きたい!」と言った東雲と三郎景虎を、自分のついでにここまで案内してくれた人物だ。 「確か、るくすと言ったな。里帰りは終わったのか?」 「うん。いやぁー、皆びっくりしてたなぁ。いきなり帰ったもんだから」 ルクスはニィッと笑みを浮かべ、東雲のほうに顔を向けた。 東雲は心を開かせることを諦めたのか、「もふる、もふる」と言いながらお腹に抱きついていた。 「……東雲。あまりもふる、もふると言っていると、本当にもふりすととやらになってしまうぞ」 「いやぁ、もう手遅れじゃない? あっ、それじゃあ僕はそろそろ行くから」 「なんだ、もう行くのか?」 「うん。ちょっと嬉しい連絡が入ってね。そっちのほうに向かわなくちゃいけなくなったんだ」 ルクスはそう言うと、無邪気な笑顔で言った。 「イグニートに踏み潰されないように気をつけなよ? それじゃあね」 「頑張るよ。それでは、縁が合ったらまた会おうぞ」 ルクスと三郎景虎は最後にそう会話をかわした。 ―――――――――― 一方。 イグニート、背中の集落。 そこは死体で溢れていた。 髪の毛が乱れ、衣服を血で赤く染めた、無数の死体で溢れていた。 首をへし折られた中年の男性、胴体と生首が離れた白髪の老婆、下半身が黒焦げにされた若い女、手足をミンチにされた少年、その周辺に散らばる幾多の肉片……。 「ル……ルク、ス……おまえは……」 死体の中で唯一まだ息のある初老の男性。 それはエリュシオンの元第三龍騎士団の龍騎士崩れである現在の長だ。 手と足が砕かれ、身体のあちこちには破裂している。中腹からは千切れた内臓が飛び出し、絶命するのも時間の問題だろう。 「おまえ……は……まだ……わしら……を」 その男は、その言葉を最後に事切れた。 ゲヘナフレイムは今この時間を持って、ルクスによって壊滅したのだった。 ―――――――――― 東雲達から離れ、しばらく歩いていたルクスは陽気に鼻歌を歌っていた。 「ふんふーん、今日は本当にいいことづくめだなぁ」 そう呟き、まだ灯の点いている自由都市プレッシオを見つめる。 と、不意にさっき連絡のあったニゲルの言葉を思い出した。 『おまえの兄貴だった奴、殺されたみたいだぞ』 「ああ……ああ……ああ、ああ――!」 ルクスは胸の奥から湧き上がる感動を抑えきれない。 両肩に手をやり、強く自分を抱きしめながら、歓喜に打ち震えながら叫んだ。 「ああ、ああ――ベリタスありがとうッ!」 ルクスはベリタスのような殺人鬼ではない。理性の壊れた殺人『狂』だ。 ゆえに彼は、居場所のない者の集まりであるゲヘナフレイムからも追放され、一人で放浪していたところ能力の高さからラルウァになったのだった。 「君の仇は僕が絶対、この手で討ってあげるからね! 連中を皆殺しにしてあげるよ!」 ルクスは顎が外れるほど大きく口を開け、両目を見開ける。 そして、星影さやかな夜空に届かんばかりの声で叫んだ。 「僕の兄、愛した同胞! みんないない! 消えていく! ああ、君らは楽園にいったのかな!?」