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【蒼空に架ける橋】第3話 忘れられない約束

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【蒼空に架ける橋】第3話 忘れられない約束

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■第25章


 先端が黒く染まった白刃の巨大剣、神葬・バルバトスを手にかまえをとり、白津 竜造(しらつ・りゅうぞう)は油断なく視線を周囲へと巡らせた。
 そこかしこに半透明の白い影がいる。自分たちの乗ってきた馬車の後ろだけでなく、道の左右に広がる林の木々の間にもぼうっと立っていて、まるで真昼に見る幽霊のようだ。
 ケラケラと、白い影たちは嗤っていた。
 声は一音もない。しかしノコギリ歯をむき出しにして体をゆすっている様は、どう見ても嘲弄以外には見えない姿だった。
 あの全身呪符に覆われたミイラ男――タタリという名前らしい――が言うには、これはマガツヒと呼ばれる存在らしい。
 先日、竜造はこれに似た正体不明の黒い影の化物と一戦交えていた。
(あっちは黒いがこっちは白い。口……は、あの黒いヤツも開くかもしれねぇからなんとも言えねぇが、同族なのかもしんねぇな)
 似て比なるもの。カタツムリとナメクジのように。
(とすると、あいつらの弱点っていうのはやっぱ光輝属性攻撃か?)
 しかしあいにくと竜造は光輝属性の武器の持ち合わせはなかった。竜造自身、どちらかといえば光より闇の方が肌になじんだ人間だ。
「――しゃらくせえ! んなしちめんどくせぇこと、知ったことか!!」
 不敵な笑みに表情を輝かせ、いっそ心地いいと思えるほど思い切りよく一蹴すると、ゴッドスピードを発動させてまっすぐに敵のただなかへ飛び込んだ。
「うぉおおらああああああああああっ!!」
 己が体から吹き上がる、どす黒いもやのような錬鉄の闘気ごとたたき斬る勢いで斬撃をふるう。研ぎ澄まされた刃そのものよりもその刃がまとう剣風、竜造自身のまとったゴッドスピードの風が、彼がひと薙ぎするたびに白い影を散らしていた。
 しかしマガツヒはいくら散らされようとも逃げもせず、むしろ竜造を囲うように輪を縮める。散らされるたび、互いに混ざり合い、どこから先が個か他か区別がつかないほど薄く混じり合った彼らはにゅいんと上に伸びて、竜造を頭からかじろうとするかのように覆う。
 肩越しにそれを見て、竜造は叫んだ。
「アユナぁ!!」
 名を呼ばれただけだったが、アユナ・レッケス(あゆな・れっけす)はその意を正確に理解した。
 地獄の天使で翼を生やし、瞬時に上空へ舞い上がると同時に洗礼の光を放つ。目もくらむ強烈な閃光がアユナを中心に放たれて、マガツヒを貫き、その一部を吹き飛ばした。
 全部ではないが、竜造を狙っていた敵の動きを止めるには十分すぎる効果だった。
 ぶつぶつと口中で詠唱し、我は射す光の閃刃の清き光を導いている途中、はたと気づく。
(…………。
 竜造さんの姿が見えません。でも、竜造さんならこれくらい、当たっても大丈夫ですよね……たぶん)
 次の瞬間、きらめく光が刃となって放出された。
 光の閃刃はたしかにマガツヒを切り裂き、散らしたが、同時に影のような体を突き抜けて地上をえぐる。マガツヒたちの中央にいた竜造は、当然その攻撃にさらされるかたちとなった。
「……チッ。分かってたことだが、遠慮ってモンがねぇな、あのヤンデレ小娘」
 ときに神葬・バルバトスを盾がわりにしながら雨のように降りそそぐ光の閃刃をかいくぐり、攻撃を続行する。アユナの光に散らされて、別の場所で集束し始めたマガツヒを八つ裂きに斬って散らした。
「何度でもよみがえりゃいいさ。数十回再生するなら、俺ぁ数百回てめーらを切り刻んでやる!!」




 そのころ。竜造たちとタタリたちが激突している場所から直線距離で5キロほど離れた場所にある村に、血相を変えた女性が走り込んだ。
「大変よ! 大変! また魔物が出たわ!!」
 あたふた息せき切って、その女性は戸の外まで人があふれている小屋に、ここがこの村で一番人が集まっている場所、すなわち中心部と見当をつけて飛び込む。
「あたし見たの! 東の方で、変な男の子が空から降りてくるの……それと、その男の子を追うみたいに白い影みたいなのが数十、地面のなかを走ってて――――あら?」
 ここにたどり着くまでずっと頭中で繰り返してきたに違いない言葉をひと息にまくしたててから、ようやく女性はここが思っていたような場所でないことに遅れて気づく。
 そこはたしかに人がたくさん集まっていたが、ほとんどが女性や子どもで、テーブルの上に並んだ薬品瓶やその向こうにハサミと包帯を持った女性がいるなど、どう見ても村長の家というより診療所だった。
「あの……」
 女性はとまどったが、彼女の言葉は正確にそこにいた大人たち全員に伝わった。
 10年前の惨劇はまだ記憶に新しい。蒼白し、ざわめきが広がる。「急いで逃げないと……」浮足立ちながらも「太守の館へ早馬を! 早く!」との言葉がどこからか窓の向こうに投げられて、「分かった!」と応える男の声が外で起きた。
「皆さん、落ち着いてください」
 動揺している彼らを掻き分けるようにして新風 燕馬(にいかぜ・えんま)――フェイクバストとヒミツの補正下着で女装した今は希新・閻魔と名乗っている――が前に出た。
 まだ戸口に立っている女性の正面まで歩を進めて問う。
「その魔物はこちらへ向かっているのですか?」
「う、ううん。あの……馬車が2台走ってて、それを襲おうとしてるみたいだったわ」
「そうですか」閻魔は少し考えて、先ほど早馬を頼んでいた、ここで一番しっかりしている女性に向き直った。「魔物が出たときの対策はありますか?」
「ええ。簡易だけど、地下壕があるわ」
「では皆さんでそこに避難してください」
「ふーん。
 で、ツバ――ととっ。あなたはどうするのー?」
 外へ出てもこの村の人たちのように地下壕へ向かわない閻魔を見て、ローザ・シェーントイフェル(ろーざ・しぇーんといふぇる)が思わせぶりな視線を投げる。
「……現場へ向かいます。馬車が襲われているのなら、負傷者が出ているでしょう」
「負傷者より死人かもよ?」
「どちらにしても、知ってしまった以上放置はできません」
 閻魔の視線が己の影へと流れた。その意を読んだか、影に潜むものがむくりと影から身を起こす。
「ひとっ走り頼む」
 黒毛を撫でながらぼそっと耳元でささやき、ひらりと飛び乗った。
 最後の患者を連れて臨時診療所からサツキ・シャルフリヒター(さつき・しゃるふりひたー)が出てきたのはちょうどそのときである。閻魔が巨大な黒狼に飛び乗るのを目撃して、あんぐりと口を開けた。
「ちょ、あなたどこへ行くつもりなんです!?」
「……ちょっと様子を見に」
「なにばかなことを。あなたこそ護衛されてる立場だって自覚あります!?」
 しかし閻魔がその言葉を一考する様子はなく、次の瞬間影に潜むものはすべるように駆け出していた。
「あ、待ってー。私も行くー」
 ローザがダークヴァルキリーの羽をはためかせてすぐあとを追って飛ぶ。
 あっという間に遠ざかる2人の姿に、サツキはぶるぶる震えながら叫んだ。
「待ちなさい! 私も行きます!!」




 後衛のアユナと前衛の竜造。2人の連携は、うまくいくかに見えた。
 だが数体のマガツヒが上空から光を飛ばしてくるアユナを仰ぐ。その背中でぐぐぐと密度の高い白い影が盛り上がり、アユナの背中の翼とそっくりの翼となって、彼らは舞い上がった。
「!!」
 自分めがけて上昇してくるマガツヒたちに、アユナは光の閃刃からバニッシュへと切り替えて放つ。バニッシュはマガツヒを切り裂くが、上昇する動きを止めるほどではなかった。
 マガツヒはアユナを見つめながら、食べるのが待ちきれないというようにガッと大口を開く。
「あらら」
 その光景を見て、松岡 徹雄(まつおか・てつお)は自身知らず声を漏らす。
 戦闘に入る前、タタリがミツ・ハや竜造と話しているとき、彼は周囲にいるミツ・ハの部下に敵についての情報を求めた。しかし彼女たちもタタリを見たのはこれが初めてで、マガツヒについても何も知らなかった。ただ、白でなく黒い影ならヤタガラスなのだが、とは言っていた。
 黒い影とは、先日戦ったあの影たちに違いない。しかしあの影は空を飛んだりはしなかった。
(奴さん、あんな技も使えたのか)
 少し離れた場所から自分たちのように戦いを見守っているタタリをちらと見て、ではこいつらを配下としているあの少年は、どんな技を使うのか? と眉をしかめる。
 そのとき、目にもとまらぬ速さでミツ・ハが徹雄の横を駆け抜けた。あ、と思ったときにはもう遅い。ミツ・ハはアユナを取り囲もうとするマガツヒに向け、黄金色をした巨大な鉄扇をはらりと開く。
「女の子を大勢で囲ってイジメようなんて、アタシの目の前でそういう狼藉は許さないわ!」
 サクイカズチ(咲雷)とはよくつけたものだ。ひとつ払えば青白い閃光が宙を走り、ひと指し舞えば無数の雷となって敵を討つ。その繊細な美しさはミツ・ハの優雅な動きと相まって、まさに宙に花々が開いているようにも見える。
 天から降りそそぐ大小の雷がマガツヒを砕き、退けるのを見て、アユナは翼をはためかせて包囲を抜けた。
(光輝属性による攻撃が効果的とはいえ、完全に効いているわけでもない。攻略法が不明な敵に加えて未知の新手が相手なら、安全圏まで撤退しつつ防衛というのが護衛の鉄則だけど、竜造といいこのゴージャスといい、退く気ゼロ、か。
 ……まいったね)
 徹雄と部下の囲みを自ら抜けたミツ・ハは恰好の的だ。敵の目的は彼女だというのに……その軽率さに舌打ちを漏らしつつも徹雄はミツ・ハを連れ戻そうとする。しかし、タタリの速度は彼をはるかに上回っていた。

『もらったぞ!』

 愉悦の嘲笑とともにタタリの体がぐぅんと伸びて、ミツ・ハへ覆いかぶさっていく。
 巨大な口がぱっくりと開いた。眼前に迫ったのこぎり歯に、前後左右どこに跳んでも避けきれないといち早く悟ったミツ・ハが持ち上げていた咲雷をはらり返そうとした、その瞬間。
「残念でした」
 そんな言葉とともに、タタリの攻撃を受け止めた者がいた。