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リアクション
第三章 抱えるもの 2
ヴァイオリンの音が、優しく悲しげにあたりを静寂に包んでいる。
何か大切なものを失ったのは知っていたけれど、これまで聞こうと思ったことはないし、彼が言ってくることなんてなかった。だから、ソーマ・アルジェント(そーま・あるじぇんと)がこう言い出した時清泉 北都(いずみ・ほくと)は少しだけ驚いた。
「今日は聞いてほしい」
ソーマが言うのだから、きっと今日聞くことに意味があるのだろう。北都はこくりとうなずいた。
「大切な女がいた。俺は吸血鬼の貴族で、彼女はシャンバラ人の血筋。後で知ったが、結構な身分の令嬢だったらしい。けれど種族も年齢も血筋も関係なく、ただ彼女は俺自身を、俺は彼女自身を愛した」
「どうして別れなければならなかったの?」
北都の言葉に、ソーマは自嘲気味に微笑む。
「本人たちが振り切ったつもりだったお家のゴタゴタってやつは、そう簡単には切り離せなかったってことさ。知らぬところで膨れ上がったお家同士の疑心暗鬼が彼女を殺した。……今でも覚えてる。ホントにあっけなく、一発の銃声が彼女を永遠に連れ去ってしまった」
そう言ったソーマの目はおだやかで、北都は少しだけ彼に嫉妬を覚えた。自分は、そんな風に語れる大切な相手などいない。理解できない。きっと親が死んだって泣きもしない。ただの事実として受け止めるだけ。だから、たとえ失ったとしても、そのような相手を持っているソーマのことが羨ましくあった。
そんな子供っぽい感情を見透かすかのように、ソーマは北都の頭をくしゃくしゃっと撫でると普段の彼とは結びつかないような真面目な声で諭すように言った。
「お前もさ、早く大切なものに気づけよ」
ざわりと、予感がする。
北都にはソーマの言う意味がわからない。決して、わからないはずだった。これまでならば。けれど、まだはっきりと思い浮かべられないその相手が、ぼんやりとだが自分にも存在しているような気がして驚いてしまう。
「……?」
「お前の大切なものは、もうお前の傍にあるよ。気づいた時には失ってたんじゃ遅いんだぜ?…………なんて、人生の先輩からの助言。なんつってな」
「…………うん」
反論したい気持ちが湧いてこなかったと言えば嘘になる。けれど、今日だけは素直に相方の言い分に耳を傾けた方がいい気がした。少なくとも、ソーマは大切なものを知っていて、失ったことがあるのだから。
「今日は、彼女と一つずつ分け合ったピアスを流すつもりだ。彼女のことをまっすぐ受け止めて、前へと進めるように決意を込めて」
大事なものじゃないの? とは聞けなかった。聞かなくてもわかったから。だから、彼の決意の大きさも強さも、わかった気がした。ソーマはいつもの調子を取り戻すと、にっと笑った。
「話聞いてくれてありがとな」
と。
――賑やかなのは、だめだ。
紅 射月(くれない・いつき)は一人、会場を抜け出してフラフラと風に当たっていた。
あそこは、優しい空気であふれている。失ったモノを思い遣る余裕や、支えてくれる誰かがいる。
「でも僕にはいません」
いると思っていたけれど、その当人がいなくなった。彼を失ったのに、もう何もかも意味がない。
「だめだだめだ。それじゃダメだからけじめつけようと思って来たのに」
ぶつぶつと、口から洩れる言葉は抑えきれなくて。心配なんてされたくない、彼以外には。同情もごめんだ、彼のことに関しては。何とか自分を保つために、風に当たればすこしは落ち着く気がした。でも、どこにいたって一緒かもしれない。
「会いたい」
自分の声に吐き気がして、ゴンッと、葬儀屋の外壁に体をぶつける。
「会いたくなんてありません。会えば殺してしまう、それじゃいけないから行先も告げず一人できたんですよ」
愛しくて。
ゴンッ。
「ああ僕今おかしいですね。どうしましょう、ここまで来るとは想定外です。おかしいですね、覚悟してたはずなのに。ああ、ああ、あああああ。大丈夫大丈夫、落ち着いて落ち着いて、僕は冷静です」
ゴンッ、ゴンッ。
射月は前を見るために目を開けようとする。けれど、景色も人もまるで意味をなさずにただ映り込むだけで、映っていないのと同義であるとすら感じてしまう。
「駄目だなぁ、僕は。ハハハ…………こんなにもまだ、彼が××だ」
そうして一日壊れた後は、平気な顔して帰るつもりだった。全部流して、誰よりも大切な彼をもう傷つけないためにも、相反する感情は押し殺して普段の自分に戻るつもりだった。
ぼやける射月の視界に、たった一人。たった一人の意味を成す人物が、その時現れなければ。
「……幻覚ですか?」
「……紅?」
そこには、自分を拒絶した誰よりも大切なパートナー鈴倉 虚雲(すずくら・きょん)が呆然と立ちすくんでいた。射月の中で、何かが切れた。
「……何をしに来たんですか?あなたには、失ったものなんてないでしょう?」
「……紅……俺は…………」
見られたくなかった。こんな姿。彼にだけは。
「(でももう遅い)」
射月は笑っていた。何も見ず、何も聞かず、ただフラフラと虚雲に魅かれるようにして近づき、ゆるりと彼の首に手をかける。
「……あなたにだけは、会いたくなかったんですがねぇ。ねぇ虚雲くん、あなたにここを訪れる資格があるんですか?あなたが僕を必要としなかったのに。ねえ?……同情ですか?まさか、支えになろうなんて思ってないですよね?さんざん先延ばしにして、曖昧に期待を持たせて、僕がここまで来る前に何度も言うことはできましたよね?いいえ、わかっていますよ。だって僕はあなたが答えを先延ばしにしている間も、ずっとあなたを、ねえ虚雲くん?あなただけ見てたんですからねぇ?優しいあなたは僕を傷つけるようなことが言えなかったのですよね?好きでしたよ、そういうところも。言えませんよねぇ、とても」
だめだ、止まらないな。頭でどこか冷静に思いながら、射月は粗雑に虚雲に口づけた。
「……んっ?!」
「……俺の隣にいるべきはお前なんかじゃない、なんてね」
「紅……。……っ……」
言いかけて、虚雲は口をつぐむ。自分には、何も言う資格がないことはわかっていた。けれど、その態度も射月を傷つけたらしい。
「なぜ何も言わないんですか!?……怒ってくださいよ!振り払ってくださいよ!理不尽なことをされているんですよ?あなた、わかっているんですか?」
首にかけられた手に、ギリギリと力がこもる。それでも、虚雲は何も抵抗しなかった。
「ああ、そんな価値もないのかな……それなら、」
思いっきり突き飛ばされて、虚雲はしりもちをついた。顔を上げると、まるで楽しく笑い合っていたときのような顔で、射月が微笑んでいる。その手には、以前虚雲に切り付けた忍びの短刀が握られていた。
「さすがに目の前で死なれたりしたら、もう少し僕のことも思ってくれますかねぇ?」
「ちょっ……!!」
「やめなさい!何をしているのですか」
勢いよく振り下ろされた短刀は、咄嗟に止めに入ったシェイド・クレイン(しぇいど・くれいん)の手のひらに収まって赤いしぶきを溢れさせていた。
「キョンお兄ちゃん!!」
ミレイユ・グリシャム(みれいゆ・ぐりしゃむ)も呆然としている虚雲に寄り添うように駆け寄った。
睨みつける射月を抱きかかえるようにして、シェイドが短刀を取り上げる。もがくように逃れようとする射月の頬を、シェイドは思いきり張った。
「!!」
「落ち着きなさい!……射月さん、あなたらしくない」
耳元にシェイドの声。目の前には、血まみれになったシェイドの手。大人しくなった射月に目配せすると、シェイドは射月を連れて、その場をミレイユに任せてから離れた。
「馬鹿ですね。僕のために、利き手が血まみれですよ?」
「……馬鹿は射月さんの方でしょう?あなたはどう思っているのかしりませんが、私はやっと同じ目線で考えを分かち合える相手を見つけられたと思っているのですよ。射月さんがいなくなったら困ります。
……ま、私も状況が同じならあなたと同じことをするだろうと思ったからしたまでなので、もし私の時がきたら射月さんが止めてくださいね?」
拒絶も不審も同情もない。ただ認めるような普段通りのその口調に、射月の目からポロポロと涙が溢れてくる。射月はシェイドの肩に頭をあずけると、ぶつけるべき相手を失った思いをそっと漏らした。
「…………僕の方が、絶対、虚雲くんのこと好きなんですよ……?」
こぼれ落ちた小さな本音に、何もしてあげることはできないけれど。
「……ええ」
シェイドは射月が落ち着くまでは、ずっと彼を抱きとめて、やり場のなくなった想いをぶつける的になることにした。
二人がその場を離れた後もそのまま立ち尽くしている虚雲を気遣うように、ミレイユがそっと彼の上着の裾を握る。
「キョンお兄ちゃん……?」
「……これが、報いだってのか?」
「……お兄ちゃ……」
「俺だって……卑怯だって言われようが何だろうが、紅のこと失いたくなかったからっ……っ!!」
「お兄ちゃん?!」
見上げた頬に音もなく涙が伝っているのを見て、ミレイユはぎゅっと胸が痛くなるのを感じた。
「(お兄ちゃんが悲しいのに、ワタシは何もしてあげられないのかな……?)」
それは悲しくて悲しくて、ミレイユは唇を噛みしめると裾を掴んでじっと傍で耐えながら、気づかれないように一緒に泣いた。
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