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リアクション
第四章 乗せる想い 1
「オレはこれを」
藍園 彩(あいぞの・さい)は血の付いたボロボロの首輪を差し出した。
「誘拐されそうになった俺を、身を挺して守ってくれた兄弟であり大親友の黒犬『くろ』に」
「形見の品じゃないのかい?乗せても大丈夫?」
チャシャネが伺うと、彩は迷いのない穏やかな瞳でうなずいた。
「いいんだ。くろと自分にかけて誓ったんだ。オレは、大切なものを守るために強くなるって。ずっと、オレを支え続けてきてくれたんだ。……くろにはもう、心配しないで青く綺麗な空から見守っていてほしいから」
「わかった。こっちにどうぞ」
コに案内されて、彩は精霊船の上に足を進める。
精霊船は10人くらいが乗れる程度の植物を編んだ帆船で、葬儀屋の裏に生い茂る雑木の中に置かれていた。パラミタの端、大地が途切れる先には何もなくはるか下に地上がかすんでいる。
「(川も海もないのに、後で移動させるのかな)」
供養の料理や品の間、送るものが途中で落ちてしまわないように。彩は意志を強く固める意味を込めて、支柱に首輪を結わえ付けた。
「くろ、いつもありがとな。俺、負けないから。……向こうでも幸せに」
「僕は、これを」
コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)が取り出したのは、今もなお記憶に新しい古代シャンバラ宮殿の最終戦で使った槍だった。
「……今は亡き故郷セレスタインの誇り高き守り手、アズライヤに」
パラミタ大陸に来てから、もうどれくらいたっただろう。故郷と大事な人たちを一気に失って、最終的に残ったのはコハク一人きりだった。最期まで国やみんなを守るために戦った、コハクの知る中で最高の槍使いであり憧れだったアズライヤも、その時に命を落としていた。
友達の前では明るく振る舞っているものの、コハクが時折懐かしそうに、目に涙をためているのを小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)は知っていた。そんな時は気づかないふりをして、おっきい声で笑いながら一緒にドーナツを食べたりする。
「(悲しいのなんてぶっとばしちゃうんだから!)」
「みんなのことを思うと今でも悲しいし、辛くてどうしようもなくなるときがあるけど」
でも、友達や、何より美羽がいるし。
「美羽と契約していろんな冒険に出かける中で、ボクも少しは成長できたと思うんだ。……まだまだだって、アズライヤは笑うかもしれないね」
でもきっと優しい目で見守ってくれる。
コハクが船に槍を乗せ、手を合わせて肩をふるわせている間。普段は騒がしい美羽も、珍しく神妙な顔つきで想いを馳せていた。
「(コハクは立派に成長したよ。だから、どうか安心してね)」
高 漸麗(がお・じえんり)の奏でる筑の音が、風に乗って心の隙間を通り抜けていく。
天 黒龍(てぃえん・へいろん)はこれまでどうしても最後までは読めなかった本を閉じると、その場で立ち尽くしていた。昔、『先生』にもらった本。
『最期の1ページまで読み終えられたら、俺はもうお前に必要ないから』
この本を託されたときに言われた言葉。もう二度と先生には会えないような気がして、怖くて何度読んでも最期のページまでは開けなかった。消息不明の先生が今もどこかできっと…………と信じていたいから。
「ふ」
けれど、そのためにパートナーの紫煙 葛葉(しえん・くずは)を通していつまでも先生しか見ていないことになるのなら。それは、自分の望むところではない。きっと先生も。
「……加油、再見」
黒龍は小さく声に出してみる。初めて読んだ本の最後のページには、懐かしい文字でそう書かれていた。フツフツと、笑いと一緒にこみ上げてくる涙をこらえながら、本をしまってあった箱に戻して紐を結ぶ。背筋を伸ばして船に乗せてしまうと、振り返らずにただ走って降りた。
加油、再見。頑張れ、またな。
大丈夫。全部最後まで焼き付けた。あの本にすがって生きるのは、今日で最後。
ドン。
頭からぶつかってしまった相手は、そのまま黒龍の肩を掴むとグイと顔を上げさせてきた。普段と変わらない葛葉の顔がそこにあった。葛葉は、黒龍の大事な先生によく似ている。そのものと言ってもいい。けれど、彼は決して黒龍の先生ではない。
「箱ごと船で流すなんて、後悔しないのか?」
葛葉は黒龍があの本をずっと大事に持っていたことを知っていた。自分が『先生』という人物に似ていることも黒龍から聞いていた。黒龍は、葛葉の顔から目が離せないまま笑って見せた。
「……いい。これは、私のけじめなのだ。最後まで読んだ、だから、もう、先生に返……!」
その唇はぶるぶると震え、目からはとめどなく涙がこぼれていた。手には、「決して傍を離れない」と誓って葛葉が渡した柘榴石のペンダント。
「(素直じゃ、ないな。失いたくないものなら、無理に手放さなくていいのに)」
それでも、優しく抱きしめる葛葉の腕に黒龍が逆らうことはなかった。葛葉は他の人に見えないよう、泣き顔を隠してやりながら、
「……馬鹿だよ、お前は」
と、優しくつぶやいた。黒龍の嗚咽を隠してしまうように漸麗の音色が優しく二人を包む。それは、決して黒龍を一人にはさせまいと、漸麗が奏でた思いだった。
「(黒龍くん。止まったままの君の時間を、今、……一緒に進めようよ)」
大切に、大切に。黒龍が顔を上げて涙を拭いても、二人は決して彼女の傍を離れはしなかった。
「俺に戦い方を教えてくれた恩人に。まさか、こんな形で返す羽目になるとは思ってなかったけどな」
冴弥 永夜(さえわたり・とおや)が取り出したのは一本の杖だった。今日のうちにすっかり打ち解けた棗 絃弥(なつめ・げんや)は、聞いてもよいものか思案しながら、むしろ、自分が聞いてもらいたがっていることに気づいて苦笑した。
「冴やん、これもなんかの縁だしさ。話してくれよ。……あ、もちろん嫌じゃなかったらだけど」
これぐらいストレートに言われると逆に嫌な気がしないものなんだな。永夜は含み笑いをすると、彼の申し出を受けることにした。
「旅の途中、戦いを教えてくれた恩人だ。…………はやり病でなくなったって聞いた時には全部手遅れでな。返すものも返せなかった。ずっと形見として持っていようかとも思ったんだが、今回はいい機会だった。
あの人がいなきゃ、今の俺はなかったってぐらいたくさんのことを教わった。それくらい、大事な人のひとりだ」
慎重に杖を積んで、柄にもなく手を合わせてみる。振り返った永夜の顔は、おだやかに微笑んでいた。
「お前は?」
「ん?」
「聞くだけ聞いておいて、話さないつもりじゃないだろうな」
「ハハ、そりゃそうだ。……んー……俺も、恩人……っちゃ、恩人だな」
絃弥はらしくない歯切れの悪い言い方で切り出した。が、その理由はすぐにわかった。
「俺さ、パラミタに来たばっかの頃って、心身共にズッタズタだったんだよ。そんな時知り合った女性から、ここでの戦い方から生き方まで教わって、立ち直るきっかけをもらったんだ」
そして苦笑する。
「けど俺ガキだったからさー。何度も反発したり、憎まれ口ばっか叩いて。ま、それでもあの人は笑って頭撫でで許してくれたから、甘えてたんだと思う。
……誕生日に渡す約束していたんだけど、その前に死んでしまった。意地張らずに言えばよかったのにな」
絃弥はポケットから指輪を取り出すと、そっと船に備えてパンパンと手を叩いた。
「ありがとな、義母さん」
不器用に『義母さん』と言った絃弥の隣で、永夜は自分に似た面を見つけて思わず噴き出してしまいそうになりながら、さすがにそれは不謹慎なので一緒に手を合わせておいた。絃弥はすがすがしい顔で笑った。
「聞いてくれてサンキュ。今日は冴やんに会えてよかったぜ」
「……お互い様だろ」
幼い記憶。そこに、昔の自分がいた。それは今でも忘れようもない、自分を庇って目の前で両親が死んだときのこと。樹月 刀真(きづき・とうま)は、叫び声すらあげられずただその場に立ち尽くす幼い自分の背中を見ていた。
冷たくなっていく、大切だったもの。さっきまでは温かかった己の両親。その時気づいた、今の自分を織りなす感覚。
『(そうか、ヒトもモノと変わらないんだ)』
と。零れ落ちていく、自分の感情。下がる温度と一緒に、凍りつく。わからなくなっていく。どうしてだろう。失われていく。なくなっていった。
「(ああ、あの時俺の心も死んでいたのか)」
「刀真?」
隣を見れば、いつでも漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)がいた。荒れている時も全てが敵に思えていた時も、月夜だけは黙って味方でいてくれた。
「なんでもありません。想いを乗せてきます」
刀真が何を思って船を流すのか、月夜は知らない。けれど、彼の表情を見ると今日という日は刀真にとってよい機会になったのだろう。それは、自分にとってもよい機会だということだ。
船に上がり、想いを馳せている刀真の姿を見ていると、出会ったころとは随分と変わったように思う。
『選べ……俺に従うか、俺を拒むか』
それでも、何度機会が巡ってこようと月夜の答えはきっと変わらない。
「(私は貴方に従おう。どんなときも共に)」
「父さん、母さん。悲しめなくて、すいません。どうか向こうで安らかに……」
刀真は顔を上げた。船の上に一瞬、幼い自分と動かない両親が見えた。幼い刀真が、何も映さない瞳で無表情に刀真を見つめている。それは、弱い自分の心の姿。刀真は不敵に笑ってみせた。失ったモノはまだ大きく、今でも自分を解き放つことなどないけれど。過去にはもう、とらわれない。
「俺は、前に進む」
刀真はくるりと船に背を向けると、月夜の待つ元へ降りて行った。幼い姿は不安定に揺れ、静かに光に溶けていった。
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