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リアクション
第二章
「何かあったの?」
蒼い氷のパズルピースが降りしける中、いち早く呆然とする新の前に、柚木 貴瀬(ゆのき・たかせ)が現れた。優しそうな外見をしている彼の瞳には、けれど何処か気まぐれそうな色が滲んでいる。だが呆然としていた新にとっては、まるで神の助けのようにすら感じられた一声だった。貴瀬の隣では、知的な青い瞳をした柚木 瀬伊(ゆのき・せい)が腕を組んで立っている。長身の彼は、貴瀬のポケットから飛び出している、ゆるスターの綺蓉を見守っていた。
その前で、貴瀬が一歩前へとでる。
「突然飛び出したからどうしたのかと思えば……本当に綺蓉は賢くて、良い子だね」
――これだから、気ままな散歩はやめられない。
そうは続けずに、こみ上げてくる笑みをかみ殺しながら、貴瀬は新に目線を合わせるようにかがみ込んだ。
「泣きそうになってるみたいだけど」
貴瀬の声に、新は慌てて眦を手の甲で拭う。すると一時片手で抱かれた猫のアリスが体勢を崩して、地へ落ちそうになった。それを冷静な様子で、瀬伊が支える。
「有難うございます」
礼を告げ、新が猫を抱き直した頃、周囲に足音が響いてきた。
やってきたのは、天音とブルーズだった。続くように、他にも幾人もの人々がこちらへ向かってくるようである。そんな中、新が静かに言葉を紡ぎ始めた。
「アリスが――アリスって言うのは、僕がつけたこの猫の名前なんですけど……普段は大人しいのに、いきなり」
つややかな毛並みの猫を、強く抱き直しながら、新は俯く。
「本当に大人しい猫なんです。なのに肖像画を見たら、いきなり暴れ出して――突進するみたいに、走り出して。全速力で、それで、その……ぶつかっちゃったんです、メインの展示物に」
宣伝用の広告チラシにも、氷製のパズルで構築された冬の女王の肖像画の公開が、大々的に載っていた事を天音は内心で思い出していた。
「大人しい猫がオブジェに突進ね……この猫は、もしかして随分おばあさんなんだろうか?」
「分かりません。最近僕も、よく見かけるようになったばかりで」
天音は新に対して頷きながら、物言わぬ猫へと視線を向けた。そして猫に問いかけるように、その瞳を覗き込む。
「君は、肖像画に描かれていた人物と知り合いだったのかな? 思わず駆け寄って抱きしめてもらいたいほど、大好きな相手?」
天音のそんな言葉に、傍らで聴いていた瀬伊が黒い髪を揺らしながら、首を傾げた。
「猫が暴れた理由か……そうなると」
眼鏡の奥に隠されている知的な瞳を揺らしながら、思案するように瀬伊が唇を動かす。
「まずはこの肖像画のモデルが気になるな。貴瀬、知っていそうな人を捕まえて話を訊いてきてくれ」
パートナーの言葉に貴瀬が静かに頷く。
「はいはい、了解。話を聴いてすぐに戻ってくるよ」
それを確認してから、瀬伊が新に向き直った。
「それと、この猫の主は……貴方なのか?」
「うーん、そうなるんだとは思うけど。僕も、そういう自覚がないまま、これまで世話をしていたから、こんな事になるだなんて」
応えた新の瞳は、焦燥に彩られ、未だに泣きそうな様子である。
「どうしてアリスという名をつけたんだ?」
「それは首輪に書いてあったからで……」
そんな少年の様子を目にしながら、瀬伊は小刻みに頷いた。
――それにしても、綺蓉は本当に飼い主の貴瀬に似て、面白い気配に敏感だ。
思わず彼は、そう考えて微苦笑しそうになってしまう。貴瀬と瀬伊は、綺蓉の動向によりここへと訪れたのである。
貴瀬と瀬伊のかける言葉をそれまで静かに聴いていた天音は、一人何度か頷きながら新に視線を向ける。
「訊いても良いか? その猫――アリスは、どういう猫なんだい?」
「どういう、って、性格ですか? それこそ本当に大人しいんです。部屋の壁で爪も研がないし、トイレのしつけも完璧みたいで」
「だとすると随分なおばあさんなのかな」
「おばあさんかどうかはわかりませんけど……本当に、大人しいんです。少なくとも僕が見ている範囲では」
新が応えると、天音が貴瀬に振り返った。
「誰に訊きに行くつもり?」
「そうだね、やっぱり肖像画のモデルや謂われを知っている人を当たろうかと思うんだよ」
「正論だね。とすれば開催者である下のカフェのオーナーなら、何かを知っているんじゃないか?」
「かもね。じゃあオーナーさんに聴きに行ってみようかな」
「僕も行こう」
「ふむ。それがおまえの推測か――ならば我も同行しよう」
天音の声に、パートナーのブルーズも声を上げた。
「じゃあ俺はここに残って、肖像画自体を少し調べておく」
瀬伊がそう告げると、三人は頷きその場を後にした。
彼らの姿を見送りながら、猫を抱いている新を一瞥し、瀬伊は破損している肖像画へと歩み寄る。一部ではあるが、肖像画を構成するピースは残っている。そこで彼は、念のため特技である捜索の技能を駆使して、遺物を調べてみる事にした。
――肖像画自体に、何か猫が興奮するような物や匂いはないか。
だが調べた結果は、決して芳しいものではなかった。
「貴瀬達が何か有力な情報を持ってくると良いが……」
「それはそうですけど、それよりどうしよう。これ、メインなんですよ……壊れちゃった」
呟くような瀬伊の言葉に対して、猫を抱き締め直しながら、新が切実な言葉を吐いた。
「なんとか直さないと、公開できないし……どうしよう、本当」
悲壮が滲む少年の声。それが周囲に響いた時、不意に新の肩を叩く手があった。
「大丈夫だ」
そう声をかけたのは、端整な顔立ちの、育ちが良さそうな青年だった。エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は、新の横に立って明るく笑う。赤い髪が揺れていた。
「要は、公開時間までに肖像画が修繕されていれば良いわけだ、そうだろ?」
ピースの落下元へと歩み寄る過程で、響いて聞こえてきた新の声に対し、エースは自案を告げた。
「まずは、この肖像画、ピースで出来ているみたいだから、トレジャーセンスでそれを探索して収集すれば良い。それから財産管理を応用して、肖像画上のピースの位置を推測。そして集めたピースをはめながら、氷術で接着を強化したら完璧だ」
力強いエースの緑色の瞳に向かい、新が尊敬するように顔を上げる。
「ボクも手伝うよ、話は聴いてたんだよ」
そこへ、レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)がそう声をかけた。
「ね?」
彼女は髪を揺らしながら、パートナーのミア・マハ(みあ・まは)へと振り返る。
「わらわは細かい作業は好きではない。ゆえに、そなたが言うとおり、地道な作業ではなく、こう魔法等でババーン!! と直せないものかのぅ」
ミアがエースへ顔を向ける。すると、彼も頷いた。そこで二人は揃って、修繕に挑戦したのだったが、魔法や技能の使用では、目立った修繕効果が現れなかった。見守っていたレキが、床に落ちていたピースを一つ手に取り、二人を後目に肖像画へと宛がってみる。するとその欠片は、すんなりとオブジェの一部に戻った。
「ボクが思うに、やっぱり一つずつはめないと駄目なんじゃないのかな」
「面倒じゃな」
「ミア、後でチョコ買ってあげるから」
「うむ、買ってくれるのじゃな」
パートナーに対して頷いて見せたミアは、一人視線を背ける。それには構わずレキが続けた。
「だけど確かに、一つずつはめるとしたら、完成図があれば見せてもらいたいな」
彼女はそう言うと静かに一人頷く。
「そういう事なら私が、オーナーさんの所に行って、肖像画のモデルの人の話を聴いて、見本を作ってこようかねぇ」
エースやレキ達同様、駆けつけながら、話しを耳にしていた師王 アスカ(しおう・あすか)がそう呟いた。
「私はパラミタ一の画家になってみせるわ!! だから見本くらい、きっと」
彼女のその声に、周囲にいた皆が視線を向ける。
「それは兎も角として、ピースを集めるのって、大変だと思うんだよねぇ」
「確かにまとまっているピースは箒で掃いて集めれば良いが、離れた場所に飛び散った物を探すのは難儀じゃの」
眼鏡をかけ直しながら、アスカの声にミアが頷いた。シャキーンとフレームを押し上げた魔女の種族の出である彼女は、周囲の床を舐めるように見回している。
「本当、普通に集めてたら時間がかかるわ。そうだ――私、見本を描きに行く途中に、展示会場に寄ってこようかねぇ。うん、ふふーん、この画家に任せてちょうだい。良い事を考えちゃった」
自信ある様子で口にしたアスカの横で、パートナーのオルベール・ルシフェリア(おるべーる・るしふぇりあ)が妖艶な体躯を両腕で抱きしめながら頷いた。
「そう言う事なら、修繕は任せてよね。オルベールはねぇ、これでも一面真っ白のパズルを完成させた経験があるんだから。任せて頂戴。必ず完成を、ピースさえ集めてもらえれば、公開時間に間に合わせるわ。パズルの基本は、洞察と忍耐よ」
「今までに考えていた手段が通用しなくて、一つ一つはめるとなると、それは本当に心強いと思うんだ」
エースがそう告げると、オルベールが肩をすくめた。
「そうと決まれば、さぁて、頑張りますか!! だけど……猫ちゃんは近づけちゃ駄目よ?」
彼女はそう言うと、新の方を見据えた。
「折角直しても、また突進して壊しちゃったら最悪でしょ」
オルベールがそう告げた時、新の抱くアリスの正面で、一人の青年がかがみ込んだ。
「それもそうだ。俺も、いや、私もそう思う」
猫をうっとりと覗き込んでいるのは、斎藤 邦彦(さいとう・くにひこ)だった。革手袋をはめ直している彼は、ぼさぼさの黒い髪を、冬の風にすくわれている。普段は丁寧な口調である彼だが、猫好きのサガなのか、つい一人称が変わってしまった。だが邦彦は一度咳払いをすると、通常通りの几帳面さと慎重さをうかがわせる瞳で周囲を見回した。オシャレな髭のせいか、学生には見えないが、これでも彼はれっきとした空京大学の学生である。
「問題解決――その手段は、基本的に分かりやすいものから潰すべきだ。だから俺もピースを探すのを手伝おうと思う」
遠巻きに話しを聴いていた彼もまた、そう述べた。その上で、新の顔を正面から見据える。
「その為に、アリスを――その猫をかしてもらえないか」
「え、アリスをですか?」
邦彦の言葉に瞠目した新は、抱きしめている猫へと視線をおろす。
「遠くから聞こえたんだが、その猫は普段、大人しいんだろう?」
「はい」
新が応えると、歩み寄ってきた騎沙良 詩穂(きさら・しほ)が、アリスの頭を撫でる。
「本当、誰にでも懐くって言うか、大人しいんですね」
実際詩穂の手にも、かみつく事もひっかく事もない様子の猫である。その姿を眺めながら、邦彦が改めて頷いた。
「だとすれば、何かしら肖像画に感じるものがあったから、こんな暴挙に出たんだ。でなきゃ普段大人しい猫はそんな事をしないだろうからな――あるいは、肖像画のピースにだって反応するかもしれん」
邦彦の言葉を聞いていた瀬伊が、その時深々と頷いた。
「確かに、猫自体にも何かがある可能性はある。ちょっと調べさせて貰っても良いか?」
新が頷いた事を確認し、瀬伊は、アリスを一通り検分する。しかしその結果は、地球ですらよく見かけるごく普通の猫に過ぎなかった。強いて上げるとすれば、アリスがつけている首輪自体も若干魔力を帯びているようではある。
「魔法的な事象に限らず、何か反応した理由はあるかも知れない」
新からアリスを受け取りながら、邦彦が瀬伊に顔を向ける。
「兎に角、またパズルを壊したら困るわけよね? だったら、連れて回ってみても良いんじゃない」
心なしか頬をほころばせながら猫を抱き上げた邦彦を一瞥しながら、パートナーのネル・マイヤーズ(ねる・まいやーず)が皆にそう告げた。彼女の声に、周囲は首を縦に振る。だが彼女の胸中は実のところ、複雑でもあった。
――私情入ってない?
そんな思いだ。パートナーの猫好きを知る、クールな彼女は、助け船を出しはしたものの、黒い髪の奥に隠れる赤い瞳を、呆れ混じりで静かに揺らした。とはいえ、手がかりが少ない点は事実である。他に良い手段が浮かんでいるわけでも無かったから、暴れた原因に近接する事が叶いそうな猫を伴うのも一つの手段ではあると、感じていた。こうしてパズルの修正現場から邦彦とネルは、猫のアリスを連れて離れる事にしたのだった。
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