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リアクション
第五章 モチーフの少女。
ヴァイシャリーの繁華街を、ゴルゴルマイアル 雪霞(ごるごるまいある・ゆきか)とフリードリッヒ・常磐(ふりーどりっひ・ときわ)は歩いていた。
平日の、まだ早い時間なのに、学生の姿が多く思える。
「ねえねえ、フリッツ。お人形が逃げちゃったんだって」
不思議そうに首をかしげていた雪霞が、言った。
「ええ?」
「さっき走っている人がそんな感じのことを言ってたんだよ」
「ふぅん……」
その言葉に、フリードリッヒは思案気な顔のまま返事をした。
フリードリッヒが常々思索を廻らせた結果、機晶姫に生命があるという結論に至った。
そのことを確信するにあたり、人形が逃げた――動き出したという現象は、とても興味深いものだった。
「雪霞、人形を捜しに行ってみようか?」
「え?」
「雪霞と友達になれるかもしれないでしょ? どうかな?」
笑んでみせると、雪霞も嬉しそうに微笑んだ。
「お友達、なれたら嬉しいね」
そうして捜し始めて十数分。
「あの子かなあ?」
人形を発見したのは、フリードリッヒではなく雪霞だった。
川べりにしゃがみこんでいる、一人の少女。ぱちゃぱちゃと音が聞こえるから、水で遊んでいるのかもしれない。
人形に、雪霞が近付く。足音に気付いたのか、彼女は振り返った。黒い髪に黒い瞳。整った顔立ちの少女だ。目の色は違うけれど、雪霞に似ているなとフリードリッヒは思う。
「こんにちは!」
先に挨拶したのは雪霞。屈託のない笑顔を見せると、人形も微笑んだ。
「こんにちは、おねぇちゃん」
「水がきらきらしていて、きれいだねぇ」
「そうなの! だからわたしも、ここにいたのよ」
「一人なの?」
「うん。おにぃちゃんたちと、おねぇちゃんたちと、いっしょにいたんだけど……はぐれちゃったの。わたしがはしゃいでいたから」
「そっかぁ。じゃあ、わたしと遊ばない?」
「あそんでくれるの? わたし、クロエ!」
「わたしは、雪霞。よろしくね」
しかし少女同士はすぐに仲良くなるな、とフリードリッヒはやや離れた場所から二人を見て、そう思う。距離を置いて見ると、背格好や髪の色が同じなため、ぱっと見姉妹が川遊びをしているように見えた。
「川で遊ぶのもいいけれど、転ばないようにね。まだ水は冷たいから」
「はぁいっ」
「うん、きをつけるよ、おにぃちゃん!」
そう、雪霞とクロエが笑った時、突風が吹いた。
「あわっ!」
「ひゃんっ」
二人が風に嬲られ、転ぶ。雪霞は機晶姫としての体重があったせいか、地面にぺたりと尻もちをつくだけで済んだが、クロエは人形だからか川にばしゃんと落ちてしまった。
「クロエちゃん!」
「クロエ!」
慌てて雪霞とフリードリッヒが駆けよって、川から助け起こす。浅かったおかげで、外傷もなければ溺れたということもない。
ただ、
「あ……帽子」
クロエがかぶっていたキャスケットが飛んで行ってしまった。
フリードリッヒが追いかけようとして、その帽子を七瀬 歩(ななせ・あゆむ)が拾った。そして川べりまで歩いていき、持っていたタオルで濡れたクロエの顔を拭ってあげながら、
「こんにちは、お人形さん」
微笑んだ。
「こんにちは、おねぇちゃん」
頬を撫でるタオルの感触に、くすぐったそうに眼を細めながらクロエが挨拶する。歩は少しかがんで、クロエと目線を合わせてから、
「あたしは七瀬歩。あなたのお名前は?」
問いかけた。
「クロエよ」
「クロエちゃん。可愛い名前だね。何をしていたの?」
「ゆきかちゃんと、おみずあそびよ。でもね、かぜがびゅーってして、おっこちちゃったの」
ぷるぷるとクロエが顔を振ると、長い髪を濡らしていた水が飛んだ。歩は水滴を拭いながら、
「あたし、クロエちゃんとお友達になりたくてここまで来たの」
「おともだち! わたしと?」
「そう、お友達」
「ゆきかちゃんも、おともだち?」
くるん、と顔を雪霞に向けて、クロエ。雪霞は「もちろんだよ」と笑う。続いてクロエの瞳がフリードリッヒを見た。
「おにぃちゃんも? おともだち?」
「僕でよければ」
にこり、と人を安心させるような笑みを浮かべて、答える。
クロエは嬉しそうな顔で、飛び跳ねる。
「わたし、すごいわ! おともだちがいっぱいだわ!」
楽しそうに笑うクロエが、また川に落ちそうになって三人が慌てたのは十秒後の話。
散々遊んで、休憩をしようということになった。
川べりに座りながら、歩が問う。
「あたしね、リンスくんのお友達なの」
「リンスのおともだち? リンス、おともだちいたのね!」
「いるよぉ。……それで、えっと。クロエちゃんはどうしてお外に出て行っちゃったのかな?」
「わたし?」
クロエは考え込むように空を見上げた。そのまま動かない。
歩は答えを待つ間に、桐生 円(きりゅう・まどか)が立てた仮説を思い出した。
円は、モチーフになった子のために何かしてあげようとしたのではないか、と考えていて。
実際のところ、どうなのだろう? まだ出会ってから一時間も経っていない歩には、クロエの言葉を聞くまで判断しかねる。
「わたしね。お外をみたくて、でていったのよ」
「それはどうして?」
「だって、わたしのおへや、しろくて、きかいがいっぱいで、おくすりのにおいがして、まどもなくって、なにもみえなかったんだもの」
クロエの言葉を聞いて、歩の頭に浮かんだものは、病室。それも、機械がいっぱいある窓のない部屋なんて、よほど身体の悪い人が入るような――。
そして、病室に居た子がここに、人形の中に、居るということは。
「そ、っか」
浮かんだ考えを振り払い、歩は笑う。
「ねえあゆむおねぇちゃん、リンスは怒ってた? わたしがどこかへいって、怒ってた?」
「……ううん、リンスくんは、きっと怒ってないよ。しょうがないなぁ、ってため息吐いてるだけだよ」
「はやくもどったほうがいいのかな?」
クロエの問い掛け。
それはもちろん、そうだと答えるべきものなのに。だって連れ戻すことを約束してここに居るのに。
歩は、「もう少しいいんじゃない?」と答えていた。
*...***...*
「桜井校長と、セリナの人形。その二つを作ること、ね……」
リンスへの申し出は、たぶんとても緊張した面持ちでいたのだろう。「そんなに硬くならないでよ」と言われながらも、言い切れた。ほっと胸をなでおろすロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)に、リンスは頷く。
「いいよ、作る。手乗りくらいのサイズでいいのかな」
「はい! ……ああ、校長と私の人形……♪」
「二人分の手乗り人形じゃなくて、等身大校長人形を作って抱いて寝れば?」
「そんな! 恐れ多いですよ! ……ああ、でも……」
リンスからの冗談交じりの提案に、ロザリンドはぼんやりと妄想する。
等身大の桜井校長人形。それを抱いて眠る、私。寝ていない時は、ソファに座らせて、隣に私が座って……。膝枕なんかもしたり、されたり……。それから、あの端正なお顔にそっと近付けて、キ――
「きゃーっ!」
「!?」
想像しすぎた。顔が赤くなるのが止まらない。両手で頬を押さえて、その場でぐるぐる回った。リンスが「セリナでも面白い行動するんだ……」と呟いているのも、気にしない。
一分か、二分か。そんな行動をとってからようやく落ち着いたロザリンドは、
「と、ころで」
じたばたと暴れた影響で荒くした息を整えながら、工房を見回した。
「人形が外に出て行ってしまったんですよね?」
「そう。だからいつもの十割増しくらい、騒がしい」
「それだけ慕われているってことじゃないですか」
「んー、ありがたいけど、申し訳ないよね。俺なんかのためにって」
リンスの言葉にロザリンドは苦笑する。そう思っていたことが私にもあったなあ、なんて。
そっぽを向いてしまったリンスに、
「モチーフがあるんですよね?」
問いかけながら、作業机の上の写真を手に取った。とても可愛らしい、小学生くらいの少女だ。
「ひょっとして、モチーフになった方と何か関係があるかもしれませんね?」
言葉にリンスがロザリンドを見る。リンスの青い瞳が、『どういうこと?』と問い掛けていた。
「ほら、人形には魂が宿ると言われるじゃないですか。持ち主や元になった人の心や魂も宿ったりするとも言われたりしますし……」
「モチーフの方に原因があるんじゃないか、って思ってるんだ?」
「はい。リンスさん、申し訳ありませんが、人形の作成を依頼しましたお家について伺ってもよろしいでしょうか?
それと、どうしてその人形を作ろうと思ったのか等を言っていませんでしたか?
その中に人形が外へ出ていった理由があるかもしれませんし。
ひょっとしましたら、その人形が外で遊びたいと願うような事があったのでしょうか?
あと、折角魂を持って生まれたのですから、そのこともそのお家の方に話したいのですが」
考え込んで何も言わないリンスに、ロザリンドがするすると言葉を紡いでいく。
黙考していたリンスが口を開いたのは、しばらくしてからだった。
「人形はともかくとして――モチーフの子、彼女が外で遊びたがることはないと思うよ」
「? どうしてですか?」
「だってその子、もう亡くなっているから」
*...***...*
ヴァイシャリー郊外を、桐生 円は一人で歩いていた。
目指す先は、モチーフとなった少女の家だ。右手にはケーキの箱を持ち、挨拶の準備もばっちりである。
円は顔が広い。
というより、円の知り合いの顔が広い。
モチーフの少女の写真をケータイで撮って、知っているかと尋ねたら意外に早くアタリをつけられた。
「ロザリンがリンスくんに話を聞いてくれてるなら、ボクのすることはこっちだよね」
そこは、丘の上にある家だった。
白い外壁、赤い屋根。二階建ての、何の変哲もない家だ。
丘の上という場所のせいか、民家はあまりなく隣家との距離は50メートルほどあるだろうか。それなりに歩いたため、足が痛い。まぁ仕方ないねと嘆息しながら、家の前に到着。
「ごめんください」
インターホンを押して、呼びかける。そう間を置かずして、白い家の白い扉が開かれた。やつれた女性が「……はい?」と首を傾げる。
「リンスくんの知り合いで、百合園の学生、桐生円です。依頼された、お人形のことで――」
言いかけて、ケータイが震えた。タイミング悪いな、と心中で舌打ち。
「あ、これ。手土産です。生物ですので冷蔵庫へお願いします」
先にケーキを渡すことにして、女性が家の奥に引っ込んでいくのを見計らってからケータイを見た。
「……ロザリン?」
着信相手を見て、眉をひそめた。あまりいい予感はしない。
「もしもし」
『もしもし、円さんですか? ロザリンドです』
「どうしたんだい? 連絡はメールでするっていう話じゃ――」
『緊急なの。モチーフの子は、もう死んでいるの』
「……え?」
想定外……とまではいかないが、少しばかり驚く。
てっきり、モチーフの少女に関連した者の魂が入り込んで、今ヴァイシャリー市内を遊び歩いて(あるいは逃げ回って)いるのではないかと思っていたから。
沈黙してしまった電話を持ったまま、玄関に立ちつくす。女性が戻ってきた。
「依頼されたお人形というのは……あの子の最後のお別れ用のお人形のこと、かしら?」
「どういうことか……お話を聞いても構いませんか?」
女性に促されて、円は家へと足を踏み入れた。
「では、彼女は死んでしまって……?」
人形のモチーフだった少女は、車の事故に遭い、七歳で鬼籍に入ってしまったという。
遺体の損壊が激しく、これじゃ別れもままならない、あんまりだ、可哀想だ、と、そういう結論でリンスの工房を訪ねたのだと。
娘を亡くしたショックで母親は寝込み、父親は悲しみを忘れようとするように仕事に打ち込んでいると。円を迎えてくれた女性は、亡くなった少女の母の妹にあたる人物だった。
「これじゃ満足に最後のお別れもできないわ、って人形師さんにお願いしたのよ。だからね、お葬式も終わって……もう終わってはいることなのだけど、踏ん切りがつけていないのよ」
「申し訳御座いません、理由も知らずずけずけと……」
「いいえ。ああ、でももし悪いと思っているのなら……彼女のように、姪に手を合わせてあげてくれないかしら」
「彼女?」
促されて、簡単な仏壇の置いてある和室に目をやった。高務野々が正座して礼をしていた。野々の隣に行き、円も正座した。頭を下げる。
顔を上げると、野々がはにかんだ。
「円さんも、いらっしゃったんですね」
「野々さんも?」
「レイスさんに教わったんです」
会話中に、来客を告げるインターホンの音。少しして、三人分の足音が近づいてきた。
「先客が居らっしゃいましたか」
志位大地と、ティエリーティア・シュルツが、花を手に手を合わせに来て。
黙祷の時間。
せめて、安らかに眠ってくれればいいと思った。
(柄じゃないけどね、たまにくらいはね)
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