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リアクション
ラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)は興奮していた。
パラミタ内海は遠い。
例の大波の噂を聞きつけてから早三日。彼ははやる気持ちを抑えきれず、修行兼準備運動とばかりに、手ぶらで空大を飛び出したのだった。
空京大学を出、ヒラニプラを過ぎ、シャンバラ大荒野では蛮族と戦い、サルヴィン川を泳いで渡り、イルミンスールの森を越え、やっとここまでたどり着いたのである。
その甲斐あってか、今眼前に広がるのはまばゆい太陽、雲ひとつない蒼空。
「ふぅ、これだけ動いとけば足もつらねぇだろう……おお、アレが噂の大波か!」
――水平線の彼方から迫り来るそれは、まったく想像通りのものだった。
「すげぇ……ようし、待ってろよ!」
いましがた借りた水着の紐をきっちりと結い直すと、彼は海の家でボードを物色にかかった。
「ひゃーーっ! すごいすごい! 陽子ちゃん、早く早く!」
「ま、ま、待って下さい」
寄せては返す巨大な波に目を奪われながら、霧雨 透乃(きりさめ・とうの)が、ロングボードを小脇に抱えて波打ち際へ向う。燃えるような色のビキニが、ひときわ目を惹いている。その後を追ってくるのは緋柱 陽子(ひばしら・ようこ)。鎖を巻いたボードで体を隠すようにしつつ、焼けた砂の上を小走りで駆ける。眩しい白いビキニ(恐らくは彼女の人生で最も小さいそれ)とは対照的に、すでに顔は真っ赤だ。「は……恥ずかしい……」
「何言ってるの陽子ちゃん! 超似合ってるってば。……や、もう少しマイクロでも良かったか……ぶつぶつ」
「と、透乃ちゃん、後ろ!」
「へ?」
同時に、浜辺から歓声が上がった。高さ5メートルほどの波が、一気にブレイクして飛沫を巻き上げる。まだ安全だと思っていた場所で、ざぶーんと海水を浴びる透乃。
「……よーし、乗(や)っちゃうよ……」
滴のしたたる前髪の間から覗く目のテンションがヤバい。どこか暗い表情をしていた陽子だが、それを見て思わず微笑みがこぼれた。
「じゃあ、……あの辺でちょっと様子をみましょうか」
そう言って、今度は陽子が先に立ち、浅瀬をゆっくりと歩き出す。
「うん!」
透乃は頷いて後に続きながら、波の洗礼に感謝した。
黄金の髪が、熱い空気をはらんで揺れる。
夏の空を切り取ったような青色の瞳。
美しい長身の肢体を彩る、白皙の肌。そこへほのかに浮かぶ玉の汗。
小さなバラをあしらったデザインのビキニに包まれ、サーフボードを持って砂浜に降り立つガートルード・ハーレック(がーとるーど・はーれっく)の姿は、まさに――
「あの波! パトリシア、急ぎましょう! ほら! あ、砂がっ熱いっ」
子供そのものに見えた。
「本当に、楽園みたいですわね」
流氷漂う故郷の海を懐かしく思い出しながら、パトリシア・ハーレック(ぱとりしあ・はーれっく)が笑う。
褐色の肌に映えるオレンジ色の水着。白いドレッドヘアの落ちかかる胸元が、汗で妖艶に煌めく。その姿は半径数十メートルの男性の視線を釘付けにするものだが、本人に自覚はない。
ふとガートルードに視線を移すと、もう海へ入ってざぶざぶとパドリングを開始していた。
「ガートルード、準備運動もしないで、……、……」
それ以上は我慢できなかった。
独り言はそこで終わり、パトリシアはものすごい笑顔で沖へ向って駆け出した。
「彩華……いくですぅーーっ!」
全面にイルカが描かれたファンシーなサーフボードで波に向うのは天貴 彩華(あまむち・あやか)。柄とは裏腹にボードは超ショートタイプ、普通は立つことも出来ないような危険な代物だが、彼女はそれを楽々と操った。
背丈の倍以上あるような波を潜ってやり過ごし、振り向きざまに乗る。絶妙なテイクオフにギャラリーが沸く。ボトムターンから再びトップへ駆け上り、波上に飛び上がる。そこから空中で三回転。
「必殺! 1080(テンエイティ)ですぅ!」
パレオに描かれたうさぎが舞う。おおおとわき起こる歓声。
そして華麗に――頭から落ちた。
「ぶくぶくぶく……(きゃははは! 彩羽もおいでよぉ〜!)」
「楽しんでるようで良かったわ」
姉から送られてくる精神感応に相槌を打ちながら、砂浜のビーチパラソルの下、天貴 彩羽(あまむち・あやは)は銃型HCのキーを叩いていた。
「さてと……この季節ってことは、うーん」
彼女はこの大波の原因である、怪鳥のヒナの行方を調査していたのだった。
落ちたと思われるポイントに、風と海流。
が、何しろ情報が少ない。
天御柱学院のコンピュータでシミュレートしても、広いエリアしか検討がつかなかった。
「……ここの定数、変えてみようかな」
と、HCの画面に、チャット受信の知らせが点る。
送信主は影野 陽太(かげの・ようた)と表示されていた。
「天貴彩羽さん、影野陽太です。……海流計算のデータ、蒼空のサーバにも置いていってくれたんですね」
「え、ええ。ただのバックアップのつもりだったんだけど」
もちろん、本当は違う。誰かの役に立てばと思って置いたのだ。
「お陰で助かりました。有り難う」
「いいのよ、ただのヒマ潰しだし。――あ、」
「?」
「――湿度の値、もうちょっと下げるといいかもね」
「はい!」
そう言ってチャットは切れた。
「……ん〜〜!」
嬉しくも、もどかしくもあるような感情。
彩羽はシートに寝転がり、手足を思い切り伸ばして、じたばたと動かした。
◇
海の家で借りてきた、戸板のような巨大なボードにも慣れてきた頃。
ラルクは確かに、鳥の鳴き声を聞いた気がした。
「ん……?」
沖の方へ目をこらす。それらしきものは、何も見えない。
が、その代わりに、胸の辺りまであった水面が、急に腰まで引きつつあった。
「こ、こいつぁ」
確かに今までの波も高かった。しかし、果たしてこの程度で、イルミンスールが水没を懸念するだろうか?
ふと浜辺を見ると、いつのまにか海の家が幌を装着し、完全防水体勢に入っているではないか。
鳥肌が立つ。武者震いだった。
「それ」はもう、確実に見えるところに来ていた。
「……よっしゃぁ! 乗りこなしてみせるぜ!」
ラルクはボードにうつぶせると、まるでモーターボートのようなパドリングで、ビルのような大波を突っ切り、そのまま頂上から一気にテイクオフした。並の人間には決して出来ない芸当。鍛え抜かれた背筋がめきめきと音を立てる。盛り上がり、耐えきれずに崩れていく波の面に、二度と無い軌跡を描きながら、ラルクはボトムを一直線に駆け抜ける。その上に被さってくる青いトンネル。
「うっひょおおお! 最高だぜーーっ!」
チューブライドのただ中で、彼は魚影に透ける太陽を見ながら叫んだ。
ガートルードは、ラルクの怖い者知らずのライディングに感銘を受けていた。
「どう見ても今日始めたばかりなのに……負けてられません!」
言うが早いか、二波目の頂上からなめらかに滑り落ちる。
サイコキネシスでボードをコントロールするガートルードのライディングは、まるで波が味方をしてくれるかのように優美だった。それでも巨大な波を滑る速度は凄まじく、神経をずっと研ぎ澄ませていなければならない。しかしその作業の全てが、楽しくて楽しくて仕方なかった。
「こんな大きい波、もうお目にかかれないかもしれませんものね!」
言いながらボトムターンをして、今度は波の頂上目がけて駆け上がり、また戻る。
ジグザグの軌跡が美しい、華麗なるアップス・アンド・ダウンズ。高いところで見ているギャラリーから溜息が漏れる。
ガートルードのようにはボードを操れないパトリシアが、少し遅れてついてくる。
「わ、私も……それ、やってみたいですわ」
「――! 了解、パトリシア」
ガートルードは微笑むと、精神を集中し、パトリシアのボードを操り始める。
一気に波を駆け下り、反動をつけて逆へ行き……そのまま波の上に飛び出した。
「わ、わっ!」
思わず片手でボードを掴む。
「おお! グラブ・トリック!」
「かっけー!」
――褐色の美女が大波で決めるエアリアル。
その瞬間をとらえたギャラリーの写真が、翌日発売されたサーフィン雑誌の表紙を飾るとは、この時はまだ誰も知らないことである。
「陽子ちゃん……来たよ!」
「は、はい!」
サーフィンには自信のあった陽子だが、さすがに20メートル級の高波を見たことはない。
「大丈夫、ふたりなら出来るよ!」
陽子と透乃の右手は、凶刃の鎖でしっかりつながれている。陽子が前で、透乃が後ろだ。
そこから伝わる感触で、ふたりは息を合わせ、水の崖から滑り落ちる――と、透乃のボードが、真っ二つにへし折れた。もともと長いボードなのに加え、波の巨大さが災いしたのだ。
「きゃあっ!」
「透乃ちゃん!」
陽子は鎖に力を込めて引き寄せる。これは死んでも離すわけにはいかない。
「なんの……これしき!」
透乃は鎖を伝い、軽身功で波の水面を蹴りすすみ、だんっ、と陽子のボードに着地した。
同時に、後ろから陽子を抱きすくめる。
「!?」振り返る陽子。
周囲は全て青い水の壁。まるで時間が静止したような錯覚に陥る。
(波の神様……あとでお供えでもしようかな)
ふたりを乗せたボードがチューブの中に隠れると同時に、透乃は陽子にキスをした。
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