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リアクション
第1章 それぞれの恋愛事情と怒りの狼 1
いくつかの区画に分けられるパーティ会場内を、腕を組んで歩く二人の男女がいた。はかなげで柔らかい笑みを浮かべる青年と、緊張からかぎこちない動きで腕を組み返す少女だ。薔薇の学舎の制服を着ていることから、青年が学生であることは容易に見て取れる。和服に袴を着込んだはいからさんな格好の少女も、恐らくは同様に学生なのだろう。
「そういえば、まだ腕を組んだことは無かったね。随分長く経つのに」
「そ、そうですね」
佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)は、水神 樹(みなかみ・いつき)の細い腕を優しく組んで、エスコートするように連れ歩いた。冷静なフリをしつつも、心の中ではお互いに緊張に胸を掴まれ、心臓の鼓動さえも近しく聞こえている。これ以上に恥ずかしいと思われるキス――いわゆる接吻はとうに終わっているのだが、やはり体を密着させる行為はいつになっても恥ずかしいままなようだ。
「……くしゅんっ!」
「寒い?」
「い、いえ……そんなことは……」
「はい」
慌てて首を振った樹の肩に、佐々木は自分の着ていたコートをかけた。
「こ、これ……」
「着てて。ワタシは大丈夫だから」
しばらく戸惑う樹だったが、佐々木に再び腕を組まれて、彼女はぎゅっとコートを抱きしめるように身に寄せた。コートの中からは、彼のぬくもりが感じられる。
ナイトパーティには数多くの参加者がいた。クオルヴェルの集落の獣人たちをはじめとして、シャンバラ人、魔女、果ては吸血鬼の姿もちらほらと見受けられる。中でも獣人とほぼ同じほどに参加しているのは地球人に他ならなかった。学校を中心として配られたチラシを見て、学生たちがわざわざやって来ているのだろう。
そのためか、ナイトパーティには地球――中でも日本の文化が隙間に割って入るように取り入れられていた。周りを立ち並ぶ出店にも、集落独自のものがほとんどの中にあって、稀に金魚すくいや射的という文字も確認することができるのだった。
そんな、一種のお祭りにも似たナイトパーティで、やはりメインと言えるのは催し物と並んで「食事」だと言えた。夜ということもあって、夕食を兼ねて参加する人も多いからだ。
弥十郎と樹もディナーを目的としたデートであり、今は立食会の会場へと向かっているところだった。
そんな二人を尾行する、怪しい影が二つ。
「うーん、この服は息苦しいな……」
「せっかく来たんですから、着崩さないでくださいよ」
燕尾服の襟元を崩して喉の気道を確保する青年に、注意の声がかかった。
透き通った海のように青い髪の青年は、生真面目なパートナーに楽しげな青金石の瞳を向けた。
「そう固いこと言うなってこれは尾行という名の戦いなんだぜ。戦いに赴くときはやっぱり動きやすくしないと……さぁて、目標の佐々木はどこかなー」
「あんた、尾行なんて野暮なことしようとしてるんですか……」
パートナー――香住 火藍(かすみ・からん)の白い目が、久途 侘助(くず・わびすけ)に突き刺さった。
「そ、そんな目で見るなよっ。二人のデートを観察して、俺の恋人とのデートの参考にするんだ。いいか、言わばこれは血戦! 血と肉を争う戦いなんだ!」
「あぁ、佐々木さんが見つかりませんように……」
両手を合わせて天を仰ぎ、火藍は真摯に目を瞑って祈った。可能なら見つからずに終わってほしいところだ。
「お、目標発見!」
火藍の祈りもむなしく、侘助は佐々木とその彼女、水神樹をあっさりと見つけてしまった。
「ほら、火藍も来いよ」
振り返った紺碧の瞳の青年が、満面の笑みで火藍を誘った。
こんな邪魔をするのが野暮だとは分かっていても、本気で侘助を止められないのは自分の甘さだろうか? 侘助の笑みはどこか手を余す天真爛漫な子供でも見ている気分で、結局、何のかんのと自分も付き合ってしまうのだった。
「はいはい、行きますよ」
「あ、やべっ、バレないようにしないとな……ちょっとそのボーイさん、シャンパン一つ」
「あ、ではグラスをお持ちしましょうか?」
「いや、1本」
立食会ではグラスに入れてもらったシャンパンを貰うのが定番であった。ポカンとなって立ち尽くす童顔のボーイだったが、侘助は彼のお盆からシャンパンを1本手に取ると、それも放っておいて佐々木尾行へと再び移行する。
「すみません、好きにさせておいてください」
飲むでもなくシャンパン瓶で顔を隠す怪しさ全開の侘助を、唖然として見つめるボーイに、火藍はフォローの声をかけ、自分も侘助の後を追った。
「お、これ美味いなぁ」
「……で、飲むんですか」
火藍の呆れた声など気にせず、侘助はシャンパンを口にしながら佐々木たちを観察する。
シャンパンを飲み干さんとする頃には、すでに二人はは立食会場へと辿り着いていた。
「樹さん、着いたよ」
「わあ……」
辿り着いた立食会は目を見張らんばかりの料理で埋め尽くされていた。野外ということもあって庶民的な雰囲気も持つものの、セレブが食べてもおかしくないような高貴な食事も用意されている。
二人はボーイから皿を受け取ると、二人は早速料理を物色した。さすがは獣人の集落といったところか。狩りで取ってきたであろう肉料理が豪快に並べられている。日本でも馴染みのある野菜もあるが、中には地球では見ることのない具材もあった。
「あれ……弥十郎さん、見てください」
「ん?」
佐々木が樹に引っ張られて視線を移すと、そこにはテーブルに囲まれるようにしている中心部で料理人が華麗に舞っていた。左手の甲に宿るレンズ部からカタール状の剣を生やした料理人は、縦串に刺さって直立する肉塊の側面を削ぎ落とす。そのまま剣腹に乗った肉は、料理人が腕を一瞬振るえば見事に参加者の皿の上に飛来した。連続して行われるその華麗な演出に、参加者たちの目は釘付けである。
「あれ……?」
同じく目を奪われていた佐々木であったが、ふと彼はその料理人の顔に見覚えがあるような気がした。それが誰か気づいたときには、料理人の腕が残像を起こす。
「きゃっ」
皿の上に見事に着地した肉に、樹が可愛らしい驚きの声をあげた。
「甘酸っぱい夜に乾杯」
二人を見つめる顔見知りの料理人は、満足げな顔で挨拶代わりに左手の剣――光条兵器を軽く持ち上げてみせた。
まったく、よく魅せるものだ。佐々木が再び演出に戻った料理人を眺めていると、樹が香ばしく焼かれた肉を口に含んだ。
「このお肉、とても美味しいですね」
「うん、優秀な料理人なんだろうね。あ、こっちのサラダには苺も一緒に入ってるよ。苺と合う野菜なんて、珍しそうだね」
二人は会話を楽しみながら、料理の美味しさに口をとろけさせ、この幸せな時間に身を任せていた。いつまでも続けば良い。そう思えるほどに、樹といる時間は佐々木の心を朝陽にも似た陽光で照らし、静かな星の瞬きのような輝きで満たしてくれる。
どこからか燕尾服を着た紺碧の瞳の視線がじーっと見ている気がしないではないが、今はそんなこと些細なことだった。樹との時間を無下にするぐらいなら、見られていたとしても少しでも一緒にいたい。いや、それこそ、見たければ見ると良い。
――未だに彼女をさん付けで呼ぶんだ――。
誰かの声が聞こえてくる。構うものか。これが自分と樹の付き合い方で、これが自分たちの幸せなのだ。呼び捨てで呼ぶことが、幸せだとは限らない。誰しもが自分たちの時間と世界を持っている。
「佐々木さんたち、楽しそうですね」
遠目で二人を眺める火藍は、見守るように目を細めて微笑んだ。
「ここじゃあんまり声が聞こえないな……もう少し近づいてみるか」
二人の声を聞き取るべく、侘助たちは更に近づいていった。視界には完全に入る距離だ。火藍はいい加減、見つかりそうな気がしないでもない。
「樹さん……」
「はい……?
とても穏やかな表情で名前を呼んだ佐々木に、樹が首をかしげた。少年のように無邪気で、ときに目を離せなくなるほどに澄んだ目をする彼はいま、晴れやかだった。
「くっそーいい雰囲気じゃねぇか……羨ましいな、この。ほら、そこで手ぇ繋げ〜」
侘助の目的はもはや観察から野次馬へと変更されているのだろうか。口々にお節介をささやく彼の視界で、佐々木と樹は見つめ合っていた。
瞳と瞳がぶつかり合うと、心臓の高鳴りは抑えようがないほどに脈打つ。緊張だけではなく、恥ずかしさと幸せと感動とが……ドキドキと心臓を鳴らすのだ。
聞かれていないだろうか? 自分の耳に聞こえてくる心臓の音の大きさに樹が頬を朱に染めたとき――風が吹いた。
「きゃ……!」
悪戯な風に、樹にかけられたコートが飛ばされそうになった。すると、咄嗟に佐々木が彼女ごと自分に引き寄せて飛ばされないように守る。それと同時に……お互いの息が感じ取れるほどに顔の距離が近くなった。
「や、弥十郎さん……」
樹が真っ赤になった顔で戸惑いのかすれた声をあげた。つい、弥十郎も同じように声を漏らして離れようと指先が動く。――だが、彼はこれでも男だった。
「……あ、こんなところに可愛い苺が」
照れた自分を隠すように、努めて冷静に言いながら佐々木は身を被せた。唇の柔らかな感触がほんの一瞬だけ重なりあう。触れるか触れないかの、とても軽いキス。それでも、顔を離した二人の顔はこれ以上ないほどに真っ赤に染まっていた。
そんな頬が少しだけ落ち着きを取り戻して桃色になってきた頃――佐々木の目が非難するように侘助たちに注がれた。
「あ、はは、バレてましたか……」
呆れたようため息をつく佐々木に向けて、侘助は誤魔化すような苦笑を浮かべた。
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