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リアクション
3.はろうぃん・いん・ざ・あとりえ。そのに*とりっくおあとりーと?
「こんにちはー」
ハロウィン色の強い人形工房に入ってきた高務 野々(たかつかさ・のの)は、その惨状を見て「あれ?」と声を上げた。
困ったような顔をしている美咲と、心配そうな顔をしている美雪、それからきょとんとした顔のクロエとリンス。なんとなく、いつもと雰囲気が違うではないか。
まあそれは、今の今までテロルチョコが悲劇を引き起こしていたからこその空気だったのだが、その場に居なかった野々にはわかるはずもなく。
「レイスさーん。とりっくおあとりーてっど、ですよ!」
「『トリックか、扱われます』。何言ってんの?」
「そんな馬鹿正直に訳さないでください。エキサイトする翻訳さんですか。意訳でいいんです、意訳で」
要するに、お世話させてくれなきゃいたずらしますよ? そういうことなのだ。
「あ。お菓子は要りませんので」
個包装されたお菓子を渡そうとしてきたリンスに、そう制す。言われたリンスは、自身の手の中にあるそれをまじまじと見て、
「チョコ美味いよ? 俺チョコ好き」
「そうですか、私は嫌いです。甘いもの全般が。なので差し出さないでください、嫌がらせですか? それでも人間ですか?」
野々の軽口を受けて、リンスは作業机の上にチョコを置いた。それから野々は気付く。
クロエがキャンディを手に、戸惑ったような顔をしていたのだ。きっと野々に渡そうとしていたのだろう。
「くっ……レイスさんが先に渡してこなければ。クロエさんのキャンディくらいなら、受け取りはしましたのに」
そう、歯噛みする。クロエは優しいから、甘いものが嫌いと言い切った野々に渡してこようとはしないだろう。
「ふぅ。退院して元気になったと思ったらこんな非道な行いをするなんて。私はとても悲しいです」
「いやいや、俺のほうが非道な言われ方したよね?」
「お詫びとしてお世話させてください」
「お詫びとして帰ってください」
と言って、ドアを左掌で示すリンス。
「いえいえ、お詫びというか。むしろ本来の目的を果たせているので」
「本来の?」
「はい、私嫌がらせに来たんで――って、あぁ! 背中押さないでくださいドアに向けて歩かせないでください! そしてドアの鍵をかけないでください!」
締め出され、叫び、再びがちゃりとドアが開く。開けてくれたのはクロエだった。やはり彼女はとても可愛い。間違えた、とても優しい。
「私の味方はクロエさんだけですよ……はぁ」
「ののおねぇちゃん、いやがらせにきたの?」
「いえいえ、それは言葉のアヤといいますか。クロエさんやレイスさんのお世話をしたいんですよ、私」
それは本心だ。
だってハロウィンなんだから、楽しまなくっちゃ。リンスのように見ているだけではダメなのだ。他の人が良いといっても、野々は許さない。
「ですので仮装する際のお世話をですね……!」
「しないから。仮装しないから」
「じゃあお世話させてくれないと? 悪戯ならいいんですね?」
「ごめん、オチ読めた」
「ちなみに、悪戯内容は仮装です」
「やっぱり。そういう高務はしないの? 仮装。人にしろしろ言う前に自分が――」
リンスの言葉に、野々は笑う。
「ははは。どこに目をつけていらっしゃるのです? どこからどう見ても、立派なキキーモラじゃないですか!」
とあるキャラにあやかって、赤いメイド服だし。
こんなに奉仕精神旺盛だし。
箒も持参しているのだ。
「これのどこが仮装じゃないと!?」
「あー、うん。疲れた」
「まったくもう。ノリの悪い方ですねぇ……ま、本気で嫌なら止めますけどー」
「嫌っていうか、ピンと来ないんだよ」
「着てみればいいと思いますよ?」
ほら、とどこからともなく大量の衣装を取り出す。
野々の場合、お世話に関することならば至れり尽くせりなんでもありなのだ。
手につくところにあったから、という理由だけで選んだ服が何枚も、女性用男性用入り乱れている。仕方なさげに、リンスが手に取った衣装は背中に羽のついたノースリーブのミニ丈ワンピース。とってもとっても可愛らしい。妖精の仮装用として持ってきたものだが、それを見たリンスは「うん」と引きつり気味の笑みを浮かべていた。
「やっぱ、パス」
それなりに似合いそうな衣装も含んでいたのだから、見せずにそっと着替えさせればよかった。
失敗した、と歯噛みしつつも、嫌と言うなら諦めるしかあるまいと。
「いつか、いつかは……!」
お世話か、悪戯か。
選ばせてやる。
「どっちも嫌だなんて我侭、来年も通ると思わないことですよ!」
「俺からしたら、高務の方が我侭なんだけどね?」
*...***...*
高務 野々の仮装作戦が失敗に終わった頃。
「とりっくおあとりーと!」
工房に元気の良い声が響いた。
クロエと野々と、三人がかりで畳んでいた服から視線を外してドアのところを見ると、
「オズワルドとボルトと……?」
「ノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)です。さあ、お菓子を出すか悪戯されるか! 二者択一ですよー!」
ずずい、とノアが工房に入ってきた。背中に悪魔の羽が生えた黒いシスター服に身を包んだノアに迫られるというのはなかなかに迫力があった。それはさておき、彼女から目を逸らし入り口で立ち止まったままのメティス・ボルト(めてぃす・ぼると)に視線をやる。
メティスは、黒のとんがり帽子を被った定番の魔女スタイルで立っている。レン・オズワルド(れん・おずわるど)の横で、少し躊躇っているような、そんな表情で。
「元気?」
「あれ? ちょっとリンスさん、私は無視ですか?」
「はい、お蔭様で」
「メティスさんも普通に会話続けないでくださいよ。なんだか私寂しいんですけど?」
「じゃ、入っておいで。楽しみなよ」
「……はい」
頷いて、メティスが工房に一歩、踏み込んだ。
レンより先に、自主的に。
入り口に立っていたレンが小さく頷いたのが見えた。それからレンは台所を指差す。貸せ、ということかなと解釈して、頷き返した。
そうしていると、
「……、あの」
メティスが声をかけてきて。
「ん」
「トリック、オア……トリート」
す、と手を差し伸べてきた。
「言えるようになったんだ」
「え?」
「自分の希望。素直に」
戸惑ったようにリンスを、ノアを見るメティスに、薄く笑みがこぼれる。
そういうものなんだ。
自分でも気付かないほど、些細な変化が積み重なって。
ある日突然、気付けるんだ。
「……はい」
そして、意味を飲み込んだメティスが神妙な顔で頷く。そんな表情とは裏腹に、なんだか嬉しそうだなと感じる。
「キャンディとチョコ、どっちがいい?」
両手に個包装のそれを持って尋ねると、
「こらーリンスさん! まずは私にですよ! ほらほらとりっくおあとりーと!」
放っておかれたノアに突撃された。ぐぇ、と小さく声が漏れる。
「……どっちがいい?」
「ふふふん。どっちもでーすーよー」
さようで、とキャンディとチョコを数個ずつ。
わあいと喜ぶ様は、見ているこっちが楽しい気分になるほどだ。
「セイブレムは、なんていうか。楽しそうだね」
「勿論です。お祭りは楽しんだ者勝ちなんですよ! 昔からそういうものなんです。えらーい人たちはそれがわからんのですっ。なのでみんなでたくさん馬鹿騒ぎしましょうね♪」
「それはいいけど、なんで人形工房なの。オズワルドは顔が広いから、別でホームパーティだってできるでしょうに」
「ふふふ、そんなの決まってるじゃないですか!
こんなお祭りの日に、まじめに仕事に打ち込んでいるであろうリンスさんをからかう為でしたー!
……ん、でも、結構楽しんでるみたいですね。飾り付けも綺麗にできてるし」
「されたんだよ」
「不本意ですか?」
「片付けが面倒」
「じゃ、ずっとハロウィンのままにしておけばいいんじゃないですか」
「気楽だね、セイブレム」
「難しく考えると人生損してる気分になりません?」
ああ、そう。と頷いて、おあずけ状態だったメティスにキャンディとチョコを、ノアに渡した個数より一個多く渡しておく。
メティスは、掌の上の、カラフルな包装紙をじぃっと見た。
それから、リンスの顔を見た。
そのあと、ノアの顔も見て。
服を畳んでいるクロエも見て。
最終的に、もう一度リンスを見て、それから。
「ハッピー、ハロウィン」
ぎこちないけれど、とても幸せそうな顔で笑っていた。
私は、笑えただろうか?
ノアに手を引っ張られる形で、工房まで来た。
そのノアは、さっくり工房に入ることができて。
自分は、レンの横で立ち止まってしまって。
でも、迎え入れてくれる人が居て。
その人は、私に幸せになっても良いんだよって、教えてくれた人で。
ちゃんと笑顔を向けられるのか。
不安だったけど。
「メティスさん、笑ってるー」
ノアの嬉しそうな声と、柔らかいリンスの表情。クロエもこちらを見て、楽しそうに微笑みかけてくれた。
そうか。
笑えているのか。
よかった。
自分の記憶にあったものは、戦場の記憶ばかりで。
それがレンと出会って、レンと暮らしてきた記憶のほうが鮮明に、そしてより大きな割合を占めていて。
それに気付いたとき、ああ、もしかしたらこれが、『楽しい』とか、『幸せ』という記憶や感情なのかもしれない、と思った。
そういった記憶のほうが残るというから。
だったら、そう思えることがたくさんあれば、幸せなのだろうか?
きっとそうだ。
だって、あの時よりも今のほうが楽しくて。
今日のこの日が楽しくて、楽しみで、今この瞬間一秒一秒が大切で幸せで、心地よくて。
ただのお祭りなのに。
ただのお祭りなら、経験したことはあるのに。
多分私は、この日のことを忘れない。
そして死ぬまで、何度も何度もしつこくしつこく、思い出すのだろう。
夜、寝る前や。
悲しいことことがあったときや。
誰かに話して聞かせたいときや。
ふとした瞬間に、いちいち思い出しては笑うんだ。
そう。
笑えるんだ。
初めて私が笑えた日のことを。
笑って思い出すことができるんだ。
長く生きれば生きる程、色んな言葉は覚えるのに。
覚えたどんな言葉を使っても、今自分の胸の中にある気持ちを伝えるには足りない。
(ありがとう、ありがとう、ありがとう)
胸が苦しくなるほどに、その言葉が溢れていっぱいになって。
ゆっくりと、息を吐いて、吸って。それから。
「リンスさん。あの――」
言うの。
こんな言葉じゃ足りないけれど。
素敵な言葉を、言いたい言葉を。
伝えたいんだ。
*...***...*
台所に入ると、ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)がパンプキンパイを焼こうとしているところだった。
丁度入れ違いか。軽く会釈して、レンは着ていたいつもの赤いコートを脱ぎ、ダイニングテーブルの椅子の背もたれに掛ける。持参したエプロンを着用していると、
「何か作るんですか?」
パイをオーブンに入れたベアトリーチェに、話しかけられた。
「ああ。アップルパイを作ってやろうと思ってな」
「アップルパイですか」
「友人にレシピを教えてもらったんだ。それが美味でな――ご馳走してやろうと」
以前、冒険の報酬にもらったアップルパイが、とても美味しくて。
レシピの覚書もある。何度か家で作った事もある。教えてくれた友人――プリッツほどは上手に作れないが、最初の頃よりは余程上手になったそれを。
「美味い物は誰かと食べた方がいいだろう?」
「楽しい事の共有ですね。素敵な事です」
洗い物をしながら、ベアトリーチェがにこりと笑った。
――……本当にこの工房には、こういった人間が集まるな。
人の気持ちが分かる人。人の痛みが分かる人。場を明るく出来る人。
冒険屋の面々だって、示し合わせたわけでもないのになぜか此処で再会したり。
「不思議だな、ここは」
「心地良いですから」
さらりと言われた言葉だったが、なるほどと頷いた。その一言に尽きるな、と。
心地良いから人が集まる。人が集まるから知り合いにも出くわす。心地良い空間が維持されるから、このループは歪まない。
「いい場所だ」
護ろう、と。
思った。
そんな場所、多くあるわけじゃない。
みんなが笑顔で居られる場所。安心して過ごせる場所。
それを、護ろうと。
だからまずは、アップルパイを焼いて、その美味さに蕩けてもらおうか。
「お互い、焼き上がりを楽しみにしていよう」
洗い物を終えて、台所から立ち去ろうとしたベアトリーチェにそう言葉を投げた。
*...***...*
「クロエ、作戦は理解できた?」
小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)は、ベアトリーチェに作ってもらった魔女の仮装衣装の恰好で、神妙な顔をしてクロエに言う。
「だいじょうぶよ」
クロエもクロエで、美羽と同じ服を着ている。
リンスがメティスやノアと話している間、ベアトリーチェがパンプキンパイを焼いている間。さくっと着替えて、作戦を話し合ったのだ。
お揃いの黒い三角帽子。黒いローブ。黒いマント。
その恰好だけで既に胸は躍るのだけれど、
「作戦名――『ろけっとだっしゅ!』を開始!」
これからやる行いの方が、よほど楽しい!
魔女コンビが駆け抜けるのは、工房の中とその周辺。
二人の小さな少女が、魔女が、ローブをマントを翻し、目にも止まらぬ早さで走り。
「トリックオアトリート!」
「とりっくおあとりーと!」
まったく同じタイミングで、まったく同じ言葉――クロエが、滑舌に少しの難があったが――を相手に投げかける。
言われた岩沢 美雪は、「ふたりの魔女さんかわいい〜♪」とにへらにへら、笑ってぎゅうと抱きしめてから飴玉をくれた。
高務 野々や、茅野瀬 衿栖、新堂 祐司やレオン・カシミールらにも全力疾走、急停止、
「とりっく!」
「オア!」
「とりーと!」
「トリック!」
「おあ!」
「トリート!」
お菓子ねだりを神速で。
そういうしていると、どうだろう。
ふたりの短い両の腕には、抱えきれないほどのお菓子。
「みわおねぇちゃん、わたしたち、がんばったわ!」
「ね! 頑張ったよー!」
美羽とクロエは、顔を見合わせて笑う。
いっぱいいっぱい、お菓子を手に入れた。
もちろん、無意味に無作為にこんな行いをしていたわけではない。
意味はあるのだ。理由があるのだ。
「あれ? ふたりとも、そのお菓子どうしたんですか?」
「本当。なにその量」
台所から出てきたベアトリーチェと、それまで別の人と喋っていたリンスがやってきて、美羽とクロエの集めたお菓子の量に驚いた。
ふふふー、とふたりは無い胸を張って、えへんと鼻を鳴らした。
「えへん!」
クロエは上手くできなくて、口で言っていたけれど。
「何? どうしたの」
「聞いて驚いてよ、ほらあーん!」
「聞くより先にその行為に驚いたよ。なんであーん?」
「つっこみ入れないでよ、リンス。ほら、いいからベアトリーチェ。あーん!」
「リンス、あーんするのよ!」
「はあ?」
「?」
リンスとベアトリーチェが顔を見合わせる。きょとんとした顔で。だけどふたりは疑問に答えず、手に入れたお菓子を手の中に。スタンバって、あーんを待つ。
「あー、ん?」
ベアトリーチェが口を開いた。そこにすかさず、クッキーをぽん。
「……ん! 美味しいです」
「りーんーすーもー!」
駄々をこねるクロエに、
「はいはい。……あー」
リンスが口を開いた。
「ん♪」
そこにお菓子をころん。
「チョコレートマシュマロか。美味しいね」
そう。
お菓子をたくさん集めた理由は。
「日頃の、感謝のつもり」
いつもお世話になっているの。
何か、どこかで返したいの。
だけど思いつかないの。
同じ悩みを抱えていたふたりが知恵を出し合い絞り合い、じゃあこの足の速さを生かして、サプライズ的にも丁度いい、ハロウィンでの恩返しをしようと思いついたのだった。
ベアトリーチェも、リンスも嬉しそうだから。
「成功だね」
こそり、美羽がクロエに耳打ちしたら。
「せいこうだわ!」
大きな声で、嬉しそうにクロエは笑った。
最後に美羽は、クロエにあーんとチョコレートを頬張らせて。そして、同じものを同じように頬張らせてもらって。
「トリックオアトリート!」
「はっぴーはろうぃん!」
定番の言葉も、言っておかなくちゃね?
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