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リアクション
【一 宣戦布告】
ヴァイシャリーは百合園女学院内の、とあるカフェテラスにて。
その日、茅ヶ崎 清音(ちがさき・きよね)は午後の最初の授業を終えてから、カフェテラスの端に位置するテーブルで、休憩を取っていた。
清音にとって幸運だったのは、取り敢えず今日も、あの忌々しいろくりんくんもどきの顔を見ずに済んだことというぐらいで、それ以外は至って普通の日常であった。
ところが――。
「あら、そこにいらっしゃるのは、茅ヶ崎清音さんではなくって?」
「えっ……あ、はいぃ!?」
思わぬ人物から声をかけられたことで、清音は裏返った声を張り上げながら、慌てて椅子から立ち上がる。
カフェテラスの入り口付近からこちらを嫣然と微笑んでいたのは、実に、ラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)そのひとだったのである。
百合園女学院の実質的なトップといわれるラズィーヤから声をかけられたのだ。清音が思わず飛び上がってしまったのも、無理からぬ話であった。
ところが当のラズィーヤはといえば、温和な表情と貴族然とした優雅な所作で清音のテーブル付近まで滑るように歩いて近づいてきたかと思うと、さも当たり前のように自ら椅子を引き、清音の真正面に位置する席に陣取ってしまった。
一瞬どうしたものかと思い悩んでしまった清音だが、とにかくラズィーヤが着席するよう勧めてくるので、仕方なく、座りなおすことにした。
しかし、一体どのような料簡でラズィーヤが声をかけてきたのか。
清音にはまるで、思い当たる節が無かった。が、その答えは間も無くラズィーヤ自身の口から語られることとなった。
「それで、あの……一体どういったご用件で?」
「そうですわね。そう……確か、あなたのパートナーさんは、キャンディスさんとおっしゃいましたかしら」
まさかよりによって、ラズィーヤの口から、あの忌々しい金髪ろくりんくんの名が飛び出してくるとは。
清音があからさまに嫌悪と動揺が入り混じった複雑な表情を浮かべているのに対し、ラズィーヤは相変わらず澄ました顔色で、更に淡々と言葉を続ける。
「実は少し、調べさせて頂いたのですけど……キャンディスさんは、SPBの審判員研修を受けていらっしゃるのでしたわね?」
清音は訳が分からず、ただもうひたすら目を白黒させている。ラズィーヤは、一体何がいいたいのか。
だが、その直後にラズィーヤの形の良い唇から飛び出してきたひとことは、清音のみならず、その周囲で何気なく聞き耳を立てている他の女学院生達の度肝を、盛大に引っこ抜く内容であった。
「近々正式に発表される段になっております故、もうここでいってしまおうと思うのですが……実は我がヴァイシャリーにもひとつ、プロ球団が設立される運びとなりましてね。わたくしはその新規球団の常任理事のひとりとして、参画することになりましたの」
すぐ近くのテーブルで、椅子を跳ね飛ばすけたたましい音が、幾つも響いた。と思った直後には、幾つかの人影が慌てて走り寄ってきていた。
「ちょ、ちょっと……それって、本当の話なの!?」
最初に口火を切ってきたのは、ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)であった。
彼女は、SPB傘下の蒼空ワルキューレに所属する、プロ野球選手のひとりである。常々ヴァイシャリーにも球団が出来れば嬉しいと思っていたブリジットであったが、まさか、ラズィーヤの口からそのような情報が語られようなどとは、正直なところ夢にも思って見なかったのである。
「ラズィーヤ様がそのように仰るってことは……もう100%確定している事実と考えて宜しいのですね?」
すっかり動揺してしまって、まともに会話が出来なくなっているブリジットを代弁するかのように、橘 舞(たちばな・まい)がひとことずつ噛み締めながら問いかけた。
これに対しラズィーヤは、依然として微笑を湛えながら、小さく頷く。
「先程も申し上げましたけども、正式発表が近いうちにアナウンスされますの。これはもう、決定事項であると考えてくださって結構ですわ」
舞とブリジットは呆けた表情で、互いの顔を見合わせる。
すると、そんなふたりを半ば押し退けるような形で、今度は秋月 葵(あきづき・あおい)とイングリット・ローゼンベルグ(いんぐりっと・ろーぜんべるぐ)が、若干前のめりになる勢いで首を突っ込んできた。
「ヴァイシャリーでの新規球団ってことは、やっぱり男子禁制になるのかな!?」
「ホワイトキャッツのメンバーが優先的にドラフトにかけられるってことは、ないのかにゃ!?」
ほとんどふたり同時に喚き散らす格好となったが、しかしラズィーヤは矢張りここでも落ち着いた素振りで、にこやかにではあったが、明確にかぶりを振った。
「百合園とはまるで異なる組織ですから、男子禁制であるとか、百合園生が入団に際して有利になるとか、そのような類のことは一切ございませんわ」
当然のことながら、ヴァイシャリーの郊外にホーム球場が新たに竣工する予定であり、現在急ピッチで建設作業が進められているのだという。
そして更にラズィーヤは、驚くべき情報を口にした。
新規に参入するのはヴァイシャリーだけではない、というのである。
「もう一球団、葦原島をフランチャイズとする葦原ホーネッツが同時期に参入してくる予定ですわ……まぁこれはあくまでも予定ですので、実際にはどうなるか、わたくしも存じ上げておりませんけど」
最後にラズィーヤはひとことだけ、付け加えた。
ヴァイシャリーに新たに登場するチーム。その名は、ヴァイシャリー・ガルガンチュアである、と。
参戦時期は2022シーズンからであり、今後トライアウトやウェーバー方式でのドラフトに参加し、徐々にチームとしての形が出来上がっていくのだそうだ。
* * *
実は同じ頃、蒼空ワルキューレの本拠地である蒼空学園内の、通称スカイランドスタジアムのクラブハウスでは、少し違った内容の情報による動揺が、一部で広まっていた。
「リーグ再編!? それは本当ですか!?」
二軍選手を対象とする定期メディカルチェックを受診しに来ていた影野 陽太(かげの・ようた)が、SPB専属スポーツドクターとして検診に訪れていた九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)に、半ば絶叫するかの如き勢いで食いついていた。
これに対し、情報を提供した当の九条先生はといえば、いきなり陽太が大きな声をあげたものだから、聴診器を外し、鼓膜の中に殷々と残る大音量の残響にしかめっ面を浮かべていた。
「まぁまだ、内々の話だから、確かなことはいえんけどね……しかし、SPB事務局の連中がその方向で動いていることだけは確かだ」
九条先生自身は、情報収集中であるとして断言は避けたが、整理の対象が蒼空ワルキューレとツァンダ・ワイヴァーンズであることを、既に知っている。
合同トライアウトの頃からこの両チームには何かと関わってきている九条先生だけに、このいずれかがSPBによって潰されるというのは、気分の良い話ではなかった。
一方、陽太は何か思うところがあるらしく、それ以降、めっきり口数が少なくなってしまった。
実際のところ、陽太は恋人にグラウンドでの勇姿を見せる為に、二軍で日々頑張っているのであるが、いきなりリーグ再編の話を吹き込まれてしまい、もうすっかり頭の中がぐちゃぐちゃになってしまっていた。
いや、このような話を聞かされたところで、一選手に過ぎない陽太が何か出来る訳でもなかったのだが、しかし整理の対象に自分が選ばれるかも知れないという漠然とした不安感が急に鎌首をもたげきているのも、また事実であった。
陽太だけではない。
先発ローテーションの一角であり、シーズン開幕後からそれなりの場面で活躍してきている安芸宮 和輝(あきみや・かずき)ですら、あからさまに不安げな表情を浮かべていた。
「や、やばいですね……私、速攻で首切られたりしないでしょうか……」
和輝は心底、肝が冷える思いで陽太の後ろから呟く。
現在の和輝は、ローテーションの合間の調整期間として登録を抹消されているだけに過ぎないのだが、日々己の未熟さを人一倍感じている彼にしてみれば、二軍に居る自分という単純なその現実だけでも、酷く恐ろしい事態であるかのように錯覚してしまう始末であった。
「いや、君は大丈夫だろう……そんな顔をする必要は無い筈だが?」
九条先生は、和輝の成績を知っている。
和輝は決して整理対象となるような不甲斐ない数字は出していない筈であったが、にも関わらず、彼がまるでこの世の終わりのような顔つきを見せていることに、九条先生は不思議そうな視線を投げかけずにはいられなかった。
「お、俺は……絶対、やばい、ですよね……」
個人的な理由から長期間チームを離れていたこともあり、やっと二軍で練習を再開したという陽太にとっては洒落にならない話であった。
思わず、手にしている大切なロケットをぎゅっと握り締め、天井を仰ぎ見る陽太。
(このまま……彼女に俺の活躍を見せられないまま、終わってしまうのかな……)
それだけは絶対に嫌だ、とは思うものの、現実はなかなか、そう思うようには運んでくれない。これが、プロの厳しさというものなのだろうか。
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