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リアクション
第三章 ミュージアムゾーンに潜むもの
ミュージアムの二階の体験コーナーにネバネバが入り込んで来た時、レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)はチムチム・リー(ちむちむ・りー)と一緒にオリジナルたこ焼きを作っているところだった。
ネバネバはあっという間に床を覆い尽くし、鉄板を飲み込んだ。室内にいた十数人の客は波が引くように部屋の奥へ避け、意外にも香ばしい匂いとともに朦々と上がった水蒸気の向こうに、ネバネバを吐き出しながら這い寄る得体の知れない触手のようなものの影を見た。
レキは本能的な恐怖と嫌悪を感じた。
咄嗟に逃げ道を探して、室内を確認する。
部屋にドアはふたつ。ひとつはあの触手とネバネバが押し寄せる、一階からの階段に続くドア。もうひとつは……二階の廊下に出るドア。しかし、そこに至る床は既に一面にネバネバで覆われていた。
自分たちは駆け抜けられるかもしれないが……ここには戦闘能力のない一般のお客さんと、何より、子供がいる。
「大丈夫アル、怖くないヨ」
怯えている子供たちを、チムチム・リー(ちむちむ・りー)は優しく抱き寄せて言った。
チムチムのもふもふした毛並みに安心感を覚えるのか、その場にいた3人の子供たちは、さっきからチムチムにしがみついて離れないのだ。彼らの若いお母さんは、青い顔をして声もなくコンちゃんのぬいぐるみを抱きしめている。
「……ありえへん」
つぶやきが聞こえた。
さっき傍でたこ焼きを食べまくっていた大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)が、その触手を睨みつけていた。
そして、叫んだ。
「ええ根性じゃ。叩き直す!」
「ちょ、え……泰輔さん!?」
泰輔が足元のネバネバをものともせずに踏みしだいて蒸気の中に走り去ると、レイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)も。手にしていたチョコミントたこ焼きを放り出して、慌てて後を追った。
「ええっと、これは……」
フランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)が当惑したように周囲を見回し、軽くため息をついて、唖然としていたレキを見た。
「……奥に非常口がある筈です。アレはこちらで引きつけますから、お客さんの避難をお願いできますか」
「え、うん、もちろん……けど、そっちは大丈夫?」
レキは我に返って、聞き返す。フランツはちょっと首を傾げて、傍らの讃岐院 顕仁(さぬきいん・あきひと)を見た。
「たぶん……いけますよね」
「まあ、成り行き次第じゃな」
顕仁がそう言って笑った。
「こらっ、そこのイカのバケモン!」
ミュージアムの入り口を飛び出して、泰輔が怒り狂っていた。
「ここはたこ焼きの楽園やぞ!? なんでイカ焼きが出てくるねん。イカ焼き食いたなったら、大阪梅田1番地〜♪、の百貨店地下で並びにいくわ!!」
たこ焼きを満喫していた楽しい時間をぶち壊された怒りも混じっているようだ。かなり理不尽な怒りを向けられたソレもまた、怒りに身を震わせるように蠢いた。
「4.xe0&¥etw@0.et#%」
大阪のおばちゃんの怒鳴り声とも、下町のおっさんの喚き声ともとれる、奇怪な叫び声が辺りに響き渡る。
「……きゃっ」
レイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)が思わず小さな悲鳴を上げて耳を塞いだのは、その叫びに頭の中を掻き回されるような不快な感覚を覚えたからだ。
しかし泰輔はそんな感覚はものともせず、ぴしりとソレを指差して宣言した。
「イカはイカの楽園に叩き返したる!」
「信じられんヤツじゃな。あれがイカに見えるとは」
入り口の陰で顕仁がなかば驚嘆したように呟いた。フランツは思わず顕仁を見る。
「あれの正体がわかるんですか? 僕には……『わけがわからないもの』にしか見えませんが」
イカっぽい何かの触手から滲み出す白い粘液を避けて、二人は受付台の上に座り込んでいた。
『……いかってるのですか? おこってるのじゃなくて?? イカだけに、なんて、あはは……』
泰輔の怒声に替わって、レイチェルのちょっと恥ずかしそうな声が聞こえてくる。どうやらあちらでは、何やら常人にはわからない彼らなりの新戦略を開始したようだ。。
足元のネバネバは、まだ止めどなく建物の中に流れ込んでいく。
「わしにだってわからんよ。ただ、得体の知れん、正面から対峙してはならぬ何かの気配がする」
「……しますね」
フランツも同意する。だから二人は建物から飛び出さず、咄嗟にここに身を潜めたのだ。
しかし、無防備に飛び出した泰輔は、ああして元気に漫才をしている。
「ふむ……或いは、それが”ひんと”か」
「え?」
顕仁は言葉を切り、じっと足元のネバネバの奔流をみつめた。よく見るとそれはただ白いだけではなく、ところどころに異物が混じっている。
つられるようにネバネバをみつめて、フランツは気がついた。見覚えがある……それも、最近、いや、つい今しがた、目にしたような。
「これは……」
言いかけたフランツの言葉を遮って、顕仁がきっぱりと言った。
「これは、酒の肴にお好み焼きを食い過ぎた後に、デザートにクリーム蜜豆、それであるこーるをちゃんぽんで飲み過ぎた後、ゲロゲロともどした様なもの、じゃの」
「ええっ」
いきなり、周囲に言い様のない臭気が立ちこめた。足元のネバネバは、正視に耐えないおぞましいモノと化している。
顕仁は袖で口を覆い、満足げに笑った。
「ふむ。やはり、そういうことか。言葉遣いとしては、とりあえず満足じゃ」
「満足しないでくださいっ! 寄りによって、何てもんに固定するんですかっ」
台の上に立ち上がってフランツが叫んだ。
「せめて……たこ焼きのタネくらいにして下さい!」
「び、びっくりした……今の何?」
レキが青ざめた顔で冷や汗を拭った。
入り口の方から、人のような人でないような何かの怒号が飛び交っている。半分はまったく聞き取れず、もう半分は、イカ焼きがどうとか、やはり意味がよくわからない。
しかし、それよりもはるかに彼らを戦慄させたのは、突然その場に充満した、冒涜的な名状しがたい悪臭だった。その臭いだけで失神しそうになる一般の客を励まし、泣き叫ぶ子供たちを庇って、レキとチムチムは廊下を進むことを断念して、『世界のたこ焼きの仲間展示ルーム』に飛び込んだ。
ネバネバ自体はまだあの部屋から這い出してはいない筈だ。にもかかわらずその異臭は、建物全体を汚染してしまったかの如く、その空気に遍在して逃げ回る人々に襲いかかった。
しかし……展示ケースの陰に皆で抱き合うように身を潜め、必死で鼻と口を押さえて息を潜めているうちに、意外にもその穢らわしく異様極まりない悪臭は、まるで嘘のように消え失せた。
ルームからそっと顔を出すと、やはり廊下に未だネバネバの姿は無い。ただ気配だけが、彼らが逃げて来たあの部屋の方からざわざわと名状しがたい気配が空気を振るわせていた。
「今のところ、来るのはネバネバだけだね」
レキはドアから廊下を覗き込んで、銃を抜いた。
本当は、さっきの悪臭を思い出すと、ネバネバだけだって見るのも嫌だ。しかも、床はもちろん、壁や天井も白いもので覆われ、天井から滴る雫が行く筋も糸を引いているのだ。
レキは一瞬大きく身震いをしたが、それで、切り替えることにした。
アレはただの白いネバネバ。たこ焼きのタネみたいなものだよ!
レキはそう自分に言い聞かせ、這い進む先端辺りを狙い、銃弾を撃ち込んだ。
銃声に悲鳴を上げる子供たちを、チムチムはまた、力づけるように抱き寄せる。
「ダメかぁ……威嚇にもならない」
レキがつぶやく。
銃弾のひとつは鈍い音とともにネバネバに取り込まれ、もう一発はその表面を撃ち抜いたが、砕け散って飛散したものは再び吸収され、手応えがない。
「やっぱり、火で足止めするしかないのかな」
建物の中で火術を使うことには抵抗がある。できれば別の方法を使いたかったが、この際仕方がない。
「できるだけ迅速に脱出しよう……チムチム、非常口までのルートは確認できてる?」
「もちろんアル」
チムチムが入り口で貰ったパンフレットを手に頷く。
「じゃ、アイツに鉢合わせしないように、みんなを避難させよう。後方はボクにまかせて!」
「わかったアル!」
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