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ハイナのお茶会 in 明倫館

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ハイナのお茶会 in 明倫館

リアクション

   一

 葦原明倫館の敷地内に、小ぢんまりとした森がある。
 仁科 耀助(にしな・ようすけ)龍杜 那由他(たつもり・なゆた)は、丹羽 匡壱(にわ・きょういち)から渡されたメモを手にやってきた。
 お茶会で使われる道具のほとんどは、既に他の生徒たちによって用意されている。耀助たちに割り当てられたのは、「ちょっと面倒なんだ」(匡壱談)という代物だった。
 一つ目が水だ。どんな類であれ、飲み物や料理にとって水は命だ。この森の一角には、葦原名水にも上げられる湧水があった。
「湧水は池の向こう側、か……」
 透玻・クリステーゼ(とうは・くりすてーぜ)は呟き、周囲を見渡した。
 池は広いが、精々周囲の距離は三キロ。ぐるりと回って辿り着けないことはない。しかし時間がかかる上、貴重な原生林や苔を踏み潰すことになりかねず、一帯は立ち入り禁止になっている。つまり、飛び石を渡るしかない。
「この池の水を使うわけにはいかないのでしょうか?」
 璃央・スカイフェザー(りおう・すかいふぇざー)が池に手を入れた。温度はそう高くはないが低くもない。心地よいと感じる程だ。湧水はこの池に溜まり、地下を通ってどこかへ流れていくという。
「残念ながら、大元の水を取ってくるように、との指示なのよ」
 那由多はプラスチック製の大型容器を見て答えた。これをいっぱいにして運ぶのは、骨が折れそうだった。
「あの……」
 耀助たちの後ろから、声を掛ける者があった。手拭いで顔を隠すようにした町家の女だ。手に抱えられるほどの壺を持っている。
「はい、何でしょう!?」
 耀助は目にも留まらぬ速さで、女性の前に立った。
「わたくしは町の者です。少し前に化け物が葦原で暴れた際、父が怪我をしてしまいました。治りが悪いので占い師に占って貰ったところ、この先の泉の水で薬を煎じて飲めば良くなると言われ、水を汲みに来たのですが……」
 女性はすっと身を屈め、着物の裾をめくった。足首が赤黒く腫れあがっている。
「この通りです。水を汲むどころか帰ることすら覚束無い状態です。どうか水を汲み、わたくしを町まで送ってくださいませんでしょうか?」
「もちろん!!」
 耀助は女性の足元から目を逸らさぬまま、彼女の手を強く握った。
「困った女性がいればお助けするのが男の務めです!」
「ちょっと耀助、こっちの任務はどうするのよ?」
「任せた」
「任せた、じゃないでしょう!」
 耀助は振り返り、那由多を睨んだ。
「だったらお前は、か弱い女性が弱っているのに、しかもこんな美しいおみ足が傷ついているのに、見捨てろと言うのか!?」
「誰もそんなこと言ってないでしょ!」
「それにオレだって、何も任務を放り出そうってんじゃない。こんなに仲間がいるんだ。彼女たちを信じて任せて、オレはこちらの女性をお送りする。見事な役割分担だろ?」
 何か間違っている。それはおそらく耀助の動機そのものなのだが、理屈としては正論に聞こえるだけに、那由多は言い返せない。
「あの……」
 おずおずと声をかけたのは、一雫 悲哀(ひとしずく・ひあい)だ。
「よろしければ……私がお送りしましょうか?」
「え?」
 振り返った耀助と目を合わせることが出来ず、悲哀は思わず俯いた。
「仁科さんは任務を果たさなければならないのでしょう? 私たちはお手伝いのようなものですし……それなら」
「え!? 町に行っちゃうの? お茶会行かないの!?」
 愕然となったのは、アイラン・レイセン(あいらん・れいせん)だ。
「お菓子は!? お茶は!?」
 お茶会の道具を運ぶと聞いて、さぞ美味しそうなお菓子だろうと思っていたアイランは、荷物の中に食べられる物がないと聞いて見るも哀れなほどに嘆いたのだった。それを、お茶会に行けばあるから、と悲哀は慰めたのである。
「だ、だって仁科さん、困ってますし……」
「Baby」
 耀助が悲哀の両手を握った。悲哀は顔を真っ赤にし、もじもじと己の足元を見つめた。そのため、耀助が彼女の胸を覗き込んでいることに気付かない。
「オレのことをそんなに想ってくれるなんて……オレも罪な男だな……ありがとう」
「い、いえ、そんな、その……」
「ハイハイ、話がまとまったところで離れて離れて。一雫さんが迷惑でしょ?」
 耀助の視線を見て取った那由多は、二人の間に割り込んだ。
「迷惑だなんて、そんな……」
 悲哀はぼそぼそと聞こえないほどの声で言った。実は悲哀は耀助に好感を抱いているのだが、男性を話すのが苦手なために、それをストレートに表せないでいる。
「というわけで、こちらの一雫さんが送ってくれるそうですけど、構いませんか?」
「あ、はい、もちろん」
 宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)は作り笑いを浮かべた。彼女としては耀助を町まで連れて行き、任務を失敗させることが目的だったのだが、そういう理屈で来られては仕方がない。
 好意的に捉えれば、耀助は困った人間を見逃せぬ性格となるが、忍者としてはどうだろうか、と考えた。
「話がまとまったところで、私が先に行くぞ」
 透玻が【バーストダッシュ】を発動する。
 慌てたのは璃央だ。
「いえ、ここは私が……」
「順番を争っている場合ではない。急がねば、お茶会に遅れるぞ」
 璃央の返事を待たず、透玻は地面を蹴った。
「透玻様!」
 透玻は低空で移動するように、飛び石を渡っていく。三つ目までは順調だった。が、四つ目の石を踏んだとき、足の裏に小さく、鋭い痛みを感じた。と思うや、バランスを崩して池に落ちてしまった。
「透玻様!」
 璃央は慌てて池に飛び込んだ。――と、前のめりに倒れ、頭から水に突っ込んでしまった。
「な……!?」
 幸い、透玻は胸まで、璃央は足首の位置までの深さなので溺れることはなかったが、
「ワイヤー……?」
 水面ギリギリにワイヤーが張ってある。指の腹でそれを浮かせ、璃央は首を傾げた。
「何者だ!? 何のつもりで邪魔をする!?」
 じゃぶじゃぶと水を掻きながら戻ってきた透玻が、璃央と共に上がろうとすると、今度はそこにクナイが突き刺さった。
 咄嗟に手を離し、二人は再び水に尻餅をついた。だが、
「そこか!」
 透玻はその体勢のまま、【凍てつく炎】を発動した。炎と氷が一直線に突き進み、物陰から龍滅鬼 廉(りゅうめき・れん)が飛び出した。
「何者だ!?」
 璃央が【面打ち】で襲い掛かるも、足元にルディア・ローライキャネル(るでぃあ・ろーらいきゃねる)のパラミタセントバーナードがいきなり飛びついてくる。
「な、何です!?」
 パラミタセントバーナードは、尻尾を振りながら璃央の足元に纏わりつく。相手が犬では璃央も攻撃するわけにはいかなかった。
「良く来たな。少しの間、修行に付き合ってもらうぞ」
 フッと廉が微笑む。
「ここが池でなければ、雷を落とすところだが……」
 透玻はちらりと耀助たちを見た。耀助は小さく頷く。
 クナイが飛んできて、耀助の足元に突き刺さった。
「早く行けってさ!」
 耀助が手を上げ、那由多、悲哀、アイランは池へと向かった。
「……まあ、こんなものじゃろう」
 物陰にいた勅使河原 晴江(てしがわら・はるえ)は、残ったクナイを手元で弄んだ。傍らに青白い炎が浮いている。
 廉と違い、誰かと手合せしようとは思っていない。今回は、相手の実力を見るのが目的だからだ。
「さて、お手並み拝見」
 廉が透玻たちに【疾風突き】で襲い掛かるのを見ながら、晴江は誰ともなしに呟いた。