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ハイナのお茶会 in 明倫館

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ハイナのお茶会 in 明倫館

リアクション

   八

 ぱちり。
 セルマ・アリス(せるま・ありす)は、音がするほど勢いよく目を開けた。
 ここ、どこ?
 薄暗くて、セルマは自分がどこにいるか分からなかった。記憶が確かなら、お茶会のために何かお菓子を作ろうと考えていたのだ。会場に着いてすぐ、中国古典 『老子道徳経』(ちゅうごくこてん・ろうしどうとくきょう)に呼ばれ、ぴらぴらのメイド服を見せられた。ナニソレと尋ねる間もなく、殴られ――。
 そこまで思い出して、セルマは青ざめた。そういえば、胸やら腹がやけに苦しい。腕の自由は利くから、縛られているわけではなさそうだ。
 セルマはとにかく明るいところへ出ようとしたが、覚えのある声が聞こえてきた。
「リンちゃんだ〜おひさ〜」
「あ、アスカさんたち、いらっしゃってたんですね」
 どうやら師王 アスカ(しおう・あすか)がパートナーを連れてやってきたらしい。応対しているのはセルマの妹、リンゼイ・アリス(りんぜい・ありす)だ。
「ねえ、セルマくん知らない? シャオちゃんから特ダネ聞いてきたんだけど」
 セルマはぎょっとした。シャオというのは、『老子道徳経』の愛称だ。
「セルならお茶菓子の用意で厨房に居るはずですが……呼んできましょうか?」
「お願い〜」
「あ、セルマなら道具置場よ」
『老子道徳経』だ。そうか、ここは道具置場なのかと思った。リンゼイの足音が近づいてきて、突然、光が差し込んだ。眩しさに、目を細める。
「セル、アスカさんがお越しになってますよ。……何ですかその格好」
「い、いや、これはその……」
 リンゼイに腕を掴まれた。
「引っ張らないでリン! 痛い、痛い!」
「きゃー可愛い〜♪ 和装メイド!」
 アスカの黄色い声が上がった。太陽の下、セルマの姿が晒される。そう、彼は着物にエプロンという大正時代の女給姿だったのだ。しかも丈は短くし、ニーソックスを組み合わせて絶対領域を作り上げている。
「ぎゃあああ!」
 セルマは己の姿に初めて気づき、叫び声を上げた。
 ラルム・リースフラワー(らるむ・りーすふらわー)が、つぶらな瞳でじっと見つめている。
「な、なに、ラルム?」
「……セルマお兄ちゃん?……おんなのこなの??」
「うっ……」
 アスカはセルマのスカートを摘みあげた。
「ニーソとスカートの間に指入れていい?」
「あう、腿つんつんしない!」
「ふぅむ、コルセットという隠れ装備まで……シャオちゃん、いい仕事しているわね」
「でしょ?」
「腰に抱きつかない!! メイドへのお触りは禁止です!!!!」
「待ちなさい、アスカ」
 凛とした口調でオルベール・ルシフェリア(おるべーる・るしふぇりあ)が止める。
「ああ、オルベールさん……」
 救いの神が現れた、とセルマは息をつく。
「とある人は言ったわ、猫耳をつけると可愛らしさが約二〇パーセントもアップすると!」
「何ですかそれは!!」
「というわけで、猫耳つけましょうセルマちゃん♪」
「嫌です!!!」
「セネシャルなら、腹を括りなさい!」
「何ですかそれはあああ!」
 抵抗空しく、頭に白い耳を乗せられたセルマは、しくしく泣き出した。
「いいじゃない、似合ってるわ♪ さすが嫁ね! ロシア語で掌賛の限りを尽くすわ! ハラショー♪」
「嬉しくありません! って、アスカさんは何してるんですか!?」
 アスカはスケッチブックを取り出し、さらさら何か描いている。
「ん〜? フィギュア作ってネットで売ろうと思って〜」
「フィ……って、俺の!?」
「モデル料は払うから安心して。あ、メイドさん、後でお茶とお菓子をよろしく」
 セルマはもう泣きべそだ。その顔もいい、とアスカは鉛筆を走らせる。その彼の袖を引っ張る者がいた。
「……何? ラルム」
「……セルマお兄ちゃん?」
「ん?」
「……かわいい?」
「……しくしくしく」
 こうしてセルマは、絶望の淵から底へと叩き落とされたのだった。


 その様子を眺めていた玉藻 御前(たまも・ごぜん)は、はーっとため息をついた。
「ダージリンでございます」
 手慣れた手つきでカップを置いたのは、セリス・ファーランド(せりす・ふぁーらんど)だ。男性であるが、着物にエプロンというセルマと似た姿をしている。ただし、裾は足首まできっちりある。
 それが間違いだったのか、セルマのようにミニにすべきだったのか、セリスの女給姿は予想以上に様になっていた。違和感が全くない。おまけにセリス自身、戸惑う様子もなく、淡々と仕事をこなしている。
 はっきり言えば、つまらない。だが玉藻は、悪戯に失敗したことを悟られぬよう、勤めて冷静に褒めた。
「……さすがはセリスじゃ」
「……ありがとうございます」
 給仕の仕事を褒められたのだろう、と今はメイドに徹しているセリスは丁寧に礼を述べた。彼とても、女物の着物は何かの間違いだろうと思った。思ったが、まあいいかとすませることにした。それだけだ。ちなみに先程、耀助にナンパされかけた。
 ルカルカ・ルー(るかるか・るー)はテーブルの上にチョコバーを広げた。
「大箱で持ってきたから、みんなで食べてね!」
 ハイナは苦笑しながら、土産として配ろうと言った。
「それにしても、あれからちょっとしか経っていないのに、町はもうほとんど復興してるんだね」
「凄いね」
 ルカ・アコーディング(るか・あこーでぃんぐ)が相槌を打った。
「私も驚きました。人の力って、凄いんですね……」
 高峰 結和(たかみね・ゆうわ)は、デジカメで撮った町の風景を玉藻やルカルカに見せた。「ミシャグジ事件」から然程に時は経っていないが、葦原の町はほぼ前の通りだった。
「この世に手に負えぬことは多うござんすが、それでも懸命に生きるのが人でありんしょう」
「あれから、カタルや梟の一族は……?」
 ルカルカの問いに、ハイナはかぶりを振った。
「便りがないのが良い便りとも言うでありんすしね」
 しかしそれは、何かあったときに連絡が来るという確証があればこそだ。だが、ミシャグジに動きがあれば、必ず戻ってくるとカタルは約束した。ハイナはそれを信じている。
「もう一つ訊きたいんだけど」
「教えて」
 複製を作るためとはいえ、なぜ明倫館の生徒ではない自分に、事件の鍵である「風靡(ふうび)」という剣を預けてくれたのか。ルカルカはずっと疑問に思っていたことを尋ねた。
「ああ、そのことでありんすか」
 ハイナは笑った。答えは単純だった。ルカルカ以上に精巧な複製を作れる技術者が、その時いなかったからである。無論、彼女が敵である可能性も考慮して、その前後は拘束した。そしてもし、ルカルカが敵の回し者だということであったら――、
「その時は、いくらでも手の打ちようはあったでありんしょう」
「「なるほどね」」
 アコはルカルカと同時に頷いた。その「手」に関しては深く聞かない方がよさそうだとルカルカは判断する。
「ねぇーねぇーおにーちゃん、そこで何してるのー?」
 エリー・チューバック(えりー・ちゅーばっく)が声を上げた。そこには、花を持った耀助が立っていた。
「あー、総奉行、仁科耀助です。任務、無事完了いたしました!」
「ご苦労でありんした」
 ハイナがにっこり微笑んで労う。結和は、その花に目を留めた。
「綺麗な、お花ですね」
「立葵です。差し上げますよ」
 耀助は丁寧な手つきで結和に一輪差し出した。エリーも「欲しいー」と駄々を捏ねたが、耀助には無視された。
「ここに来る途中で摘んだんです」
 結和の顔が明るくなる。
「場所を教えて頂けますか? 写真に撮りたいんです」
「もちろん! 美しいお嬢さんのためならば」
「友人に送ろうと思って……」
「……男ですか?」
「え? はい」
「……後で那由多に案内させます」
 相手が男と聞いて、たちまち耀助はしかめ面になったが、結和は、外出できないある友人のため、折に触れ、季節の写真を送っているのだ。
 耀助は玉藻、それにルカルカとアコにも一輪ずつ渡した。
「「ありがとう」」
 二人同時に礼を言われ、耀助は戸惑った。同じ顔、同じ声、双子かな、どっちがいいかな、と一瞬迷ったのはここだけの話である。
「アクセサリを買おうと思うんだ」
「綺麗なの」
「お土産に」
「どこがいいと思う?」
「ア、アクセサリ……?」
「「うん」」
 耀助は腕を組み、たっぷり一分ほど悩んだ後、
「……那由多を呼んできます」
 そそくさとその場を離れたのだった。