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魔の山へ飛べ

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   二

 平太たち一行の斥候隊を仰せつかったのは、セレンフィリティ・シャーレットとセレアナ・ミアキスの二人だ。といっても、自分から名乗り出たのだが。
 もちろん、それには理由がある。平太のため、という殊勝な話ではない。大体、セレンフィリティにはそんな義理はない。彼女の目的はただ一つ。
「ここんところ、株もギャンブルも宝くじも懸賞も外しっぱなしで全然ツイてないから、運気上昇を!!」
――というわけである。
 頂上に「神さま」がいるのなら、そこへ至る道もあるだろうと思いきや、精々獣道が精一杯。後から来る平太たちのために、二人は伸びた枝を切り落とし、草を刈り、歩きやすくしていった。
「あーっ、もうっ、またっ!!」
 セレンフィリティは苛々と叫んだ。腕に十センチ以上の蚯蚓腫れが出来ている。枝で引っ掻いたのだ。見れば手足のあちこちに傷を作り、血も滲んでいた。蚯蚓腫れも一つや二つではない。
「そんな格好しているからよ。ちゃんと袖を伸ばせばいいのに」
「だって神様に会うなら、ありのままの自分を見てもらう方がいいでしょ?」
とは言いつつも、セレンフィリティはコートの袖を伸ばし、前を閉じた。残念ながら、下半身はいつもと同じ水着姿なので、ブーツで隠している以外はやはり傷だらけだ。
「神さまに会ったら、脱げばいいかな……」
「そんな傷だらけの手足を見せる気?」
「セレアナが、あたしの『傷を治してください』ってお願いするのはどう?」
 軽口を叩いてはいるが、二人とも、周囲に気を配ることも忘れていない。セレンフィリティは草を踏み締めながら右手を銃に添え、セレアナは時折【神の目】を使って、誰か隠れていないかを確認した。
 幸い、これまでのところ敵はいないようだ。だが、問題は他にもあった。
「――また」
 セレンフィリティは顔をしかめ、目の前の崖を見上げた。セレンフィリティやセレアナなら問題ないが、おそらく平太が上がるのは困難なほど切り立った崖だ。
「これで四度目。この山、崖ばっかりなの!?」
「いいえ、同じ崖よ」
「え?」
 セレアナは地面を指差した。細い枝で奇妙な形の図が組まれている。
「目印。さっき来たときに作っておいたの」
「だって――そんな馬鹿な。あたしたちは、上へ向かっているはずじゃなかったの?」
 コンパスが使えない以上、太陽の位置や木の年輪、後は勘で突き進むしかない。これまでに上りは幾度かあったが、少なくとも下った覚えはなかった。にも拘らず、同じ場所に出たということは――、
「感覚が狂ってるってこと?」
 セレンフィリティは、傍らの木に手を添えながら呟いた。今こうして触れている木は、確かに目の前にある。だが、前方のあの木は? 上にある? 下にある? そもそも、本当に存在している?
「これは、この山特有の現象なのかしら。もしかして――」
「神さまの仕業?」
 まさか、とは言えなかった。むしろ、可能性としては高い。
「妖怪の山」の「神さま」は、おいそれと会ってくれるつもりはなさそうだった。


「目印が見当たらないね」
 笠置 生駒(かさぎ・いこま)はレキにそっと囁いた。レキも後ろの平太たちに気付かれないよう、小さく頷く。
 セレンフィリティとセレアナが残しているはずの目印が途絶えた。ということは、安全な道が見つからないか、彼女自身らに何かあったか。
「まあ、教導団の人間だから、無事だろうけど」
 生駒は能天気に結論付けた。
 御前試合の賭けで騙されてすってんてんになった彼女は、どうにか損失分を取り返そうとしていた。そんな折、今回の話を聞きつけた。遠征部隊ではなく平太に同行したのは、そちらに金の臭いを嗅ぎ取った――わけではなく、単純に好奇心である。少なくとも生駒は、自分にそう言い聞かせていた。
「多分、彼女たちも迷ったんだろうね。この山、何か不思議な力が働いているみたいだから。自然現象なのか、何かの装置なのか。後者だとしたら、『神さま』の正体は宇宙人かポータラカ人って可能性もあるね」
 そこまで言って、生駒は嘆息した。「ポータラカ人でまともなの見たことないんだけど、もしあいつらなら、『神さま』もアテにはならないんじゃ?」
「……確かに」
 レキも同意を示すように苦笑した。
「へーた君、大丈夫か?」
 麻篭 由紀也(あさかご・ゆきや)は、一行のほぼ真ん中にいる平太に声を掛けた。体力のなさという致命的弱点を持つ平太は、何度か休憩を取っているにも関わらず、既に汗びっしょりで足取りも相当重い。
「……大丈夫じゃないです」
 素直な返事に由紀也は笑ったが、瀬田 沙耶(せた・さや)からは冷たい視線が向けられる。
 そもそも沙耶は、ハイナと葦原 房姫(あしはらの・ふさひめ)の意向に従い、遠征部隊に参加するつもりだったのだ。ところが、「パートナーを失ったへーた君を放っておくことは出来ない!」という由紀也の一言で、平太たちに合流した。
 無論、沙耶は反対した。彼女の行動理由の第一位は、常にハイナなのだから。だが、由紀也は頑固に、ただひたすら「へーた君を助けなきゃ」と繰り返すばかりだった。――自分が沙耶を失ったら、と実はそう考えていたのだが、沙耶に話せば一笑に付されるに決まっているので、それは言えない。
 助け舟を出したのは、和泉 暮流(いずみ・くれる)だ。
「ハイナ様たちは妖怪の山の調査を命じられたのですから、頂上の『神さま』の正体を知ることは、決してご意向から外れていないと思いますが?」
 言われて、沙耶はたっぷり一分ほど考え込み、「……それもそうね」と頷いた。
「ハイナ様のご意向から外れていないのなら、まだよしということにしましょうか。外れたときどうなるかは、その時のお楽しみと言うことで」
 ぞぞっ。
 由紀也と暮流の背筋に、冷たいものが走ったのは言うまでもない。
 それでも、この冷たい視線を向けている限り、沙耶には元気がある。平太には武蔵というパートナーがいるとはいえ、精神的なそれではない。
 誰かが支えてやらなければ、遠からず平太の心は折れるだろうと、由紀也は案じていた。
「山道は慣れないとキツイからな。ましてやこの獣道だし」
「襲われないですんでるから、文句は言えませんけど。二度と登りたくないです」
「まったくだ」
 由紀也が笑ったその時、空気が僅かに揺れた。
「何か来るぞ!」
 ジョージ・ピテクス(じょーじ・ぴてくす)が鋭く注意を促すのと、由紀也たちがそれぞれ武器を構えるのがほぼ同時だった。