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魔の山へ飛べ

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   六

 ミジャグジを地面に抱え込んだ葦原島……。一体いつから人が住まうようになっていったのだろう。人の命を食らう為に土地に擬態したのか、あるいは何らかの理由で土地になったミジャグジの上に、それを知らぬ人々が入ってきてしまったのか。
 そんなことを考えたのは、セルマ・アリス(せるま・ありす)リンゼイ・アリス(りんぜい・ありす)だった。
 振り返ってみれば、一連の騒動で動いたのは自分たち契約者と<梟の一族>のみ――普通のパラミタ人に、それだけの能力がないこともあるが――だ。
 妖怪たちはどう考えているんだろう?
「ひょっとしたら、全然気にしていない可能性もなくはないよね……」
「この山に住まう妖怪達たちも、ミジャグジを土地とした、葦原島に居る存在なのですから、気にしていないはずはないと思いますが……彼らにとってミジャグジは脅威ではないのでしょうか?」
「その辺を聞ければいいんだけど、素直に話してくれるかなあ」
 ――案の定、襲われた。
 麓の村へと流れる川の傍まで来たとき、突然腕が伸びてきて、セルマの足首を掴んだ。
「うわっ!?」
 とんでもない力でぐいぐい引っ張られ、セルマは左足を川に突っ込んだ。そのまま倒れそうになるところを、リンゼイが支えることでどうにか堪える。
「アイタタタ!」
 リンゼイの【金剛力】と何者かの馬鹿力で、体が二つに裂けそうだ。
「少し、我慢してください!」
 リンゼイはセルマの腰を後ろから掴み、更に引っ張り上げた。セルマの足首を掴む手は対抗するように力を増したが、遂に【金剛力】に敗れ、指を開いた。勢い余って、セルマの体は五メートルほど後方へ吹っ飛んでしまった。
「セル! 大丈夫ですか!?」
「アイタタ……ま、まあ、何とか」
 セルマの左足からは、草鞋が脱げてしまっていた。そして足首には、くっきり痕がついている。ぞっとした。
「ホラーだな、まるで……」
 ばしゃりと水音がした。振り返ると、そこに子供ほどの妖怪が立っていた。
「……河童だ」
 それも一匹や二匹ではない。見たところ、五匹はいるだろう。
「尻子玉を抜かれなくてよかったですね、セル」
「リン、ちょっとそれ恥ずかしいから言わないで」
 セルマは頬を赤らめ、咳払いを一つすると口を開いた。
「妖怪の皆さんにお尋ねしたいことがあって、来ました。貴方方はミシャグジ、あるいは翼ある大蛇のことはご存知ですか?」
 返事を待つ。河童たちはじりじりと近づいてくる。
「……無理かな?」
 一匹が腰を屈め、地面に拳を付けた。と思うや、激しく地面を蹴り、一瞬で間合いを詰める。あっと思ったときには、セルマは腰を取られていた。
「セル!」
 リンゼイの【氷術】で、河童の足元が凍る。河童は「キーキー」と喚きながらも、セルマから離れない。
「悪いけど、相撲をするつもりはないんだよ!」
 セルマは河童の額に銃を突きつけた。河童は咄嗟にセルマを突き飛ばし、彼は尻餅をついた。間髪入れず、リンゼイが後方の河童たちを【氷術】で凍らせる。
「血の気が多いのは感心しませんよ。大人しく人の話を聞いてください」
 どっちがだとセルマは思ったが、助けてもらった手前、口を噤む。代わりに、目の前の河童に対し、もう一度尋ねた。
「貴方方は、ミシャグジについて知っていますか? もし知っているのなら、貴方たちにとってもあれは敵なのですか? 教えてくれませんか?」
 だが河童は敵意ある目を向けるのみだった。これを説得するには時間がかかりそうだとセルマは思った。


「日が暮れて来たな」
 木々の間から見える空を見上げ、丹羽 匡壱は呟いた。
 匡壱と隠代 銀澄(おぬしろ・ぎすみ)、それに高峰 結和(たかみね・ゆうわ)の三人は、怪我人保護のために走り回っていた。
 といっても多くは人間ではなく、妖怪だ。今も結和が手当てしているのは、イタチだった。どうやら鎌鼬の一匹らしい。
 鎌鼬は三匹一組だ。最初のイタチが人を転ばし、二番目が人を斬り、三番目が傷に薬を塗って走り去る。人は何が何だか分からぬまま、大怪我を負うが、不思議と血は流れない。
 匡壱は自分の足を擦った。脛当てがすっぱり割れているが、おかげで怪我はない。衝撃で転びそうになった瞬間に刀を振り下ろし、三匹目を捕えた。
 殺すつもりは最初からなかった。キーキー喚くので押さえつけたが、結和が応急手当てをしてやると、次第に落ち着いてきたようだった。
「あの、酷く痛むようでしたらすぐに言ってくださいね? 何分妖怪さんを治療するのは初めてなので……うう、知識不足で申し訳ないです……」
「……なんでわいを助ける?」
「喋れるのか、おまえ」
「当たり前や」
 イタチは匡壱を睨んだ。殴られたことを根に持っているようだ。
「拙者たちは、貴殿らと争うつもりはないのです。ただ話を聞かせてもらいたいだけなのです」
 銀澄は重箱に詰めた水ようかんと、水筒の緑茶をイタチに差し出した。どちらも樹龍院 白姫(きりゅうりん・しろひめ)が用意してくれたものだ。イタチは小さい手を器用に使い、水ようかんを頬張り、茶を飲んだ。
「そこの男は好かんが、姉ちゃんらには恩がある。何でも訊いてや」
 結和と銀澄はちらりと匡壱を見た。匡壱が促すように頷く。
「あの、一つは、どうしてあなたたちは人間と敵対するようになったのでしょうか?」
「ワケなんてあらへん。わいらは、人間を転ばせて怪我させるんが仕事や」
「まあ、鎌鼬はそうだろうが」と匡壱。
「では、殺そうとかそういうのは……」
「そういう連中もおるな。わいらも、山に人間がぎょうさん来よったときは、調子に乗ったかもしれへん。来るなとはゆわんが、ここはわいらのテリトリーっちゅうやつや。我が物顔でのさばったら、腹も立つやろ。……まあ、近頃はちいと短気やな、わいらも、他の連中も」
 エース・ラグランツが花から聞き出した「何か」が原因だろうと匡壱は思った。佐保からその話は連絡を受けている。本題を、と匡壱に促され、銀澄は尋ねた。
「二〜三ヶ月前に、何者かがこの山に何かを持ち込んだという噂があるのですが、ご存知ですか?」
 イタチは少し考え、ああ、と答えた。
「おった。女が二人」
「女? 二人?」
「せや。なんかこう、人間の胴体ほどのもんやったな。からかってやろと思たんやけど、隙が全然あらへんねん」
 暗に自分に隙があったと言われたようで、匡壱は面白くなかった。
「どんな女性でした!?」
「せやなあ……」
 イタチはぐびぐびと緑茶を飲んで、ふうと息をつくと答えた。
「一人は黒い髪の、まあ、どこにでもおる姉ちゃんやな。もう一人は、でっかいおっぱいした、緑の髪した姉ちゃんやった」
 その瞬間、三人の脳裏に浮かんだ人物は同じだったろう。――シャムシエル・サビク。やはり、いたのだ。ならば共にいた女は、漁火に違いない。
「どこへ行った? その筒はどこへ持って行った!? もしかして頂上か!?」
 匡壱の剣幕に、イタチは口を尖らせた。
「知らんがな。頂上なんて近寄ったら、殺されるかもしれへんやろ。あの姉ちゃんたちかて、おんなじや。触らぬ神に祟りなしっちゅうやろ? おおコワ」
 イタチは外人のように肩を竦め、水筒のコップを地面に置いた。
「これで借りは返したで。あんたらも、あんまウロウロせん方がええで。うっかり殺されてしまうかもしれへん」
「おい、ちょっと待て!」
 匡壱の止める声も聞かず、イタチは「ほなサイナラ」と言うや、草の中へ飛び込んだ。一匹分の気配に二匹分が加わり、すぐにそれは遠ざかって消えたのだった。