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リアクション
●Phase One (2)
もううんざりだ、とでもいうかのように後ろ手でドアを叩きつけると、ヌーメーニアーは塩害で白く染まった道に足を踏み出した。
足を運ぶ度にブーツがじゃりじゃりと音を立てる。むせかえるような澱んだ磯の香りがする。日が陰ったためか通りは暗く、水のない深海を歩いているかのようだ。
かつてこの通りは、ポートシャングリラと呼ばれる巨大ショッピングモールを横切る道のひとつだった。家族連れ、恋人同士、友達のグループ……さまざまな笑顔が通り過ぎたはずだ。
ヌーメーニアーの唇にも笑みがあった。
しかしそれは、ほんの何年か前までこの場所にあふれていた笑みと同じ種類のものではなかった。
笑みは歪み、やがて哄笑へと変わる。
「……ハハッ、……今の私の存在意義は……なんだろうな?」
突然ヌーメーニアーは満月を振り返った。
「教えてくれよ、我が娘」
二歩ほど遅れて歩いていた満月は、すくんだように足を止めた。
どうすればいい――満月は、ただ戸惑いを隠せない。
満月の真の名は『椎堂未月』。未来からこの場所を訪れた人間であり、現在『ヌーメーニアー』と名乗る椎堂朔の娘である。といっても、満月(未月)の生まれた未来はこの世界の延長にはない。無数にある平行世界のひとつ、争乱はあれどもっとずっと良い方向に進んだ世界だった。
過去を訪れると決めたとき、満月の頭にはこんな光景、ただの一瞬ですら浮かぶことはなかっただろう。
塩まみれの朽ち果てた通りで、狂気を目に宿した母親と向かい合うなどと……。
「あのとき」
針山から待ち針をひとつ抜き出すように、言葉を選びながら満月は言った。
「私は、混乱していました」
満月にとっては、目を覆いたくなるようなものがあった。
まるで闇の時代……この世界は荒廃もさることながら、満月の知る人々の変貌ぶりに過度のものがあった。
たとえばスカサハ・オイフェウスだ。師匠と呼び尊敬していたスカサハが、あれほど非情な人物になっているなんて。
エデン襲撃後、満月は密かにクランジπ(パイ)の死体を運び出していた。スカサハがこれを求めたからだ。空京を抜け出たスカサハはパイの死体を受け取って小躍りした。平和的な技術研究の素材にでもするのかと思いきや、さにあらず。スカサハが着手したのは、目を背けたくなるような所行だった。
歪、そう呼びたくなる。
この世界スカサハにはたしかに、満月の知っているあのスカサハとの共通点もあった。純真さと責任感は変わらない。だがその一方でこの世界の彼女は、倫理観などひとかけらも持ち合わせていない。ゆえに歪なのだ。同じ人物のなかに、天使と悪魔が同居しているかのような。
あのときスカサハが空京から持ち出してきていたもの、それを見たとき、満月は戦慄した。
しかしその記憶にとらわれていてはいけない。満月は自分を叱って続けた。
「……ですが、混乱していたことだけが理由ではありません」
満月は足元を見つめていた。
「それは私が聞きたい回答ではないようだぞ、我が娘」
その言葉を受けても、いやむしろ、受けたからこそ満月は凜然と前を向いた。
「私はあなたを救いたかった。人間とクランジ双方の犠牲に心を痛め、苦しんでいるあなたを。だから呼んだのです……『お母さん』と」
そうして抱きしめもした。母の苦悩をいくらかでも取り除けるように。さらに伝えた。自分が未来から来たということを。別の世界には、幸せな未来があったということを。
――私は失敗した……絶望的だったこの過去を最悪にしてしまった。
けれどヌーメーニアーの心を救うことはできなかった。そればかりか彼女に、狂気に至る引き金を引かせるはめになってしまった。
「よせ未月! 私がお前を信じていないとでも言うのか! その言葉に嘘はない? ああ、そうだろうとも! その身を両腕に感じただけでわかった。お前が我が娘であることも、なにもかも!」
天を仰ぎ、分厚い雲の向こうになにか、光るものでも見出したかのようにヌーメーニアーは手を伸ばした。
「クランジであり人間でもある、言い換えればクランジでも人間でもない私は、すべてが間違いだったと認めて生き恥をさらしつづけるしかないのか!」
振り上げた腕を、彼女は満月の肩に置いた。
「どうなんだ!? 娘よ!」
「私には……」
わからない、そう満月は言おうとしたがヌーメーニアーはそれを遮って振り向いた。
「それとも、お前ならわかるか!」
「I Dunno(さあね)」
短く告げて、物陰からすらりとした少女が姿を見せた。
原色の桃色に染めた髪が目を引く。
クランジξ(クシー)だ。
「R U OK? 様子ガおかしカっタかラ、見に来タ」
「おかしい? ああそうだな、私はずっとおかしいよ。半分クランジで、半分人間みたいなものだからね。私もお前たちに何にがあったのか知る必要がある……仲間として」
ふらりと生気の無い歩き方で、ヌーメーニアーはクシーに近づき、問うた。
「なぜお前はクランジでありながらクランジと戦う? クシー」
クシーは目を逸らせた。
だがクシーはその目線の先に、彼女らがいることに気がついて、諦めたように溜息したのだった。
「ワタシも……知りたいと思います………Mate」
レジーヌ・ベルナディスだった。レジーヌを守るようにして、その半歩前にはエリーズ・バスティードの姿もある。
「あたしもいい?」
アテフェフ・アル・カイユームも来ている。
アテフェフはクランジλ(ラムダ)の肩を抱いて立っていた。アテフェフが支えていないと、ラムダは今にも膝から崩れ落ちそうに見えた。
「クシー……あなたがどんな事情を抱えているのかわからない……けど、あなたの胸の重荷をあたしたちにも分けて頼って。あたしたちを仲間や友達と思ってくれているなら……」
このときクシーが真っ先に見たのはラムダだった。
ラムダがかすかに頷くのをクシーは確認した。
「わかッタ」
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