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リアクション
●Phase One
「アイツ……カスパールとかイウ女を始末スル」
次の瞬間、クランジξ(クシー)の眼前のテーブルが、もう一度割れた。
その様子に、飛び上がるように反応したのはクランジλ(ラムダ)だった。彼女は怯えたような目をしたまま、クシーから離れるように後じさった。
「反対すルのカ?」
クシーは、半月刀のような目でラムダを見た。同時に、首をぐっと片側に傾けていた。骨格が鈍い音を立てる。続けて伸びたのは……、
「はいそこまで〜」
伸びたのは、クシーの頬だった。両側。いずれも、こねたての大福餅のように外側になめらかに伸びる。効果音はきっと『うにょん』というのが適切だろう。
「何すル!」
クシーは声を上げるも、口角が両方とも外側に大きく移動しているため、「ふぁにふる!」というようにしか聞こえない。これには思わず、同席していたリーズ・ディライド(りーず・でぃらいど)もプッと吹きだしてしまった。
「ふザけテる場合ジャなイぞ!」
身をよじって七枷 陣(ななかせ・じん)の腕から逃れ、クシーは歯を剥きだしにする。
「ふざけとらんわ。冷静になれ、っつうこっちゃ」
陣は、さっきまでクシーの頬をつかんでいた両手を挙げ、口調は軽やかに、されど大真面目な顔で言った。
「お前ね、あんなあからさまな挑発を真に受けて、そんな餌に釣られクマーするとかテンプレ反応すんなし」
「釣らレ? 熊?」
「あ、細部はええねん。気にせんといて。とかく、ラムダを怖がらせているだけでもうアウトや。見ろ、もうマジ泣きしそうやろが」
涙目のラムダは、リーズになだめられていた。
「大丈夫だからねー、クシーちゃんちょっと煽られてイラッ☆ってきただけだから、すぐに機嫌直るからねー」
顔つきも背丈も、あきらかにラムダのほうが年上なので、妹みたいなリーズが背伸びして彼女の頭を撫でている光景は、彼女らの関係性を知らない者からすれば奇妙に映ったことだろう。
ラムダのことを言われるとバツが悪いようで、クシーはふんと鼻息して腰に片手を当てた。拗ねたような目をしている。
クシーの目つきに気づかないふりをしながら、陣はさらに言い加えた。
「それにな、あれで怒ったら連中の思うツボやぞ」
「だろうな」
と腕組みしながら告げたのは夏侯 淵(かこう・えん)だ。
「まああの者は『平和を愛する空京市民の会』とかなんとか名乗っているようだが、あれをテレビで流す権限は総督府にしかないのだから、実質同じと考えてよいな? 総督府が、ああした放送を流した理由を考えてみてはどうだ」
淵の言葉を小尾田 真奈(おびた・まな)が継いだ。
「あきらかに挑発行為ですね。しかも、こうした派手な挑発をせざるを得なくなったというのは、総督府も相当に焦っているということではないでしょうか?」
真奈はそこから、視線をレジーヌ・ベルナディス(れじーぬ・べるなでぃす)に流した。
「私……ですか?」
はいと言う代わりに、真奈は小さく頷く。
レジーヌは不安げにエリーズ・バスティード(えりーず・ばすてぃーど)を振り返った。エデン攻略戦のさなか感情を取り戻したエリーズだったが、それは短い間のことだった。いまはまた沈黙し、椅子の上に置かれた人形さながらに、反応らしい反応を示さない。
レジーヌは向き直った。そして、意見を求められている、という事実そのものに緊張しながらも、レジーヌはあえて、手を伸ばしてクシーの腕に触れたのである。
「クシーさん、私も、暗殺には反対です。これが総督府の計略だろうがなかろうが、です」
クシーは黙ってレジーヌの言葉を待っている。
髪型はウルフシャギー、髪色は黒がメインながら三分の二を桃色に染め、さらにワンポイントに緑を散らしたという派手な色彩、服だってレザー主体のパンク風だ。自由な服装ばかりのレジスタンス勢にあっても、クシーの見た目のインパクトは際立っている。ちょっと話しかけるのが怖い――というクシーに関する印象がレジーヌにあったことは、決しておかしなことではないだろう。
しかしエデン攻略戦で、レジーヌはクシーに相通じるものを感じた。彼女も、レジーヌを「Mate(友達)」と呼んだ。その感覚を信じたい。
――クシーは信頼できる人物。ここで説得しなくちゃ、だめ。
だからレジーヌは唾を飲み込み、勇気を振り絞ってその先を続けたのだ。
「……暗殺からは、レジスタンスへの怨恨と、疑念が生まれる可能性があります。味方にすべき空京のみなさん……空京に暮らす人たちの間に、です……」
「カリスマ性のある人物がいなくなれば、良い意味で世論に影響を与える可能性もあるでしょう」座ったまま、エリーズがレジーヌに言い添えた。「ですが、デメリットのほうが大きい」
この言葉に背を押されるようにしてレジーヌは続けた。
「……それに、そ、総督府がどう呼ぼうと、私たちは反乱軍であってテロリストじゃないはず。無血で平和が生まれることはないと、頭ではわかっているつもりですが……その、上手く言えないけれど、本当の意味での平和や自由って、テロで生まれるはずはない、って思うんです……」
最後はやや尻すぼみのようになってしまったレジーヌの言葉だったが、クシーには効果があったようだ。彼女は一つ溜息して、
「わかっタ」
と右腕の義手を戻したのである。万年筆のキャップをはめるように、義手は剥き出しの刀を隠し、元の場所に収まった。
「暗殺はヤめる。連中に踊らサレるのは真っ平ダ」
表情にやや憮然としたものが残っていたが、むしろその正直さこそがクシーらしさと言えようか。
「ああ……なんつうか、その判断でいいと思うぜ」
深く頷いて見せたのはドラゴニュートの戦士、すなわちカルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)だった。
「俺は感動的なことは言えねぇ。得意じゃないからな。だから端的に言う。『怒ったら負け』だ。そうだろ、大将?」
「えー、怒ってないよう〜!」
とは言いながらも明らかにむくれているのは、レジスタンスのリーダールカルカ・ルー(るかるか・るー)なのだった。ルカは、これだけは許せない、と言いたげな口調で述べた。
「私の偽物の映像とか失礼しちゃうわ! 全然似てないし!」
カスパールのコメントの直前、レジスタンスからとされる犯行声明が放映されたのである。ルカルカと似た背格好の女性を焦点の合わないカメラで撮影したもので、ルカを模した人物は、合成と思わしき音声で偽の脅迫文を読み上げたのだ。
「怒ってるじゃねえか」
「怒ってないもん!」
と、ここまでは幼女のように言って見せて、ルカルカはすぐに大人のつきに戻っていた。
「さて冗談はともかくとして」
咳払いしてから言う。
「カスパール・竹取という人からの放送について総括しましょう。
教育で人の心根までもを変えるには何十年も必要なのよ。人間はそんなに単純じゃないわ。制限し支配している奴らの流す敵側……つまり、私たちね……の情報が、素直に空京市民に受け入れられると思うほど、総督府だってお馬鹿さんじゃないはず。
でもあえて総督府はカスパールの放送を流した。考えるべきはその意味。
私も、これは奴らが焦ってる表れと思う。真奈と同感ね。偽情報を流さないと抑えていられないほど、憤懣と反抗の火種が市民にくすぶっているって証拠に違いないわ。むしろ、浮き足立った総督府が語るに落ちたとすら思うくらい。
あと、ダリルの見解を言っていい? さっき、ダリルってば所用で席を外してしまってね」
「聞きたい」
それまで押し黙っていた仲瀬 磁楠(なかせ・じなん)が鋭い眼で告げた。動かざること山のごとしというのか、磁楠は発言するまでは見事に気配を消していた。
ありがとう、と一言告げてからルカは言う。
「この放送はあきらかに総督府の失策、ダリルは『恐らくクランジε(イプシロン)はここに絡んでいない』って言ってたわ。『戦略家で何より誇り高いイプシロンが、こんな拙速な手を打つはずがない』って」
「ヤツを買いカぶり過ギでハ?」
クシーが異を唱えたが、ルカは首を縦に振らなかった。
「直接会ったことはないけれど、イプシロンという人の凄さは知っているつもり。ルカはダリルと同意見ね。なんといっても国軍は……あの人に一度、滅ぼされているのだから」
「ま、その話はここまでにしようや」
陣が手をパンパンと叩く。
「よし、じゃあカスパールの暗殺ウンヌンという話は却下ってことでいいか?」
「異議無し!」
声を上げたのは燃えるような赤毛の少女、シリウス・バイナリスタ(しりうす・ばいなりすた)だった。
「今カスパールを殺しても、都合のいい殉教者が一体できあがりってだけだろう」
「ボクもその考えだね! 他に意見はある?」
リーズが四方を見回すも、意を唱えるものは誰もなかった。
この場には他に、ヌーメーニアーと満月・オイフェウス(みつき・おいふぇうす)がいたが、二人とも手を挙げない。
ラムダはいつの間にかアテフェフ・アル・カイユーム(あてふぇふ・あるかいゆーむ)の胸に顔をうずめている。アテフェフは黙ってそんなラムダの髪に指を入れ、くしゃくしゃともてあそんでいた。
「あたしの意見? 特にないわね。でも、ラムちゃんを怯えさせている時点で暗殺に賛成する気はないかな」
とアテフェフは締めくくった。
ファイス・G・クルーン(クランジφ)は、ただ腕組して推移を見守っている。
ここで口を開いたのは再びシリウスである。
「そもそも、カスパールなんとかってのも、こっちの目を逸らせるための囮だろ。あんなやつはつまらない売国奴さ。真の敵じゃねぇ」
「今、気になることを言ったね。シリウス?」
その言葉に、サビク・オルタナティヴ(さびく・おるたなてぃぶ)が真っ先に応じた。
「『つまらない売国奴』ってところか?」
「いや、『こっちの目を逸らせるための囮』という言葉のほうだよ」
「ああそうか。なんというか、連中が隠そうとしているものを見出すべきかもしれねぇな、って思ったんだ」
「なるほど、一理ありますわね」
リーブラ・オルタナティヴ(りーぶら・おるたなてぃぶ)が前髪をかきあげた。サビクが言う。
「シリウス、エデン奪還作戦を経て少し成長した?」
「ああ、そう……かも、しれねぇな。そうだといいんだけどよ」
「なに照れてるの? お世辞ですわよ、お世辞」
リーブラはすげなく言い捨てて、サビクのほうに視線を向けた。
「それにしても、『平和を愛する』とはよくも言ったものですわね」
「『平和を愛する空京市民の会』……彼らの言うように、ボクらは空京を滅ぼすべきなのじゃないかってたまに思うことがあるよ」
「待ってくれ、今、『滅ぼす』って言ったか?」
シリウスが口を挟むも、サビクは軽く頷くだけだった。
「この平和な都市があるから、ボクらも彼らもすがってしまう。ならいっそすべてを失ってしまった方が……いや、不謹慎だったね。我ながら僻みっぽくなったもんだ。忘れてほしい」
サビクが口をつぐむと、わずかに静寂が訪れた。
それを待っていたかのように、ドーナツショップの裏口ドアが開いた。
「朔様……」
スカサハ・オイフェウスの姿が戸口にあった。するとヌーメーニアーが無表情に返答した。
「『ヌーメーニアー』だ。椎堂 朔(しどう・さく)はもうこの世にいない」
「それでも……」
言いかけたスカサハだが、小さく首を振って、
「了解であります。あとで満月様とおいでください」
と言い残して姿を消した。
ヌーメーニアーは短く返答して、場の全員に呼びかけた。
「というわけで所用ができた。全体の方針だけでも決めてもらえないか」
ヌーメーニアーはやはり、能面のように無表情だった。そのように見えた。
しかしかすかながらその口元に薄い笑みがあったことに、気づいたものはいなかった。
……ただ一人、満月を除いては。
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