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海の都で逢いましょう

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●Guiding Light

 いいから行くぞ、と交流会参加を促したのは、意外なことに仲瀬 磁楠(なかせ・じなん)だった。
 理由を彼は言わない。言わないが、七枷 陣(ななかせ・じん)には大体判っている。
「オレ、沈んでるからな……最近……」
 自分に言いきかせてどうなるものでもないのに、陣は独言していた。外へ出ろ、陽を浴びろというのが磁楠からのメッセージなのだろう。遠い昔、コンピュータのメモリで太陽光を当ててデータ消去できるものがあったと聞く。自分のこの辛い記憶も、太陽で消せたらいいのに、と夢想しないでもない。
 あの日……魍魎島で美空の欠片でも見つけようとして、徒手に終わったあの日から、慢性的な疲労感、ボロ布になったような気持ちがずっと陣を支配していた。
 しかし、辛気くさい顔をしていては参加者に失礼だ。自室を出るとき、今日は一日笑顔で過ごそうと陣は決めた。たとえ虚構でも、自分を含めて皆を騙しきろうと。
「ひゃっは〜っ、南ちゃーん!」
 やや遅れてビーチに着くと、さっそくリーズ・ディライド(りーず・でぃらいど)は、小山内南の姿を見つけて大喜びで手を振った。陣は救われたような気がした。小尾田 真奈(おびた・まな)も落ち着いて普段通りだし、落ち込んでいるのは自分だけだと思ったからだ。
 この嫌な気持ちを引きずるのは、自分だけでいい。
 会場の隅にコンロを設置し、南も誘って小さく火を囲んだ。陣が真奈と火を起こしていると、
「南ちゃん、そ、その人は?」
 リーズがギョッとするのが見えた。
「人やないでえ。カエルでおまー」
 うひょひょ、と奇妙な笑い方をして、今日が初お披露目となる南のパートナー……カエルのゆる族カースケが挨拶していたのだ。
「色々ありましたが、戻ってきたんです。ね、カースケ?」
「そういうわけでんねん、よろしうに」
 ふーん、とリーズはカースケと握手して言う。
「それにしてもカースケくんって、何か薬局の店前で踏み台に上ってずっと立ってる姿を想像しちゃうのは何でだろうね?」
 それを聞くなりカースケは、
「よっしゃ!」
 さっそくそのポーズをとり、にこやかな笑みを浮かべたりしたのだからリーズは笑ってしまった。背の高さといい雰囲気といい、よく似ていた。
「話さないのか」
 唐突に磁楠が、陣にだけ聞こえるように呟いた。
 いつの間にか彼らのやりとりを黙って見ているだけの自分に気づいて、
「いや、そんなつもりじゃ……」
 どんなつもりだよ、と己に問い返しながら陣は南に近づいた。
 その眼前に立って、言う。
「南ちゃん」
「はい」
「もう、元気やね?」
「ええ……お陰様で」
 よし、と言うなり陣は両手で南の頬をつかんで、左右の人差し指と親指とで、うにょ〜んと引っ張ったのである。
「ひ、ひんさん?(じ、陣さん?)」
 という南に、噛んで含めるように陣は言う。
「前に病院へ持ってきたケーキの時のこと、覚えてるか」
「ふぁい」
「当時は入院してたし情緒不安定だったから、苦笑いするだけにしといたけどさ? 『こんな私のことを祝ってくれて』……ってまだ卑下るとか何なの? バカなの? アホなの? 学習しないの?」
 問い糾しながら陣はいちいち、うにょ〜んを繰り返した。
「こんなじゃなくて、オレらや涼介さん他諸々にとっての大切な友達の南ちゃんなんやから、ちゃんと自信持ってくれよな?」
 陣は手を離した。
「ごめんなさい……」
「ま、わかってくれたらそれでいいから」
 と、締めくくろうとした陣の頬を、今度は真奈がつかんでうにょ〜んしていた。
「ご主人様」
「ふぁ、ふぁな?(ま、真奈?)」
「別にこんなこんなしなくても話せるないようじゃありませんこと?」
「ふぁ、そういやそうやけろね」
 これを見てリーズが笑った、南も笑っていたしカースケも同様だ。うにょ〜んしている真奈も笑顔だった……いや。
 ――笑っているフリをしているだけ?
 短い時間だったが、真奈の目を見つめて陣は知ってしまった。顔は笑っているが目は怒っている……というやつではない。真奈は笑い顔を作っているだけで、まだその瞳の奥には悲しみの灰が積もっていることを知ってしまったのだ。
 そういえば、と察する。リーズの笑う声も、なんだか普段以上にオーバーな気がする。聞くのが久しぶりだからじゃない。多分、演技だ。
 そうか、オレたち。
 オレたち、まだ……抜けきれてないんだ。三人とも。
 砂を噛むような気持ちになる。せっかくのバーベキューも、ゴムの塊を焼いて食べているようなものだ。せっかくの巨乳も……巨乳??
「じーん♪」
 力強い両腕に抱かれ、面食らって陣はようやく我に返った。
「ひさびさね! いつ以来か??」
 真っ赤なビキニ、それも、布部分が綺麗にカットされて挑発的なデザインになっているビキニのローラが、ただでさえ高い背をサンダル履きにした状態で陣に抱きついてきたのだ。偶然姿を見かけたので走ってきたという。
「そのビキニどうしたんだ……っていうのはともかく」
 太陽のように明るいローラの登場に、陣の心も少し軽くなったような気がする。しばし近況を交換してのち、改めて彼は、今までローラに言えなかった言葉を口にした。
「ごめん」
「なぜ謝るか?」
 詳しく話してもよかった。
 助けることも、いや向かうことすらできなかったことも、
 百合園でせっかく邂逅したのに終わってしまったことも。
 だが一言、それらを集約しての謝罪だったのだ。
 しかしローラは察した。このときだけは彼女も、普段の幼子のような眼をしていなかった。前髪が数本、目にかかっていた。びっくりするくらい艶麗な表情で、
「大丈夫。恨んでないよ、美空なら」
 と言った。
「ワタシ、わかる。姉妹(シスター)だから。美空ならむしろ、今もずっと陣たちに感謝してるはず。……だから大丈夫、ね?」
 そのときだった。
 真奈が静かに唄いだしたのは。

 やり直そう、という意味の英語が彼女の唇から紡がれた。
 できないはずがない――真奈は唄う。

 透き通るような歌声がやがて掠れ、涙が混じろうと真奈は歌い続けた。
「こ、このバーベキュー、塩味きいて美味しいよね」
 リーズは、まるでその歌を聴いていないという振りをしたが無意味だった。
「でもちょっと味付け過ぎかな? ホント……どうしてこんなに、しょっぱいんだろう、ね……?」
 ローラも下を向いていた。彼女も嗚咽をこらえているのだ。
 このとき瞬間的に南が、陣の頭を抱きかかえた。
「陣さんは強いですからね。泣いていません……よね?」
「ああ」
 陣は顔を上げなかった。
「泣いてへん」
 けど、しばらくこのままにしてもらっていいか、と彼は付け加えた。

 仲瀬磁楠は陣たちから離れ、一人海辺を歩いている。
 この世界……つまり陣の世界が、磁楠のいた理不尽な世界になる畏れはもうないだろう。
「きっと……今度こそ上手くやれる……か」
 真奈の掠れ声が歌い上げた最後のフレーズが頭から離れなかった。
 そう思わなければ、何のために彼女たちに触れ、歩いてきたのかすら分からなくなるだろう。