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よみがえっちゃった!

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よみがえっちゃった!

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 ふらふらと女が歩いていた。
 長い髪。
 だらりと垂れた両手。
 緑の瞳は光を失い、深みを増してまるで闇のよう。
 宙を見つめ、そこに彼女だけが見える何かがいるかのように、ぶつぶつ何かをつぶやいている。

 場所は大通りで、多くはないが人目もそこそこある。しかしそのだれもが、すれ違いざま振り向くことはあっても声をかけたりはしない。

 だがやはりつわものはいた。


「ハァイ、そこ行くカワイコちゃん! どこかへお急ぎ? 特に急いでないってんならそこの茶店で俺とお茶でもしない?」


 昭和のにおいをプンプンさせるナンパ文句で近付く者が1人!


「おいしいケーキと紅茶を出す店がすぐそこにあるんだ。おっと、お嬢さんにはコーヒーかな? どちらも選りすぐりの逸品なのは俺が保証するぜ。
 ぜひそこでお互いのことをゆっくり語り合おうじゃないか。そしてお互い意気投合できたら、その先は――」

 と、そこでようやく女の様子がおかしいことに気づいて言葉を止める。
 女は正面を向けていたが、その表情はどこかうつろだった。
 うっすらと笑みを浮かべ、まるで夢想でもしているような…?

「きみ? 大丈夫?」
「――ええ。あなたがおかしなことを口にするから、つい笑ってしまったの」
「おかしな…。俺、何か笑えること口にしたっけ?」
 女はうすく笑みを刷いてそれを肯定する。
 このあたりでだんだんこの女がフツウの女でないことに、遅ればせ気がついた。

「きみ…? えーと…。
 そ、そういえば、まだ名前を聞いてなかったね! 俺は――」
 そっと女の手が唇に触れ、言葉を止めさせる。
「まあ、おやめになって、あなた。今生の名など、あの時のように捨てさってしまいましょう」
「……え?」
「私の今生の名はエシク・ジョーザ・ボルチェ(えしくじょーざ・ぼるちぇ)。でもあなたのためならこんな名など、幾度でも捨ててみせます。あのバルコニーでの誓いのように」
「ば、バルコニー? 誓い?」
「ええ、そう。互いに誓ったではありませんか、未来永劫愛すると。そのためなら互いの家名も捨てて、真実あなたただ1人のジュリエットになると。
 ねえ? ロミオ」


「――はあっ!?」



 やばい。この女マジやばい。真正のマジもんだ。
 そう悟った瞬間、心臓がバクバクいい始めた。
 初めて目にしたときはどこか夢見る乙女風情の美女が1人で歩ってる、ラッキー ♪ と思ったのだが、やはりいわく付きだったのか!

「あ……あのー……えーと。
 そっ、そうだ! 俺、用事があったんだった! 今思い出したっ!!」
 じゃあそういうことで。これにて失敬!(やはり昭和)

 そそくさ去ろうとしたが、エシクはさせなかった。
「待って。ようやく出会えましたのに、どこへ行くとおっしゃるの。どうしてもとおっしゃるなら、私も行きますわ。私はロミオさまにどこまでもついて行きます」
「……いや、俺、ロミオとかいうやつじゃないしー」

「嘘だッッ!!」

 突然激昂! まさに鬼女、悪鬼のごとし!
 まるで背後に太ゴシック体ででかでかと書かれているのがクッキリ見えた気さえする。
 それにビビって声も出なくなると、とたん先までの優しげでうつろな美女に戻った。


「まあ。なぜそんなあからさまな嘘をついてまで私を置いて行こうとするのですか。ここで離れてしまったらヴェローナでの繰り返しではありませんか…。またあなたは私を残して死んでしまう…。
 ――そう……その脚があるからいけないのですわ。なら、離れられないよう脚を轢き潰してしまえばいいのです…」
 
 エシクは廃自動車をがっしと掴んだ。
 廃自動車はスクラップ。乗り回すことはできないが、後ろから押すことはできる!

 ――つか、たたきつければいいのにあくまで「車だから轢き!」にこだわるあたりが病んでる証拠で?



「おーっほっほっほ!」


 ラヴェイジャーの怪力で押された廃自動車は通常の暴走車に遜色ない。
 高笑いとともに廃自動車が迫る。
 まるで自動車の前に飛び出した小動物。目を瞠り、ただ硬直しているしかないところにタックルを仕掛け、救ったのは月崎 羽純(つきざき・はすみ)だった。

「ばかっ! どうして避けないんだ!!」
「か、体が動かなくて…」


 そう! 昭和風味のナンパ野郎の正体は、コントラクターの遠野 歌菜(とおの・かな)だったのである!


 彼女は夫の羽純とデートでウィンドーショッピング中に例のフードマントの者に「占ってあげる」と声をかけられ、つい応じた結果「一度も女の子と付き合えないまま事故死してしまった少年」だった前世を思い出し、突然

「今度こそカワイイ彼女ゲットぉ!!」

 と叫んで走り出してしまったのだ。

「いいかげん正気に戻れ。前世がどうあれ今のおまえは歌菜だ、女性なんだぞ」
 なんとか追いつくことに成功した羽純は懸命に説得にかかったが、聞き入れている様子はなかった。
「ベタベタすんなよ! 男になんか用はねえ! 俺は今度こそカワイイ女の子とお茶してデートするんだ!!」
「……分かった。俺が一緒にお茶してやる。だから――」
「ハァ!? なんで俺がアンタとなんかお茶しなきゃなんないんだ? オトコ同士でお茶なんて、絶対に嫌だね!」
 そして再び猛ダッシュ。

 人通りの絶えない大通りで歌菜がとったのは、ヘタな鉄砲数撃ちゃ当たる作戦だった。
 それこそ手当り次第、これはと思う女性にかたっぱしから声をかけるものの、ナンパしている途中ですぐほかに目移りしているものだから、1度も成功したためしはなし。

「きれいな花がこんなに咲いてるんだ。選びきれなくても不思議はないだろ?」
 いけしゃあしゃあ言って、ケロリンだ。
 結果として、歌菜の名誉のために羽純が相手の女性に謝罪やら説明やらで大忙し。
「あら? あなたいい男ね」
 とか逆ナンまでされかけて、わちゃわちゃしている間に歌菜の暴走はますますエスカレートしていたというわけだった。


「って、またおまえか! さっきからなんなんだ! しつっけーよ! いいから手ぇ放せよ! キモいんだよ、男のくせにひとの体に気安く触りやがって!! ストーカーかよ、ったくよ!」

 廃自動車の恐怖から立ち直った歌菜はすっかり強気を取り戻して、まだ肩や手を掴んでいた羽純の手をはたき落としにかかる。
 羽純は目を眇めた。

 今、歌菜は歌菜でなくなり、その心のなかに羽純はいない。
(……俺が操られていたとき、歌菜もこんな気持ちだったのだろうか…)
 歌菜が自分を忘れ、自分以外の者を求めている――そのことが腹立たしく、いらいらとして、悲しい。

 胸のなかを直接かきむしられるような焦燥感。

 羽純の瞳を、そのとき決意の光が走り抜けた。
「!」
 強引に抱き寄せ、壁に囲い込むと唇を奪う。
「……んーっ! んんーっ!!」
 いくら自分は男だ、放せと暴れたところで歌菜は女性。男性である羽純が本気になれば、その鋼のような拘束からは抜け出せない。

 長い長いキスが続くなか、ついに歌菜の抵抗がやんだ。
 力の抜けた体が、くたっとなって羽純の腕に身を預ける。
「……ずみ、く…」
 のぼせたように赤らんだ妻の愛らしい顔を見つめ、羽純は彼女にだけ聞こえる声でささやいた。
「ごめんな。
 それと……あとで説教してやる。――ったく、あまり心配させるな」


「離れなさい!!」


 先からの一連の出来事に、エシクが激怒していた。
 わなわなと全身を震えさせ、指をつきつける。
「下がれ、下賤の者! ロミオさまは私のものです!」

「こいつはロミオじゃない」
「いいえ! ロミオさまですわ! やっと出会えた運命の人!
 ――そう、分かったわ。あなたヴェローナの追手ね! 私とロミオさまをまた何がなんでも引き離そうとするの!
 そんなこと、絶対にさせませんから…!!」

 がしっと再び廃自動車に手をかけ、羽純を轢き殺そうとする。
 それに、まったをかける者がいた。


「おうおう、さっきから聞いてりゃねーちゃん、えらいけったいなことばっか口にしてんじゃねーか。こちとらわけわかめだぜ」


 一体どこのごろつきだ? とだれもが振り返った先。
 そこにいたのは執事服に身を固めた、いかにも育ちの良さげなおぼっちゃん――の皮をかぶった狂犬椎名 真(しいな・まこと)である。
 もちろんこれが普段の彼ではない。
 彼もまた、占い師によって記憶をよみがえらせてもらった結果「強い奴を打ち負かして頂点を目指すケンカ屋」だったことを思い出したのだ!

 彼はただ、幼いころに母親が作ってくれたお菓子のレシピ――昔は分からなかったが、今だったら作業手順を見るだけで理解できるだろうと――を思い出したかっただけなのに。


 ――それがどうしてこうなった!?



 ぎらぎらとしたジャックナイフの刃を思わせる目でエシクを威嚇し、肘のあたりまで袖まくりをした腕を握り合わせて指の骨をぽきぽき鳴らしている。


「あんたひょっとしてアレか? ヤンデレってやつ? ま、んなこたぁどうだっていーか! その廃自動車ブン回してるとこに、俺ぁしびれたんだ!
 あんた、相当つえぇんだろ? この街1か? 2か?」
「あなた……あなたも追手ね!」
「んなの知らねーよ! 俺ぁただこの街でつえぇヤツを全部ぶっとばして、1番になってやろうってケンカ屋よ!! まずはあんたに勝って、俺の名を知らしめてやる!!」
 こぶしをかため、啖呵を切るなりエシクへ向かって行く。

「私とロミオさまの邪魔はだれにもさせません!!」

 エシクは廃自動車を持ち上げ、野球バットのようにブン回した!
 これぞラヴェイジャーの技、自動車殴りである!

「けッ! しゃらくせえ!!」
 真のお引取りくださいませが炸裂! 廃自動車を殴り、蹴り飛ばす!
 廃自動車はおそるべき勢いでゴロンゴロン道を転がっていって、さらにスクラップ度を増した。


「道具なんか使ってんじゃねえ! いいか!? 最強のヤツってのはなあ、こぶしよ! 己の肉体を武器にして闘う!! 武器なんぞに頼っていたら、いつまでも真の強者になんかなれやしねえぜ!!」

「私からロミオさまを奪おうとする者は、1人残らず殺してやるッ!!」


 こんなこともあろうかと。
 エシクはさらにもう1台、廃自動車を用意していた!


 これも占い師の術のせいか。
 互いに話が全然噛み合っていないまま――そしてそのことにも気づかず――2人は接近戦に入る。
 エシクが廃自動車を用いて巧みに防御、攻撃するのに対し、真は用意は整っておりますで速度アップ、超感覚も駆使して廃自動車を回避し、お引取りくださいませで攻撃する。

 ドコン! ガコン! と廃自動車を殴打、蹴撃する激しい音が通りに響く。
 遠巻きに見ていた野次馬のだれもが固唾を飲んで見守るなか。


 ドドドドと土煙を上げて走ってきた美羽が真を背後から蹴り飛ばした。


「早く! 早く逃げなくちゃ、ロミオ!! 追手に追いつかれる前に!」

「……僕、ロミオじゃないってば、美羽…」


「い……っつつ……なんなんだ? 一体…」
 蹴り飛ばされた先で起き上がった真をダンボール箱(大)が、そしてそしてさらに悠美香が数秒差で踏みつける。


「要、コロス…!」

「悠美香ちゃんの望むことなら何でもかなえてあげたいけど、ミンチになるのはいやじゃああああああああっ!!」


 現れたときと同様、唐突に去って行く。


「ロミオさま!?」
 エシクが鋭く反応した。


「あなた、その手を放しなさい! ロミオさまは私のものです!!」
 ばっと前をふさごうと走り出る。
 だが美羽には通用しなかった。
 行く手を阻む者はすべて蹴倒すのみ!!


「さあもう少しでこの街を出られるわ! あと少しよロミオ…!」

   ガシャアッ!!


 研ぎ澄まされた完璧な蹴りでエシクを蹴り飛ばして、美羽は通りを走り抜けた。


「ああっ…! すみません、すみません! うちの美羽さんがご迷惑をおかけしてしまって…。
 待ってくださーーい、美羽さん、コハクくんっ!」
 地面に倒れ伏したエシクと真にぺこぺこ頭を下げつつ、ベアトリーチェも走り抜けた。


「ああ、待って、ロミオさま…!」
 2人の消えた道に手を伸ばすエシク。
 彼女に声をかける者が現れた。


「あれは残念ながらあなたのロミオではありません。
 あなただけのロミオがほしいと思いませんか?」


「だれ!? あなた! ……いいえ、そんなことはどうでもいいですわ。あなた、私のロミオさまのいる場所を知っているの!?」
 フードマントの者はこくっとうなずく。

 ――ちなみに歌菜と羽純両名は、どさくさにまぎれてとっくに姿をくらましています。



 そして道に座り込んでいる真を振り返った。

「あなたも一緒に来ませんか?」
「……つえーヤツがいるのか?」
「ええ。それもとびっきりのね。お約束しますよ」
 フードマントの下から唯一現れている口元が、笑みを形作った。



 3人と入れ替わりに通りへたどり着いたのは原田 左之助(はらだ・さのすけ)である。

「ひと足遅かったか…」

 切れた息を整えながら、彼は噛み締めるようにつぶやいた。