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【第九幕:晩餐会 ホール】




「いいじゃん、歩くぐらいは大丈夫ってお医者さんが言ってたし!」
「そういう問題ではない……」

 夜も更け、静けさの落ちる、帝都ユグドラシル。
 エリュシオン宮殿の中でも、やや外れた位置にある、本来皇帝やその家族が静かに過ごすためにと作られ、今は晩餐会のために沢山の豪華な料理と楽団の音楽に満ちたその離宮では、その主である皇帝セルウスが、かつては敵対した筈の荒野の王ヴァジラの腕を取……いや、強引に引きずるような有様でホールへと姿を現した。
「折角なんだから、ほら、来いってば!」
「ええい、引っ張るな……ッ」
 肩書きは兎も角、見た目だけはお互いにまだ少年と言ってよい幼い体格である。事情を知る者達は驚いたり微妙な顔をしたりと様々だが、何も知らない者からは、子供同士がじゃれあう微笑ましい光景に見えなくもない。
「こ、これは……」
 そうして、セルウスが苛立っているヴァジラの背中を押して椅子に座らせる様子に、ティーは妙に熱の篭った目で見つめていた。行き過ぎた友情が、どうとか、なにやら物騒なことを口走っているのは聞かなかったことにしておくのがマナーだろうか。
「ダメですわこのウサギ……くさってますの……」

 ともあれ、出来るだけ堅苦しいのは無しにしたい、というセルウスの意向を汲んで、立食パーティ風の砕けた空気を作るホールでは、どちらかと言うと若い招待客で賑わっていた。皇帝であるセルウスや、招待された契約者達を慮ってのことだろう。勿論、帝国側の留学生候補者達が若者であるから、ということもあるのだろうが。
 とは言っても矢張り華やかなことには違いない。何より、皇帝のために建てられたその離宮は、本宮にはまるで敵わないとは言っても豪邸には違いないのだ。当然、慣れない人間は圧倒されて当然である。
「ふわぁー……」
「これで離れ、なんだ……」
 その圧倒され人間の代表格。感嘆の息を漏らしたのは、ノーンと朋美だ。二人もきちんと身なりを整え、客人たちに負けず劣らず華やかさを放っているのだが、肝心の当人達にはその自覚は無いらしい。ぽかんと屋敷を眺めていると、くすくす、と小さな笑う声がした。
「お二人さん、口が開いちゃってますよぉ?」
 そう声をかけながら近付いてくるのはティアラだ。ドレスに身を着飾る姿の隣には、シンプルだが本人の華を引き立たせる騎士服に身を包むキリアナもいる。そうして並んでいると、物語のお姫様とその騎士のような見栄えだ。ただ、騎士の方も相当の美少女なので、ロマンスと言うよりはまた別のも物語が連想されてしまうのだが。今度はその二人に目を奪われている二人に、キリアナは「これで驚いてたらあきまへんよ」と笑った。
「宮殿のホール言うたら、こんなもんやあらしまへん」
 その言葉に、ふええ、とノーンは呆れるに近い溜息を漏らした。
「想像も出来ないなぁ」
「ボクも」
 頷いた朋美は、そういえば、と興味をキリアナに移して「じゃあ」と目を輝かせた。
「キリアナさんは行ったことあるんですか?」
「ええ、まあ」
「いいなあ〜」
 つい先日も、舞踏会で訪れたばかりだ。そう答えると、朋美とノーンは揃って羨ましそうに熱の篭った溜息を吐き出した。この離宮のホールでさえこの規模なのだ。本宮のホールともなればそれこそ夢物語のような世界なのだろう、と思いを馳せる二人に、微笑ましいとは思いながらも、キリアナは微苦笑を浮かべながら、また機会はあると思いますよ、と告げた。もし留学生となることが決まれば、恐らく歓迎の宴が開かれる筈だ。
「まあでも、宮殿のホールは広すぎますし、何より堅苦しいとこですよって。ウチはこのぐらいの方が、落ち着きます」
「そうだよねえ」
 唐突な声に皆が振り返ると、いつの間に近づいていたのか、セルウスがにっこりと笑った。うっかり同意を返そうとしたキリアナだったが、直ぐに思い直して首を振る。
「セルウス陛下には、早う慣れていただかんと困ります」
「はーい」
 むすりと小さく膨れながらもセルウスは言うと、朋美とノーンに向かってにっこり笑いかけた。
「ようこそ、おいでくだいました。今夜はごゆるりとお楽しみください」
 レディに向ける挨拶も、なかなか板についてきたようだ。そのまま二人を接待する背中を、微笑ましげに見ていた中、そんなキリアナに声をかけたのは叶 白竜(よう・ぱいろん)だ。
「お久しぶりです。その後お変わりありませんか?」
「へえ。忙しゅうしとりますけど、ユグドラシルも順調に回復しとりますし、大事はありまへん」
 キリアナは答えたが、その声は硬い。その意味するところを悟って、白竜は引き取るように「……今の所」と呟くように言えば、キリアナも頷いた。
「ええ、今の所は、です」
 目立った何かは起こっていないが、それが気を抜ける状況ではない、というのはお互いの共通認識だ。世界崩壊に関わる危機はまだ去ったわけではなく、今も根深い所で脅威が残っている。有事の際にはお互い協力する立場にあるキリアナに対し「その際はよろしくお願いします」と白竜が敬礼していると、そこへ、続いてやって来たのはアキラたちだ。
「ういーす、キリアナさん今晩は〜」
 気付いて挨拶しようとしたキリアナだったが、アキラの後ろから近付いてくるぬりかべに、セルウスと共に目を見開いた。この場にいる留学候補生も種族は様々ではあるが、その中でもとびきりの規格外である。「ぬ〜り〜か〜べ〜(皇帝就任おめでとうございます)」
びっくりしたまま固まった二人に、ぬりかべは丁重に頭を下げ(たつもりだっ)た。
『これから様々な苦難が訪れる事でしょう。だがこれまでの苦難を乗り越えてきたようにみんなとともに歩めばきっとどんなことも乗り越えられる。どうか優しく強い皇帝となってみんなを導いていってほしい』
 そう、年長者らしい丁寧な言葉を口にしたつもりのぬりかべだが、例によって発せられているのは「ぬ〜り〜か〜べ〜」の一言である。アリスが丁寧に訳したのに、なんとか意思の疎通はかなって、よろしくと手を差し出すセルウスに、アキラはにこりと笑った。
「留学生って、どんなのが来るかわかんないでしょ? お父さんで耐性つけとけば、多少のことは慌てないですむんじゃないかね」
「それは……そうかもしれまへんけど」
 それにしても驚きました、とキリアナとセルウスが笑っていると、そこへ挨拶に訪れたのは、セルフィーナ・クロスフィールド(せるふぃーな・くろすふぃーるど)大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)だ。
 二人は恭しく頭を下げると、挨拶もそこそこに、泰輔は口を開いた。
「皇帝陛下、セルウスはん。ここに、貧乏やけど才能にあふれた一人の音楽家を紹介しますわ」
 そう言って、泰輔は隣のフランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)を示した。
「お初にお目にかかります、皇帝陛下。作曲家のフランツ・シューベルトです」
 首を傾げつつ頷いてみせるセルウスに、泰輔はにっこりと笑うと、立て板に水という勢いで口を開いた。
「いやーコイツ、地球で生きてた時は、イマイチ売れへんでねー。いや、そこそこシンパはおって、保護者になってくれる友達連中にも恵まれてたから生活に困ったりとかはせーへんかってんけど、大きいパトロンには恵まれへんかった」
 唐突に始まった語りに、セルウスとキリアナ、そしてセルフィーナは顔を見合わせたが、それに構わずに泰輔は滝のように言葉を続ける。
「時代が変わっていくさなかやったから、というのもありやねんけど、コイツは、オペラで名前を売りたかったんや。曲は、書ける。しょうもない折り紙やけど、つけとくわ」
 そう言って、ほい、っと折鶴を渡されて、圧倒されるままのセルウスに向けて「で、本題なんやけど」と続ける。
「コイツに、脚本の素材と、発表の場所を提供したってぇな。あと、作曲前にエリュシオンの旋律も、これはちょっと勉強させたって。シャンバラ風の音楽とエリュシオンのそれを、融合させきちんと調和させた音楽にさせたいから」
「えーと……それって、音楽留学、って言うことなの?」
 セルウスが首を傾げていると、そんな大げさなものではないんですよ、と割り込んだのはフランツだ。
「即位の1周年記念とかにむけて、祝祭オペラの上演は如何? 僕に書かせてよ、一本、景気のいいヤツ!」
 ずいっと身を乗り出したフランツに、セルウスが思わず一歩引いたが、勢いは止まらない。
「ロッシーニの「ランスへの旅」みたいな、賑やかなヤツも書きたいかなぁ。でも、セルウス陛下は、脚本内容的には、どういうのがいい? 単に「皇帝陛下万歳!」としか言ってない、媚び媚びの作品で充分ですか?」
「え、ええっと……そういうのは、出来ればやめてほしいんだけど……」
 勢いに飲まれるセルウスだが、言っていることの最後は何となく聞き取ったらしい。その返答に「結構」と声をそろえた二人は、唐突に真面目な顔でセルウスに頭を下げた。
「国作るとか政治的な話は、僕らの得意事項やないねん。コイツは、基本音楽だけオタクやから。それ、活かす環境と舞台を用意していただけんかいなぁ、っちゅうことで、今日は来させて貰いましてん」
「唐突なお願いだとは理解しております。ともあれ、エリュシオン帝国とシャンバラ王国との友好を寿ぐような作品を書かせて下さい」
 泰輔とフランツが揃って口にするのに、最初は飲まれていたセルウスだったが、そういうことなら、と表情を緩めた。
「オレからもお願いするよ。ええと……良い曲を、作ってください」
「お任せください」
 そう言って頭を下げたフランツはその顔を上げると直ぐにぱっと表情を戻すと「ああそうだ」と手を叩いた。
「折角ですから、早速一曲披露させてくださいね!」
 そう言って、セルウスが頷く間もなく、フランツは楽団の中へ飛び込んでいったのだった。
 そこは流石、皇帝相手に直接売り込みにくるだけのことはあって腕は確かなようで、混乱する楽団を纏めると、お互いに手探りながら明るいメロディがホールを満たし始めた。
「……これって、地球の曲ですよねぇ?」
 そのメロディに最初に反応したのはティアラだ。ところどころエリュシオンの音階が混じってはいるが、原曲は地球のものに違いない。
「楽団に、誰か飛込みがはいったらしいよ」
 軽く騒がしくなったホールの会話を聞きつけた朋美が言うと、ノーンたち三人は顔を見合わせた。
「これは……負けていられないですよねぇ」
「ねっ」
 そうしてティアラたちが悪戯っぽい笑みを交わしていたのと同じ頃、並んでいる料理に目もくれず、勝手に持ち込ませたイコナ作のケーキをつついていたヴァジラと、そのご相伴に預かりにきたセルウスと軽く挨拶していたティーも、同じようにそのメロディに気がついていた。
「なんだか、楽しそうな気配ですね」
 言いながら既にそわそわするティーとイコナの様子に、セルウスは笑った。
「行っておいでよ。なんだか飛び入りも増えてるみたいだし」
 その言葉通り、変化したメロディにのって、歌声が聞こえ始めている。ティアラとノーンの歌声だ。それに耳をすませていたイコナはふと「ティーも歌ってきたら良いのではないですの?」と首を傾げた。
「ほら、この前作ったあの曲……もごっ!?」
 言いかけたイコナの口を、ティーが物凄い勢いで塞いだ。その慌てぶりに驚いたように、ヴァジラが軽く瞬いて「何だ?」と首を傾げたが、まさからヴァジラに宛てた歌をこっそり作っていた、などと言える筈が無い。「な、なんでもないですよ! い、行って来ます!」
 ぶんぶんと首を振って楽器を取ると、ティーはイコナを引きずるようにして楽団の方へと駆けていったのだった。


 そうして、集った面々の音が、ひとつずつゆっくりと重なった。
 ノーンとティアラの明るい歌声に、ティーの竪琴とイコナのフルートの優しい音色が混じる。楽団の演奏は、フランツの指示を受けてそれを支えるようにして広がった。今まではただのBGMだった演奏は、いつの間にかコンサートのような有様となっていたが、不満げにしている者はいない。それどこから、一人、また一人とその歌に自分の声を、あるいは手持ちの楽器を重ねていく。
 そうして次第に、ホールがひとつになるように歌と音で満ちていくのを嬉しげに見ていたセルウスに、声をかけたのはセルフィーナだ。
「セルウス様、お疲れ様でした……冒険のほうがよかったですか?」
 その声にセルウスが振り返ると、「今でも、いささか堅苦しい雰囲気は苦手でしょう」と口にし、それで硬くなりかけたセルウスを制してセルフィーナは続ける。
「いいんです、無理して慣れようとしなくても。政治という言葉を使う必要もないですし、アスコルド様に倣って治めるという気合を入れる必要もありませんよ」
 その言葉に、隣で聞いていたヴァジラはふん、と鼻を鳴らしたが、セルウスが耳を傾けているのを察して、セルフィーナは構わず続けた。
「セルウス様のやり方でいいんです。セルウス様なら……きっとこの光景を、帝国全ての光景とすることが出来ると、私は信じておりますから」
 アスコルドにはアスコルドのやり方があったように、セルウスにはセルウスのやり方がある。例えば今目の前に広がっている光景は、アスコルドの治世の内には無かったもののひとつだ。そしてきっとこれから、こんな光景――国と種族の壁を越えて、ひとつの音を重ねることが出来るような関係を、作ることが出来る筈だ。
「……さて、甘っちょろい貴様にそれが出来るかな」
 そんな期待と希望を込めた言葉に肩を竦め、ヴァジラが殊更挑発するように言ったが、セルウスは怒るでもなく、反発するでもなく「出来るさ」と言い返した。
「ううん……やってみせるよ」
 その言葉にヴァジラは鼻を鳴らし、セルフィーナは穏やかに微笑を浮かべたのだった。