薔薇の学舎へ

波羅蜜多実業高等学校

校長室

葦原明倫館へ

帝国の新帝 新たな日々へ

リアクション公開中!

帝国の新帝 新たな日々へ

リアクション




【第十幕:晩餐会――それぞれの夜 1】




 賑やかな晩餐会も、次第に落ち着きを見せ始めた頃のことだ。

「なんや、緊張しますなあ」
 唯斗に招きにあったキリアナは、複雑に苦笑した。通された個室はエリュシオンでも貴族が好む建築様式で作られ、調度品は色合いも華美すぎず、部屋の主がゆったりと心身を慰めるために工夫された一室で、つまり、寝室である。とは言え、流石に宮殿内の離宮だけあって、一部屋でも小さな家並みのスペースがあるが。
「広いなあ」
「元々、地方や他国からおいでなる貴族の方々が、滞在中にお泊まりにならはる部屋やさかい」
 キリアナ曰く、これでも、選帝神や国賓の泊まられる宮殿内の客室に比べたら小さい方だと言うのには、驚きを通り越して呆れてしまう。貴族の一員とは言え、一騎士の身分に過ぎないキリアナには敷居が高いと感じるのも無理はない。
「ま、今は俺の部屋な訳だから、そんな堅くなりなさんなって」
 唯斗の方はと言えば、あっけらかんと言って、不意にキリアナの背後に回ると、すっと手を伸ばして髪留めを取って髪を解いた。驚くキリアナが目を瞬かせている間に髪を梳き、手際よく華やかに結い上げると、どこから取り出したか、ドレスを取り出してキリアナに渡した。
「わあ……」
 そのドレスに、キリアナは思わず声を上げた。スタイルを強調するようなそれは、タイトなワンピースドレスで、装飾は最低限のシンプルな物だがはスリットは大きい。併せて渡されたブレスレットも、シンプルだが美しいデザインだ。後は胸元に薔薇を飾ればOK、と、完成予想図を頭に浮かべて喜色満面な唯斗の様子に、最初は目を輝かせていたキリアナは、次第に表情を曇らせると、ドレスを身体にあわせながら「あ……の、唯斗はん」と言葉を濁らせながら口を開いた。
「ウチ、この服は流石に着れしまへん」
「何でだ?」
 絶対似合うと思うぜ、と唯斗は太鼓判を押すが、キリアナはふるりと首を振った。
「無理どす。これやと流石に、女の子でないと身体に合いしまへん」
「ん?」
 首を傾げた唯斗に、キリアナは躊躇いながら、静かに頭を下げた。突然の行動にわけがわからない、といった顔の唯斗にキリアナの表情は曇るが、それでも精一杯に笑みを作って「お話します」と口を開いた。
「唯斗はんにお姫様扱いされるのは、楽しかったんやけど、これ以上は騙すようで」
 言葉なく瞬きする唯斗に、キリアナは、どこか吹っ切れたように笑った。

「ウチの本当の名前は、キリル・マキシモフ……マキシモフ家の“長男”どす」

 その言葉が、唯斗の頭に染みるまで数秒かかったのは、また別の話である。



 同じ頃、淡い明かりに包まれた中庭。
 賑やかなホールの音楽も遠く、風と、草を掻き分ける二人分の小さな足音が耳に入る。
 セルウスがこっそり呼んでいたらしい樹隷の少年達がちらほらと庭の木陰に見える中、かつみとエドゥアルトは軽く息を吐き出した。ホールの華やかさが嫌いなわけではないが、何しろ人が多い。少し落ち着こう、と二人で散歩に出て来たのである。
 頬を撫でる少し冷たい風を心地よく受けながら「ごめん、私の方につきあわせて」とエドゥアルトが口を開いた。
「本当は、オケアノスとかにも行きたかったんだよね」
 なのに、自分の強い興味を優先して、ユグドラシルへと来たのだ。申し訳無さそうなエドゥアルトに「気にするなよ」とかつみは背中を軽く叩いた。
「そりゃあ、行ってみたかったけど……ここに来て、良かったと思ってる」
 そう言って、かつみは空を仰いだ。夜のように暗く、星空も見える、樹の中にいるとはとても思えないような光景。宮殿に、騎士達、そして樹隷と呼ばれる種族とその里。ここへ来て見たもの、出会った人全てが新しく、知らなかった事だらけの世界。
「エドゥと出会ってから……感じてるんだ。自分の知ってたと思ってた世界が、どれだけ狭かったか」
 しみじみと口にするかつみは、ぐ、と小さく自分の手の平を握り締めた。一人で生きてきたし、生きて行けると思っていたが、それは世界を知らなかったからだ。シャンバラに来て、更にその外の国まで訪れて、世界がどんどん広がっていく気がする。
「上手く言えないけど……この世界はもっと俺の知らないことがあるってわかったから」
 そう言って、かつみはエドゥアルトを振り仰いで、笑みを浮かべた。
「今はとにかく、色んなことを知りたいんだ。エドゥと一緒にさ」
 その言葉に、エドゥアルトは目を瞬かせた。
 今まで自分達は、お互いのことばかり考えていた。そんな内側の世界に篭っていた自分たちだったが、かつみはその外を考え始めたのだ。そう考えると嬉しくて、エドゥアルトの表情は自然緩む。
「私も……知りたいよ。かつみと一緒に、この世界を」

 そうして、二人はその手を決意と思いを結ぶように、そっと握り締めあったのだった。