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【アナザー戦記】死んだはずの二人(後)

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【アナザー戦記】死んだはずの二人(後)

リアクション


♯10


「あちー」
 テノーリオ・メイベア(てのーりお・めいべあ)フィアーカー・バルの頭部パーツを外し、手で顔を仰いだ。
「本当にみんな撤退しちまったな」
「撤退じゃないけどね」
 トマス・ファーニナル(とます・ふぁーになる)魯粛 子敬(ろしゅく・しけい)は渋い顔をしている。
 首をかしげながら、テノーリオはとりあえず近くにあった水を飲んだ。彼のフィアーカー・バルにはべっとりと昆虫人間の体液がついている。
 ダエーヴァは、卵地点の防衛に戦力の全てを注いでいたというわけではなく、広範囲に指揮官型の怪物を伴ったアナザー・マレーナ探索チームを派遣していた。彼らの最優先目標はアナザー・マレーナだが、それ以外も見つけたら攻撃を仕掛けるようで、何度かこの後方作戦部かっこ仮にも襲撃があった。横の連絡網がしっかりしてないのか、戦闘ごとに遭遇戦の様相を呈していたのは、少々呆れるところである。
「さっき連絡が入ったんだ」
「邪魔よ、道を塞がないで……、で、連絡って」
 テノーリオを押しのけて、ミカエラ・ウォーレンシュタット(みかえら・うぉーれんしゅたっと)が車内に入る。
「一番厄介だって話の、親衛隊のトップが姿を現したって」
「怪物どもが撤退していったのとほぼ同時の報告、すなわちこれはマレーナさんが敵に発見されたという事でしょう」
「発見されたって、それが当初の作戦だろ。陽動ってやつ」
「確かにそうなんだけどね。ここまで、一目散に集まるとはね」
 横の連携もしっかりとできていない組織が、アナザー・マレーナの発見だけにはここまで素早い行動を取る。少々、疑問だ。
「普段利用している通常の連絡網とは、違う連絡手段があるのかもしれないですね」
「それらしき影は見なかったわよ」
 ミカエラに視線を向けられ、テノーリオも、たぶん俺も見なかった、と頷いて返す。
「卵チームの報告だと、伝令は口頭で行っていたそうです」
「匂いだと考えても、ここまですぐに届くのって不自然だよね。じゃあ、もっと効率的で有効な連絡手段を実は持っていたって事になる。でもさ、それを出し惜しみしてたなんて変じゃない?」
 軍事と連絡手段は、切っても切れない重要なものだ。遠くの仲間に連絡を取るというのは、作戦遂行において最も重要な部分であり、四人が後方で待機しているのも、情報が混乱したりしないようにするというのも大きい。
「つまり、どういう事だ?」
「……そういう事ができる何者かが、居るって事でしょ。それも、普段は利用できないか、できてもしないような個人がね」
「そうですね。恐らく、この高速の伝達は個人に拠るものでしょう」
 道具に頼らない遠くの他人とのコミュニケーション手段そのものは、自分達にもある。誰かがそういった手段を持っている事自体は、驚く事はない。
「えーと、つまり」
「たぶんだけど、我慢できなくなって出てきたんじゃないかな、指令級がね」

 シェパードは親衛隊を伴って卵の設置地点、地面を埋めるオレンジ色のどろりとした液体に名残を見れる程度だが、にたどり着くと、部下と共にその乱戦に飛び込んだ。
「きたきた……っ」
「ようし、出番じゃ、きばってこいよ」
「当然」
 清風 青白磁(せいふう・せいびゃくじ)の声に背中を押されて、騎沙良 詩穂(きさら・しほ)は誰よりも早く、周囲の親衛隊をすり抜けて、シェパードの前に立った。
 無感動の瞳と視線が交差する。シェパードは踏み込みながら、彼の獲物、太く分厚い巨大剣を横に振るった。
 D.D(Diver Down)を装備している詩穂は普段よりも一回り以上体積が大きくなっているが、後方宙返りでするりと刃を回避した。
 この一手のやりとりで、詩穂はいけると確信した。
 詩穂は事前にユニオンリングを用いて、セルフィーナ・クロスフィールド(せるふぃーな・くろすふぃーるど)との合体をしている。そのおかげだろう、たった一瞬のやり取りではあったが、攻撃を回避された際にシェパードは僅かだが心に揺らぎがあったのを感じ取れた。
 昆虫人間と親衛隊は、どちらもそういったものは感じられない。目の前で仲間がバラバラになろうと、自分が蜂の巣になったとしても、心理的には万全の状態と変わらない。もちろんそれは、自分が優位に動けている時でも、心はフラットのまま維持される。
 だが、シェパードは違う。察しにくくはあるが、確かに思考があり感情がある。
「……思ってたより、動けてねぇな」
 大剣を潜り抜け、格闘の届く間合いに滑り込んだ詩穂は、素早い動きと的確な打撃で、戦いを優位に進めていた。青白磁はその様子を見つつも、やや不満があるように呟く。
 動きが、ユニオンリングを使う前の詩穂とほとんど変わらないからだ。それでも十分にやれている。むしろパワードスーツが足かせになっているのかもしれない。
「けど、なんとかなりそうだな」
 シェパードは六発の打撃を受けると、剣を自ら手放した。もともとその大きな剣は、黒血騎士団の外装を叩き割るのに適しているために用いられていたもので、相手の技量や早さに対応できないのであれば、手放すのに躊躇は無い。
 格闘の体勢に入ったところで、詩穂は距離を詰めた戦い方から、離れては近づくを繰り返した。
「見えてはいるけれど、対応は仕切れていないわね」
「……っ」
 シェパードはたった一人の相手からくる攻撃を、的確に防ぎはするものの、効果的な反撃はできていない。初戦では互いに手探りではあったが、今ならばどこに限界があるのか、詩穂には手に取るようにわかった。
 最後の仕上げに、詩穂は手に持っていない水中銃Sをテクノパシーでシェパードに向けた。不意の動作に心が反応したのを見抜いて、そのコンマ数秒の隙に、空裂刀ねじ込んだ。
 短い苦痛の声を漏らしながら、左胸に深く突き立てられた空裂刀をシェパードは掴む。そして、刃の半ばまで食い込んだ空裂刀を、力任せに引き抜いた。
 苦痛の声、それと共に真っ赤な血があふれ出す。
「赤い血だ……」
 昆虫人間も、親衛隊も、負傷したさいに流れ出るのは黒いべたつく体液であり、生物のような赤い血は流れ出ない。
 傷をつけたら赤い血が流れる。その当然の事にへの違和感が僅かに詩穂の足を止めた。その時間は秒で数えるほどのものでもなかったが、その僅かの間に追撃の道を新たに飛び込んできた親衛隊の一人に塞がれた。
 詩穂に対して、背中を向ける親衛隊は、傷口を手で塞ぎながら乱れた呼吸をしているシェパードの耳元まで顔を近づける。
「ねぇ、痛い?」
 漏れ聞こえる声は、女性のものだ。
「……私はっ、人形にならずともっ」
「わかっているわ。あなたは特別。特別だもの。ふふ、心配しないで」

 命のやり取りの場にいれば、見たくないものを見てしまう事もある。とはいえ、多少の差はあれど戦場に立つ者であれば、覚悟もして当然の事だ。
 董 蓮華(ただす・れんげ)スティンガー・ホーク(すてぃんがー・ほーく)の両者も、気を張り詰めた戦場に身を置く際には、覚悟はできている。それでも、たった今目撃したものは、醜悪なものであった。
 ここからではシェパードに寄り添う親衛隊の声までは聞こえない。二人が居るのはビルの屋上だからだ。だが、双眼鏡越しにその親衛隊の背中が割れ、中から女性らしきシルエットの怪物が現れるのをしかと目撃した。その光景は、さながら蛹を破って羽化する昆虫のようだ。
「擬態……いや……」
 スティンガーは崩れ落ちた親衛隊から、黒い体液が広がっていくのを確認する。あれは偽者の怪物ではなく、生きていたものだ。背中を裂いて現れた女性型の怪物の横で、少しの間蠢いていた。
「寄生……?」
 生物の中には、別種の生物の体内に生息するものがいる。寄生生物はほとんどの場合、宿主を食い物か安全な住処ぐらいにしか考えておらず、最終的には宿主を自らのために死においやる。
「親衛隊でも使い捨て、か」
 昆虫人間の扱いからしてそうだったが、この欧州のダエーヴァは配下を使い捨てる傾向が強い。大量生産による強みだと考える事もできるが、それ以前に、この組織の頂点に立つ者の考えに部下に対する心配りなど最初から存在しないのだ。全て等しく同等に価値がなく、壊れれば交換すればいい、全部が全部その程度のものなのである。
「あれが、指令級ね」
 蓮華の考えに間違いはなく、そしてその光景を目撃した多くも、その結論に達した。
「あ」
 二人の視界に、高速で動くものが捉えられた。紫月 唯斗(しづき・ゆいと)だ。彼は周囲が、アカ・マナハがどう動くか、あるいは自分達がどう動くか、の逡巡の間に飛び込んでいったのだ。
 シェパードの肩に手を回していたアカ・マハナもこの接近に気付き、そちらの視線を向ける。
「あら?」
 正面から見ると、アカ・マナハの容貌は美しいと形容する事ができる範囲だな、と唯斗は評した。顔立ちはどちらかというと中性的で、細い手足はとてもじゃないが戦いに向くようには見えない。シルエットは人間そのものだ。
 だが、それだけだ。少なくとも、命をかけて尽くすほどの美貌かと言われれば、それは納得できるものではない。
「なあ、あんた。天使を知ってるか?」
 開口一番、そう尋ねた。
 アカ・マナハはきょとんとした視線を向ける。
「天使?」
 鸚鵡返しに返された言葉には、呆れと嘲笑の色が混ざっていたように聞こえた。
 しかしすぐに、アカ・マナハは何かに気付いたように、いやらしい笑みを浮かべた。
「あなたって随分変わった趣味なのねぇ……知ってるわよ、天使って雌雄同体なんでしょ」
「は? 俺が―――」
 唯斗の言葉はそこで止まった。一歩前に踏み出した格好で、彼は石の彫像になってしまったために、それ以上の言葉を紡ぐことはできなくなってしまったのだ。
「七十五点、悪くないわ。変わった趣味なのは頂けないけど」
 それだけ言うと、もうアカ・マナハは興味を失ったようで、視線をシェパードに向けた。
「大丈夫、心配しないで、だってあなただけは特別だもの」
 微笑を浮かべ、アカ・マナハは苦しく息を繋げているシェパードの唇を、自分の唇で塞いだ。
 それとほぼ同時に、戦闘区域全ての契約者及びその部下の兵士達に、蓮華の声の通信が入った。
「みんな、あいつの目をみちゃだめ。石にされるわよ」
 通信機に向かって叩きつけるように言い切った蓮華の視界の端には、射撃姿勢で石になったスティンガーが映っていた。
 スティンガーと同じように蓮華もアカ・マナハの姿を見ていた。それだというのについたこの差は、アカ・マナハの瞳を覗き込んでいたか否かの一点でできたものだ。
 恐らく、アカ・マナハはスティンガーをも石化させた事に気付いていないだろう。あの目は、見返した者を無差別に、一方的に石にすることができるのだ。