校長室
そんな、一日。~某月某日~
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2032年春 富永 佐那(とみなが・さな)がソフィア・ヴァトゥーツィナ(そふぃあ・う゛ぁとぅーつぃな)とヴァイシャリーを訪れるのは何年ぶりだろうか。 佐那は、ここ数年のことを振り返る。天御柱学院の姉妹校の聖カテリーナアカデミーで教職に就き、教鞭を執る日々。就任間もなくは慣れないことも多く、要領よく動けずにいたりもした。悩むこともあったものの、好きで就いた仕事に誇りを持ち、続けてきて数年。忙しくも充実した日々を過ごしている。 ソフィアはというと、天御柱学院の高等科に通う一方でスクールアイドルとして活動していた。勉強とアイドルを両立させるのは並大抵のことではなく、毎日遅くまで勉強をしたり振り付けを覚えたり、と佐那に負けず劣らずの忙しい毎日だった。 そんな二人の休みが重なったのは本当に久しぶりのことで、今日は一日羽根を伸ばそうとヴァイシャリーの街へやって来たのだった。 雑誌に載るくらいに人気のケーキショップでケーキセットを食べ終えて、佐那はぼんやりと道行く人を見る。ふとその中に、フリルをふんだんに使った、まるでお人形に着せるような服を纏った少女の後ろ姿が見えて、佐那は急にある一人の少女のことを思い出した。 「ジナマーマ?」 佐那の様子が違うことに気付いたソフィアが、気遣わしげな声をかけてくる。 「疲れちゃいましたか? 私が、あちこち連れ回してしまったから……」 「いいえ、ソフィーチカ。違います。ちょっと、似た人を見かけて」 「? 似た人、ですか?」 「はい。――クロエさんによく似た人を見かけた気がして」 「!」 友人の名前が挙がり、ソフィアが驚いた顔をした。ソフィアは、「どこですか?」と窓の外を見たが、クロエに思えたその人は、人混みに紛れてしまってもういない。 少しがっかりとした様子のソフィアを見て、佐那は一つ、提案する。 「ソフィーチカ。久しぶりに人形工房へ行ってみませんか?」 「え……」 「せっかくヴァイシャリーにいるのですから。クロエさんに似た方を追うのではなく、ご本人にご挨拶しましょう」 「……はい!」 そうと決まれば早いもので、二人は早速工房へと向かった。 九年前に戻ったのかと、ソフィアは一瞬だけ錯覚した。それほど工房の中の雰囲気は、ソフィアの記憶にある通りのものだった。 「いらっしゃいませ」 と笑いかけてくれるクロエも、変わらない。 「クロエさん!」 ソフィアが声をかけると、クロエは笑顔のまま小さく首を傾げた。 「はぁい?」 という返答も、表情も、なんだかすごく懐かしく思えて、ソフィアはクロエをぎゅっと抱き締めた。ただ、少し、ソフィアだと気付いてもらえていないのではないか、と思って寂しくなった。そんな私は、変わってしまったのだろうか。 「お久しぶりです」 湿っぽい再会は嫌だったので、明るく笑いかける。するとクロエは、嬉しそうににこりと笑った。 「久しぶりね、ソフィアおねぇちゃん」 「! 覚えていてくれたんですか」 「もちろんよ。ただ、とっても綺麗になっていたから、少しだけわからなかったわ」 「綺麗だなんて、そんな! まだまだ、です」 「まだまだ綺麗になるのね?」 「そ、そういうわけでもなくて」 「ふふ。やっぱり、ソフィアおねぇちゃんは素敵な人だわ。綺麗で、可愛くて、面白いの」 「クロエさんの方が、可愛いですっ」 もう一度、ぎゅっとクロエを抱き締める。くすぐったそうな笑い声が聞こえた。 「それで、今日はどうしたの?」 「えと……クロエさんに会いたかったのと、それと」 ソフィアは、ぐるりと工房内を見回した。 人形に囲まれた、夢の様な世界。なんだかひどく、落ち着く空間。 「ここに、来たくて」 前は、色々とばたばたしてしまい、ゆっくり人形を見ることもなかった。だからかずっと、気になっていた。 棚の前に立ち、人形一人ひとりの顔を見る。どの子もただ綺麗なだけではなくて、表情や背景があるような気分になる。 やがて、ソフィアは一人の人形を手に取った。少し大きくて、でも、両手で抱いた時に丁度良くて、安心することのできる人形だった。 「気に入りましたか?」 声がして、顔を上げると佐那が優しい目でソフィアを見ていた。 「ジナマーマ。お人形、買って行ってもいいですか?」 「ええ、いいですよ。その子ですか?」 「はい。名前は、エリザヴェータ、です」 人形自身に言い聞かせるように、そっと囁く。気のせいか、人形が嬉しそうに笑ったように見えた。微笑み返すように、ソフィアも笑った。 ソフィアがまだクロエと一緒にいたい、と言うので、佐那たちはもうしばらく工房に居させてもらうことになった。 「ソフィーチカ、嬉しそうです。良かった」 愛しい子を見つけられたこともそうだが、大好きなお人形に囲まれているのも幸せなのだろう。まだ幼い頃のように、無邪気な笑顔を見せている。 「スクールアイドルとしての生活を経て、随分と大人びたと思いましたが……まだまだ無邪気な年頃ですよね」 「いくつになったんだっけ」 「ソフィーチカは十七です。私は、二十九に」 「同い年だ」 「お互い、遠くへ来たものです」 「全くだ」 「でも、ここは変わりませんね。前と同じ。外の人を招き入れて、自然な時間を過ごさせてくれる」 「特別何もしてないけどね」 「不思議なものです」 だから、思わず長居してしまいそうになる。ふと目を向けた窓の外が赤く染まり始めたのを見て、そろそろお暇しないと、と佐那は座っていた椅子から立ち上がった。 「そろそろ帰りましょう、ソフィーチカ」 「はい、ジナマーマ。じゃあ、クロエさん。また、遊びに来ます」 「うん、またよ。約束。待ってるわ」 指切りを交わす二人の後ろで、佐那はリンスに頭を下げた。「またどうぞ」とリンスは微笑んで返す。その言葉は社交辞令には思えなくて、また休みが重なったら来てもいいかもしれないと、そう思った。