校長室
そんな、一日。~某月某日~
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2034年12月24日 従業員控室にかかっていたカレンダーの『2034年』という数字を見て、天ヶ石 藍子(あまがせき・らんこ)一人、は「時間が流れるのって早いわね」と呟いた。 「フィル君のお店で働くようになってもう十年目、か」 最初は、人手不足がきっかけだった。十年前のちょうど今頃、繁忙期にたちの悪い風邪が流行って従業員が相次いで休みを取ったあの日。いつもと同じようにお茶を飲みに来ていた藍子が、「手伝いましょうか?」と声をかけた。 これまで一緒にお茶をしてきた関係で、フィルの店のどこに何があるのかはなんとなく把握していたし、お茶の淹れ方も勉強していた。だからかスムーズに動くことができ、クリスマスを乗り越えられて、「このまま従業員にならない?」と珍しくフィルから誘われたのが、一番最初。 懐かしさに口元を綻ばせながら、制服から私服へと着替える。 店に顔を出すと、店内は大盛況で従業員は皆忙しそうだった。 「おつかれー」 それでもフィルはにこにこと、藍子に声をかける。 「ごめんなさいね、一番忙しい日に早上がりなんて」 「いいよー前もって教えてくれてたし。それにその分明日頑張ってもらうからねー」 「もちろんよ」 「頼もしー。あ、そうそうこれ注文のケーキね」 カウンターに置かれたケーキは、店売りでは見たこともないような大きなものだった。藍子は、自分で頼んでおきながら少しだけ驚く。 「本当に特大ね」 「うちのパティシエさんすごいですからー。じゃ、気をつけていってらっしゃーい」 早く行け、とばかりにひらひら手を振られた。そうだ、忙しくて就業時間が少し遅くなったから急がなければいけない。 今日、十二月二十四日はクロエの家でのクリスマスパーティーだ。 クロエやマリアベル・ネクロノミコン(まりあべる・ねくろのみこん)と一緒にクロエ宅の飾り付けをしながら、西宮 幽綺子(にしみや・ゆきこ)は思わず微笑んだ。 小さく漏れた笑みの吐息に気付いたクロエが、「どうしたの?」と幽綺子を見つめる。 「皆で集まるなんて久しぶりで、なんだか楽しく思えたのよ」 「ふふー。わたしも、楽しみだわ!」 「幽綺子は今、どうしてるのじゃ?」 クリスマスツリーを飾り付けながら、マリアベルが問いかける。 マリアベルは、三年前クロエが大学進学を機に一人暮らしを始めた直後からクロエの家に入り浸るようになっており、やがてクロエと一緒に暮らし始めた。なので博季・アシュリング(ひろき・あしゅりんぐ)の家で暮らす面々の状況はあまり把握できていない。もっともそれは幽綺子からマリアベルに対しても同じで、だから今日集まってお話できるのがとても楽しみなわけだけど。 「変わらないわよ。博季の義姉として、博季の家に住んでるわ」 そう答えたところで、キッチンでオーブンが料理の仕上がりを知らせた。 「出来たみたい。ちょっと用意してくるわ」 「幽綺子お姉ちゃん、わたしも手伝う!」 「ありがと、クロエちゃん」 キッチンに入ると、香ばしい匂いが香ってきた。幽綺子は、オーブンを開ける。中に入っていた七面鳥はこんがりとよく焼けており、思わずクロエと「美味しそう」と笑い合った。 「もういつでもパーティを始められるわね!」 「そうね。博季と藍が揃ったら、乾杯しましょう」 「わたし、お皿出してくるわ! コップは準備できてるから、あとはー……」 「用意しておいたお料理を並べればもう準備万端よ。二人共、早く来ないかしらね」 「こんにちはー」 言った傍から、玄関で声がした。「遅いぞ博季!」とマリアベルの声も聞こえる。どうやら博季が到着したらしい。 「ごめんね、お待たせ。わーすごい! 飾り付け綺麗だね!」 「わらわとクロエと幽綺子の功績よ! 褒め称えるがいい!」 「うんうん、すごいよ! あ、幽綺子さんはキッチンかな? ……いたいた、お待たせ、幽綺子さん」 キッチンに入ってきた博季が、幽綺子に微笑みかける。 「これ、ポタージュとミートパイ。いい感じに出来たよ」 「ありがとう。疲れてるでしょうし、座って待ってて」 「僕だけ座ってるのもなぁ。遅くなっちゃったからし、ご迷惑でなければお手伝いするよー」 「ありがとう。じゃあ、これをテーブルに持って行って」 「はーい」 博季は、幽綺子に渡された食器をテーブルに広げた。皿を並べていたクロエに、博季は遅まきながら挨拶する。 「一年ぶり、クロエさん」 「一年ぶりね! 元気そうで何よりだわ」 「クロエさんは大人っぽくなっていくね」 「見た目は変わらないけどね」 「中身が。年々お淑やかになっていくよ」 「気をつけろクロエ! これはセクハラ事案じゃ!」 「マリアベル……お前、変わんないなぁ……」 「しみじみ言うのはよせ。わらわとてクロエと共にキャンパスライフをエンジョイし大人の階段一段飛ばしじゃ!」 「大事なものを蹴飛ばさないよう気をつけろよ……」 「失礼なやつじゃのー。お前こそ四十でおっさんの年だというに変わらんくせして、ちゃんと大人の階段登っておるのか?」 「ねえ変わらないってそれこそ失礼じゃない?」 「すまんすまん。童顔という意味じゃ。あと女顔な」 「どっちにしろ失礼だよ……」 「でも本当、博季お兄ちゃんはあまり変わらないわね」 「うーん。僕としては、ロマンスグレーに憧れてたんだけどね」 「博季のロマンスグレー、か。何年後になるのかしらね?」 キッチンから幽綺子がやって来て、笑いながら言った。 「さあ……でもこの分だと、まだ遠そうだ」 テーブルについた三人を見て、博季は思う。 「……それにしても皆、変わらないなぁ」 もう十年も経つというのに、幽綺子も、マリアベルも、クロエも、見た目がまるで変わらない。いや、ここ十年の話でもない。出会った時から、だ。 「年を取らないもの、私たち」 「そうなんだけどね。藍子さんも変わらないんだろうなぁ」 「この間お店にお邪魔したけど、変わってなかったわ。ねぇ? マリア」 「うむ。やつは魔鎧じゃからのー、そうそう変わるまい。わらわたちもな! かっかっか! ……にしても藍子、遅いのぅ。久しぶりに集まる日だと言うに……」 「クリスマスのケーキ屋さんだもの、忙しくて上がりづらいんじゃないかしら。去年もなんだかんだ一番最後に来たわよ」 「そうじゃったっけ」 「そうよ。それでマリアベル、あなた今と同じこと言ってたわ」 幽綺子の指摘に、博季は笑う。確かに、言っていた。そうだったわね、とクロエも笑う。マリアベルは、ぬ、と不明瞭な声を上げて少し恥ずかしそうにしていた。 玄関が開いたのは、そんな時だった。 「あ、やっぱり皆、もう来てる」 次いで、藍子の声。 「遅いぞ、藍子!」 「藍さん、お疲れー」 「外は寒かったでしょ? 早くこっちへいらっしゃいな」 「お茶もジュースもあるわよ!」 全員で口々に藍子を歓迎しながら、パーティは幕を開けた。 ミートパイ、ポタージュ、七面鳥、その他諸々オードブル、それからなんといってもクリスマスケーキ。 あらゆるクリスマスの象徴が乗ったテーブルを囲んで、博季たちは歓談に興じる。 もっぱら話題は「この一年、何してた?」というところにあり、それぞれが答え、それぞれが反応を返した。 マリアベルとクロエは、夏に旅行に行ったらしい。初めて二人きりで行ったそうだが、行く先々で「保護者は?」「迷子?」と周りを心配させてしまったらしい。 「幼い見た目というのも厄介じゃのー」 「ねー。中身は立派な大人なのに」 と、二人は笑っていた。クロエは小学生にしか見えないし、心配されてもおかしくないが、マリアベルお前は高校生くらいに見えるのだからしっかりしろ、と博季は思った。思っていたら伝わったのか、「なんじゃ」とマリアベルにじと目で見られた。 「いやいや、仲良さそうで何よりだなーって思ってね?」 と、誤魔化しておく。が、それは本音でもあった。 マリアベルとクロエは、本当に仲が良い。喧嘩したりすることもあるそうだが、それでもこうして共同生活を送れているのだ。たぶんきっと、この先も二人は共にいるだろう。 仲が良いと言えば、藍子とフィルもそうだ。十年前、フィルの店で働き始めた時、博季を始め幽綺子もマリアベルもみんな驚いた。以降何事も無く、今に至るまで続けていることも、働き始めてしばらくしてから「通勤が大変だから店の傍に家を借りたわ」とアシュリング家を出て行ったことも。 未来はいつも、予想とは違った方向に動く。 だからこそ面白いと、博季は思う。 「……あら、もういい時間ね」 幽綺子が言った。つられて時計を見ると、いつの間にか随分と時間が経っていた。愛する妻と娘が参加している、 学校主催のパーティが終わるのも今くらいだっただろうか。 「迎えに行ってあげなさい。リンネちゃんとミラベルちゃん、リリーちゃんと過ごすんでしょ?」 「うん、そうする。幽綺子さんは?」 「私はこっちで楽しんで行くわ。たまには家族だけで過ごしなさいな。 たまには私だって羽根を伸ばしたいしね。……ね、クロエちゃん? 今日は一緒に寝ましょうか」 「なぬ!? 駄目じゃ駄目じゃ、クロエの隣はわらわのものじゃ!」 「あらいいじゃない。マリアベル、あなたいつもクロエちゃんと一緒なんだから」 「そういう話なら、私も混ぜてくれない? 一人で帰るのは寂しいわ」 「いいわね。じゃあ今日は、私、クロエちゃん、藍、三人で川の字になりましょうか」 「わらわは!? わらわはどこに!?」 「……というわけだから、博季。あなたはあなたで、楽しんでらっしゃいな」 「わかった。ありがとう、幽綺子さん。 お正月にはみんな連れてくるから、新年会しようね。じゃあ、良いお年を!」 礼をして、博季は家を出る。 外は寒く、吐く息が白くなった。 家ではもう、愛する家族がパーティの準備をしているだろう。 早く帰らなきゃ、と焦る一方で、充実した今日を嬉しく思った。