|
|
リアクション
●にぎやかな朝
いつものことではあるが、開店の三十分前ともなると、そわそわとして落ち着かない。
カウンターを拭き直してみたり、コーヒー豆の在庫を確かめてみたり、本日のお勧めを書いたボードの内容を読み直したり……なんとなく、そんなことをしながら時間をつぶす。
開店と同時に客が飛び込んでくるほどの人気店ではない。むしろ、最初の三十分くらいは無人であることのほうが多いのだ。
それでも、店を開ける直前は緊張する。身が引き締まる思いがする。
いつまでも新鮮でいたいという意志の表れだろうか。店を立ち上げた当時の、あの気持ちが蘇ってくる。
如月 佑也(きさらぎ・ゆうや)は店内を見回した。
今日は朝から気温が低く、冬の気配が濃い。外は白く、煙るように曇っている。
寂としているが、ほのかに入れた暖房が温かいので店内の居心地は良かった。
ここが現在の佑也の城。彼はこの喫茶店のマスターなのである。
店内はアンティーク調に統一し、壁は煉瓦、食器もなるだけいいものを揃えた。
とりたてて宣伝しているわけではないので大人気店ではないものの、コーヒーの味に関しては、ちょっと他では味わえないものを提供しているという自信はあった。ためにか、熱心なファンが足繁く訪れるようになっている。もちろん一見のお客さんも歓迎だ。
「ふんふふ〜ん♪ 今日も準備は整ったのですよ〜♪」
エプロンを巻きながら、ラグナ アイン(らぐな・あいん)がカウンターに入ってくる。
少し前まで、ラグナの料理の腕前はなんとも残念なものであったのだが、彼女も向上した。数年佑也を手伝うことでなかなか上達している。卵料理であれば、一人で作って出せるまでになっていた。
このとき、入口のドアベルが鳴った。
「あいにくまだ準備中で……」
と言いかけて佑也は、見知った姿に顔をほころばせた。
「ああ、由乃羽か。こんな時間にどうしたんだ?」
神威 由乃羽(かむい・ゆのは)だ。数年前と変わらぬ巫女装束で、しずしずと歩んでカウンター前のスツールに座った。
「ごめんね、朝早くに押しかけちゃって。迷惑だったかしら?」
「由乃羽さーん! 迷惑だなんてとんでもない♪」
「ああ、由乃羽ならいつでも歓迎だ」
言いながら佑也はコーヒーの準備を始めた。
温かいコーヒーを口に含んで、
「美味しい」
と由乃羽は笑顔になった。
「それで、なにかあったのか?」
「実はね、しばらく地球に戻らなきゃならなくなったから、声を掛けておこうと思って」
「地球に?」
ラグナはエプロン姿のまま、由乃羽の隣に腰を下ろす。
「あたしの勤め先、息子さんが高校進学して神奈川の方で一人暮らしすることになってね」
「それは結構なことだが……」
「少し前に引っ越したんだけど、その後母親が体調崩しちゃって、ちょっと心配だから、一旦戻ることにしたのよ」
「月並みなことしか言えないけど……早く良くなるといいな」
佑也はうなずいた。皆それぞれ、事情があるものだ。
なんだか大変そうですねー、とラグナは一旦言葉を切ったが、すぐにぱっと明るい顔に戻って、
「今度、私もお手伝いに行ってもいいですか? いえ、むしろ行かせて下さいっ!」
「え? それは助かるけど」
「巫女服とか着てみたいですし! ですし!」
ラグナの熱心な口調からして、これが単なる社交辞令でないことは明白だろう。
「ありがとう。でも一応、運び屋にも手伝いはお願いしてるから人手は充分よ。気持ちだけ受け取っておくわ」
由乃羽は笑顔になった。コーヒーのおかげもあるが、なんだか胸が温かい。
「ああ、そうだ。うちの実家から送られてきた果物があるんだけど、よかったら持って行くか?」
などと数年前のように、和気あいあいとしているうちに開店時間となった。
すぐにまたドアが開く。それも、バタンと音が立つくらいの勢いで。
「はろー! 皆のアルマさんが帰りましたよーっと!」
威勢のいい声とともに、アルマ・アレフ(あるま・あれふ)が入ってきたのだった。たとえるなら一迅の風、口調も物腰も爽快な彼女だ。
「きゃー! アルマさんじゃないですかー!」
これを見て、飛び上がらんほどに喜んだのはラグナである。
「今までどこ行ってたんですかー!」
と言うなりはしゃぐ小型犬みたいにしてアルマに抱きついた。
「久しぶりねー」
アルマとて慣れたもの、それをしっかりと抱きとめ、ラグナの頭を撫でるのだ。
「妹さんやお母さんは元気にしてるー?」
「ええ、お母さんたちは自分のお店の方で頑張ってますよー!」
「なんだなんだ、今日はやけににぎやかだな?」
懐かしい顔というのはいいものだ。佑也の口調も弾んでいる。
「ずいぶんと久しぶりだなぁ。一年ぶりくらいか? なかなか顔を見せに来ないから、心配してたんだぞ?」
「悪い悪い。最近はちょっと忙しかったもんでね。由乃羽も久々!」
とアルマは近況を語り、皆、情報を交換するのである。
こうして顔を揃えてみると、ちょっとした同窓会というか、時の流れが止まったかのように感じる。
「……にしても、全然変わらないわよねー佑也。そろそろ変化を求めてもいいんじゃない?」
トーストの切れっ端を口に放り込んでアルマが言った。
「変化なあ……そう言われてもぱっと思いつかないが」
またまたー、と、アルマは白い歯を見せて、
「たとえば……そろそろ結婚してみるとか。熱烈な告白した彼女がいるんだし? いつまでも待たせちゃダメでしょー? それとも何? プロポーズまでアタシが尻叩かないと出来ないっての?」
これは思わぬ話題! 佑也はぎょっとして、
「……え? け、結婚?」
つい早口になってしまう。
「あー……そ、そういうのはだな、まだ時期尚早というか、なんというか……別に臆病とかそういうんじゃなくてだな! こういう事は本当によく考えた方がいいと思って……!」
助けを求めるような目をするが、由乃羽もラグナも黙ってじっと見ている。仕方なく続けた。
「……いや、実際のところは、ずっと考えてたんだよな……今までずっと、変わり映えのしない毎日を送ってたけど……そろそろ、変えてみようかな。うん」
まごうことなき本心だが、口にするのはちょっと勇気が必要だった。
これを聞くなり、
「おおー、佑也さんはついに身を固めるつもりですか……! 応援しますから、頑張ってくださいねー!」
ラグナは顔を輝かせ、
「まったく、佑也らしいといえばらしいかもしれないけど……ま、良い機会だわ、式はうちの神社で挙げなさい。大丈夫。随分世話になったし、あんたならサービスしてあげる」
由乃羽も深くうなずく。
「……いやちょっと待て、まだ心の準備ができてないぞ!」
と言った佑也だが、もう三人は容赦する気はないようだ。
「……うん、覚悟決めてるんなら良し!」
アルマが言ったちょうどそのとき、入口に気配があった。
彼女だ。
なんとタイミングの悪い!
……いや、良いというべきだろうか。
「ほら、噂をすれば……来たみたいよ! 男ならガツンといっちゃいなさい!」
アルマは立ち上がって佑也の手を引き、カウンターから引っ張り出した。
「今がその時よ!」
「え……おい、マジか!?」
聞くまでもないだろう。
どうやらここで大きく一歩、踏み出さねばならないようだ。