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リアクション
●一周年!
今日は、匿名 某(とくな・なにがし)と綾耶(結崎 綾耶(ゆうざき・あや))の最初の結婚記念日である。
これを祝うため、夫婦は空京を訪れていた。
パラミタ滅亡が回避された日、つまり、『蒼空の絆』から数年が経つ。
この数年で綾耶は大きく変化していた。それはあらゆる意味で。
まず身長。ここ数年で急激に伸びて、今では某より少し低いぐらいまでになった。綾耶は守護天使ゆえ、精神的に成長したことが理由かと某は考えている。それにしてもすごい影響力なのは事実だ。
体の成長に伴い髪型もツインテールをやめてロングに変えたので、以前よりもずっと大人びた印象になっている。
ちなみに、この成長で本人が一番喜んだのは胸部装甲(※婉曲表現)が厚くなったことらしい……うん、これには某も、思わず目頭を押さえそうになったことである。一度、冗談半分で「小さいままのほうがよかったかも」と言ったところ、彼女から鉄拳の意識改革をほどこされかけたので、この件についてははっきりと口には出していないが。
要は、望ましい方向に進んでいるということだ。何事も!
と心で結論づけて、つい腕組みしてしまう某の肩に、
「なにやってるんですか某さん?」
綾耶が触れた。
「え?」
「着きましたよ、ホテル」
「ああ……着いたか」
タクシーから降りたその場所は空京ロイヤルホテル。空京でも屈指の一流ホテルだ。最近ではさらに名を上げており、空京最高の高級ホテルと言っても過言はない。
アニバーサリーを祝うに、これ以上の場所があるだろうか。
ディナーを楽しんだあと、
「ちょっと待っててくれ」
と、外の廊下に綾耶を残して、某は先に部屋に入った。
外はとうに夜だが電気は消しておく。
「窓は……カーテン締まってる。よし」
これもしっかりと確認した。そうしておいて、某は彼女を招き入れたのである。
「よし、綾耶、入ってくれ」
「どうしたんですか?」
と言いながら綾耶は灯りを探したが、某は止める。
「あっ、電気はまだ付けないでくれるかな?」
「はあ、まあいいですけど」
暗いですねという綾耶をまあまあとなだめて、彼はスイートルームに彼女を案内した。
大きな窓にはカーテンがかかったままだ。ここで、
「ほら」
某はスイッチを押した。
カーテンがすっと左右に開く。
「わあ……!」
綾耶は息を飲んだ。
そしてしばし、言葉を忘れた。
眼前に広がっているのは空京の夜景、それも、ビルの高層階から眺めるパノラマのような夜景であった。
空の星々が舞い降りたよう。いや、それを上回るといっていいだろう。
輝ける光のイルミネーションが、浮かび上がるようにして綾耶と某を包んでいた。
「実はここの話を聞いた時から綾耶にも見せてあげたいって思ったんだ」
「綺麗……」
「空京には結構来てるけど、こうして俯瞰してみる事はほとんどないからな。気に入ったかい?」
「もちろんです!」
と言ったまま、綾耶の目はやはり、夜景に釘付けなのである。
「昔二人で空から景色を見たことがありますが、あのときとはまた違った感覚ですね……」
その隙に某は動き出す。
綾耶の後ろからそっと近づいて、カーディガンを肩にかけてあげたのだ。
「これは……?」
「プレゼントさ。綾耶に似合いそうな色とかにしたんだけど……どうかな?」
柔らかいベージュのカーディガン、大人っぽくなった今の綾耶にはとても良く似合っていた。
振り向いた綾耶は目を潤ませていた。
「もう、記念日だからってサプライズしすぎですよ」
「まあ、たまには俺だって……な。綾耶、一年間ありがとう。これからも末永くよろしく」
「ええ、こちらこそ」
輝く夜景をバックに、二人は唇を合わせた。
唇が離れたとき、綾耶は上気した様子で、彼の胸に手を当てて言ったのである。
「こんなにされたら……いっぱい『お礼』しないといけませんね?」
寝室は、すぐ目と鼻の先だ。
いやそれよりは夜景を楽しみながらというのも悪くない――。
このときホテルの屋上に、一人の紳士が立っている。
グレーの髪はシルクハットの下。口髭もグレーで、目には濃いサングラスをかけている。服装はシックなスーツだ。
落下防止フェンスの外側だ。紳士は両手をステッキに置いて夜風と、夜の香を楽しむように目を閉じている。
「成熟せし二つの果実を陰日向から観察していたが、ここからは彼らの時間か……これ以上は禁断の領域故我も干渉ができないようだ」
紳士は、誰に告げるでもない言葉をつぶやいた。
「さてさて良い頃合だ。突然ながら『君たち』とはここでお別れのようだね」
万感の想いが去来する。もう某と綾耶に顔を合わせるつもりは紳士にはない。これは、相手のいない別れの言葉である。
「なぜなら、この蒼き空に広がる理想郷で繰り広げられた彼ら……あるいは『君たち』の物語はこれにて終局するからだ。後は無限の夢想のみが知ることだろう」
秋の夜風に口髭が揺れた。
「ならば、傍観者たる私は新たな物語を求めて旅立つのは必然の流れ。出会い在りしところに別れ在り。一期一会が生の真髄」
ここまで言ってしばし、口をつぐむ。
しばらくして、
「それに、たとえこの世界で別れようと無限に広がる三千界のどこかで、またひょっこり会うやもしれないからねぇ……ゆえに別れは告げんでおくよ。願わくば君たちが、己が天寿を絞り切るまでまっとうせんことを!」
紳士は革靴でコンクリートを蹴った。
ぱっと身を躍らせる。
「いつか出会うその時まで……アデュー!」
ミスター ジョーカー(みすたー・じょーかー)はスーツの裾を翻し、大空に昇っていった。
彼がどこに去っていくのか、それは誰も知らない。