校長室
冥界急行ナラカエクスプレス(第3回/全3回)
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第4章 走り出した象はなんびとにも止められない(1) 象面人身のナラカの帝王【ガネーシャ・マハラシュトラ】は市街区を飛行していた。 レビテートで安座の姿勢のまま浮遊、凄まじい速度で一路チャンドラマハルを目指し、突き進んでいる。 その目に燃えるのは、自分を地下牢に閉じ込めたガルーダへの復讐に他ならない。 ガルーダの放つ冥界の紫炎にも劣らない、憎悪の黒き業火にガネーシャの心は完全に支配されているのだった。 ……だがふと、ささくれた心を解きほぐす臭いが長っ鼻をくすぐった。 「こ、これはカレーの……、しかも『バクシーシ』のカレーの臭いではないか」 石と土の家々に囲まれた少し開けた場所に、ポツネンとキャンプ用のテントが張ってあった。 その前で、ゲー・オルコット(げー・おるこっと)が焚き火にかけられた鍋とはんごうの様子を見ている。 「そ、その方、そこで何をしておる。それはバクシーシのカレーではないのか?」 「へ? あんたからカレーの話聞いたら食べたくなってさ、鍋ごとテイクアウトしてきたんだよ」 なのでまるでキャンプを張る意味はないが……、そこはほら、気分の問題である。 「す、すまないが……、余にも分けてくれ。黄金をやろう」 「ま、マジで!? 全然いいけど……、お、ちょうど炊けたみたいだな」 皿にもりもりゴハンを盛って、トローリ濃厚なカレーを滴らせる。 「ぬおおおお、夢にまで見たバクシーシのカレー!」 その一杯のスプーンは黄金ほどの価値がある。特に牢獄にブチ込まれてロクなものを食べていなかった彼には。 ゲーも初めて食べてみたが、なるほどこれは確かに美味い。 「おお、美味いじゃん。旨味のあとに辛さが追いかけてくる感じがたまんないなぁ、こりゃ」 「ほう。随分と味のわかる小僧だ」 「いやいや紛れもなく絶品だろ。辛さも程よい中辛で最高だな。甘過ぎず辛過ぎず、カレーと具の味が一番味わえるぐらいがいいね。じゃが芋がごろっと入った定食屋のライスカレーが好きなんだけど、こういう本場系もいいよなー」 「えー、もっと辛いほうがいいじゃん」 藤波 竜乃(ふじなみ・たつの)が唇を尖らせた。 「辛い! うまい! 辛い! ……ってなる竜辛(火を吹く辛さ)じゃないと物足りなくない?」 「どちらの意見もわかるぞ。塩味の効いたライスカレーも美味いし、竜辛のカレーを汗だくで食べるのもまた良い」 カレーの話となると冥界の帝王も思わず頬をほこらばせてしまう。 和気あいあいと談笑する三人だったが……、ふと、ゲーの言ったKYな一言で空気が一変する。 「でも、やっぱカレーはライスだよな。ナンとか言って布かよ」 「あ?」 ガネーシャの眼光に鬼神が宿る。 「貴様、ナンの美味さを知らんとは……、カレーの楽しみの半分以上を失っておるぞ、愚か者がっ!」 「だってさぁ、やっぱり日本人なら……、ひっく、ゴハンが……」 「えー、日本人とか言って、あんた超横文字の……ふにゃ……名前じゃんかぁ……ふにゃふにゃ」 なんだかロレツが回らなくなってきた二人。何が可笑しいのかへらへら笑い始めた。 ガネーシャは怪訝な顔で二人を見ている。 そんな光景をドロシー・レッドフード(どろしー・れっどふーど)はちょっと離れて見ている。 一見すると、ゲー達はガネーシャの足止めをしているようにも見えるが、その実ただの天然である。彼らはただ純粋にカレーを楽しんでいるだけのだ。しかし流石にそれもどうかと思うので、ドロシーが孤軍奮闘しているのであった。 足止めのため、こっそり水にシャンバラ名酒『象殺し』を混ぜておいたのだ。 ゲーや竜乃には効果覿面のようだが……。 「……象殺しの割りにガネーシャには効きませんね?」 落ちぶれても元アブディールの覇王、そんじょそこらの酒でダウンするほどやわではない。 ドロシーは首を傾げながら、個人的にテイクアウトした『ムットゥ』の欧風カレーをパクリと口に入れた。 「あら……、美味しい」 ◇◇◇ 酒に飲まれた二人を肴にカレーを平らげると、またしても長っ華を刺激的なフレーバーがくすぐった。 カレーに夢中で気が付かなかったが、一角に行列ができているではないか。行き着く先はまごうことなきカレー屋、こんなところにカレー屋があったとは知らなかったが、行列のできる店ならとりあえずチェックするのがカレー通。 ガネーシャがやってくるとメイド姿の人形繰り師茅野瀬 衿栖(ちのせ・えりす)が笑顔で迎えた。 「いらっしゃいませ〜」 店の作りはお世辞にもいいとは言えない。 かろうじて厨房だけ簡素なバラックになってて、座席は全て外に出された青空食堂となっている。 「ほう、『カレーハウス・ナラカ壱番屋』か……、よしとりあえずオススメのカレーを貰おう」 「かしこまりました、ありがとうございます〜」 ひらりとメイド服を翻し、可愛さをアピールする衿栖。 けれども、別にメイド目的で来ているわけではないので、ガネーシャはその接客に若干イラッとした。 「女給が媚びを売るな、見苦しい! どんくさい奴め、注文を聞いたらとっとと厨房にいかんか!!」 「ご、ごめんなさい〜」 ガネーシャには色気よりも圧倒的に食い気のほうが通用するようだ。 厨房に行った衿栖は、カレーを煮込むレオン・カシミール(れおん・かしみーる)に話しかける。 「叱られてしまいましたけど……、上手くガネーシャ様をおびき出すことに成功しましたよ」 「私の言った通り、サクラを仕込んでおいて良かっただろう?」 レオンは不敵に微笑む。 実は行列を為す死人達はセルフモニタリングで、自分のカレーを食べたくなるよう暗示をかけられた者達である。 「でも、カレーだけでも勝負出来る味ですよ。レオンが根回しして調達してくれた新鮮な食材と最新の調理器具、それを私が至れり尽くせりでガネーシャ様好みに味付けしたカレーなんですもの。あの方が来ないはずがありません」 「彼は美食家のようだから、匂いだけでも誘われてきたかもしれないな」 「はい。そして、美食家だからじっくり味わって食べるので、足止めの時間もキッチリ稼げるはずですよ」 衿栖は琥珀のように輝くカレーを更に取り分け、ゴハンにレーズンを添えて見た目も演出。 「これで完成です。朱里、あとはお願いしますね」 「え? 朱里が?」 目をまんまるにして茅野瀬 朱里(ちのせ・あかり)は聞き返す。 「どうせ、やることもなくてボーっとしてるのだから、接客ぐらいしてくれてもいいだろう」 「えー……、メイド服来てるんだし、衿栖が運べっての〜」 ブツクサ言いながらも、ガネーシャの元に料理を持っていく。 「お待たせいたしました〜。壱番屋ナラカスペシャルでございます〜」 奇麗な営業スマイルで接客。 しかしそれにしても、カレーの良い香りが鼻腔をくすぐる。 衿栖のカレー美味しそうだなぁ。私も後でもらおーっと……とか、ふと思った瞬間、コップの水に手を引っかけた。 「あっ!」 咄嗟に大剣を引き抜いてサッと受け止めた。 ……つもりだったが、そんな繊細な動きは出来ず、コップを薙ぎ払ってテーブルからすっ飛ばした。 「ま……、いっか」 テーブルに水がこぼれなかったのだから結果オーライ、と言う考え方。 「替えの水をお持ちしますね。少々おまちくださいませ〜」 「う、うむ」 突然の荒らしい接客に戸惑いを覚えつつも、テーブルを彩るナラカスペシャルにスプーンを伸ばす。 「……上品な味わいだ。スパイスに引けを取らない、具材の甘味が双方をより明確に引き立てておる。喫茶店のカレーのような洒落た味わい。スタンダードながらも、シェフの繊細で丁寧な仕事が舌を通して伝わって余は満足である」 懐からカレー手帳を取り出し詳細にメモを取る。 すると、警戒にペンを走らせるガネーシャの鼻腔をまたも、またしても、魅惑の香りが刺激するではないか。 顔を上げると、テーブルの前でラーメン馬鹿一代渋井 誠治(しぶい・せいじ)が腕組みして立っている。 「なんだ、貴様は?」 「俺は渋井誠治、ラーメンだ。よろしくな、ガネーシャさん」 自己紹介なんて簡単でいい、早くしないとラーメンが伸びてしまう。そんな簡潔な自己紹介である。 「実はガネーシャさんに俺の新作カレー料理を見てもらおうと思って来たんだ」 「む……?」 よく見れば、誠治は黒いTシャツにタオルを頭に巻いたラーメン屋風の出で立ち、後ろにはボロの屋台もある。 前回の戦闘で深手を負ったため、今回は戦闘は控えて搦め手で、環菜救出に貢献するつもりなのだ。 「……と言うわけで、俺が紹介するのはこちらの『カレーラーメン』です」 「カレーラーメンだと?」 テーブルに置かれたどんぶりの中で、不思議なケミストリーが巻き起こっている。 「カレーもラーメンも万人に愛される食べ物、この二つを合わせてマズイはずがありません。実は結構な歴史ある食べ物で人気もあるんですよ。どうでしょう、カレーラーメンのナラカ進出の足がかりに、王様にもお力添えを……」 社員が社長に新商品の提案をするようにアピールする誠治。 「うーむ……、味はそう悪くない。魚介系醤油ラーメンがベースか……、ふむ、和風の良いダシが効いておる。カレー南蛮の前例が示す通り、カレーと和風だしの相性は抜群なのだ。だが今ひとつ足りないものがあるな……」 「え、た、足りないものですか……?」 「貴様、ラーメンには詳しいがカレーには詳しくないだろう?」 「ぎくぅ……!」 図星を突かれて狼狽する。 「ラーメンへの愛は感じるが、カレーへの愛が足らん。こんなものでナラカ進出など、余の目が黒い内は許さんぞ」 「あ、あの……、どうしたらいいんでしょうか?」 足止めで始めたカレーラーメンだが、いつの間にか誠治は真剣になっていた。 「真にカレーラーメンを作りたいなら、カレーにも目を向けなければならん。全ての道はローマに通ずと言う。貴様の本業はラーメンかもしれぬが、それとて同じ。真にラーメンを極めるなら、ラーメン以外も知らなくてはならんのだ」 「が……、ガネーシャ節ごっつぁんです!」 真摯に助言をしてくれる覇王に自然と礼を述べていた。 ほくほくと心が暖まった誠治は、パートナーの待つナラカ壱番屋のテーブルに腰を落ち着かせ、このことを話す。 衿栖カレーを食べながら、ヒルデガルト・シュナーベル(ひるでがると・しゅなーべる)は話に耳を傾けた。 「……そう、ガネーシャも結構良いこと言うのね」 「ああ、やっぱりラーメンばっかり食べてたらダメなんだな。塩分過多で死ぬしな」 「そうそう。私みたいになんでもバランス良く食べるのが健康の秘訣なんだから」 そう言いながら、掘削機のようにカレーの山を削っては口に運ぶヒルデガルド。 もっともなことを言っているのだが、ただ、テーブルには既に空いた何かの皿が8枚ほど積まれていた。 彼女はそう、バランス良く大量に食べるタイプなのだ。 「絶対これも健康に良くないよな……」 誠治はどこか呆れた調子で呟いた。