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まほろば遊郭譚 第一回/全四回

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まほろば遊郭譚 第一回/全四回

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第一章 東雲遊郭1

 マホロバには二大遊郭が存在する。
 マホロバ城下にある東雲(しののめ)遊郭と扶桑の都にある水波羅(みずはら)遊郭である。
 なかでも東雲遊郭は唯一幕府公認の遊郭であり、国内最大の規模を誇った。
 「他場所」のような安く遊べる私娼屈とは違って格式も高く、多くは武士や商人などであったが、旗本や大名といった諸侯も通っていた。
 ここでは何よりも『粋』が尊ばれる。
 最高級遊女ともなれば、気に入らない相手であれば殿様でさえも振ることができるという、他国の娼館などではあまり見られない独自の文化があった。
 凛然と輝くこの不夜城は、浮世の極楽として、マホロバ闇夜を輝き照らし続けていたのである。


「うわあ……綺麗だねえ。極楽浄土ってこういうのをいうのかな」
 ちょき船で川を渡り、東雲(しののめ)遊郭入口の大門(おおもん)をくぐったところで、イランダ・テューダー(いらんだ・てゅーだー)は遊郭の通りを見上げていた。
 美しく着飾った男女が大勢いる。
 艶やかな建物に桜並木が映える。
 この桜は職人が桜の木を咲かせて、毎年花の季節だけ植えて、花が終わると木ごと抜き去るのだ。
「そ、そうだね……でも、イランダさん。本当に妓楼に入るんですか?」
 びくびくと怯えた様子で、よいこの絵本 『ももたろう』(よいこのえほん・ももたろう)が尋ねる。
 イランダに無理やり引っ張られてきたのだ。
「もちろんそうよ、もも。『遊郭』についてのレポートを書きにきたんだもの。神秘、秘匿、享楽、優美……これだけ兼ね備えた『歓楽文化』ってそうないもん。さあ、遊女のお姉さんたちを探しにいこ!」
「ほお、お嬢ちゃん達が遊女屋とな。絃弥、お前こんな小さい子に遅れを取ってるぞ」
 人型になっている魔鎧罪と呪い纏う鎧 フォリス(つみとのろいまとうよろい・ふぉりす)は、棗 絃弥(なつめ・げんや)を引きずっている。
 絃弥はフォリスの手を振り払うと、噛み付くように言った。
「るせぇ! 俺は初めてはなあ、妖精さんとお花畑でって決めてんだよ」
 自分の胸の下ぐらいまでの身長しかないイランダをみて、絃弥が言う。
「第一、ここは子供の来るとこじゃないだろ?」
 彼女はちょっとムッとしたように彼を見上げた。
「わ、私はこう見えても……」
「すまん、すまん。この子は俺の連れだ!」
 慌ててやって来たのは、マホロバ人の柊 北斗(ひいらぎ・ほくと)である。
 彼は遊郭を見たいというイランダのことが心配のあまり、ずっと尾行していたのだが、絃弥たちに話しかけられているのを見て、二人が遊女や影蝋(かげろう)と間違われたのかと、いてもたってもいられなくなった。
 北斗はイランダと『ももたろう』を庇うようにして間に立つ。
「客なら別のにしてもらおうか。この子達は勘弁してくれ」
「ちがッ……俺はそんな趣味は……」と、絃弥。
「そんな趣味って、どういうことですか?」
 『ももたろう』はうるうると瞳を滲ませている。
 フォリスは彼らのやり取りを見ながら笑っていた。
「なるほど、これは荒治療が必要だな」
 フォリスはその場を強引にまとめると、皆で遊女屋へ行こうと提案した。
「ここで立ち話をしても仕方あるまい。いざ、妓楼へ登楼(あが)らん」
 大勢人が往きかう通りを抜け、妓楼『竜胆屋(りんどうや)』に辿り着いたころ、いつの間にか絃弥がいなくなっていた。
「奴め……逃げたか。だから何時までたっても女を知らんというのだ。それより御仁。随分と緊張しているようだが、大丈夫か?」
「あ、ああ。俺の事はいい」
 女性が苦手でガチガチになっている北斗をよそに、フォリスとイランダは『ももたろう』を連れて、登楼(あが)りこんだ。
 手数を踏み、酒や料理を運ばせて首尾よく段取りを整える。
 長いこと待たされた挙句に花魁暁仄(あけほの)がやってきた。
 遊女独特の髪結いに簪六本、豪華な着物、前結び。
「うわあ、すごい綺麗! いいレポート書けそう!」
 フォリスだけでなくその場にいたものは、皆ほうとため息をつく。
「悪いな、お嬢さん。これより先は大人の時間だ」
 フォリスはイランダを閉め出すと襖を閉じ、暁仄と二人きりになる。

卍卍卍


 遊女のほとんどは、貧しさゆえに売られてきた娘である。
 親元は給金を前金で受け取って、娘は売られた金額と利子をつけて返す。
 また、揚げ代を治める以外にも、衣裳や化粧代、寝具、妹分の遊女の費用など自分で稼がなくてはならなかった。
 器量の良い見込みのある娘は英才教育を受けて、高級遊女なるべく行儀や諸芸を仕込まれるが、厳しいランク制があり、最高級遊女となれるのはほんの一握りである。
 彼女達のほとんどは廓の中でただひたすら働き、年季が明けるか、身請けされるのを夢見た。
 遊郭に入ってきたが最後、それ以外には死ぬしか、大門から出る事はできなかったのである。


「マホロバには遊郭なんてあるんだね。日本人の僕でも流石にこういう場所で遊んだ事はないよ。詳しく教えてくれないかな?」
 薔薇の学舎黒崎 天音(くろさき・あまね)は、『竜胆屋(りんどうや)』楼主、海蜘(うみぐも)に話しかける。
 海蜘は「ホホホ……」と笑った。
「厳しいしきたりも昔ほどではありませんよ。どうぞ浮世の現実をお忘れになっておくんなまし。ただし、野暮はいけません。通で粋なお方こそ、のれんをくぐれるのが東雲でございます。その格式は今も昔もかわりません」
「そうかい……でもさっきから、遊女達がこちらを見ているようなんだけど。僕が何かおかしいのかと思ってね」
 天音は上等な生地の着流しの襟をつまむ。
「まあまあ! あなた様があまりにも粋で男前なもんだから……あの妓たちには後で厳しく叱っておきますので、ご無礼をお許しくださいませ」
 天音の視線に気が付いて、若い遊女たちが「きゃあ」と騒いだ。
「本当に恥ずかしいったらないよ。申し訳ございません、黒崎様。お好みの妓がおりましたらお呼びしますが?」
「……年はいくつでも。機転が利いて話の面白い妓がいいな」
「それでしたら暁仄(あけほの)を」
 しかし、しばらくしてやってきたのは若い見習い遊女だった。
 二階に上がる途中で天音は振り返る。
「あの妓たちまだこちらを見てるね」
「そりゃあそうですよ。若くて色男で……みんな黒崎様に抱かれたいって」
「どうして君が来てくれたんだろう」
「あたしは暁仄姐さん付きの雛妓(ひよこ)ですから。暁仄姐さんにお客がついてなければお相手しましたのに、あたしでごめんなさい」
 申し訳なさそうにする雛妓に天音は優しく微笑んだ。
「暁仄さんは売れっ子なんだね。どんな女性(ひと)なのかな?」
「姐さんはあたしの他に妹分の雛妓がたくさんいて面倒を見てるんです。色々仕込んでくれて、この見世の守り神みたいな人ですよ」
 妹分の見習い遊女の費用は姉遊女が出すのだという。
 天音は「へえ」と感心した。
「そういえば最近、いやな事件が起ってるそうだね。幕府はどうするつもりなんだろう
「お上は遊郭の取締りを厳しくするそうですね」
 雛妓は上唇をきりりとかんだ。
「これ以上厳しくなったら、花魁道中ができなくなりますよ。それすらさせてもらえない遊女が殆どなのに」
 花魁道中は遊女にとっての晴れ舞台である。
 しかし、膨大な金もかかり、華美であり、世の風俗を乱すものとして、『マホロバ門外』の変で暗殺された大老に楠山(くすやま)の改革以降、めっきり減っていた。
 現在は、有望な見習い遊女の初客のお披露目か、高級遊女に限られている。
「この見世では胡蝶(てふ)だけですね。あたしはダメです」
「……悲しみにくれているあなたを愛する。だっけ?」
「はい?」
 天音はふと見世の名『竜胆』を口にした。
「竜胆の花言葉だよ。遊女はそれが仕事だけど、今夜は僕が話をきいてあげよう。付き合ってくれるかな」
「黒崎様……」
 天音に見つめられ、雛妓は顔を真っ赤にしてうつむいた。



「天音はまだ戻らんのか。こんな時間まで何をやってるんだか」
 ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)は深夜営業している屋台に腰掛けて茶を飲んでいた。
 すでに暁九つ(午前十二時)となり、遊郭唯一の出入り口である大門は閉じられている。
 ブルーズは、知り合いに向けて遊郭の私見をしたためた手紙を書いていた。
「竜宮城のような建物に、男達が夏の夜の虫のように次々と飛び込んでいく。女は鶏冠(とさか)のような頭に派手な着物で練り歩き、人々がありがたがって見物している。遊郭とは摩訶不思議ナリケリ……さてと」
 弥生月とはいえまだ肌寒い。
 ブルーズは、天音に襟巻きのひとつでも持たせてやればよかったとブツブツ言いながら夜の月を見上げていた。




「美女を愛でるのに余計なものはいらん。無粋なだけだ」
 罪と呪い纏う鎧 フォリス(つみとのろいまとうよろい・ふぉりす)はただ酒を飲みながら、暁仄の美しい顔を見つめる。
 八畳ほどの部屋には、三段に積まれた布団と高枕が用意されていた。
 彼女は「床へ参りましょうか」といったが、フォリスは三味でも弾いてくれと答えた。
「おまえが眠るまで待っている。月明かりごしに、美女の寝顔が見たい」
「あたしはあなた様が望めば、朝方までだって起きていますよ」
「あなた様はやめてくれ。むずがゆい」
「では、なんとお呼びしましょうか」
 フォリスは杯に映った月を見ている。
「……ベイリン」
 暁仄は微笑を浮かべた。
「そのようにいたしましょう。また来てくださるのなら」