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【四州島記 巻ノ一】 東野藩 ~調査編~

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【四州島記 巻ノ一】 東野藩 ~調査編~

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第ニ章  広城の夜

「ゴゥーーーン」

 一日の業務の終了を告げる鐘が、広城に鳴り響く。
 その音を合図に、大倉 定綱(おおくら・さだつな)は周りの部下たちに声をかけた。

「皆、今日もよく働いてくれた。本日の勤めはこれまでと致す」

 その言葉に、侍たちの肩の力が一斉に抜ける。

 手早く身の回りの片付けを済ませ、次々と部屋を出ていく侍たちの後ろ姿をぼんやりと見送りながら、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)は、

(何だか、日本のサラリーマンみたいね)

 などと考えていた。

 定綱は最後の一人を見送ると、改めてルカに向き直った。

「ルー殿も、お勤めご苦労にござった。お陰で、助かり申した」
「いいえ。私は別に――」
「いやいや。ルー殿にしてみれば極々当たり前の事も、それがしにしてみれば不慣れな事ばかり。こうして地球の方々と上手く仕事が出来ているのも、全てルー殿お力添えがあったればこそ」
「そ、そうですか?私もお役に立てて、嬉しいです」

 娘ほども年の離れた自分に、何のてらいもなく礼を言う定綱に、思わずルカも笑みがこぼれる。

 この東野藩でルカは、自ら名乗り出て、大倉定綱の「参与」として働いていた。
 四州の藩政における参与というのは、言ってみれば公設秘書の様なものである。
 つまり雑務一般を担当する役職な訳だが、ルカの場合は専ら、地球から来た調査班と定綱ら藩重臣達の橋渡し的な役目に終していた。
 何せ前近代の人間と現代の文明人とが一緒に仕事をしているのである。お互いの意思疎通一つとっても、スムーズに行く筈がない。
 こういった環境下では、両方の文化に慣れ親しんでいるルカのような人材は貴重である。
 ルカとしても、自分がこんな風に役に立つとは正直思っていなかったが、今では定綱にとってルカは欠かせない存在となりつつあった。

「ではまた、明日」

 慇懃に会釈をして去っていく定綱の後ろ姿を見送ると、ルカも足早に城の旅籠へと急ぐ。

「ゴメン!待った?」

 私室の障子を勢い良く開けると、果たしてそこにはダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)夏侯 淵(かこう・えん)の姿があった。

「いや、俺もさっき戻ったところだ」
「お、ルカ!思ったより、早かったな」

 室内には既に膳が並べられている。
 ダリルの膳には全く手が付けられていないが、淵の方は既に半分程度皿が空になっている。

「お疲れ!どうする?取り敢えず、何飲む?」
「飲むって……。あんたまた後で見張りに出るんじゃないの?」
「そんな、少し引っ掛けたくらい屁でもない。それに優秀だから、ウチの【下忍】達は」
「部下が優秀でも、頭(かしら)がこの有様ではな」
「分かってないな、ダリルは。頭目が優秀だから、部下が優秀なんだろ?」
「ハイハイ分かった分かった!」

 口喧嘩を終わらせようとパンパンと手を叩くルカ。
 それを、客に呼ばれたモノと勘違いした女中がやって来て、障子の向こうから顔を出す。
 ルカはその女中に二つ、三つ酒とツマミを頼むと、姿を消すのを待って口を開いた。

「それじゃ早速、その優秀なお頭様のお話から伺いましょうか?」
「あぁ。俺の方は異常ナシだな。24時間体制で定綱殿を見張っているが、命を狙われている様子も無ければ、不審な人物が接触してくる様子もない。城を引けた後は、家老の父親たちと後継者について、相談するが日課になってる」
「そう……。それじゃ、ダリルは?何か、調べたいことがあったんじゃないの?」

 少し安心した顔で、ダリルに話を振るルカ。

「それなんだが――もし東州公が暗殺されたのなら、法医解剖の結果を捏造する可能性もあるんじゃないかと思ってな。解剖が行われた病院や、担当医の身元なんかを調べてた。解剖が行われたのは空京警察の付属病院で、担当医の身元もしっかりしてる。検査用のサンプルが送られたのも、日本の信頼の置ける筋だ」

「それじゃ、検査結果が捏造される危険性は無いってワケ?」
「そうだ。その可能性は限りなく低い」

 そう断言するダリルは、内心ホッとしていた。
 定綱を信頼しきっているルカには秘密にしていたが、実はダリルは、定綱が暗殺に一枚噛んでいるのでないかと、疑っていたのである。
 東州公の死から解剖に回すまでの余りの手際の良さから疑いを持ったのだが、結局は杞憂に終わった。

「なら、一安心ね。あれ……?ところでダリル、そんなコトどうやって調べたの?ずっとココにいたんじゃなかったっけ?」
「警察病院のサーバーをハッキングした。調査団が専用線持ってて助かったぜ。四州にはネットインフラが皆無だからな」
「うわ……!犯罪者がいる……」
「誰が犯罪者だ、誰が」
「ハッキングなんて、立派な犯罪じゃない」
「証拠がなければ、犯罪は成立しない」
「あちゃ〜。犯罪者よりタチが悪いわ、この人!」
「これも正義のためだ。つべこべ言うな」
「なんちゃって、ウソよウソ!とにかく、何事も無かったみたいで良かったわ!」
「そういうお前の方はどうなんだ、ルカ」
「あたし?あたしの方は上手く行ってるわよ。今日なんかね――」

「お待たせしました〜。お酒、お持ちしました〜」
「わ!来たきた!それじゃ、続きは飲みながらと言う事で!」

 皆の捜査が順調と知って、すっかり上機嫌のルカ。
 一方、ルカへの隠し事が亡くなったダリルも、心の重しが一つ取れたような、晴れ晴れとした気分を味わっている。

「ほら、ダリルも!ハイ、それじゃお疲れ〜!」
「オゥ、お疲れ!」
「……乾杯」

 ルカの音頭に合わせ、ダリルと淵も盃を上げる。

(……ともかく、ルカがを悲しむような結果にならなくてよかった)

 ダリルはそう思いながら、この日始めての盃を、勢い良くあおった。



「父上。こちらが、日本から来られた調査団の方々です」
風祭 優斗(かざまつり・ゆうと)と申します」
風祭 隼人(かざまつり・はやと)です」
三船 敬一(みふね・けいいち)です」

 大倉定綱に紹介され、優斗たちはそれぞれに頭を下げた。
 3人の前にいるのは、定綱の父親にして藩の筆頭家老の地位にある老人、大倉 重綱(――・しげつな)である。
 重綱は今年103歳。長命なマホロバ人の血の混じる重綱は未だ矍鑠としており、その全身からは強い威厳を発散させている。

「大倉重綱にござる。此度の皆様のお力添え、この重綱、亡き豊雄様に成り代わり、篤く御礼申し上げる」
「い、いえ!そんな――」
「重綱様、どうか頭をお上げ下さい」

 深々と頭を下げたまま動こうとしない重綱に、優斗と隼人は慌てて声をかける。
 
「そうです。我々はただ、自らの信念に従って動いているのみ。そのようにお礼を言われる程の事ではありません」
「……かたじけない」

 敬一の言葉に重綱ははっとしたように頭を上げると、短くそう言った。

「それで皆様、我等にお聞きになりたい話というのは?」

 そう言って、3人に向き直る定綱。

「重綱様は、先代の藩主の時から家老としてお仕えしていると聞いておりますが――」

 最初に口を開いたのは、優斗である。

「如何にも。儂は豊雄様のお父上、広城 豊信(こうじょう・とよのぶ)様に近習として仕え、さらに幸運にもお引き立てにあい、家老にまでさせて頂いた」
「その豊信様なのですが、急死されたそうですね。その時の様子を話して頂けませんか?」
「……豊信様は、事故に遭われたのじゃ」

 その時の事を思い出したのか、重綱が暗い表情になる。

「事故?」
「そうじゃ。狩りの最中に、馬が地ネズミの開けた穴に足を突っ込んだのだ。殿は前のめりに倒れた馬から、勢い良く投げ出され……。ほとんど即死状態で、薬も呪文も間に合わなんだ」
「父上はその後、豊雄様が跡継ぎとなられた後も引き続き家老職にあり続け、政務に慣れない豊雄様を支え続けたのです」
「まさか豊信様に続き、豊雄様の死にまで立ち会うことになろうとは……。こんな事なら、もっと早くな死んでおくべきであったわ……」
「父上……」
「重綱様……」

 辛そうな顔をする重綱に、皆、掛ける言葉が見つからない。
 皆には重綱が、いっぺんに何百歳も年を取ったように見えた。

「それで定綱さん、次期藩主の選出は進んでるんですか?」

 取り敢えず話題を変えようと、隼人が訊ねた。

「その件でござるが……。実は有力な候補者が三人おられまして、未だ決めかねているのござる」
「有力候補が、三人も?」
「何れのお方も一長一短がありまして」

 難しい顔で定綱が答える。

「豊雄様には3人の妹御がおられ、いずれも、他の3藩に嫁がれた。1番上の美津(みつ)様は西湘に、2番目の静(しず)様は北嶺に、そして一番下の珠満(たま)様は南濘に。そのお子様方が、後継候補でござる」

 ここで定綱は、確認するように言葉を区切り皆の顔を見た。

「西湘から名前が上がっているのが、薫流様の腹違いの兄である水城 隆明(みずき・たかあき)様。御年32歳で政務を取られた経験もあり、聡明の誉れも高い。とここまでなら、隆明様で決まりなのですが――」
「何か問題でも?」
「このお方が大変な遊び人で、お父上の永隆殿もほとほと手を焼いておられる有様でして」
「あちゃー。そりゃダメだ」

 思わず本音が出てしまう隼人。

「お二人目は峯城 雪華(みねしろ・せつか)様。御年15歳で、北嶺の雪秀様の妹君でいらっしゃいます」
「妹君って……、藩主は女性でも問題ないんですか?」
「男でなければならぬ、という取り決めがある訳ではござらぬ。事実、過去には女性の藩主も存在したことがある。だが――」
「だが?」
「四州が開国し、東野も様々な動乱に巻き込まれるやもしれぬという時に、女性で藩がまとまるのか、という声があってな」

 ここで重綱が口を挟む。

「また、雪華様は次代の斎主(いつきのぬし)に目されているとの専らの噂。北嶺が断る可能性もある」
「定綱殿。その斎主というのは?」

 始めて聞く言葉に、敬一が訊ねる。

「北嶺山脈におわすという、山の神を祀る巫女のことにございます。北嶺においては藩主に勝るとも劣らぬ重要な役目であり、代々、北嶺家の女性から選ばれる習わしになっているのです」
「それで、雪華姫というのはどのような方なのですか?」
「大変に心優しく、また芯の強い方だと聞いております」
「性格的には問題無しだな」

 定綱の答えに、隼人が頷く。

「そして最後が、鷹城 征人(たかしろ・まさひと)様。南濘公の腹違いの兄、昭武(あきたけ)様と、珠満様の間に出来たお子にござる。いかにも鷹城家の男子らしい、男らしい方と聞いております」
「お?よさそうじゃないですか!何が問題なんです?」
「昭武様はまだ、12歳なのです」

 一瞬顔をほころばせた隼人だが、年齢を聞いて、すぐにがっかりした顔になる。

「幼君を戴くのは、国が乱れにつながる。みな、二の足を踏んでいるという訳じゃ」
「遊び人に、姫君に、子供――。確かに、決めかねているのも頷けます」

 難しい顔をする優斗。

「藩内には、候補者はいないのですか?」

 確認するように、敬一が訊ねる。

「無論藩内にもお血筋の方はいるにはいるが、今のお三方と比べるとかなり血が遠くなってしまう。また年齢的にも若年だったり高齢だったりして、血筋の遠さを無視してでも次期藩主に迎えたいというような、適格な方はおらんのじゃ」
「では他に、豊雄様が亡くなられて得をする者に、心当たりはありませんか?」
「暗殺の可能性を考えてのことじゃな。そうじゃのう……一番可能性があるのは、豊雄様が進めておられた、外国企業の誘致に反対していた連中じゃろう」
「それは、どのような方たちなのですか?」
「まずは、純粋に外国の文化を四州に入れること自体を嫌う国粋主義者。外国企業による土地の買い占めや水利権の侵害、それに工場に人手を取られて農場の経営が立ち行かなくなった豪農。それに外国の商人が出入りすることによって、独占的な地位が崩れるのを危惧する商人などでござるが、いずれもごく一部の者にござる」
「我が東野藩内では、外国からの企業誘致を進めるという意見が大勢を占めておる。仮に開国に反対する動機で豊雄様を弑逆し参らせたとしても、それだけで大勢を覆すのはムリというものじゃ」
「でも、新しい藩主が強硬に反対したらいかがですか?例えば西湘公などは、開国には慎重な姿勢だと聞いていますが」
「確かにそうなれば話は別だが、しかしそれだけで暗殺というのは、如何にも乱暴に過ぎる」

「有り得ない」という顔で定綱が言う。 

「もし暗殺が事実であったとしても、儂は西湘公の線は無いと思っておる」

 さらに重綱が、敬一の仮設を言下に否定する。

「何故、そこまで断言出来るのですか?」
「永隆殿が黒幕であれば、今頃次期藩主は隆明殿に決まっておる。永隆殿は、そうした根回しには抜かりない方じゃからな。逆に根回しが完璧でないのなら、決して動いたりはせぬ」
「そうなのですか?」
「うむ。あの方は、博打を打つような真似だけは絶対になさらぬ方じゃ」

 確信に満ちた顔で、重綱は言った。

「では他に、個人的に豊雄様を恨んでいたような人物に心当たりはありませんか?例えば家臣の方とか」
「どう思う、定綱」

 定綱は、しばし熟考した後、重々しく口を開いた。

「それがしも全く。下々の家臣まではわかりませぬが、少なくとも藩の要職にある者に、そのような者はおりませぬ」
「分かりました、有難うございます」

 聞くべきことは聞いた、とばかりに、敬一は口をつぐむ。

「もしまた我々でお力になれることがござったら、いつでもお声掛けして下され」
「俺等も出来る限りの便宜は図る故、くれぐれも、よろしく頼む」

 人生の全てを東野藩と藩主に捧げた二人の侍は、三人の目を見据え、改めて頭を下げた。



「今日は、どういう趣向なのだ」
「はい。先日は少々趣に欠けた嫌いがありましたので、今宵は月見酒と参りたいと思います」
「そうか」

 南濘公鷹城 武征(たかしろ・たけまさ)は、大股で部屋に入ると武神 牙竜(たけがみ・がりゅう)の前にどっかと腰を下ろした。その前には、酒菜の整えられた膳が並べられている。

「灯」
「はい」

 龍ヶ崎 灯(りゅうがさき・あかり)は、すすっと膝で擦り寄ると、「どうぞ」と武征に酒を勧めた。
 武征は灯の方にチラリと目をやると、盃を差し出した。
 灯が、そこに酒を満たしていく。
 先日の宴と異なり、武征は、今夜は灯に酒を勧めなかった。
 灯が勧められない限りは酒を飲もうとはせず、また飲んでも少しも面白く無い事を知っているのだ。

「では、武征様との再会を祝して」
「再会も何も、つい数日前会ったばかりではないか」

 笑いながらそう言うと、武征は盃を一気に呷(あお)る。

「東州公は、重体だそうだな」
「はい。我等と四州との結び付きを深めようと動いていた方なのに、残念です」
「悪いのか」
「よくは知りませんが、難しいのではないでしょうか。東野藩では、重臣たちが後継者を誰にするかで連日話し合いを続けています」
「東州公には子が無いからな。ウチの昭武の名も、上がっているのだろう?」
「私は、その辺りの事は」
「そうか。てっきり、その辺りの話を聞きたいのかと思っていたが。ではなんだ?」

 牙竜は居住まいを正すと、改めて武征に言った。

「非礼を承知で申し上げますが、もし東州公が亡くなられた場合、四州開国の交渉を引き継ぐのはやはり武征様なのでしょうか?」
「どうだろうな。少なくとも俺自身は、進んで名乗りを上げる気はない。他の藩がどうしようが、南濘が国を開くのには変わりがないし、何より俺は面倒事は嫌いだ」
「しかし、もし東野藩の新藩主が開国に乗り気ではなく、さらに武征様が動かないとなれば、開国の話は立ち消えになってしまいます。そうなれば、南濘に進出しているアメリカが黙っていないのではないのですか?」
「まぁ、色々四の五の言っては来るだろうな」
「良いのですか?」
「良いも何も、好きにさせるしかあるまい。アイツらが今一番欲しいのは、ウチに沈んでる飛空艇だ。あの連中は誰と話をするんでも、取り敢えず手元に武器がないと落ち着かんらしいからな。なら他の藩がどうしようが、取り敢えず船の頭数が揃うまでは、ウチと付き合いを続けるより他ない」

 そう言って、盃を呷る武征。
 話をしていても、盃を繰る手は片時も止まる事が無い。

「問題は船が揃った時に連中がどう出るかだが、その時にはウチにも同じ数の船がある。連中の好きなようにはさせんさ」
「……武征様は、アメリカを信用していらっしゃらないのですか」
「馴染みの御用聞きが、ちょっと隙を見せた途端に押込み強盗に変わるなんてのは、何処の国のいつの時代にもある話だ。地球でもそうだったのだろう?なんと言ったかな。東インド会社だったか?」
「武征様は、地球の歴史に興味がおありなのですか――」

 目の前の無骨な男の意外な一面に、面食らう牙竜。

「俺が興味があるのは地球の歴史じゃない。同業者のやり口だ」

 牙竜の様子を面白そうに見つめながら、また盃を干す武征。
 彼にとっては、空賊も東インド会社もアメリカも、同業者と言う事らしい。

「では武征様は『ある程度の動乱は覚悟の上』と」
「少なくとも俺と南濘はそうだ。他はどうだか知らんがな。マホロバが鎖国を解いた以上、四州が開国するのも時間の問題だ。そうなれば、事の大小ともかく必ず騒ぎは起きる。ならば全力でそれに備えるのが、国を治める者の務めだ。その為には、こちらから国を開いた方が都合がいい」
「アメリカはあくまで利用するだけだと?」
「あの国では『ギブ・アンド・テイク』というそうだぞ」
「『外交の極意は誠心誠意にある。ごまかしなどをやると、かえって、こちらの弱点を見抜かれるものだよ』」
「なんだ、それは?」
「我が国の勝海舟という人物の言葉です」
「なるほど、正論だな。だが俺は、外交の極意は『率直さ』にあると思っている」
「率直さ――。それが、武征様の流儀と言う事ですね。肝に銘じておきます」
「だがな」
「ハイ?」
「お前達が誠心誠意接したいというんなら、俺もそうするのにやぶさかじゃあない。『誠』というのもまた、率直さの一つだ」
「武征様……!」
「その方が、酒は旨く飲めそうだしな」

 武征はそう言うと、やおら立ち上がった。

「悪いが、今日はここまでだ。人と会う約束があるんでな。おい、女――確か、灯とか言ったな」
「は――ハイ」
「今日の酒『空竜』は東野産の一級品だ。コメから作る酒の中では、一番旨い。東野で飲む時は、次も用意しておいてくれ」

 それだけ言うと、武征は現れた時と同様、大股で部屋を出ていった。



「刀真、ちょっといい?」
「ん……、どうした月夜」

 パートナーの漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)に声をかけられ、樹月 刀真(きづき・とうま)は書類から顔を上げた。

「東野藩の財務諸表が出来たから、持って来たわ」
「もう出来たのか?早いな」
「調査団の人たち、スゴイのよ。私なんか書類作成の手伝いだけで手一杯。とてもあんな風には出来ないわ」
「『餅は餅屋』ってコトか」

 今回月夜は特にお願いして、藩の財務状況を調査する特別チームに参加させてもらっていた。

「陰謀の裏では、必ず金が動く。東州公の死の真相に近づくには、東野藩の金を流れを把握することが、絶対に必要だ」

 という、刀真の強い希望を受けてのことである。

「確かにみんな、凄いノウハウを持ってるわ。全員一流の会計士だしね。でも、それだけじゃないの」
「――どういうコトだ?」
「みんな、てっきり普通の人たちなのかと思ったら、ほとんどが契約者だったの。PC型の魔導書連れてる人とかいっぱいいるし、中には処理能力を高めるために、わざわざ強化人間になった人もいるのよ」
「それはスゴイな――。それで、この早さか……。確かにこれなら、一藩一週間で回れるかもな」
「さすがは『日本政府の肝いり』ってトコロね」

 『四州開発調査団』は表向き複数の日本企業の出資に基づき、民間の財団が派遣したことになっているが、その裏では日本政府の意向が強く働いている。
 さすがに現職の公務員や独立行政法人の関係者などは同行してはいないものの、その人選には天下りしてきた元OBや大企業の重役などの人脈がフル活用され、日本中から優秀な人材が集められていた。

「まだチェック前だから色々穴はあると思うけど、全体の流れを掴むには充分な筈よ」

 月夜からホチキス止めされた書類を受け取る刀真。
 取り敢えず最初の数ページに、目を通していく。

「……藩の財政はだいぶ苦しいみたいだな」
「ええ。去年の洪水がだいぶ痛かったみたいね。飢饉の発生を防ぐために、備蓄米の大部分を放出してるし、破壊された農地やインフラの整備のために国庫からもだいぶ持ち出してる。まだ債務超過にまではなっていないけれど、今年もまた天候不順だったりすると、相当にマズいわね」

 四州全体の穀物供給をほぼ一手に引き受けている東野藩では、飢饉に備え、豊作による余剰米が出た場合、それを全て備蓄することになっている。
 しかし昨年の洪水による被害は深刻で、貯めておいた米も金も、その大半が失われていた。

「企業からの税収は、今のところこんなモノか……」
「去年が、実質的に最初の税収だったから。今年は、もっと増えるはずよ」
「東州公としては、この税収をもっと増やして、天候に左右されがちな藩の財務体質を改善したかった、と」
「少なくとも藩の勘定方は、そう言ってるわ。東州公なら、もっと先の事まで考えてたような気がするけど……」
「色々と考えのありそうな人だったからな」

 刀真も月夜も、東州公とはほんの二言三言言葉を交わしただけだったが、彼の思慮深気な目が、非常に印象に残っていた。

「悪いが月夜、この後はちょっと俺に付き合ってくれ。急ぎの仕事がある」
「どうしたの?」
「今日、藩の御用商人との寄り合いがあって、それに持っていく資料の作成を御上教諭に頼まれてるんだが――折角だから、この財務諸表の内容も盛り込みたい。頼めるか?」
「いいわよ。どうせあっちの方は、私がいなくても大差ないでしょうし」
「頼む」
「刀真こそ、大丈夫?だいぶ顔色が悪いわよ。どうせまた寝てないんでしょう」

 刀真は、調査団の活動とは別に、独自の「東野藩開発計画書」を作成していた。
 調査団という大きな組織とはまた違った視点から開発計画を練ることによって、見えてくるモノがあるのではないか、と思ったからである。

「なに、3日くらいどうってこと無いさ。寝不足には《不寝番》で慣れてるしな」
「もう……。取り敢えず、15分でいいから仮眠を取って。そんな顔で仕事されたら、こっちまで気が滅入ってくるわ」

 普通に「寝ろ」と言っても聞く耳を持たない刀真の性格をよく知っているからこその、冷たい物言い。
 その後ろにある月夜の気遣いに、刀真は、素直に従っておく事にした。
 
「――わかった。そうさせてもらう」

 とことん和風な城内とは不釣り合いな、調査団が持ち込んだソファにどっかと腰を下ろすと、刀真は目を閉じる。
 月夜の叩くキーボードの音を子守り歌に、刀真は、あっという間に眠りに落ちた。
 


 そして、その日の夜――。

 レン・オズワルド(れん・おずわるど)は藩の御用商人たちとの寄り合いに出席していた。
 頭の中には、樹月 刀真(きづき・とうま)漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)が突貫作業で完成させた資料の内容が、しっかり入っている。

「先程の講義によれば、日本では四州よりもずっと少ない労力で、はるかに多くの収穫を上げることが出来るようですね」

 寄り合いに先立ち商人たちは、調査団によるレクチャーを受けていた。
 内容は、日本の誇る高度な農業技術を東野藩に持ち込んだ時の効果についててである。

「はい。その技術をこの東野に導入すれば、すぐにでもより多くの収穫が得られるでしょう」
「おぉ……」
「我が東野でも――」

 レンの答えに、どよめく商人たち。
 彼等の多くは、コメを商うと共に、自らも農場を経営する大地主でもある。
 収量の増加は、直接彼等の収入に直結する。

「ですが、このような機械は、我々が手に入れるのは難しいのではありませんか?」

 商人の一人が、トラクターやコンバインの載っているパンフレットを示す。

「農業技術は、機械のみではありません。苗床の適正な管理、病虫害の予防、土壌の改善、水源の適切な管理など、少ない投資ですぐにでも出来る事はいくつもあります。調査団には、農業技術の移管について深いノウハウを持つ技術者もいますから、後ほどご紹介しましょう」
「是非お願い致します」

「ところで皆さん、今年の稲の生育状況はいかかですか?」
「まだ種米を蒔いたばかりですからなんとも言えませんが、まだ復旧しきれていない田畑も多く……」
「例年通りの収量が期待できるかどうか、今から心配でございます」
「そうですか……」

 去年東野は未曽有の大洪水に見舞われた。
 藩が備蓄米を放出し、財政支出を惜しまなかったお陰で飢饉こそ避けられたが、今年また天災が起こったとして、同じ手が取れるかどうか、財政的には難しい状況にある。

「まずは農業技術の導入によって収量の増大を図ると共に、米作りにかかる労働力を削減します。そうして生まれた余剰労働力を、外資の導入によって建設した工場に回すのです。工場で作った製品を他の藩や、さらに海外へと輸出すれば、東野はもっと豊かになります」
「海外には、米も売れますか?」
「そうですね……。収量が増え、米の備蓄が充分になれば、海外への販売も可能になります。もし東野の米が高く売れれば、東野の米を売って得た金で、海外から安い食糧を買う事も出来ます」
「なるほど……。米を売って米を買うとは、これは盲点でした!」
「商いの幅が増えますな!」

 レンの語るバラ色の未来に、浮かれはしゃぐ商人たち。
 もちろんレンも嘘をついている訳ではないが、かと言って事がそれ程上手くいくとも思っていない。
 特に米の海外輸出については、難しいだろう。
 東野の米は決して不味くはないが、日本のササニシキやコシヒカリといったブランド米には遠く及ばない。
 東野の米を品種改良して同等の米を作り出すのは何十年という時間がかかるだろうし、東野で日本の米を作るにしても、技術移管に最低でも十年はかかるだろう。
 それに「種の保存」の問題もある。おいそれと、地球の植物をパラミタに持ち込む訳にもいかない。

 米商人たちには悪いが「当面は収量の増加と、工場進出による藩の収益増加を考えるのが無難だろう」というのが、レンや刀真たちを含めた、調査団の共通の結論だった。

「まずは、すぐ出来ることから始めましょう。宜しければ、ウチの農業相談員が個別にお話を聞かせて頂きますよ」
「おぉ、是非お願いします!」

 レンの申し出に、我先にと手を挙げる商人たち。

(ひとまず、「掴みはオッケー」ってところかな――)

 予想以上の好反応に、ひとまずは胸をなでおろすレンであった。



「そうですか。ご実家が、神社なのですか」
「ハイ。それで、皆様のような大店(おおだな)の商家の方々が、神社や神様とどうお付き合いされているのか、お話を伺いたいと思いまして」

 地元福井のイントネーションを言葉の端々に出すようにしながら、大岡 永谷(おおおか・とと)は慎重に訊ねた。
 実家が神社ということもあり、一通りの礼儀作法は心得ているつもりだが、このところの軍人生活で染み付いた癖がうっかり出てしまわないとも限らない。
 努めてたおやかに振る舞いつつも、あえてイントネーションを変えてみたのも、彼等の親近感を誘うための方策である。

「日本とマホロバや四州とは良く似ていると聞いておりましたが、日本にも神社があるのでございますね」

 若い商人が、感心したように言う。

「そうなのです。それで私も、すっかり嬉しくなってしまいまして……。なんというか四州の方々は他人のような気がしないのです」
「そうですねぇ、お付き合いと言えば――」

 永谷の、相手の親近感を誘う話しっぷりが気に入ったのか、商人たちは日々の神祀りの方法や、神社との接し方、祭礼への協力のあり方や寄付の実態などを、事細かに語ってくれた。
 その様子から、四州の人々が神に寄せる篤い信仰心が、ひしひしと伝わってきて、永谷は嬉しくなると共に、四州の神社を羨ましくも思った。

「しかし去年の大雨、あれはヒドイものでした。随分神様にも奉納させて頂いて、ご祈祷をお願いしましたが、一向に効果がなく……」

 永谷が社家の娘であることを忘れ、口の軽い商人がつい愚痴をこぼす。

「これこれお前さん!滅多な事を言うものではないよ」
「あ……。これは失礼」

 仲間にたしなめられ「しまった」という顔をする商人。
 
「い、いえ。どうかお気になさらず」
「そうそう、神社といえば――」
「どうした?」

 場の空気を察した商人仲間が、咄嗟に話題を変える。

「最近、方々の神社で幽霊が出てるとか。怖いですなぁ」
「え?幽霊!?」
「はい。落ち武者の亡霊が出るとか」
「あぁ!そういう話なら、私も聞きました。しかも、神社の御神体が無くなってるだの、依代が壊されてるだのと、バチあたりな事もあったもんです」
「御神体が!?」
「はい。ですから、出てきたのは幽霊なんかじゃなくて、御神体が無くなって怒った神様が出てきてるんじゃないかって」
「そ、それは何処の神社ですか?」
「ですから方々――」
「具体的な場所は?」
「さ、さあ……。あくまで噂ですからねぇ。場所までは……」
「そうですか……」

 場所がわからないと知って、がっかりする永谷。
 もしかしたら、東野で起こっている異変の一端を掴んだかもしれないと思ったのだが――。

「確か、うちの使用人が里帰りした時に、見たとか言っていたような……。気になるようでしたら、あとで確認しましょうか?」
「本当ですか!是非お願いします!!」

(このタイミングでの幽霊騒ぎ、きっと何かある!)

 永谷は、ほとんど確信に近い物を感じていた。