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エンジェル誘惑計画(第1回/全2回)

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エンジェル誘惑計画(第1回/全2回)

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第2章 天使の痕跡


 ヘルのパートナー黒田 智彦(くろだ・ともひこ)はいつでも能天気で、何も考えていないように見える。
 同じ薔薇の学舎生徒のスレヴィ・ユシライネン(すれう゛ぃ・ゆしらいねん)も彼を見ていて、心配になるほどだ。
 休み時間、スレヴィは智彦に聞いてみた。
「なあ、黒田はパートナーとの出会いはどんなだったんだ?」
「ヘルが来て、一緒に薔薇の学舎に行こうって言ったんだよー」
 智彦はかわいい笑顔で言う。彼は十五歳にしては童顔で小柄だ。
 スレヴィは、おおまかな答えにちょっと困る。
「そこのところ、もっと詳しく説明してくれないか?」
「むずしい事はよく分かんなーい」
「……じゃあ、ヘルとの関係でもいいからさ」
「ヘルはご主人様だよー」
 スレヴィは軽く頭痛を覚える。
 智彦は彼の様子にかまうことなく、にこにこ笑っている。彼はいつも、こんな調子だ。
(人間、こんなにいつも同じ調子で笑ってられるもんなのか?)
 スレヴィはそう思いつつも、智彦にさらに聞いてみた。
「俺もたいがいパートナーを放置してるけど、黒田はヘルが像を撫で回していても気にならないのか? どっかおかしいんじゃないか心配だとか、天使像からヘルを取り戻したいとか思わないのか?」
「ヘルのやりたいようにやればいいよー」
 智彦はにこにこ笑いながら答える。スレヴィは肩をすくめる。
「……まあ、黒田が本当に何も気にしていないっていうなら、俺が何も言う事はないけどな」
(黒田と接していると感じる、この違和感はなんなんだろう?)
 スレヴィは何か心に引っかかりを感じながら、次の授業の準備を始めた。
 それまで静かに智彦にはべっていた、薔薇の学舎生徒の久我輝義(くが・てるよし)が言う。
「智彦様、あなたは次は美術の授業ですから、移動ではないでしょうか?」
「あれ、そうなんだー」
 バトラーの輝義は
「執事として仕える勉強をする為に、少しの間、私の主になってください」
 と智彦に頼んで
「うん、いいよ」
 と承諾を得ていた。そのために彼を主として「智彦様」と呼んでいるのだ。
 智彦が聞く。
「今日の美術は何をするの?」
「校内の美術作品を鑑賞して、感想文を書かれてください。鑑賞するに足る作品を探しに、美術展示室に行かれてはいかがでしょう?」
「じゃあ、そうするー」
 輝義は授業の課題を理由に、うまく智彦を美術展示室に案内した。
 そこには、いつものようにヘルがいる。
「あっ、ヘルがいるよー」
 ヘルは少々意外そうな顔をするが、輝義を見て言う。
「なんだ、君が連れてきたのか」
「ええ、智彦様の課題の助けになればと思い、お連れしました」
「ふうん。こいつは自発的に動くモノじゃないから、なんだと思ったよ」
 ヘルの言い回しに、輝義は何か引っかかりを覚える。確かに智彦は、自発的に発言したり動くような性格ではないが。
(ご主人様と奴隷といったパートナー関係なのでしょうかね?)
 そう思いはするが、輝義は表情には出さない。
「智彦様、ご鑑賞なさるなら、そんなに間近からではなく、もう少し離れられた方がよろしいですよ」
 輝義はそんな事を言いながら、小柄な智彦を抱きしめるようにして、壁の絵から遠ざける。そして絵から距離を取った後も、そのまま抱いている。
「この絵の鑑賞文を書けばいいの?」
「こちらの作者はシャンバラでは名のある画家ですから、適当ではないでしょうか? それから鑑賞文ではなく、感想文ですよ」
 今、美術展示室から移動されても上手くないので、輝義はその絵を推薦した。智彦は素直に、それに従った。頭の中で感想文を考えているのか、ぶつぶつ言う。
「感想文。えーと。絵は四角くて、色々な絵の具が塗ってあります」
 輝義は、智彦の頭をかかえるように抱きしめた。
「智彦様、感想文ですから、絵を見て思われた事を書かれてみては?」
「四角い」
「……。この場合は、どのように美しいか、その美しさに何を思われたか、などではないでしょうか?」
「むずしい事はよく分かんなーい」
 大抵の者ならばツッコミを入れたくなるような答えにも、輝義は辛抱強かった。
「智彦様は個性的な感性を持たれているのですね。素敵です」
 輝義はうやうやしく智彦の手を取ると、その甲に口づけた。
 そんな風に、輝義が智彦とのスキンシップを見せつけても、ヘルは気にする様子が無い。相変わらず天使像をなでさすりながら、像に向かって
「君も強情はらずに、僕にすべてを任せればいいのに」
 などと、つぶやいている。
 やがてヘルは「そろそろデートの時間だ」と展示室を後にした。
 輝義は智彦に聞いてみた。
「あちらの天使像について、何かご存知の事はございませんか?」
「ヘルが狙ってるー」
「それは、どうしてでしょう?」
「むずしい事はよく分かんなーい」
「……」
 輝義は、智彦と意思の疎通ができているのかどうか、だんだん不安になってきた。


 ぽこん。
 落ちてきた黒板消しがグレッグ・マーセラス(ぐれっぐ・まーせらす)の頭に、間の抜けた音を立てて当たる。
(あれ? ……もうトラップの実習が始まってるんですねえ)
 グレッグは軽く頭に手を当て、考える。彼は銀髪に褐色の肌の、優しい目をした守護天使だ。薔薇の学舎での交流研修に参加した一人である。
 シモンたちによる砕音イジメについては、まだグレッグの耳に入っていないようだ。
 今、グレッグのパートナー、イルミンスール魔法学園の姫神司(ひめがみ・つかさ)は同行していない。司は少女であり、研修には参加できないからだ。
 もっとも、グレッグにこの研修に参加してはどうかと勧めたのは、他ならぬ司である。「男子のみの募集ゆえ、わたくしは参加出来ぬが、折角だ。グレッグ、そなた参加してみてはどうだ? この先わたくし達は実習で遺跡調査に赴く事も多かろうし、後々役に立つと思うぞ」
 そう言う司に、グレッグももっともだと思った。
 ただイルミンスールに通う彼にとり、薔薇の学舎は未知の世界である。聞こえてくる噂は、彼には恐ろしいものばかりだ。
「もし私に何かあったら必ず助けにきて下さい。必ずですよ?!」
 グレッグは涙目になりながら、司に頼み込んできている。
 そのため携帯電話だけでなく、司が作った禁猟区のお守りも肌身離さず持ち歩いていた。もっともグレッグには、命の危機でもなければ携帯で連絡するつもりはなかったが、それらがある事でパートナーの司を身近に感じられ、心強かった。
 ちなみに司は魔法学校の授業をさぼって、学舎の敷地の外までついてきていた。こうしている今も、手頃な街路樹に登って、遠目に薔薇の学舎をながめているだろう。
 グレッグは、研修生たちが集まっている輪に何気なく近づいた。
 ふと「天使」という言葉を聞いて、足を止める。守護天使である彼は興味を引かれて、その輪に加わった。

 グレッグの通りかかる少し前。
 その研修生たちの中で波羅蜜多実業高等学校農業科の棚畑亞狗理(たなはた・あぐり)が大きな背をまるめて、引率教師の砕音に頼みこんでいた。
「お願いじゃき。天使像に仕掛けられた秘密を教材に、罠解除の手本を見せて欲しいんじゃ」
 砕音は気が進まない様子だ。
「それって、この学校の美術展示室にある二億円のルビーがはまってるって噂の? そもそも展示品に仕掛けられてるっていったら防犯装置だろ。それを勝手に解除したら、俺が捕まるって」
「でも二億円のルビーなんてすごいな。どんな物なんだろ?」
 イルミンスール魔法学園の和原樹(なぎはら・いつき)が興味を引かれて、亞狗理に聞く。亞狗理は自信たっぷりに話し出した。
「うむ! それを今から確かめに行こうとしているんじゃがの。オシベ同士で実を結びかねん薔薇学とて、あンの吸血鬼ちゅう種族が無生物にムシャぶりつきよるンは不自然じゃ思わんか? 農学的観点からの推測は……ルビーが実は吸血鬼の餌になりうる未知の生体物質、はたまた像が実は生き物、とかじゃのう。新発見かもしれんと思うとドキがムネムネじゃぜ。ヒャッハー!」
 亞狗理は天使像に農業科魂がくすぐられて、見に行きたくて堪らないようだ。樹もその話に好奇心を刺激され、言う。
「へえ、何か秘密がありそうだな。俺も見てみたい」
 だが樹のパートナー、吸血鬼のフォルクス・カーネリア(ふぉるくす・かーねりあ)が反対する。顔はいいのに雰囲気が地味だ。
「樹は己が充分に美しいことを全く理解していないな。くだんの天使像には、うろんな男好きの輩が始終、張り付いていると聞く。無事に済む訳がなかろう!」
「行きたくないなら、フォルクスは待ってなよ」
「我を置いて1人で行くなど、危険極まりないと言っている」
 樹とフォルクスが押し問答を始めそうなので、亞狗理が割って入る。
「どうじゃ? 同じ研修に参加しちょる者どうし、一緒に行かんか? 何人かで行けば、その分、安全じゃろ」
 実は亞狗理も一人で天使像のもとに行くのは不安なので、砕音を誘おうとしていたのだ。それまで話を聞いていたグレッグが、彼らに声をかける。
「横から失礼します。私も一緒に行ってよろしいですか? パラミタにある天使の像がどのような物だか、ぜひ見てみたいので」
 樹は笑顔で、亞狗理とグレッグに言う。
「じゃあ、皆で一緒に天使像を見に行こうか。……フォルクスは、先生に危険がないよう見ててあげて」
 そう言われて、フォルクスは不満の声をあげる。シモンの思惑を知った生徒が、砕音を守ろうとすでに何人か集まってきているからだ。
「この人数がいるなら、逆にアントゥルース殿こそ安全……待て、樹! 我を置いて行こうなどと……」
 美術展示室に歩き出した樹たちを、フォルクスが金に近い蜂蜜色の髪を揺らして追いかける。
 砕音はほっとした様子で彼らを見送り、思った。
(やれやれ、なんとかなったな。まさか天使像を見たくない理由が、実は守護天使が苦手だからとか、グレッグやウィスタリアの耳に入りかねない状況で言える訳ないからなー。教師のくせに、パラミタの特定一種族が苦手とか……ひどい奴だな、俺)
 砕音は自嘲を押し隠そうと、いつもの癖でタバコを出そうとしたが、学舎内が禁煙だと思い出して手を止めた。


 薔薇の学舎生徒イシュトヴァーン・ヴァイス(いしゅとう゛ぁーん・う゛ぁいす)はパートナーの機晶姫八神清明(やがみ・せいめい)と共に、美術展示室にいた。
「珍しいですね。ヘルがいないなんて」
 イシュトヴァーンは無人の展示室を見回して言う。もっともヘルは苦手なので、いないに越したことはない。
 清明は天使像を機晶姫ではないか調べる。特にルビーが機晶石ではないかと調べるが。「是ハ機晶石デハナイデス」
 いかに機晶姫に色々なタイプがあるとはいえ、これは違うだろう。石の類は、ひとつしかなく、それもルビーでは動力源にはならない。
 清明はSPリチャージを試してみたが、アイテムにはかけられなかった。
 そこに亞狗理、グレッグ、樹、少し送れてフォルクスがやってくる。
 樹がイシュトヴァーンに挨拶する。
「こんにちは。天使像を見せてもらっていいか?」
「ええ、どうぞ。やはり他校の皆さんも像が気になりますか?」
 そこで亞狗理が素っ頓狂な声をあげる。
「こ、これは?! エンジェル・ブラッドが胸の宝石ちゅう事は、右と左、二人前あるちゅう事じゃなかったんか?!」
 ルビーは鎖骨の間より心持ち下あたりに、大粒の物がひとつあるだけだ。
 亞狗理はなにやら落胆した様子でつぶやく。
「……むう、胸のポッチふたつ同時押しで動き出すという仮説が、さっそくおじゃんになったきに」
 グレッグは頭を抱える亞狗理に苦笑しつつ、天使像に近寄り、背後へと回る。
「この翼は……石でできているので分かりづらいですが、パラミタの守護天使のようですね」
 樹がグレッグに聞く。
「何か翼で違いがあるのか?」
 グレッグは穏やかに微笑み、うなずいた。
「地上では天使の像を作る時に、鳥の羽をつけるでしょう? 守護天使の翼は……」
 グレッグは樹たちに見やすいように背を向けた。人間の青年と何も変わらないように見える。突如、その肩甲骨の辺りから、まばゆい光の粒子が噴き出した。粒子の放出は大きさを増し、翼のような形をとる。
「ソノ粒子表面ヲコーティングスルト、像ニ近クナルト思ワレマス」
 清明がグレッグの翼と天使像を見比べて言う。
 樹はエンジェル・ブラッドに触ってみた。特に何も起こらないが(こんな物なのかな?)とも思う。パートナーのフォルクスが彼に寄りそう。
「ふむ。これが件の天使像か……。一応、魔力の有無など調べてみるか?」
「ああ、頼むよ」
「おうおう、さっそく調べるのじゃ」
「お願いします」
 この場にウィザードはフォルクスだけで、いつになく期待の目が彼に集まる。
 フォルクスはエンシャントワンドで集中を高め、天使像に向かう。
「……魔力は像全体から感じるな。防御系統のものか、あるいは石像にこの形を維持させるためのもののようだが」
「ああ、それ? 天使像から悪意や好奇心でルビーを取ろうとする事を妨害する性質のものだよ」
 突然、新たな声がそう言った。イシュトヴァーンが驚き、聞く。
「ヘル?! いつから、そこに?」
「ちょっと前からー」
 突然、一同の前に現れたヘルは、馴れ馴れしく樹の肩を抱き寄せると、そのこめかみに口付けた。
 当然、フォルクスは黙っていない。
「樹?! 我には碌に触れさせぬくせに、他人に弄ばれるとは何事だ。今夜ベッドでしつけけ直してく……」
 ゴス!!
 樹のグーパンチが、フォルクスの頭にクリーンヒットした。
「いきなり何言ってんだー!? しつけられた覚えなんかないっての!」
 ヘルも思わず「ナイスヒット」とつぶやく。
 フォルクスは頭をさすりながら、それでも樹を守るように抱きしめた。
「と、ともかく樹は我のものだ。手出しは許さん!」
 フォルクスは樹を抱えたまま、美術展示室を退散した。ヘルには本能的に危険を感じる。
 展示室から離れた所で、樹はフォルクスの腕から逃れだした。
「もう降ろせって。……まったく。皆の前で変なこと言うなよな。まぁ……来てくれてアリガト」
「ならば礼は体でもらうとし……」
 ゴス!!
「だから、なんでそういう話になるっ」
 ふたたび樹のグーパンチが、フォルクスを襲ったのだった。

 樹たち以外の生徒も皆、急いで美術展示室から去っていた。
 残されたヘルは、ニヤニヤ笑いを浮かべて天使像を見る。
「君もそろそろモテ期かな? でも君の大事な所は、もう僕のモノだよ」
 ヘルはそう言って、像の胸元にはめられたエンジェル・ブラッドの偽物をなでた。


 その頃。本物のエンジェル・ブラッドを手に入れた神無月 勇は、宝石の性質を調べようとしていた。
 試しに火を点けてみようとするが、宝石の表面で弾かれるように火は消えてしまう。
「防御魔法がかかっている……? キミはどう思う?」
 勇は、背後で大量の薔薇や大きな鳥の羽に囲まれて作業しているミヒャエルに聞いた。しかしミヒャエルは、マントに薔薇を縫い付けるのに忙しい。
「他校の生徒まで、エンジェル・ブラッドに興味を示しているようだからね。まあ、注目がそこに集まっているのは、僕としてはいいことなんだけど。宝石を調べるのは、こちらが片付いてからでいいだろう?」
 ミヒャエルは今後の計画の準備に、楽しそうに取り組んでいる。今度は鳥の羽根をつば広の帽子に取り付ける角度を探りだす。
 勇は宝石をしまい、薔薇の学舎の見取り図を広げた。図面には、細々と書き込みやマーキングがされている。
 彼らの作戦は、これからが本番なのだ。


 黒田智彦は、快感も痛みも感じていないのかもしれない。
 彼の臨時執事を務める久我輝義は、智彦とベッドを共にして、そんな感覚に陥っていた。
 誘うのは、あっけないほど簡単だった。
「気持ちの良い事をいたしましょう」
「わーい、しよー」
 で、最後まで行ってしまった。
 しかも智彦は、その最中に「わーい、楽しいねー」などと言う。
 休み時間や放課後にゲームをしている時とまったく同じ言い方だ。
 それに、どんなに激しくしても、智彦は息を乱しもしなかった。
(まるで、あらかじめサンプリングした言葉をしゃべっているようですね……)
 輝義は、彼の横で寝ている智彦を見ながら思う。
 言葉だけではない。彼の体は、震えも締めつけもなく、ただ柔らかいだけだ。
 輝義は試しに智彦に声をかけてみた。
「智彦様、起きていますか?」
 智彦はとたんに目を開ける。
「うん。なにー?」
「なんでもありません。お休みください」
「はーい」
 智彦は目を閉じる。普通の人間とは思えない反応だ。
 輝義は自身の指についた、智彦の「体液」を見る。それは手触りも匂いも、油のようだった。