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エンジェル誘惑計画(第1回/全2回)

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エンジェル誘惑計画(第1回/全2回)

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第6章 トラップ実習(後編)


 古びた石壁の表面を、褐色の指が慎重になでていく。その指先が、石の継ぎ目の間に引かれた糸に触れた。
「罠を見つけた。解除するから、下がっててくれ」
 薔薇の学舎生徒の柳生匠(やぎゅう・たくみ)が、トラップを探知して解除にかかる。
 パラ実の国頭武尊(くにがみ・たける)がどんな罠が仕掛けられているのか、その様子を観察する。
「よく見つけたな」
「まあな。トラップ実習はローグの俺にとっちゃ、お楽しみタイムだぜ」
 匠は武尊にニッと笑うと、解除作業を再開させる。先程、彼が隠し通路を見つけたことで、彼らの班は他の生徒に比べて探索が先行しているようだ。
「そりゃ心強い」
 そう言った時、武尊は刺すような視線を感じた。漆黒のロングローブを羽織った守護天使、匠のパートナー、ラズー・フレッカ(らずー・ふれっか)が蒼い瞳で武尊を睨んでいる。
 さっきから匠と話すたびに、睨まれているようだ。
「……何だ?」
 武尊が聞くと、ラズーはそ知らぬ顔で答える。
「何がだ? ……匠、何か手伝う事はないか?」
 そう言いながら、ラズーは匠と武尊の間に割り込んだ。
(こ、これが薔薇の学舎の校風ってヤツか……!)
 武尊はそう思い、せめて「ひとつ勉強になった」と考えようとする。
 そして携帯を開き、色々な意味で心が折れないようにと用意してきた、パートナーの写真や動画をながめて、心を癒した。
 蒼空学園生徒の出水紘(いずみ・ひろし)が、その様子を見て言う。
「それ、国頭のパートナーですか? 俺も留守番しているパートナーが心配だな……。
 心配と言えば、この実習も砕音先生に嫌がらせするって奴に邪魔されないかも心配です。『そんな暇があればもっと有意義なことをしろ。人生は一度しかないのだぞ』と言ってやりたいですね」
 武尊は携帯を見ながら答える。
「バカは基本放置だが、目的達成の障害になるようなら実力を持って排除すればいいだけさ」
 やがて匠が罠の解除を終え、彼らはまた先に進んだ。
「……なんだ、あれは?」
 先頭を歩く匠が呆れたような声を出す。
 前方の通路に、ロープが張ってあった。ロープの先は壁のでっぱりに引っかかり、真上の天井にガムテープで貼り付けたダンボール箱へと、つながっていた。
 ロープは太く、ダンボール箱も目だっている。罠にしては、あまりにも工作じみており、まったく隠せていない。
 それが逆に、何かの罠ではないかと勘ぐらせる。
「これも引っかかると金ダライが降ってくるんでしょうか?」
 紘が誰にともなく聞いた。

「あれは、ちょっと目立ちすぎだったかな……」
 物陰に隠れ身で隠れながら、皆川陽は声を潜めて言った。しかしパートナーのテディ・アルタヴィスタがいつものように根拠なく自信たっぷりに言い切る。
「へーきだって。悪者の砕音先生一味が正義の罠にひっかからないワケがない!」
「しーっ、声が大きいよぉ」
 匠たちの前に出現したナゾの罠は、陽とテディが設置したものだった。
 本来は砕音が目標だったのだが、テディにとっては「砕音一味」の一般生徒たちでもよくなったようだ。
(ま、まあモロバレに作ってあるから、引っかからないよね。って言うより、引っかからないで。お願いだから)
 陽は祈った。

 罠を観察していた武尊が言う。
「オレは罠については全くの素人なので、この妙な罠には、あえて引っかかる事で確認したいところだな」
(ダメだってばー!)
 陽の願いなど知る由もなく、武尊がロープに触ろうとする。だが匠が武尊を止めた。
「待て。禁猟区じゃ、あの箱に危険を感じるぜ。今までの金ダライとは違うようだ」
 武尊は
「その危険の元は、キミの隣の守護天使じゃないのか?」
 と言いたかったが、やっかいな事になりそうな悪寒がしたのでやめた。
 四人は天井のダンボールから離れる。そして武尊が用意してきた長い棒で、ロープを引っ張った。
 見て分かる通りに、ロープに引っ張られて天井のダンボールが傾く。中に入っていたモノが、ダンジョンの床に落ちる。
 それは一匹のヘビだった。床に投げ出されたヘビは興奮して、鎌首をもたげる。
 物陰から見ていた陽は、そのヘビの種類に気づいた。
「あ、あ、あれってコココブ、コブラだよ?!」
「コココブラクダ? 何、言ってるの。ダンジョンにラクダなんかいないよー」
 ヘビの調達をしたテディはお気楽な調子で陽につっこむ。
 そのコブラは、学舎の教師が、毒の扱いを研究しようと取り寄せたものだった。偶然それを見つけたテディは
(天井からヘビが降ってきたら、僕だったら泣いちゃうな)
 という考えだけで、コブラを持ってきてしまったのだ。
 彼はそれが物凄く強力な毒ヘビだとは知らなかったので、箱に入れて持ち運ぶだけなら、怖いのも我慢できた。
「皆、下がってろ!」
 武尊が回転式大型拳銃型の光条兵器を抜き、コブラを撃ちぬく。猛毒のコブラとはいえ、離れた所から銃撃されては、ひとたまりもない。毒ヘビはあっさり倒された。
 それを確認し、紘はほっと息をつく。
「頼りがいのあるローグやソルジャーと一緒でよかった……。やはり、ダンジョン探索はメンバー皆が協力してやるものですね」
 メンバーによっては、セイバーの紘こそが、頭の上に降ってきたコブラと剣で戦わなければならなかっただろう。それを思うと、紘は冷たい汗が出てくる。
「しかしコブラとはシャレにならない。危ない罠だから分かりやくしてあったのかな」
 武尊が首をかしげる。
 物陰では、陽は胸をなでおろし、テディが悔しがっていた。
「よかったぁ……」
「くそー。なんで失敗するんだよ。でもメゲナイ! 今度こそ美形の正義を奴らに、超思い知らせてやるんだ」
「えええぇー」
 匠はその気配に気づいた。
(ははーん。なにか変だと思ったら、そういう事か)
「皆、ちょっと待ってくれないか」
 匠はワクワクしながら、糸や金具を使って壁に何か設置し始める。

 しばらく経って、匠たちはふたたびダンジョンの奥を目指した。
 陽とテディも隠れ場所から出てくる。
「ロープを回収して、次の所に行くよ。ん?」
 テディの足に何か、細いヒモがひっかかった。
 ガラガラガラガッシャーーーン!!!
「うわーーー!!!」
 匠が設置していった金ダライの雨が、陽とテディの上に降り注いだ。


 このダンジョンには何箇所かの通用口がある。
 侵入者撃退用の迷宮とは別に、魔王信者たちが普段、隠し寺院に出入するのに使った通路だ。
 かつては厳重に隠されていたが、現在ではタシガンの街の管理下にあり、鉄の扉で塞がれ、施錠されている。
 ダンジョン実習のため、砕音はその通用口の鍵を借りてきていた。
「あれ?」
 なぜか鍵があわない。シモンがひそかに鍵を偽物にすりかえていたのだ。
 通用口が使えないと、通常通りダンジョンの入口から入るしかない。
(……これ、鍵が違うんじゃないか?)
 砕音が鍵と錠前を見比べていると、背後に人の気配が近づく。藍澤 黎(あいざわ れい)だった。いつものように砕音に冷たい視線を向ける。
「教師として備品の管理もできないとは……」
「いやあ、面目ない」
 砕音は困ったように笑う。すると黎が鍵束を差し出した。
「おそらく本物の鍵はこれだろう。シモン殿が放り出していた」
 意外な展開に、砕音は「え?」と戸惑う。黎はいらだった声で言う。
「早く扉を開けたらどうだ。授業で中に入る必要があるのではなかったのか?」
「あ、ああ。どうもありがとう」
 砕音は鍵を受け取り、錠前に差し込む。今度は鍵がまわった。黎が言う。
「別に貴殿のためにした事ではない。授業が滞って、今回の交流研修が失敗するのは、薔薇の学舎の者として見過ごせないだけだからなのだぞ」
 黎のいかにも嫌々という態度に、砕音は苦笑した。
「いやぁ、それでも助かったよ。わざわざ届けてくれて、ありがとう」
「薔薇の学舎生徒として正常な授業運営のために、しかたなくした事だ」
「そうかい……」
 相変わらず黎の態度は冷たかった。


 ダンジョンのさらに奥。
 そこで侵入者撃退用の迷宮が終わり、その奥はかつての隠し寺院の設備となる。
 寺院に集った信者たちが数百年の昔に退治され、散々、破壊と盗掘にあってきた後でも、まだそこには重苦しく禍々しい雰囲気が残る。
「なかなか不気味な所ですね……」
 蒼空学園生徒のライ・アインロッド(らい・あいんろっど)が金ダライを手に、周囲を見回す。彼の望む平和で平穏な暮らしとは程遠い場所だと感じる。
 薔薇の学舎生徒の清泉北都(いずみ・ほくと)は授業で配られたプリントを見ながら、今ライが押さえている金ダライを落とすための糸を張っている。北都はライに言った。
「でもダンジョンが涸れて久しいって言うし、今は肝試しやこういうダンジョン実習に使うぐらいじゃないかなぁ」
 そこに罠設置用の荷物を持った砕音が「待たせたな」と現れる。
「あ、先生。一応、見よう見まねで罠を……あれ?」
 砕音の背後に黎が一緒に来ているのを見て、北都が不思議そうな顔をする。黎はその視線に応えて言った。
「念のために、授業がきちんと行なわれているのか確認しに来たのだよ。砕音殿はしっかりと指導できているのか?」
「まあ、ちゃんと教えてくれてるかなぁ」
 そんな黎と北都の会話に、砕音はたそがれる。
 ライが気をきかせて、砕音に訊いた。
「罠を動作させる糸の通し方は、これでいいんでしょうか?」
(砕音先生が挫けてしまっては授業どころではなくなりますしね……)
 ライの質問に砕音は気分を変えて、彼らが設置した罠を確認する。
「この糸の角度はいいけど、糸を支える楔はもっと深く打ち込んだ方がいいな。糸が動いた時に、摩擦で動いて抜け落ちる可能性があるから」
 ライと北都は指摘された場所を直し、次の罠設置場所を探すために、奥へと向かう。すぐ後から砕音が、さらに少し離れて黎が続く。
 北都は進みながら考える。
(できれば先生のお手並みも拝見したいところなんだけど。罠を得意とする先生なら、その回避くらいは出来ると思うけど。実際、どうなんだろうねぇ? ……うん?)
 北都は急に嫌な感じを覚え、足を止めた。スキル禁猟区の反応だ。
「何か危険を感じるよ。気をつけよう」
「この先、タライはまだしかけてないですよね?」
 ライの言葉に、北都は緊張した面持ちで返す。
「金ダライなんてもんじゃないよ。もっとヤバそう……?!」
 突然、砕音がライに飛びかかり、床に引きずり倒した。
 今までライがいた場所を岩のような大きな塊が飛びすぎ、ガシャリと音を立てて床に落ちた。
「デカい虫だぁ!」
 その物体を目にして、北都は思わず声を震わせ、ずり下がる。彼は昆虫が苦手だ。
「いや、あれはむしろヤドカリであろう? もっとも巨大すぎるが」
 後ろから懐中電灯で、それを照らした黎が指摘する。
 壁の陰からライに襲いかかってきたのは、カラの先端の高さは2mを超えるだろうヤドカリのような生物だった。しかし何本もある足の間には、ぱっくりと縦に長く大きく開いた口が見える。口の中には、サメのような歯が何列も並んでいる。
 巨大ヤドカリ(?)は、巨大な両のハサミを振り上げた。巨体に比べても大きなハサミは、人間の首ぐらいなら簡単にちょん切れそうだ。
「下がってろ!」
 砕音は、絶句しているライを北都たちの方へ押しやる。荷物から何かを取り出して、そのカバンも放った。
 北都はライを助けおこしながらも、目は砕音の行動を追う。
(ヘタレなのかそうでないのか……見極めさせてもらおうか)
 ヤドカリ状の巨大生物が砕音に突っこんでいく。彼が寸前で避けたので、巨大な口が床をかじる。石の床に牙の跡が何条もついた。
 砕音はカバンから出した爆薬の導火線に、ライターで点火する。
 向きを変えたヤドカリが、彼にハサミを繰り出す。砕音はハサミをかわし、巨大生物のカラと体の間に爆薬をねじ込んだ。そして怪物を蹴りつけると、生徒たちと反対の方向へ飛びすさる。ヤドカリは彼を追い、そこで爆薬が爆発した。
 轟音と共に、巨大ヤドカリの体や足の破片が飛び、硬そうな殻が中から膨れて変形する。黄緑色の体液をまき散らして、まだ足やハサミをガシャガシャと鳴らしてもがく怪物に、砕音が懐から出した拳銃でトドメを刺す。
 北都は驚いていた。
(どこがヘタレだよぉ……。いや、普段はヘタレだけど。この怪物、けっこう強そうなのに、えらく冷静に倒しちゃったじゃないか)
 砕音はまた困ったような笑顔をライに向ける。
「大丈夫か? こいつは予想外のハプニングだったな」
「はい、先生のおかげで助かりました」
 礼儀正しく礼を言うライに、砕音は肩をすくめて見せる。
「いやいや。生徒を守るためなら命だって張るのが教師の務めだからな」
 黎が近づき、砕音に言った。
「少し、見直しました」
 そう言う黎の頬は、少しばかり赤らんでいた。

 その後、彼らは周囲を探したが、他にモンスターの姿は無かった。
 北都は横目で怪物の死骸を見ながら、疑問を口にする。
「でも、あの巨大ヤドカリはどこから来たんだろう? こんなモンスターがタシガンのまわりに生息してるなんて、聞いた事が無いよぉ」
 砕音がぽつりと答える。
「こいつはナラカの生き物さ」
「ナラカ……って、たしかパラミタの人にとっての地獄みたいな世界の事だっけ? でも想像上の場所だって話だったようなぁ」
 北都は、以前の授業で習った記憶をたぐった。砕音が淡々とした口調で説明する。
「地球上からナラカは観測できず、パラミタの誰もナラカに行った事が無い。それで想像上とされてるだけだ。……ここタシガンは魔族の街。そういう場所との境界も薄い。ナラカの怪物も這い出して来やすいんだろう」
「先生さぁ、なんでそんな事を知ってるんだよ?」
 北都が聞くと、砕音は笑って答える。
「そりゃ、先生だからな」