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【2020授業風景】笹塚並木と算術教室

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【2020授業風景】笹塚並木と算術教室

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第5章 そろばん教室・午後の部


「小学校でいちおうは習ったけど……」
 そろばん教室午後の部では筑摩 彩(ちくま・いろどり)が複雑そうな顔をして、軽快な音を立ててそろばんを操るイグテシア・ミュドリャゼンカ(いぐてしあ・みゅどりゃぜんか)の手元を眺めている。
「これは面白い道具ですわね。非常に興味がありますわ」
 彩は計算が苦手らしい……。手芸くらぶのメンバーに教えるためには正確な採寸技術や、サイズ計算のために必須の技能なのだが……。
 はうぅ、ソロバン弾いてるイグーの背中が遠いよ……。
 今まで勘でやってきたつけなのだろうか。習う前からしり込みしている様子だった
「自分は! 草刈 子幸(くさかり・さねたか)と申します! 何卒宜しくであります!」
「ひゃあ!?」
 元気のない様子に気づいた子幸がでっかい声で挨拶をすると、驚いた彩は可愛い悲鳴をあげて正座したままちょっぴり浮き上がったように見えた。
「さっちゃんは声が大きいのー。元気なんはええんじゃが、びっくりしておるじゃろ」
 華やかな和服に身を包んだ鉄草 朱曉(くろくさ・あかつき)は、優雅に扇を扱う手を休めて子幸の作ったそろばんに使う授業の紙を黒板の高い所に貼ってやっている最中だった。イグテシアはそれを見ながら自主的に学習しているのだが、指を置くポジションや数字の置き方・呼び方がなかなか丁寧に書かれていると感じる。
「……よくわからないですけど、日本では常識のようですし、少しは学んで帰りたいですね」
 イノセンス・フォースガルド(いのせんす・ふぉーすがるど)も子幸が作ったそろばんの大きな紙を眺めながら、珍しそうにそろばんをはじいている。相棒の大神 静真(おおがみ・しずま)は日本の文化に興味を持ってくれたことを嬉しく思いつつも、正直正座が心配だった。
「イノ、唾つけた指で額を押すと痺れないって昔から言うぞ? あ、それでも駄目だったら……まぁ、軽く足崩しても良いんだぞ?」
 ぽふん。ぽふん。
 屋根裏からいくつか、小さな座布団が降ってきた。
「これも見慣れないもの……空から召喚されたのでしょうか」
 静真は苦笑しながら屋根を見上げて小さくお礼を言っている。この座布団を挟めばしびれの心配はなさそうだ。
「しかし……この刷毛の様な物と黒い物体は何なんでしょう。難しいものが本当にたくさんありますね」
「墨を磨る時は! 姿勢を正し! 心を無にし! 精神を清めるように磨るのであります!」
 イノセンスが珍しそうに筆を手にすると、子幸が使い方を教えようと張り切り始めた。叫び、叫び、叫び、を繰り返しながらイノセンスのお手本を書いてやっている。
「おい、こっち紙なくなったみてぇだぞ。しょうがねえな取って来てやるよ……」
 張り切り過ぎて半紙が無くなってしまったため、子幸とおそろいの和服に長鉢巻を着た草薙 莫邪(くさなぎ・ばくや)が文句を言いながら在庫を探しにいこうとしている。しかし、おとなしく行くには少々ムシャクシャしていたようだ。
「こらバカツキィッ! お前、ちったあ役に立てよ!!」
「わっはっは、こがぁに下手くそなんはばくやんじゃろー?」
 そんな風に彼は声を荒げるものの、間の悪い事に朱曉はごみ箱からはみ出している莫邪の習字作品を見つけてしまったらしい。どうやら文字は朱曉の方が達者なようで、ふてくされた莫邪は肩を怒らせて教室を出て行ってしまった。入れ替わりに入ってきたのは透玻・クリステーゼ(とうは・くりすてーぜ)璃央・スカイフェザー(りおう・すかいふぇざー)である。
「そろばんはこういう使い方をするのですか……面白いですね、透玻様?」
 座布団のおかげで足の痺れを回避できたのはありがたかったが、靴を脱いで座るまで透玻は仏頂面を崩さない。そんな様子が微笑ましいのか、璃央は春の日だまりを思わせるような表情をしていた。
「ああ」
 そっけない返事。でも、他校生を意識してそうなってしまうことを彼女は知っている。
「やっぱり、来ていただいて良かったですわ」
「何か言ったか?」
「いいえ、なにも」

「和算にも興味がありますわ。なにか、面白い問題はないかしら」
 イグテシアは勉強に集中が切れて朱曉の和服をチェックし出した彩に気づくと、彼女の勉強成果を確認するついでにそんな要望を投げた。
「ううっ。もうちょっとのんびり勉強しようよー。和裁は縫うのも着付けも駄目だけど、リメイクのアイデアを探しているんだから」
「うう……、自分は頑張りすぎて腹が減ってきたであります」
 ぐるるるる……。
 大きなお腹の音が鳴り、情けない顔をして莫邪を見ている。
「ったく、何で俺がこんなバカみてぇな事……あー! やりゃいいんだろーが」
 和風のティータイムスキル、と言えないこともないかもしれない。サンドウィッチの代わりに具の違うおにぎりとたくあんが振舞われた。食べやすいように海苔まで巻いてあり、朱曉と子幸も来客にふるまうために朝に緑茶を摘んでいた。
「休憩中には軽食も出るんですね。正座には難儀しましたけど、苦労した分こういった物も美味しく感じます」
「あ、俺のはサケか。……こうやって、皆でおにぎり食べるってのもありそうでないもんだよな」
 静真はもぐもぐと1つ目をたいらげて、熱い緑茶で一息ついている。和菓子でも出てくるかと思っていたが、苦いものが苦手かもしれないパートナーを考えるとこれはこれで良かったかもしれない。
「今回みたいにたまには我儘、言っていいんだからな」
 え? と振り向いたイノセンスの表情は年より幼く見えた。気恥ずかしさのため、2個目のおにぎりに手を伸ばす。
 こうやって過ごせるようになったのも、あの日イノと出会えたからだよな。家族って、こういうもんだ。うん。
「行くであります!! 三、三、七びょおおおし!」
「静真。あれも文化なの? そろばん2つでリズムをとってるね」
「……ま、まあ楽しく過ごせればっていう意味なら」
 子幸のそろばん応援団に付き合わされている莫邪を見ると、違うとは言いにくい静真だった。

「語呂合わせも、興味深い習得方法ですね。イグテシア様はどの段までお覚えになったのですか?」
「失礼な! わたくしは170歳を過ぎておりますのよっ」
 璃央は集中している透玻を見ると、イグテシアと彩に話しかけてみたようだ。透玻も話題を振られればそれにこたえる気ではいるのだが、なかなかタイミングがつかめないらしい。
「えと、えと、シチシチニジュウク!」
 あっ。
「待ってくれ、そこはシジュウクであると記憶しているが……」
「えっ! あっ、ほんとだ。ありがとう、透玻ちゃん」
「いや、なに……」
 どう言葉をつなげていいものか分からなくて、またそろばんの問題に取り組む。それでも交わした言葉は、パートナーの性格を考えれば珍しいものかもしれない。
「毎日こういう風に授業を受けられるといいのですが……、透玻様、よろしくお願いしますね?」
「よろしく……って、璃央、また押し切るつもりか……!?」
「うふふふ♪ あら、このおにぎりは昆布ですね」
「わたくしのはオカカですわ。ずいぶん、いろいろな具がありますのね」
 イグテシアは猫舌であるのを隠すため、わざとゆっくりとおにぎりを味わっている。本当は湯呑を持った手をひっこめたしぐさで周囲にはバレバレなのだが、そんな可愛らしい彼女をからかうの人はこの場にいなかった。透玻も自身のツナマヨおにぎりを食べながら、口数少ないながらも丁寧な態度で彩たちの部活の様子など聞いていたようだ。たくあんを、ぽりぽりとかじる。


「古い時代の計算機ってのがどんなのか興味もあるしな。大学いってる身としては、やっぱり暗算ぐらいは速くできねぇようにしておかねぇとなー」
 ラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)は首をぐるぐる回して頭をすっきりさせると、テキストを見ながら真面目に勉強するようだ。そんなラルクの隣にはノルニル 『運命の書』(のるにる・うんめいのしょ)が、ちょこんと3枚重ねた座布団の上でしかめっ面をしている。物知りな彼女だが、実際にそろばんに触れるのは初めてなのだ。小さな手のひらで一生懸命珠を弾いている。
「……そういやぁこれ出来るやつって暗算がすげぇんだっけ?」
 ふと思い出したように呟いたラルクの言葉に、神代 明日香(かみしろ・あすか)はノルンちゃんは暗算得意だったかなぁ? と考え込んでいた。
「そろばんの起源は中国ともバビロニアとも言われています。以前は銀行で働く人の必須技能だったそうですよ?」
「へぇ、物知りだな。やっぱ、こういう技能が後になって役に立つことがあるんだな〜」
 ノルニルは豆知識をラルクに褒めてもらって満足げな表情をしている。足し算、引き算のやり方を覚えると明日香も交えて3人で応用問題を解き始めた。
「あ、おにぎりもらえるそうですよ。どうします?」
「あー……、俺はなんでもいいぜ!」
 味覚がおかしくなってるラルクは明日香が気を使わないようにざっくりしたリクエストを出した。ノルニルは……本当は、もらえるなら和菓子が食べたかったのだが、お尻をもぞもぞと動かして困った表情をしている。
「どしたの、ノルンちゃん?」
「え、ええと……明日香さんと同じのでいいです」
「そ?」
 不思議な顔をしていたが、明日香は3人分のおにぎりとお茶をもらいに席を立った。足がしびれていることに気づいたラルクは、さっきのお礼に医学豆知識を披露した。
「あのな、もし痺れたら眉のあたりにあるツボを押すといいって聞いたぜ!」
「こ、この辺ですか?」
「……何やってるんですか? ノルンちゃん」
 おにぎりをもらってきた明日香は、ノルニルのためにみたらし団子も買ってきてあげた。が、なぜか戻ってくるとノルニルは珍妙な面持ちで顔を指で押している。
「ひ、日々之勉学だ。体だけでなく頭も鍛えないとな!」
「はあ、そういうものですか」
 明日香はノルニルの足のしびれに、本当は気付いていた。しかし、豪快に笑うラルクに免じて今回はそのことをからかうのはやめてあげよう。
「甘じょっぱいお団子……」
 ノルニルはじぃーっと皿に盛られたお団子を見ているが、まだ立つことができないようだ。明日香は立てるようになるまで待っている。それがちょっぴり不思議だったが、おそるおそる立ち上がってみると思っていたよりひどくはなかった。
「脳が回転した後はブドウ糖っていうからな。これ食ったら……目標は万単位の暗算を目指す!!」
「はむはむはむはむ……」
 明日香は2メートルのラルクと99センチのノルニルを見比べて、同じおにぎりを食べていても大きさが違って見えるなぁ。と、くすっと笑ってしまった。


 空京大学同士の虎鶫 涼(とらつぐみ・りょう)藤原 優梨子(ふじわら・ゆりこ)に軽く挨拶をした。涼はこの学校がどんな所かに興味があるらしく、学校に展示されている生徒の習字作品などを珍しげに眺めていた。
「そろばんなんて、随分昔に少し触れたくらいだな……。授業大丈夫だろうか」
 特に……と、リリィ・ブレイブ(りりぃ・ぶれいぶ)を心配しているが、当の本人は優梨子とおしゃべりを楽しんでいるようだ。優梨子はそろばんを暗殺技術だと勘違いしていたらしく、リリィにつっこまれている最中だった。
「で、でも確かに『そろばんマスターは暗殺の名手として各地に召抱えられるため人気の技能です』と書いてありましたわ? 自分なりに練習してみたのですが……」
「きゃははははっ、お、お腹が痛い……。数学って真面目そうな人ばっかりかと思ってたけど、面白い人もいるのね〜」
「う、私ったら不注意な……。まあ、それはそれ、これはこれです。今日中に体に覚えさせてマスターする気概で頑張ります!」
 涼はゆっくりとそろばんを弾きながら、彼女たちのやりとりを聞いてこういう平和な授業も悪くないと感じる。さあ、もらった和菓子でも食べようか。そう手を伸ばすが空振りしてしまった。……あれ?
「あ、お前それ俺の和菓子じゃないか。食べずにとっておいたのに……」
「今この時間に食べないあんたが悪い! と言う事でいただきまーす♪ ぱくっ。あむあむ」
 ピッキング技術で器用に珠を弾いていた優梨子も緑茶をすすって一息入れているようだ。リリィは和菓子が楽しみだったそうで、大きく口をあけて美味しそうに食べている。
「だって数学苦手なんだもんー。この問題もよくわかんない……」
「ん? 答えがあってないな。どこで間違えたんだ?」
「ここが1つ、ずれていますね。……はい、これで正解です」
「おお〜、なるほど!」
 優梨子となじみが深いシャンバラ大荒野は電気関連の設備が弱く、電子計算機の類に頼りきれないという弱点がある。商売に結びつきやすいこの手の道具は覚えておいて損はなさそうだ。
「日本的だな……」
 リリィは優梨子に教わったおかげで、問題を解くのが少し面白いと感じはじめたようだ。今回の授業ではどんどん解いていくことよりも、生徒同士が助け合って勉強を楽しんでいってほしい雰囲気があった。空京大学は勉強が得意な学生が集まっているはずなので、こういう授業は久しぶりな気がする。
「涼〜、解けたっ」
「記念に干し首の作り方メモを差し上げますね」
「あ、ありがとう! うぐぐ、あ……足が痺れ……」
 基礎問題が全て解けたリリィは誇らしそうにして、涼が何か言ってくれるのを待っている。褒めても良かったのだがさっきお菓子を食べられてしまったので、いたずら心で彼女の足をぽんっと叩いてみた。
「ぎゃぁぁっ。な、なにするのっ」
「……日本では、こういう風習があるんだ」
 優梨子は2人のやりとりを聞きながらも、罪と死を利用したそろばん暗殺術のアイデアを練っている。でもまあ、たまにはこうやってほのぼのした授業も、悪くはないだろう。


「そろばんねぇ。便利屋としちゃ、覚えておいて損はねぇだろ」
 トライブ・ロックスター(とらいぶ・ろっくすたー)はニンマリ笑って、この授業は自分のためにあるんではないかとうきうきしていた。星座? 問題ない。なぜなら俺ほど授業中に怒られて正座をしていた奴もいないからだ。座布団があるだけ楽ってもんよ。
「細けぇのは面倒だけど……なれると結構面白いな」
 基礎問題ではイライラしていたが、桁の大きな計算にうつると楽しくなってきたようだ。鼻歌を歌いながらリズミカルに珠を弾いていく。ああ、どうせならライバルが欲しいぜ……。
「私、ここに来ていっぱい勉強したのよ。すぐ忘れちゃうから」
 経験者か?
 声をした方には葦原明倫館の学生であるナンシー・ウェブ(なんしー・うぇぶ)が、緋姫崎 枢(ひきさき・かなめ)に勉強の成果を伝えようと身振り手振りで一生懸命しゃべっているところだった。
「とりあえず、みんなもこう覚えるといいわ。九九は掛算! そろばんでも掛け算はできるのよ」
「なあ、計算に自信があるなら俺と勝負しないか。あんたも習ったばかりみてぇだし、どうせなら競争したほうが面白いだろ!」
 ナンシーは掛け算を習いに来てくれた人がいて嬉しいらしい。彼女は九九教室の担当だったが、この人のために『×』について何冊か本を読んできたらしいのだ。
「いいわよっ。えとね、掛算は×! 今の日本では、×の前が攻め ×の後ろが受けこの表で言うと、こっちが全部攻め こっちの列は全部受けってことになるらしいわ。覚えておいてね」
「いいっ!?」
 ま、まずいことになった……これは噂の。
 冷汗が出てくるのを感じたが、真剣に説明するナンシーに悪いため一応真面目に聞くふりをするトライブ。ナンシーの後ろでは枢が両手で拝んでいるのが見えたため、尚のこと訂正するタイミングがつかめない。
「あー、悪いわね。面白半分で読ませたBLやら腐女子のことが書かれていた本を真に受けちゃったのよ」
「日本のこと勘違い……とも言えねぇか。とにかく、後でフォローは入れてやれよ」
 トライブは畳の上に寝そべりながら、い草のにおいを楽しんでいた。ゴロゴロと転がりまわって座布団を枕にしている。
「ねえ、ナンシー。あそこの結構いい男じゃない」
「そうねぇ。……トライブさん、そんな座布団よりも私たちの上で楽しいことしましょうよ」
 もともと2人は逆ナン目当てで他校のいい男を探していたらしい。連れのいない男子がいなくてそろばんに流れてきたところだった。ちょうどいい、コイツにしよう。
「へ?」
 ぽかんとした顔のトライブ。彼の意思など知ったこっちゃないと、ナンシーは座布団をのけて自分の膝の上に彼の頭を乗せてしまった。
「ちょ、ちょちょちょっ!!!」
「あたしたちの部屋、結構近いトコにあるのよ。せっかく掛け算勉強したんだもの、少し遊んで行きなさいよ」

 ど、どうする俺!?
・豪遊
・逃走
・相談
・爆発

「志方ないから、続きは私で!!」
 スパァンッ!!
 景気のいい音がして障子が開き、志方 綾乃(しかた・あやの)が空鍋を担いで乱入してきた。高性能 こたつ(こうせいのう・こたつ)を準備……準備? して、何やら料理の準備を始めているようだ。
「甘い、甘すぎる。コミュニケーションはすべて鍋から始まるものよ。それ即ち、闇鍋の奥義……ええい、自分でも分からなくなってきたから授業はストップ、闇鍋大会よ!!」

● ○ ● ○ ● ○ ● ○ 
志方 綾乃の暗黒ルール 〜闇鍋編〜

・具材は出汁が出るものを強くオススメします。
・食べられないものは入れない。頑張れば食べられるものは許可。
・水に溶けるものは入れない。
・生き物は入れない。肉皮は許可。
・一度取り出した具材は責任を持って完食する。食べ物は大切にしましょう。食べるまで奈落の鉄鎖で鍋の前に縛り付けます。

● ○ ● ○ ● ○ ● ○ 

 鍋の下で、高性能こたつは居たたまれない気持ちでお湯を沸かしている。SPリチャージしつつグツグツグツグツ……。
「綾乃の恐るべき闇鍋の災禍の、加熱不足による食中毒だけは避けなければ……はぅあ」
 自分の上で綾乃の朗らかな声が響くが、パートナーはただ闇鍋がやりたいだけなのではないか。そんな風に考えてたら彼女の威圧を感じたので、黙ってこたつの役目に徹するのであった……。

「便利屋さん。なんか食材持ってきてください」
「……今日は厄日だぜ」
 結局、トライブが便利屋という名のパシリになったおかげで普通においしい鍋ができそうだ。紅の魔眼で睨みつけられる前に、トライブが用意したのはネギ、しょうが、シソ……。
「薬味しか無いじゃありませんか。志方ない、電気消しますよっ。私が色々やりますからっ」

 後に枢が語ったところでは、みかん、チョコレート、メロンパンなど……その鍋はそれはそれは甘くてジューシーな味がしたという……。