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我らに太平の時は無し――『恋愛訓練』――

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我らに太平の時は無し――『恋愛訓練』――

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 慣れない浴衣と草履に、遠野 歌菜(とおの・かな)は困惑していた。
 いや、困惑の理由は何も浴衣や履き物ばかりではない。
 彼女の隣に、彼女の意中の相手、月崎 羽純(つきざき・はすみ)がいるからである。
 恥ずかしい失敗をしたくない。そう考えれば考える程、体は固くなる物だ。
 ぎこちない動きで彼女は歩みを進め――しかし不意に少し前に見えていた羽純の肩が、彼女の隣に並ぶ。
 履き慣れない草履でもたつく歌菜に、合わせてくれているのだ。
 何気ない優しさに一瞬、歌菜の表情が驚きに染まり、それから嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ねえ羽純君、屋台見てまわろうよ! 私、綿菓子とリンゴ飴が食べたいな!」
 何処と無い緊張感と嬉しさに歌菜は改めて、「自分は羽純が好きなんだなあ」と自覚する。
 途端に恥ずかしくなって、彼女は誤魔化すように提案した。
 けれども頬の赤らんだ少しはにかんだ笑顔からは照れ隠しの情が明け透けで、羽純は小さく苦笑。
「あぁ、そうしよう」
 とは言えそれを突っつくほど、羽純も意地悪ではない。
 微笑みを歌菜に向けて、彼は頷いた。
「う……あ、あと射的も! 勝負しようよ!」
 その笑顔に一層心を揺さぶられて、慌てふためき歌菜はそう付け足した。
 そしてすぐさま、彼から顔を逸らしてしまう。
 赤くなった顔を見られるのが恥ずかしかったのだ。
 勿論羽純はそのような事も全て分かっていて、言わば歌菜は惚れた弱みに見事なまでに嵌り込んでいた。
 綿菓子やリンゴ飴を食べる仕草でさえ、おかしくないか気にかけてしまうくらいに。
 あまり大きく口を開けずに、小さく小さく齧りながら彼女は嚥下していく。
「……ん、射的あったぞ。勝負するんだろ?」
 屋台を見て回る内に、羽純が射的屋を見付けた。
 食べ物関連の屋台でない為か、店員は普通にいるようだ。
「おっちゃん、一回お願い。二人ね」
 羽純に話しかけられて、射的屋のおっちゃんはまず彼と、隣の歌菜を見比べた。
「そちらの嬢さん、お兄ちゃんの連れかい?」
 突然の問いに、羽純はひとまず頷きを返した。
 その瞬間、おっちゃんの眼の色が変わった。
「そうかいそうかい……分かったよ、ホレ」
 おっちゃんは二度大きく首を縦に振り、歌菜と羽純に空気銃を手渡す。
 そして、
「当てられるモンなら当ててみやがれこのクソッタレのカップル共がああああああああああああああああああ!」
 腹の底からの叫び声と共に、手元のボタンを強く押し込んだ。
 連動して、屋台の景品が棚から消え、代わりに極々小さな的が姿を現す。
 倒した的に応じて景品が貰えはするが、的は重く更に小さい。
 元々はゲーム機などを狙う子供を釣る為の餌だが、今は全ての的がそれとなっている。
 更に加えて棚は拘束でベルトコンベアーのように不規則、かつ高速で左右に動いてさえいた。
「ハッハッハ! どうだ! 狙いが定まらんだろう! ぬわぁにが『よーし俺ちゃんカッコいいとこ見せちゃうぞー』『キャー素敵ー』だ! さっさと恥曝して死ね!」
 背後に嫉妬の炎を燃やして、おっちゃんは喚き散らす。
 当然狙撃手のスキルを持っている訳でもない歌菜と羽純には、嫉妬力全開の難易度を前に為す術などなく。
 その後も行く先行く先で、カップル様限定――無論悪い意味で――のおもてなしが彼女達を待ち受けた。
 けれども、それさえも何処か歌菜にとっては嬉しかった。
 それは周りから、自分達が恋仲に見られている事の証左だったから。
 そして楽しい時は流れ、夜が訪れる。
 夜空に咲く花火を見上げた視線を歌菜に向けて、羽純が言う。
「今日、この瞬間……歌菜と一緒に居ることが出来て、よかった」
 歌菜は目をぱちくりさせて、それから俯き、最後に花火を見上げ直して、答えを返す。
「私も……羽純くんと一緒に居られて……よかった」
 彼の顔を直視したままでは、決して言えないであろう言葉を、笑顔と共に。
 
 
 祭りに似つかわしくない不機嫌な仏頂面が、筋骨隆々の巨躯を引っ提げて闊歩していた。
 祭りの華やかな空気さえも、彼の周りだけは避けて通っているように感じられる。
 彼はジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)。血の気が多く強硬な手段も辞さない生粋の軍人気質である彼は、「お前は恋愛に向いておらず、また荒い気性もこれを期にどうにかしろ」とこの訓練への参加を強制された。
 のだが、元より色恋沙汰など更々興味のない、寧ろ軟弱な心象さえ抱いている彼としてはこの上なく不愉快な事でさえあった。
 上官の命令だからと一応参加はしたものの、積極的に取り組む素振りなどは、微塵も見られない。
「もう、ジェイコブったら。いい加減機嫌直してよね。折角のお祭りなんだから、楽しまなきゃ損じゃない」
 何とか彼を宥めようとあの手この手を尽くしているのは、彼のパートナーフィリシア・レイスリー(ふぃりしあ・れいすりー)だ。
 と言うのも、何しろ彼女はこの恋愛訓練を楽しみにしていたのだから。理由の方は、推して知るべしと言った所だ。
 だと言うのに彼は不機嫌極まりなく、フィリシアとしてはどうしても、彼と一緒に祭りを楽しみたいのだ。
「あ、ほら! 綿菓子あるわよ綿菓子!」
「あんなガキの食いモンが食えるか」
 ただの一言で切り捨てられ、それでもフィリシアは諦めない。
「じゃあ射的はどう? 射撃なら得意でしょ?」
「反動のない銃は好かん。それにファミコンウォーズじゃないんだ」
 むぐぐ、と言葉に詰まりながらも、更にフィリシアは続ける。
「ならくじ引きは!」
「戦場で運を頼りにする奴は早死にする」
「だったら金魚掬い!」
「戦場の外でまで命を弄ぶ趣味はない」
 フィリシアが何を言っても、ジェイコブは素っ気無い答えしか返さない。
 是が非でも祭りを楽しませようとした事で、逆に意固地になっているようですらあった。
 ならばと、フィリシアは考える。
 今の彼の頭に血が上った状態を逆手にとって、彼に「自分の事が好き」だと言わせてやろうと。
「もういいわ! さっきから否定的な事ばかり言って! ジェイコブ、本当は私の事好きじゃないんでしょ!」
「おぉよく分かったな! お前なんか好きじゃない!」
「ええ、私も好きじゃないわ!」
「オレはお前の何倍もお前のこと好きじゃない!」
「そう?私の方がよほどあなたのこと好きじゃないわよ!」
 堂々巡りの言い合いは、次第に熱を帯びていく。
「ジェイコブ、本当は私のこと嫌いなんでしょ!」
 そして、彼女は罠を仕掛ける。
 けれどもジェイコブは逡巡を覚えた。
 色恋沙汰に対して嫌悪を示す彼ならば尚更、咄嗟の事とは言え「好き」などと言う台詞は言い難い物だった。
「ぐ……あぁ、だから何度も言ってるだろう! 俺はお前なんか、嫌いなんだよ!」
 代わりに紡がれたのは、照れ臭さを隠す余り過剰に辛辣な響きを孕んだ言葉だった。
 フィリシアの表情が、凍り付く。
 自分が何を言われたのか、暫し彼女は理解出来ずに呆然とする。
 だが遅れてジェイコブの言葉は彼女の心に冷水の如く浸透して――気が付けば彼女は、ぽろぽろと止め処なく涙を流していた。
 そのまま何も言えず、彼女は逃げ出すように走り去る。
「……何なんだ、まったく」
 フィリシアの背中を顰めた表情で見据え、気まずそうにジェイコブが呟き、
「……お前は、アホかあああああああああああああああああ!」
 不意に何処からともなく詰め寄せた迷彩服の連中が、彼を強かにどついた。
「っ……何しやがる!」
「うるせえお前こそ何してやがる! アホかお前は!」
「何度もアホって言うんじゃねえ! そもそもこの訓練ならアレで問題ねえだろうが!」
「意地張って女を泣かせる事がか? いいか俺達はな、女とイチャつくリア充共は勿論嫌いだが、女を泣かせるような奴は大っ嫌いなんだよ! 分かったらさっさと追っかけやがれボケナス!」
 男達の言葉に、ジェイコブはフィリシアの涙を思い出す。
 普段強かな彼女が、童女のように零した涙を。
 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、ジェイコブは走り出した。
 もう見えなくなったフィリシアの背中を、当てもなくただ追いかける。
「……フィル」
 そして人混みから外れた暗がりで啜り泣く彼女を見つけた。
 名を呼ばれた途端にびくりと体を震わせ、また逃げ出そうとする彼女を、ジェイコブは腕を掴み引き止める。
「あー……その、何だ。えっとだな」
 それから視線を逸らしてばつが悪そうな素振りを見せる。
 殊更に落ち込んだ顔色で、フィルが先んじて口を開いた。
「もう、いいよ……。ごめんね、今日はこんな事に付き合わせちゃって。面倒だったよね。こんな、嫌いな私の為に……」
「……っ、バカなこと言うな! 嫌いなわけないだろ! そりゃ今日は面倒だったさ! だがな、だからこそ好きじゃなかったら誰がパートナーにお前みたいな奴を選ぶか!!」
 半ば反射的に、ジェイコブは叫んでいた。
 フィリシアの表情が硬直する。先程の凍土の如き絶望の表情ではなく、驚きのそれに。
 そして彼の言葉が心に染み込むや否や、彼女は満面の笑顔を浮かべていた。
 いつの間に追い付いてきたのやら、周りには先程の教導団の連中が、二人を囃し立てている。
 彼らを恥ずかしいやら居心地悪いやらで見回して、ふとジェイコブは違和感を覚えた。
 口では煽り口笛を吹いている彼らだが、その手には数々の武器が、そして表情は隠し切れない怒気の滲んだ笑顔だった。
 それもその筈だろう。彼らはあくまでも嫉妬の御旗の下にリア充を撲滅する集団なのであって。
 ならばこの時点でジェイコブ達は彼らの怨恨の対象としては、十分なのだ。
「け、結局こうなるのか! ええいこれ以上やってられるか! オレはもう帰るぞ!」
「あ、ちょっと待ちなさいよ! 折角だしこれからでもお祭り楽しめばいいじゃない!」
 逃げ出すジェイコブを追うフィリシアは、とても嬉しそうに笑っていた。