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我らに太平の時は無し――『恋愛訓練』――

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我らに太平の時は無し――『恋愛訓練』――

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 ジョヴァンニイ・ロード(じょばんにい・ろーど)は祭りの華やかな灯りを、ぼんやりと眺めていた。
 既に陽も落ちようとしているのに何処か呆けた様子なのは、周りの明るさが白昼を思わせるからだろうか。
 いずれにせよその様からは、吸血鬼としての威厳などは殆ど感じられない。
「ジョバンニイ? 何ぼーっとしてんのよ」
 飴玉を転がすように甘ったるい声と共に、彼は出し抜けに背後から腕を組まれる。
 ビクつきながらジョバンニイが振り返ってみると、リリィ・マグダレン(りりぃ・まぐだれん)悪戯な笑みを浮かべて彼の腕に抱きつくようにしていた。
 上目遣いの挑発的な視線に、見る見る内にジョバンニイの顔が赤く染まる。それから顔を引き攣らせて、必死にどう答えたものかと考え始めた。
 その様子に、リリィは内心で大笑いしていた。笑いの色が表情にまで滲むのを辛うじて堪えながら、彼女は答えを待つ。
「嫌い……ではない」
 瞬間、彼女の表情が凍り付いた。先のフィリシアのような、絶望故の氷結ではない。
 ただ冷徹なる感情が心の底から湧き滲んだ。それだけの事だ。
 わなわなと震えた彼女は、腕組みを解くとジョバンニイを殴り倒す。ものの見事にグーだった。
「アンタは求められた台詞すらはけないのか!! ヘタレめ!!」
 辛辣な罵倒と共に、彼女は打ち倒されたジョバンニイを何度も踏みしだく。
 彼の無様な態に、リリィは心奥から湧き上がる嗜虐心に頬を染める。
「どうやら……私が直々にお仕置きするしかなさそうねぇ……?」
「なっ……!? ちょっと待て……!」
「ふぅん? どの口が、誰に向かって命令してるのかしら、ねえ? 流石に往来じゃマズいし、どこか人気のない所にでも行きましょうかね?」
「ぬぐっ、襟を掴むな! 首が絞ま……誰か助けてくれええええええええ!」
 女が男を引いて人気のない暗がりへと連れて行く。
 絵面としてはそうなのだが、何故だか嫉妬の集団は一人たりとも出てこない。
 代わりに人混みの中にちらほらと、手やハンカチを振る男達が見られた。
 それから暫く、祭りの喧騒に紛れて微かな悲鳴が響く。
「まったく……! 人が折角聞いてあげたって言うのに……! バッカじゃないの……!」
 断続的に続く悲鳴の合間に、リリィの声が響く。
「ヘタレのくせにやる時もやれないなんて、どうしようもないわねえ? それともやる時もやれないからヘタレなのかしら? まあどうでもいいけど」
 一しきり虐め終えると、リリィは目を細め鼻で嘲笑を残してその場を立ち去る。
 祭りの人混みの中を一人で歩く内に、彼女はお仕置きの過程で冷静となった頭で考えた。
 「嫌いではない」だなんて生ぬるい答えが何処かくすぐったくて、彼女は思わず笑いを零す。
 そしてもしもあの時、ジョバンニイが「好き」や「愛している」などと答えを返してきていたら。
 自分はからかうだけで済んだのだろうか、どう答えればよかったのか。
 彼の答えに応えられる事が出来たのだろうかと言う疑問に、彼女の意識は辿り着く。
 だが、そこまでだ。
 その先の答えは、どうしても見つからない。
 だとしたらやはり、今の関係が一番心地いいのかもしれない。
 なんて事を思いながら、リリィはもう一度小さく笑みを漏らした。

 そしてジョバンニイもまた、地に伏したままぼんやりと考える。
 自分が宿敵と認める彼女に対してお茶を濁した、生ぬるい答えなど必要無かったと。
 だがならばどう答えを返せば良かったのかとなると、やはり答えは見つからない。
「宿敵だ」と言うべきだったのか、いっそ「愛している」とでも叫べばよかったのか。
 解の見つからない懊悩を、彼は柄じゃ無いと頭を振って切り捨てた。



 祭りの待ち合わせ場所に向かう途中、マリア・クラウディエ(まりあ・くらうでぃえ)は嘆息を零した。
 元々この祭りに対して乗り気で無かった彼女は、しかしパートナーのノイン・クロスフォード(のいん・くろすふぉーど)の熱心な懇願に負けて参加を決めた。
 決めたのだが、平時ですら人目を憚らず愛を叫ぶ彼が、果たしてこの訓練中大人しくしていられるのか。
 それを考えるとやはり彼女は不安と溜息を禁じ得ず、多少うんざりとしながら待ち合わせ場所の前へと姿を晒した。
「あ――」
 彼女の姿を見て早々に、ノインは口を開く。
 言葉の皮切りとなった「あ」の音律に、思わず拳を握った。
「あぁ、来て頂けたのですね。もしかしたら心変わりをされてしまったのではないかと、些か不安でしたよ」
 彼が紡いだのは、何の粗もない慇懃な響きだった。
「……約束したんだから、そんな事したりしないわよ」
 少しばかり意外な言葉に微かに目を見開きながらも、マリアは平静を保って言葉を返す。
 ノインは無言のまま、微笑みと共に彼女の前に跪き手を差し伸べた。
 いつも通りのキザな所作だが、それでもマリアの違和感は拭われなかった。
「なにか、食べたいものはありますか?」
「じゃあ……綿菓子とか」
 返事は、やはり無言の微笑み。
 綿菓子を受け取り、憮然としながらマリアはそれを小さく齧る。
「沢山食べて下さいね。他にも出店は沢山ありますから」
 当たり障りの無い言葉と笑顔。
 口内に広がる甘味さえ、マリアには何処と無く鈍って感じられた。
 気付かない内に、彼女の表情は曇っていく。
 心の中で、呟く。
 寂しい、つまらないな、と。
「おや……どうしました? もしかして、気分が優れませんか?」
 俯くマリアの頬に手を添えて、ノインは膝を屈めて彼女の顔を覗き込む。
「……っ、別に。いつもとちょっと違うから、違和感あるなって思っただけ」
 答えるマリアの口調は、意図せずして淡々としていた。
 けれどもその言葉の中には、彼女すら自覚していないかもしれない望みが込められていた。
 こう言えば、もしかしたらノインがいつものような事を言い出すかもしれないと言う願いが。
「貴女を怒らせてばかりではいけませんからね」
 だが、ノインの言葉に粗相はない。
「いやあ……なかなか辛い物ですね。自分の思いを胸の内のみに留めておくと言うのは」
 多少苦味の混じった微笑をノインは浮かべる。
(そう……だよね。ノインだって頑張ってるんだもん。それに私だって、大人しくしていて欲しいって思ってたじゃない。だから……これでいいのよ)
 彼女の思考は、道理に一切背いてはいない。
 だと言うのに、それでも彼女は心の隅で蠢き寂寥の情を殺し切る事が出来なかった。
「しかし……本当に大丈夫ですか? やはり、顔色がよろしくない」
「……そうね。ちょっと祭りの空気に酔っちゃったかも。どこかで休みましょう」
 祭りの騒がしい空気から少し離れた場所へと、二人は移動する。
 その間もノインは彼女を気遣いこそすれど、無駄な言葉を発する事はついぞ無かった。
「適度な静かさと涼しさですね。ここで暫く休みましょうか」
 規模の小さな雑木林の木陰に行き着いて、ノインは木の足元に自分の上着を広げる。
 その上にマリアを座らせて、自分は彼女の傍で木の幹にもたれ掛かっていた。
「いやぁ……今日は、無理を言ってしまいましたね」
 ノインが一人、諳んじる。
 俯き感情の色に乏しいマリアは、ただ無言を貫いていた。
「祭りは……どうしましょう。戻りますか? それとも、帰って休みますか?」
 マリアは僅かに、下唇を噛む。
 いつものノインが良いと言う訳ではない。そのような事を、彼女は認めない。
 ない筈なのに、今夜のノインは驚くほどに、彼女の心内に寂しさの亀裂を走らせていた。
「……そうね。今日はもう、疲れちゃったわ。悪いけど、もうお休みしたいかも」
 淡々と、途切れ途切れに彼女は答えを返した。
「素敵な夜でしたが、仕方ありませんね。貴女が辛いのでは、何の意味もない。……では、最後に」
 木の幹から背を離して、マリアに手を差し伸べ引き起こし、正面に立つ。
 そしてただ一言、彼女に伝えた。
「私が今日貴女に話した言葉の頭文字を、続けて読んでみて下さい」
 跪き、マリアの手の甲に口付けを残して、立ち上がり際上着を拾い上げるとノインは身を翻す。
 けれども遠ざかろうとする彼の袖を、マリアの指がたどたどしく、だが力強く掴み止めた。
「……マリア?」
 不思議そうに、ノインは目を見開く。
 一瞬言葉に詰まりながらも、彼女は一息に彼へ告げる。
「……これ、あげるわ」
 素っ気ない音律と共に差し出されたのは、一輪の花。
 淡い桜色に、幾重にも重なる花弁。
 彼女が待ち合わせの場所に来る前に買ってきて、けれども祭りの間ずっと渡せなかった物だ。
「……ありがとうございます」
 嬉しそうに微笑んで、今度こそノインはその場を立ち去った。
 彼の姿が見えなくなってから、彼女は不意に微笑を零す。
 ノインが最後に告げた言葉、その意味が分かったからだ。

「あぁ、来て頂けたのですね。もしかしたら心変わりをされてしまったのではないかと、些か不安でしたよ」
「なにか、食べたいものはありますか?」
「沢山食べて下さいね。他にも出店は沢山ありますから」
「おや……どうしました? もしかして、気分が優れませんか?」
「貴女を怒らせてばかりではいけませんからね」
「いやあ……なかなか辛い物ですね。自分の思いを胸の内のみに留めておくと言うのは」
「しかし……本当に大丈夫ですか? やはり、顔色がよろしくない」
「適度な静かさと涼しさですね。ここで暫く休みましょうか」
「いやぁ……今日は、無理を言ってしまいましたね」
「祭りは……どうしましょう。戻りますか? それとも、帰って休みますか?」
「素敵な夜でしたが、仕方ありませんね。貴女が辛いのでは、何の意味もない。……では、最後に」
 それらの頭文字は、「あなたおあいしています」。

「貴女を愛しています」

「……キザな吸血鬼。ある意味、尊敬しちゃうわ」
 呆れたように呟く彼女は、しかし言葉に嬉々の響きが滲むのを堪え切れなかった。
 彼女が別れ際に花を渡す時に素っ気ない口調になっていたのも、それは寂寥の為ではない。
 呆れた素振りも、喜色の笑いも、ノインに見せるには些か、恥ずかしかったのだ。
「ノイン……貴方の言葉は、確かに私に通じたわよ。……貴方は、どう? 私の気持ちに、気付いてくれたかしら?」

 そしてノイン・クロスフォードはマリアに貰った花を眼前に、喜色の滲む笑みを浮かべていた。
 薄い桜色の花の名は、アザレア。
 そしてその花言葉は、
「……『貴方に愛される幸せ』……ですか。私には、しっかりと伝わりましたよ。貴女には、伝わったでしょうか。私の想いは」
 アザレアの花を掲げ、彼はそれを見上げて呟く。
「……少しは、自惚れてもいいですよね?」