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リアクション
「うぅ……団長殿は見つからず、挙句迷子とは……自分で自分が情けないでありますぅ……」
運営委員の張るテントの下で、土御門 雲雀(つちみかど・ひばり)は涙目にしょげた様子で呟いた。
団長とお話出来ると意気込んで訓練に参加したはいいが肝心の団長が見つからず、果てに彼女は迷子で運営委員のお世話となっていた。
余りの情けなさ、不甲斐なさに、彼女は溜息を零す。
「……ふむ、何やら呼ばれた気がするのだが、気のせいか?」
だが噂をすれば何とやら。
団長の噂をすれば本人が現れるとのジンクスは健在らしく、雲雀の背後で彼女の望んだ声が響く。
忽ち表情をぱっと輝かせて彼女は振り返り、
「……って、きゃぁあああ!? 一体どうしたんでありますかその血は!?」
何故だか頭から血を垂れ流した団長の姿に、驚愕の悲鳴を上げた。
「色々あってな、何も聞くな。それより私を探していたようだが、一体何の用があったのだ?」
頭からの流血は一切気にしていない様子で、寧ろ周りの運営委員達が慌てて治療を行う中、団長の視線は静かに雲雀を貫く。
俄かに雲雀は緊張に五体を包まれ、目を見開き口を真一文字に結んでしまう。
それから瞬きを頻発して、頬を染めて硬直する。
「……どうした? 何も無いのか?」
このまま無言でいれば、団長はきっと立ち去ってしまう。
そんな事は分かり切っていて、それでも雲雀は口を開く事が出来ない。
ウブで色恋沙汰に耐性の無い彼女からすれば、想い人である彼にお付き合いを願うなど、おいそれと吐き出せる言葉ではないのだ。
そこに金 鋭峰特有の冷冽な威圧感まで相まったとあれば、彼女の萎縮は極まってしまうに違いない。
ただ一言、「お付き合い下さい」と。ただそれだけの言葉が、どうしても雲雀には言えなかった。
無言の空気が彼女の心に不安の毒を滲ませて、その不安が更に彼女から言葉を奪う。
「どうやら、何も無いようだな。ならば……」
「あ……いや……ちがっ……」
出て来るのはしどろもどろになった断片的な意味の無い声ばかり。
そして、団長は口を開く。
「……私と暫し付き合え。構わんな?」
「……へ?」
思わず、頓狂な声を雲雀は零した。
「……不服か?」
団長は問うが、彼女はまだ彼に何を言われたのかさえ理解出来ていなかった。
数秒の沈黙を経て初めて、彼女は団長の先の言葉を理解する。
「い……いえ! まさかそんな! とんでもないであります! よ、喜んでお受け致しますであります!」
そうして慌てて、不服の言葉を否定した。
慌てるあまり若干軍人口調さえ乱れながらも、彼女は承諾の意をありありと示す。
とは言ったものの、
(うぅ……いざこうなってみると……何をしていいのか分からないでありますよぅ……。いちゃつくだなんてそんな、恐れ多いし……)
団長の隣でもじもじと間誤付くばかりで、雲雀はいまいち行動を起こせない。
けれどもただ並んで歩くばかりではいけないと、彼女は決意を胸に息を吸い込む。
「えっと! あの、団長殿は何か、お好……」
だが直後に、彼女の背後から唐突に火術が飛来した。
それは雲雀の軍帽を掠めて、微かに煙を上げさせる。
「わ、ちょ、何でありますか!?」
炎上しようとする帽子を叩いて鎮火して、雲雀は背後を振り返る。
人混みの中に、自身のパートナーであるサラマンディア・ヴォルテール(さらまんでぃあ・う゛ぉるてーる)の姿を彼女は見付けた。
(あんにゃろう、よくも……って、そう言えば今回は『好き』とか禁句なのでしたっけ……)
サラマンディアの姿が見えたのは一瞬だけで、彼はすぐに人混みの中へと潜っていった。
「……やれやれ、先が思いやられるぜありゃ。俺だって毎度毎度フォロー出来る訳じゃねえしなあ」
頭を左手で抱えて、サラマンディアは小さく呟く。
「なぁなぁ、ここのクレープめっちゃおいしいでえ。精霊さんも一つどぉ?」
俯き加減になった頭の下に潜り込んでクレープを口に押し込もうとするはぐれ魔導書 『不滅の雷』(はぐれまどうしょ・ふめつのいかずち)――カグラに、彼は思わず溜息を零す。
とは言えカグラが引くようにも思えないので、困った素振りを見せながらもクレープは受け入れるのだが。
そのやり取りが周囲に潜む教導団の連中に業火の如き苛立ちを与えているとは、彼は考えもしなかった。
「もぉ、精霊さん。せーっかく遊びに来てるんやから、そんな気難しい顔せんのぉ」
少し拗ねた表情で唇を尖らせて、カグラはサラマンディアの鼻先に指を突き付ける。
「ヒバリだってガキやあらへんのやから、そんな心配せんでも大丈夫やって。そらさっきはちょっと危なかったけど、あらテンパッとったからやろうし」
一旦言葉を切って、それからヒバリはサラマンディアから顔を背けて、小さく零す。
「……それに、折角誘ってくれたのにほったらかしやなんて、つまらへんわ」
そう言われてしまうと、サラマンディアには返す言葉がない。
過保護が雲雀にとって必ずしも良いものであるとは言えず、誘っておいて放りっぱなしと言うのも気が引ける。
「……確かに、お前の言う通りだな。悪かった」
「ええよええよー。これからたーっぷり埋め合わせしてもらうもん。まずはー……せやなあ、一緒に綿菓子食べよか! あとたこ焼きも!」
一転して明るい表情となったカグラは、サラマンディアの腕を引いて屋台の方へと繰り出していく。
そして、サラマンディアは知らない。
女の行為に鈍い素振りを見せる野郎と、モテない男にとって最も鼻持ちならない態度を振り撒いていた彼が、周りから完全にマークされている事を。
「えへへー。それになー、他にもいーっぱいやりたい事あんねやー。とことん付き合ってもらうでー」
そのお陰で結果として、雲雀達への監視が少なくなった事など、これっぽっちも知らなかった。
その頃雲雀は相変わらず緊張しながらも、会話は絶やさぬようにと不慣れながらも頑張っていた。
一度サラマンディアに帽子を焦がされてからは、『禁句』にも触れぬよう意識も出来ている。
正直な所それだけで手一杯ではあったのだが、彼女としては団長と触れ合える滅多にない機会なのだ。
とにかく一秒でも長く傍にいたい、一言でも多く彼の言葉を聞きたいと、彼女は必死だった。
「えっと……えっと……団長殿は……今の目標とか、ありますでしょうか?」
彼女の質問に、深い意図などない。
ただひたすらに、会話を途切れさせまいと思いつくがままに話しているだけだ。
「目標……か。パラミタは未だ、地球で言うなれば古き時代の群雄割拠と大差ない、闘争と不統一の世にある。それでは、駄目なのだ。不敗の国には、統一が不可欠である。その為の覇道。その上に立ちはだかる因縁。挙げればキリがない」
「……やっぱり、団長殿は凄いであります。自分は人見知りとか、苦手な物とか……昔の口癖とか、そんなちっぽけなものを克服したいだけで、でもそれすら出来ない。ダメダメであります」
思いがけず、雲雀は俯きしょげた様を見せる。
団長は微かに眉を顰めて、一言。
「……確かに、私の見据える物は壮大である」
だが、と彼は言葉を繋ぐ。
「今日、今現在に至っては……私の目標も、不得手の克服と言った所だ。我が目的に比べれば瑣末ではあるが、目前の石を放っておいては、いずれそれに躓く日が訪れる。大事を見据えれば偉く凄いと言う訳ではない」
前を向いていた団長が立ち止まり、雲雀へと向き直る。
「君は自分の目標を乗り越えようと努力しているのだろう? ならば、それは誇らしい事だ。大言壮語を吐くだけの輩よりも、ずっとだ」
雲雀の瞳をまっすぐに見据え、団長は告げる。
それから一瞬の沈黙の後に、気恥ずかしくなったのか。
団長も雲雀も、同時にそれぞれ左右に目を逸らす。
「……些か、喋り過ぎたかもしれんな。祭りの空気にでも酔ったか。気を悪くしたら、すまなかったな」
「いえ! まさか! その……とても励みになったであります!」
相変わらずのはきはきした軍人口調でそう答えて、しかし急に雲雀はしおらしく、或いは怖気付いたような素振りを見せた。
「……そ、それでですね。励みついでにその……手を……握って頂けたらな……なんて……」
俯いたままそう言って、彼女はちらりと団長を見上げる。
「それが君の励みとなるのならば、私に断る理由はない」
そう断じながらも、多少気恥しそうに団長は手を差し出す。
雲雀はその手におずおずと手を伸ばし、指先に触れる。
そこで本当に握ってもいいのだろうかと不安を抱き、けれども今更引く事も出来ない。
結局やけっぱちの勢いで、強く彼の手を取った。
彼女の緊張は殆ど限界に達していた。
そしてだからこそ、「会話を絶やしてはいけない」と強く思っていた彼女は、半ば反射的に言葉を発する。
「その……団長殿は! どんなタイプの人に、興味があるのでありましょうか!」
言い終えてしまってから、彼女は深く後悔する。
幾らウブで朴念仁であり恋愛沙汰に疎い団長と言えど、この状況でそのような問いを受ければ、雲雀の意図など明け透けだ。
「……興味がある、と言う問いに答えるならば」
後悔に苛む雲雀に、しかし団長は静かに言葉を紡ぎ出す。
「私は成長しようと励む者。より高みを目指す者には、押し並べて興味がある。より良い人間が、より良い物を作るからだ。技術であろうと、国であろうと。……質問の答えとしては、これで間違いないな?」
団長の静謐な視線に、雲雀はただ熱に浮かされたような瞳で無言のままに頷いた。
「……では、私はここらで失礼するとしよう。……引き続き、祭りを楽しむがいい、土御門雲雀訓練生よ」
一方的に告げて、金 鋭峰は踵を返し彼女の傍から去っていく。
雲雀には彼を引き留める事など叶わず、ただ彼に伝えられた言葉の数々のみが、頭の中で何度も何度も繰り返されていた。
「……鋭峰さん、いるかなあ」
雲雀の元から立ち去った金 鋭峰は、ふと自分の名を呼ぶ声を聞いた。
声の聞こえた方を振り向いてみれば、一人の少女が戸惑った様子で首を左右に振っている。
彼は決して好んで女性に近寄ろうとは思わないが、だからと言って明らかに自分を探す相手から遠ざかる事もしない。
それは自分の不得手、苦手から逃げる事であり、忌むべき事だからだ。
この訓練とて、同じである。色恋沙汰を不得手として逃げるのは容易い。
だがそれでは生涯を貫いて、不得手を、それから逃げた不名誉を抱え続ける事となる。誰が知らずとも、自分の心奥に。
問題と対面出来ない人間は、そこで成長を止める事となる。
「……そこの君。私を探しているようだが、何か用でもあるのか?」
なればこそ、金 鋭峰は火村 加夜(ひむら・かや)へと話し掛ける。
「あ……すごい。本当に、噂をしたら本人さんが来て下さるんですね。少し、驚きです」
彼の姿を認めて加夜は少しだけ驚いた表情を見せて、しかしすぐに嬉しそうに笑った。
「……あ、すいません。勝手に盛り上がってしまって。えっと……もし良かったら、祭りにご一緒してもらえませんか?」
お淑やかな笑顔と共に小首を傾げて、加夜は尋ねる。
今日三度目の誘いに内心で今日は厄日なのではと疑い嘆息を零しながらも、
「……よかろう。君がそれを望むのであれば、私がそれを断る理由はない」
そのような事はおくびにも出さず、金 鋭峰は断言した。
加夜の笑顔に、花のような喜色が差す。
「ありがとうございます。それじゃあ、暫しの間とは言えよろしくお願いしますね」
礼儀正しく頭を下げて、彼女は鋭峰の隣に立つ。
「……それじゃあ、出店でも回りましょうか。お手並み、拝見させてもよろしいですか?」
「……む、いいだろう。将自ら手本を示せねば、人は付いて来ぬ。……と言っても、君は教導団の者では無さそうだがな」
ともあれ、二人は出店を回る。
まず目に付いたのは、射的だ。
店員は男女の一組と言う点のみを盲目的に見ているようで、鋭峰を相手にも構わず超難易度を繰り出す。
けれども鋭峰特に怯んだ様子もなく、空気銃を構えた。
造作も無く全弾を的に命中させてのけると、興味が失せたように屋台に背を向ける。
「動作の起点、即ち方向転換の瞬間を狙えば命中は容易い。もしも教導団の者でそれをしくじる者がいれば、此度の訓練とは別途に伝えよ。補修の訓練が必要である」
淡々と言い残すと、彼は加夜を促し歩き出した。
次の出店は輪投げである。
こちらもやはりカップル専用難易度となっていたが、鋭峰は事も無げに輪を放り、立てられた棒へと通していった。
「白兵戦、特に近接戦闘においては近場にある物の投擲が効果的になる場合もある。こちらに関しても、教導団員が失敗するようなら伝えるように」
やはり淡泊な口調で命令を残し、鋭峰は加夜を振り返る。
「お厳しいですねえ」
口元に右手を当て若干の苦笑いと共に、加夜は言った。
「軍人たる者、何か一つでも欠けていてはならぬからな。秀でるのは良いが、劣るでは話にならん。欠損した技術を持っていて困るのは、後々の彼らに違いない」
仰々しい口調で彼は答えて――しかし再び加夜が教導団員では無い事を思い出し、失態の表情を浮かべる。
「……すまんな。これでは君もつまらんだろう」
不得手であれば不得手であるなりの工夫があるだろうに、無意識の内とは言え自分の領域へと逃げた形になった己を、鋭峰は内心で叱責する。
だが彼の言葉に反して、加夜は首を横に振った。
怪訝の色が、彼の面に浮かぶ。
「自然体でいられるって事は、良い事だと思いますよ。私も今日はすごく楽だし、楽しいです」
その言葉は、彼女の本心だったのだろう。
だが鋭峰の表情に滲む怪訝の色は、その濃度を静かに増した。
「あ、そうだ。手、握ってもらえますか?」
加夜の誘いに、鋭峰は無言で応える。
火村加夜はこの祭りを、そして鋭峰との一時を確かに楽しんでいた。
「鋭峰さんって、聞くほど怖い人じゃなかったんですね。ちょっと、意外です」
「……と言うと?」
「この祭り一つにしても、皆の事を考えてるじゃないですか。息抜きや楽しみなんだけど、ちゃんと教導団の人達の未来にも繋がるようにしてたりとか。優しい人なんだなあって」
「……そんな大層な物ではない、がな。求める者には与え、弱きに甘んじる者は是正すべきである。道理に沿っているだけの事だ」
「……それでも、鋭峰さんは優しい人ですよ、きっと。だって一緒にいて、私は楽しいですもの」
それから暫く、無言の歩みの中で加夜は考える。
金 鋭峰は噂に聞いていたようなただ怖い人物ではなく、彼には彼なりの芯があり。
寧ろ恋愛沙汰に対して心得が乏しいが為に時折見せる気遣いは、可愛げさえ感じられた。
だがだからこそ、この時間が過ぎた後に待つ彼女の『現実』。
それに対する解脱の念は一層強まって、
「結婚って難しいですねぇ。鋭峰さんって遠回しそうですよね。プロポーズの言葉」
彼女自身は何気なく、だが明らかに今までの流れからかけ離れた異質な言葉を、ふと零した。
対して鋭峰は一時の沈黙の後に、口を開く。
何となくではあるが彼女の一言から、彼女の身の上を察して。
「君は先程……私と手を繋ごうと言ったが、あれは何故だ? それが恋人『らしい』仕草だからか。ならば……それは果たして、君が言う所の自然と言えるのだろうか?」
僅かに顔を上げて、加夜には意図的に視線を注がず、彼は続ける。
「私はついさっき、己の劣等感を克服したいと願う者と言葉を交わした。軍人でない君にこのような事を求めるのは些か以上に酷かもしれぬ。……が、その上で私は敢えてこう言おう」
語り出してから初めて、彼は加夜へと向き直る。
そして、告げた。
「現状を認め、その為の勇気を持て。手の内にある物に幸せを見出せ。それが出来なければ、君の望む幸せへ手を伸ばせ。今宵は言わば一杯の盃。楽しむなとは言わん。だが、決して溺れるなかれ」
言い終えて、彼は目を閉ざす。
「……少々説教染みた事を言ってしまったな。私も、祭りの空気に酔っているようだ。これ以上の失礼を働かぬ内に、立ち去るとしよう」
彼の言葉に、加夜は僅かに首を傾げ微笑みを浮かべた。
「ありがとうございました。……最後に一つ、よろしいですか?」
鋭峰は何も答えず、その沈黙を彼女は肯定と受け取った。
「……今日は、私との一時は、楽しかったですか?」
再び彼は目を瞑り、それから加夜を正視して答えを返す。
「……君が楽しかったのなら、私としては満足だ」
「もう……こう言う時は楽しかったって答えるものなんですよ」
少し拗ねたように、加夜は頬を膨らませてみせた。
「む……それは……すまなかった」
僅かに動揺の色を見せた鋭峰に、加夜は笑いかける。
「でも、嬉しかったです。今日は本当に、ありがとうございました」
金 鋭峰の言葉に彼女は何を思い、何を見据えるのか。
それは、彼女にしか知りようのない事だった。
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