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第5章


「おおう、ん……むう……」
「あん……んむ、はふぅ……」
 保健室のベッドの上で、コトノハとルオシンが絡み合っている。

「うわ、すっげぇ。あんなことするんだ……」
 と、それを隣のベッドと隔てるカーテンの隙間から覗き見ているのが茅野 菫である。

 保健室で事態の成り行きを見守っていた菫はそろそろ保健室を出るかと思っていたが、その途端に保健室になだれ込んできたコトノハとルオシンの研幕に驚き、とりあえず奥のベッドに隠れたのである。
 お互いの攻防戦に夢中な二人は、菫がいることにも気付かずに二つあるベッドのうちの一つを使い始めた。

 そして現在に至る。

「おー。これはすごい……今後の参考にしよう」
 何の参考だという話もあるが、菫はいつまでもこうしてはいられないとベッドから這い出る。
 極力音を立てないようにこっそりと保健室内を移動し、内側から鍵を外して、外に出た。


「――さて、まずはメガネのところにでも行ってみるか」


 校長室のドアを開けると、山葉 涼司は相変わらず花音・アームルートに噛みつかれている。そのうえ、何人かの男女生徒が増えていて、まったく身動きが取れない状態だ。
 校長になってからの涼司は前校長のいない穴を埋めようと必死に校長職に励んでいたので、それはそれで人気も高いのだろう。

「――ぷ。何だいその格好は」
 菫は心底おかしそうに笑った。

「――お前か。久しぶりだな」
「そうだね――困ってるみたいじゃない? その様子じゃどうせ自分で動くことはできないでしょ? 解決してやるから校内を自由に動き回る許可を出しなよ。まあ、報酬は後で相談ってことでいいからさ」
「……む、背に腹は代えられんか」
「そういうこと……それにしても大人気だねぇ、校長先生サマは」
 複数の生徒に頬も手も足も噛みつかれて文字通り身動きが取れない涼司を、菫は笑った。
「からかうなよ。こう見えて楽じゃねえぞ、校長なんてよ」

「そういう意味じゃないよ……あの山葉がねえ」
「?」


 変われば変わるモンじゃないか、と微笑みを残して、菫は校長室を後にした。


                               ☆


「すると、ここで作った薬ではない、ということですか?」
 火村 加夜(ひむら・かや)は、ダイエット研究会の部室に来ていた。もちろん、事件の解決のために情報を得るためだ。
 とはいえ、ダイエット研究会は公式なコミュニティではなく、いくつかの化学系のコミュニティの有志が集まってできた非公式のコミュニティだった。したがって正式な名称はなく、ダイエット研究会という名称も、その成果をモニターしていた一部の女生徒から呼ばれるようになった名前が一人歩きしていただけであった。

「――はい。僕たちが作っていたのはあくまでダイエット等に使える栄養補助サプリ程度のもので――ここまで大規模な効果をもたらすものではありません」
 応対に出た男子生徒はそう答えた。今はあまり使われていない古い化学室に集まっていた生徒は五人程度。全員が白衣を着た男子で、こう言っては何だが明るいタイプの人間ではない。

「以前から、未認可の薬品を使っている、という噂があったようですが……?」
「噂……ですよね。僕たちは独自で新しいダイエット法とかを考えたり、市販のサプリの組み合わせを考えたりと、細々とした活動を行なっていただけです。そんな薬品だなんて手を出せるわけがありませんよ」
 ようやっとこの間オリジナルのサプリを作ろうか、という話が出たばかりだと男子生徒は言った。それに尾ひれがついて噂になったのだろう、と。

「そうですか……」
 加夜は頷きつつも様子を見た。行動予測をしながらも相手が嘘をついていないかどうか確認しようとする。
 恐らく何かを隠してはいる。だが、その内容が分からないのであれば意味がない。

「ところで、ダイエット研究会とは関係ないということですが、実際に使われた薬品というのはどういうものか見当はつきますか?」
「――ああ、それならたぶんこれでしょうね」
 と、男子生徒は一冊の科学情報誌を取り出す。

 そこには、感情をコントロールする薬品の記事がある。
「これですか――」
 博識な加夜はそこに書いてある専門用語のいくつかも理解はできる。
 感情の細やかなコントロールを可能にするというその新薬は、例えばうつ病の治療や、ガン治療の苦痛などを抑制する効果も期待できるとして、様々な病気の治療に役立つ可能性を秘めているのだという。
 そこでは夢物語のように語られているが、惚れ薬や媚薬のようなものにも使えるのではないか、とも。

「ご存知でしょうが、新しい薬品の認可というのは何年も何年もかかるんです、特に日本では。――この薬も欧米ではとっくに認可されているのに、日本の法律に準じているパラミタ地域ではまだまだ使えないんです」
 と、生徒は語った。


 その時、化学室の入り口から声がした。
「――だが、それはそれとしてまだ話してないことがあるよな、ダイエット研究会の諸君?」

 男が立っていた。
 赤い髪に緑の瞳。端正な顔立ちのその男は入り口に立ち、加夜に軽く手を上げて挨拶していた。エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)だ。

「エースさん!」

 加夜は立ち上がって駆け寄った。今は空京大学に在籍しているが、その前は蒼空学園にいたエースだけあって、顔は広い。
「ルカルカに頼まれてね、たまたま弟の顔を見ようと立ち寄ったらこれだ。学園の教師たちは何をしているのやら――」
 手にもった薔薇を一輪、加夜に手渡してエースは微笑んだ。
 加夜はそれを受け取りつつも、先ほどの一言が気になっている。
「エースさん、まだ話していないことがあるって……?」

「それは私から説明しましょう」
 そう言ってエースの後ろから姿を現したのはエースのパートナー、エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)
「ルカルカさんから転送してもらったデータと、蒼空学園の学生名簿を照合しました。さらにエースと二人で聞き込みを行なった結果――」
 エオリアはダイエット研究会のメンバーを指差す。


「いわゆるダイエット研究会と呼ばれているメンバーは全部で六人。ここにいない一人がメンバーの会長的立場で――先ほど入った情報によれば、街の売人から例の薬品を買った疑いが最も強い人物です」


「えっ?」
 加夜は思わず先ほどまで話していた生徒を振り返った。気まずそうに目線を合わそうとしない。
「ま、そういうことだ」
 エースは芝居がかった様子で肩をすくめてみせた。

「あなたが会長さんじゃなかったんですか?」
 加夜は男子生徒に詰め寄るが、開き直った様子で答えるばかりの男子生徒。
「誰もそんなことは言っていませんよ。聞かれたから答えただけです」

 やれやれ、とエースはため息を漏らす。
「押し問答している暇はないんだ。それならその会長さんとやらはどこにいる?」
「さあ? 確かに一時間くらい前にはここにいましたけどね……この部屋を出て行ったところまでしか見ていませんよ」
「どこに行った?」
「僕たちは聞いていません。もしお疑いでしたら、この部屋を自由に調べて下さいよ。まあ散らかっているうえに、何もないところですけれど」

 卑屈な薄ら笑いを浮かべるその男子生徒はのらりくらりと話をして、話をしていると、正直言って不快だった。


 それならばと、加夜とエース、それにエオリアの三人は部屋の家捜しを始めた。


 そこに現れたのが緋ノ神 紅凛(ひのかみ・こうりん)とパートナーのブリジット・イェーガー(ぶりじっと・いぇーがー)の二人である。
「ダイエット研究会ってのはここかぁっ!?」
 いきなりの大声に全員が振り向くと、紅凛が仁王立ちで腕組みをして入り口に立っている。

「――何のご用ですか。今たてこんでおりまして……」
 先ほどの男子生徒が応対に出る。
「あんたが責任者っ!? 怪しげな薬を作って他人様に迷惑かけやがって!」
 一気に胸倉を掴みあげて男子をつるし上げる紅凛。
 紅凛はまた他のパートナーがガスに感染したので、速やかに気絶させた後、怒り狂いながら犯人と解毒薬を探してここまで来たというわけだ。
「ひいぃっ!」
 だが、あまりの研幕に恐れをなした男子生徒はまともに喋れる状態ではない。ブリジットはそんな紅凛をなだめながら仲裁に入った。
「落ち着いて下さい。そう乱暴にしては話せるものも話せませんよ」
「けどなブリ公! 大事なパートナーに変な薬使われて黙ってられるか! 一発殴らないと気がすまないんだ!!」
 そっと、その右手を制するブリジット。落ち着いた深みのある声で言った。


「だからこそ、です――生かしておかないと解毒薬を作らせることもできません……殴るのはその後でもいいでしょう? あとブリ公って呼ばないで下さい」
 どうやら、怒っているのは彼女も一緒らしい。


「――どうやら頼もしい後輩が育っているようだね」
 エースは、そんな紅凛とブリジットに話しかけた。薔薇の花を一輪差し出す。
「何、あんた? こいつらの仲間!?」
 男子生徒を落とし、返事も聞かずに殴りかかる紅凛。彼女はいずれ『緋ノ神流』という自らの流派を立ち上げたいと思っているほどの格闘少女であり、自分の腕には自信がある。
 だが、エースはその右拳を難なく片手で受け止めた。
「――!?」
「ふむ、いいパンチだ。だけど人の話は聞くものだ、我々はダイエット研究会の仲間ではないし、むしろ立場としてはそちら側さ……犯人確保と解毒薬の作成が目的でね」
「……ふん」
 紅凛は止められた拳を大人しく引っ込める。確かに彼女自身の武術家としての才能は高いのだが、まだまだ経験が不足していた。
「どうだい、目的が同じようならいっそ協力しては」
 エースの言葉に、ニヤリと笑みを返す紅凛。続いてブリジットも頷いた。
「まあ、しょうがないな――この際味方は多いほうがいいか!!」
「――そうですね、一刻も早く解毒薬を作らせましょう」


                              ☆


 一方その頃、同じように事件解決に乗り出していたグレン・アディール(ぐれん・あでぃーる)は二人のパートナー、機晶姫のソニア・アディール(そにあ・あでぃーる)と英霊の李 ナタ(り なた) と共に多くの生徒で混雑する廊下を歩いていた。
 まずは現状を把握することが必要だった。
 廊下を歩くと所構わず抱き合う男女の姿。もともと感情表現というものに乏しいグレンであってもさすがにこれはどうかと思えてくる。

「……見れば見るほど、凄い状況だな」
 ぽつりと、誰にともなく呟くグレン。その声に反応してソニアが答えた。
「ええ、そうですね……早く解毒薬を見つけて、治療してあげないと」
 幼い頃にグレンと契約し、母のように接してきたソニア。その優しさは聖母のように平等に降り注ぐ。

 まあ、その反面怒ると怖いのだが。

 それに解毒薬が必要なのは、そこら辺で抱き合っている男女だけではなく、ソニア自身にも言えることだった。
 実はガスに感染しているソニアは、グレンに噛みつきたくてしょうがないのだが、普段はグレンの母として姉として保護者として振舞っているだけに、その感情を表に出すことがはばかられるのだ。

 一方のグレンも、ここまで激しく感情をぶつけ合う男女を間近で見ることもないので、その感情に当てられて戸惑っている。


 幸せそうにお互いの頬を噛む男女。
 もし、自分がソニアに噛みつかれたならお互いにどんな気持ちになるのだろう。
 もし、自分がソニアに噛みついたならお互いにどんな気持ちになるのだろう、と。


「……ハッ!?」
 気付くと、ソニアの横顔を目で追っている自分がいる。見るとソニアの頬は紅潮し、少し苦しそうだ。
「……ソニア、大丈夫か? 体調が悪いのなら……」
「い、いえ! 大丈夫です!!」

 ビクッと身体を硬直させるソニア。言うまでもなく禁断症状に耐えているので、極力グレンと目を合わせたくないのだが、グレンはそのことに全く気付いていない。
 そこにナタが割り込んで、話を逸らした。
「ほらほら、無駄話してねえでよ、さっさと犯人探そうぜ」
「ん、ああ……」
 確かに、多少息を荒げているものの、ソニアはキビキビと動いている。
 心配しすぎだろうか、と犯人探しに向かうグレンをよそに、ソニアはナタに目配せをして礼を言った。

 気にすんなと肩をすくめるナタ。彼は、ソニアが感染していることに気付いていたが、彼女がグレンに噛みつくわけにはいかないことを察し、極力二人を接触させないようにと気を使ってくれていたのだ。


 まあ、しかし二人とも往生際が悪いなぁ――。とナタは思った。
 実際のところ、二人が両想いなのは端から見れば明らかなのである。

 だが、グレンはソニアを母や姉のように思っているのだから、そんな感情がある筈もないと無意識的に否定していた。
 そしてソニアも、自分はグレンの保護者であり、また機晶姫という存在である自分がグレンに個人的な想いを寄せていい筈がないと、心の奥底にその想いを封じ込めてしまっているのである。

 んなことグレンは気にしねえのになぁ。とナタはいつも思っているのだが、当人同士が鈍感なこともありその仲は一向に進展しない。
 やれやれだ、とナタが思っていると後ろでグレンの声がした。


「ソニア! 大丈夫か!?」


 見ると、ソニアが禁断症状の限界を超えてしまったのか、その場にへたり込んでいる。
「――っ、しまった!」
 グレンはソニアの肩を揺すり、気を持たせようとしているが、それが逆効果であることをナタは知っている。

「――グレン――」
 顔を上げたソニアの優しい瞳は涙で潤み、形のいい唇からは熱い吐息が漏れた。
「……ソニアッ!?」
 見た事のないソニアの表情に驚いたグレンだが、ソニアの両手はグレンに抱きつき、離そうとしない。
「ソニア、ソニア! どうしたんだ、一体!?」

 その様子を見たナタは、一言呟いた。
「あーあー。やっちまった」
 ソニアを止めようかとも思ったが、この際だから二人の関係を進展させるいい機会になるかもしれねぇな、と考えて放置することにした。


「グレン……ああ……グレン……」
 ソニアはグレンに抱きついたまま、腕力で突き飛ばすわけにもいかずに戸惑うグレンの首筋から耳を噛んだ。
「……!?」
 途端に、力が抜けてその場に倒れ込むグレン。元々孤独な傭兵として生きてきた彼は、他人との接触に慣れていないのだ。

「グレン……おいしいです……」
 そのまま頬に唇を寄せ、歯を立てる。顔が近い。
「ソニア……ソニ……」
 グレンも感染してはいるのだが、もうソニアに噛みつくどころではない。頭はぐるぐると回り、オーバーヒート寸前だった。

「……グレン……す……き……」
「……!!」
 ついに、ソニアの唇がグレンの唇に触れた。そのままはむはむとグレンの唇を味わうソニアだが、グレンの意識が既に遠のいていることには気付いていなかった。

「お、おい! やばい! それ以上やっちまうとグレンが耐えられねぇぞ!?」
 ナタが制止に入った時はもう遅かった。グレンの意識は既に切れ、完全に気を失ってしまっていた。
 それにも気付かず、懸命にグレンに噛みつくソニア。その顔にはこれ以上ないほどの幸せな表情が浮かんでいた。

「――ま、しょうがねぇか……」
 とりあえず何とか安全な場所に二人を移し、症状が収まるのを待つナタだった。


 ソニアは、いつまでもグレンを噛んでいた。
 幸せそうに、噛んでいた――。