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第8章


「さて、事件だ。これを放っておく手はないよね、親分!」
 今日も元気な飛鳥 桜(あすか・さくら)は拳を手のひらにパチンと鳴らして、気合を入れた。
 親分と呼ばれたのはパートナーのロランアルト・カリエド(ろらんあると・かりえど)である。
「せやなぁ、何しろ桜はヒーローやさかいなぁ」
 そう、桜は美少女戦士部に所属しているヒーロー『ヴァルキュリア・サクラ』なのだ。蒼空学園の生徒としても、ヒーローとしてもこの状況で黙っているわけにはいかない。
 といいつつ、もう一人のパートナー、アルフ・グラディオス(あるふ・ぐらでぃおす)に情報収集をさせて桜とロランアルトは待機中なのだが。
 しかもロランアルトに至っては芝生に寝転がって待つリラックスっぷりだ。


「果報は寝て待て、って言うやろ?」


 だからと言って本当に寝なくてもいいんじゃない? と桜は思った。
 だが、とりたててできることもないのでちょっと廊下の様子でも見てくるか……と移動しようとした時、草に足を取られて転んでしまった。ちょうど仰向けになって寝転んだロランアルトの真上に倒れる。

「わっぷ! ……てて、ごめんね親分、大丈夫?」
 ロランアルトの顔面にボディプレスをしたような格好になってしまい、桜は謝りながらも体勢を立て直す。
 と。


「……かわえぇ」
 ロランアルトの口から、ため息と共に言葉が漏れた。


「え? ……お、やぶん?」
 一瞬、何が起こったのか分からない桜。ロランアルトは桜の頬にそっと右手を添えた。
「なぁ……桜……何でそんなに美味そうなんや……」
「え? えええぇぇぇっ!?」
「食べてしまいたい……」
 25歳男性、大人アリスの色気全開で迫るロランアルトに、桜はただ戸惑うことしか出来なかった。
 もちろん、ロランアルトはただいま全力で感染中である。

「お、親分いったいどうしたの? ショックで頭のネジが十本単位で飛んじゃった!? っつーか親分そんなキャラじゃないし! 何そのぶっちゃけ色気パネェ的な! パネェって何語!? ていうか顔が近いよ親分、顔が!! いやまずこんな時には落ち着くんだ、クールになれ僕! だから顔近いって! 無理無理無理クールとか無理!」
 ひたすら混乱してワケのわからないことを一気にまくし立てる桜だが、ロランアルトは左手の人差し指を桜の可愛い唇にそっと押し当てた。
 そして、ささやくように一言。


「……黙って」


「だから顔が!」
 近い、と言おうとした桜の思考回路が止まった、ロランアルトが頬に優しく噛みついたせいである。
「……桜ぁ……かわえぇなぁ、もう……」
 至福の表情を浮かべるロランアルトに対し、噛みつかれた桜の思考回路はショートしっぱなし。『症状からすると親分が僕のことを好きってことだよね? え、ちょ、ま』と全くまとまらない自分の声が脳内で響くだけで何もできない。

 と、その時。


「何やってんだよこの馬鹿野郎ぉーっっっ!!!」


 と、ロランアルトの側頭部に鋭い突っ込みという名の飛び蹴りが入った。蹴ったのは情報収集から帰ってきたアルフ・グラディオスだ。
 蹴り飛ばされて芝生をごろごろと転がるロランアルト。アルフはいまだ放心状態の桜をがくがくと揺すり、その頬を服の袖でごしごしと拭いた。
「桜、おい大丈夫か! つか放心してんじゃねぇよ阿呆!!」
 頬を痛いほど拭かれて、桜はようやく意識を取り戻した。
「……い、痛いよアルフ」
 とは言うものの、まだ心臓の高鳴りが収まらない。異性との接触が少ない桜にとってロランアルトのスキンシップはやや過剰すぎた。まだ噛まれた頬が熱く、胸がドキドキする。


 そして、こっそり桜に片思いしているアルフとしてはその状況が面白いはずもない。


 ええいちくしょう、どうせ鈍感と思って二人っきりで放置したのが失敗だったか、つーかこれは早くなんとかしないと盗られるぞってことなのか、しかし桜に噛みつくとは何といううらやま、いや何でもねーよこの野郎、いい度胸してんじゃねえかド畜生が。
 という嵐のような胸中でロランアルトを睨みつけるアルフ。ようやく身体を起こした胸倉を乱暴に掴んだ。

「やい、てめぇ一体どういうつもりだ!」
 ロランアルトはというと、まだ夢見心地でぼんやりと呟いた。
「えぇー……ええやん、だって桜かわえぇし……大事な妹分やからぁ……ほらぁ、俺って親馬鹿やろぉ……?」

 大事な妹分。その単語にヘナヘナと座りこむ桜。
「ああ……なんだ、そういう……。あれ、親分……?」
 見ると、ロランアルトの様子がおかしい、先ほどまで桜に向けていた色気でビームでも撃てそうな視線を、今度はアルフに向けているではないか。

「え?」
「……アルフ……何この柔らかそうなほっぺ」
 もはや問答無用である。言うが早いかロランアルトはアルフの頬に噛みつき、その柔らかさを存分に堪能する。
「あひゃやぁっ!?」
 思わず盛大な反応を返してしまうアルフ。痛みには強いが、こういう刺激には弱いのだろうか。力が抜けてへたり込んでしまった。
 そこに遠慮なく追い討ちをかけていくロランアルト。

「んぅ〜ん、美味しいぃ〜。アル、真っ赤でトマトみたいやなぁ……」
「あ、こら……やめろぉ……ち、力が……くそっ」

「……何、この薔薇空間」
 仲睦まじく絡み合う男二人を眺めつつ、桜は呟いた。

 アルフの反応に気を良くしたロランアルト、次に手を伸ばしたのはアルフの頭のてっぺんで揺れるアホ毛である。

「や、やめろ! そこは、だめぇっひゃやあぁぁっ!!」
 普段のアルフからはとても聞けないような悲鳴が漏れ、更にロランアルトがアホ毛に噛みついたところで更にヒートアップした。

「ねぇねぇ、前から気になってたんだけどさぁ、君のアホ毛ってどこに繋がってるんだい? ひょっとして神経通ってるの?」
 髪の毛を噛まれただけでこの乱れっぷりはおかしい、とばかりに桜は間近で見物する。
 うん、せっかくだから写メっとこ。

「や、やめ……んうっ! あ、ふひゃわぁあぁ」
 ……動画も撮っておくか、と桜がモードを切り替えたところで、誰かが桜の耳に噛みついた。

「うひゃあっ!?」
 いきなりの不意打ちに飛び上がる桜。気付くと背後から接近した女の子が桜の耳をはむはむと噛んでいた。
 ティア・ユースティだ。
「ほっひほひーおーはんはほんはあひあふうおはあー?」
 こっちのヒーローさんはどんな味がするのかなー? と言っているらしい。
 後ろからティアのパートナー、風森 巽がやって来て、ティアを引っぺがした。
「わぁ、すみません、大丈夫ですか! こらティア、やめなさい!」
 軽いティアをひょいっと持ち上げると、再び巽の耳に噛みつきながらティアは言った。
「えー、だってこのお姉さんヒーロの匂いがするんだもん、ヒーローはおいしいよねー」

 ティアの言葉にハッと我に帰る桜。
「そうだ、僕はヒーローなんだ! こんなところでボーッとしてはいられないよ!」
 と、自分を取り戻した桜は事件解決に向かうべく廊下を走り出した。
「え? あ、ちょっと!」
 と巽も慌てて後を追いかける。もちろん、ティアは巽に噛みついたままだ。


「あぅ……さ、くら……た…す…」
 その後には、ひたすら絡み合うロランアルトとアルフだけが取り残されたのだった。


                              ☆


「う〜ん、ガスがどうとか放送しとったけど僕には影響あらへんなぁ、毎日の乾布摩擦が効いとんのやろか。やっぱ健康は毎日の積み重ねが大事やで、ホンマ」
 と、一人頷くのは大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)だ。
 日頃からお金が大好きで、まあ人の道に外れない限りお金はあって困るののではない、という主義の泰輔。
 だが、今日に限っては特にお金になりそうになくてもこの事件を解決しなくては、と思っている。
 何故かというと。


「動きにくいっちゅーねん」


 いやマジで、と泰輔は念を押した。
 何しろ泰輔の頬にはレイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)が噛みつき、そのレイチェルにはフランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)が噛みついているのだから、動きやすいわけがない。
 無理に引き剥がせないこともないが、二人とも大切なパートナー、禁断症状で辛い思いをさせるのも可哀想、とそのままにしている。

 普段は自制心が強いレイチェルも、ガスの効果には耐えられなかったらしい。あまり自分の感情を表に出すタイプではないのだが、噛みつきつつも噛みつかれるこの状態はさすがに恥ずかしいのか、顔を赤らめている。
「うぅ……すみません、泰輔さん……」
 と謝りつつも、ガスの効果でつい泰輔の頬をかぷかぷと噛んでしまう。

 普段押さえ込んでいるタイプほど、こういう時噴出しやすいのだろうか。

 だが、フランツは普段から自分を押さえ込むタイプというわけでもない。が、今はレイチェルの頬に噛みついてご満悦だ。
「ああレイチェル……なんて君はかわいくて、憂いを帯びて美しいんだ。どうしてもこの頬を噛まないわけには」
 と、何の迷いもないご様子だ。

 結局のところ、噛んで噛まれるということになる。

「いやしかしな、こういう迷惑なモン垂れ流す奴ぁしっかりしばいとかんといかんな、子供でも犬でもその場で叱るんが躾の鉄則や」
 と、泰輔は方針を打ち出し、二人にもうちょっと動きやすいように体勢を変えさせた。
「ほないくでー!」
 という泰輔の掛け声を合図に、三人は動き出した。
 泰輔の肩にレイチェルが噛みつき、そのレイチェルの肩にフランツが噛みつく形でいっちに、いっちに、と歩く姿はまるで電車ごっこだ。

 その状態を見て泰輔のパートナー、讃岐院 顕仁(さぬきいん・あきひと)はついつい笑い出してしまった。

「そなたたちは……一体なにを遊んでおるのじゃ?」
「遊んでいるのではありませんよ……」
 とレイチェルは抗議するが、全く説得力がない。

「ふむ、笑わせてくれるのはよいが、そこまで身体を張らんでもよいと思うがの。まあ良い、それではろくに動けぬであろ。露払いは巻かせるが良いぞ」

「いやぁ、こういう芸ってわけじゃないんですよね。全てはガスのせい、僕がレイチェルに噛みついているのも、レイチェルが泰輔に噛みついているのも、全部ガスのせいさぁ。だって僕は基本的に理知的で理性的な人間なんだから……って痛っ」
 自分勝手なことを言いだすフランツを、泰輔が殴った。

 ところで、誰も自分に噛みついてこないのはどういうことだろうと、フランツはちょっとだけ不幸感に浸るのだった。

「まったく……想いなんてもんはしまっときたい奴もおるんやから……そういうのはそっとしとかなあかんで」
 泰輔の独り言に、心の中でそっと頷くレイチェルだった。


 ――はい、だから私も普段は隠しているんです。恥ずかしいですから。


                              ☆


「すまん、邪魔したな。気にせず続けてくれ」
 と言って校長室のドアを閉めたのはエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)だ。
 放送と事件との事実関係やダイエット研究会の噂の真偽を確かめようと校長室を訪れたのだが、山葉 涼司を噛みに来た生徒の数に呆れかえって何もせずに校長室を後にしたのである。
 涼司が助けを求めているようにも見えたが、そんなことは些細な問題であろう。

 何しろエヴァルトはこう見えて忙しいのだ、一刻も早くこの状況から解放されなくては。
「噛むことで満足感を得られるのであれば、ダイエットと無関係と言えなくもないか」
 と、ダイエット研究会を目指すエヴァルトの片手にはパートナーであるミュリエル・クロンティリス(みゅりえる・くろんてぃりす)があむあむと噛みついているわけで。

 何しろ元よりエヴァルトのお嫁さんになると公言中の彼女、一緒にお昼を食べようと初等部からやって来て感染した以上、もはやこうなることは自明の理であり予定調和であった。

 エヴァルトからすればいつまでも噛みつかれているのは動きにくいのだが、拒否して引き剥がすのも可哀想だ。
「まぁ、しかたないか……さっさと事件を解決しないとな」

「にむにむぅ〜? むぅ〜」

 ずっと手を噛んでいるのでミュリエルが何を言っているのかは分からないが、とりあえず賛同したのかも知れない。
 というか、もはや何も聞こえていないような状態である。
 そういえば、とエヴァルトは思い出した。以前、イルミンスールの校長が作った惚れ薬をミュリエルが飲んでしまったことがあったな、と。

「……まさか、フラッシュバックしてる?」
「おにいひゃん、あいしゅひぃ〜」

 とすると、今回のガスも何かそういう作用があるのだろうか? と考えながらも先を急ぐエヴァルトだった。


                              ☆


 橘 恭司(たちばな・きょうじ)は蒼空学園大学部に所属する学生だが、講義の合間に暇潰し、と高等部を散歩しに来たのだった。
 とはいえ、この状況下で呑気に散歩などできるわけもない。

「……ふむ。何だ、この騒ぎは」
 ふと、その辺で暴れている女生徒を捕まえた。

「ああキミ、一体何が起こっているんだ?」
 しかし、女生徒は禁断症状に耐えかねて暴れるばかりで恭司に説明できる状態ではない。

 恭司は思った、こういう時には相手の希望に沿った形で要望を聞き出すことで情報を得られるものだ、と。根掘り葉掘り聞くだけが情報収集ではないのだ。


「……ふむふむ、つまりキミはとある男子に噛みつきたいのだけれど、そんなことをしたら明日から気まずいから我慢しているんだね?」
 頷きながらも涙ながらに症状を訴える女生徒。恭司は優しくささやいた。
「よし分かった。ちょっとだけ我慢してくれ、俺がキミのそのイライラから解放してあげよう」
 本当? とその女生徒は瞳を上げた。
「本当だとも……さあ、目を閉じて」
 わずかな間ならば、と女生徒は目を閉じた。
「そして……肩の力を抜くんだ」
 恭司の手が両肩にそっと置かれた。禁断症状に耐えながらも、その女生徒はできるだけ力を抜こうと努力した。

「よし……ふん!」
 そして恭司は、両肩に置いた手をそっと両側から首に回し……絞めた。

「ふっ」
 女生徒は抵抗することもできずにキレイにオチた。確かに、この瞬間に彼女は苦しみから解放されたとは言える。

「さて……じゃあどんどん行こうかね」
 恭司は校内に入り、独特の方法で事態を鎮圧するつもりのようだった。


 廊下を歩いていると、ミュリエルに噛みつかれながらも先を急ぐエヴァルトに出くわした。
 恭介はその様子を見て、ミュリエルがガスに感染していることを見抜く。

「その女の子も感染しているみたいだね……」
 特に悪意はないようだが、何となく気になる視線を投げてくる恭司に、エヴァルトは反応に困った。
「そうだが……」
 と、恭司の後ろを見ると廊下に転がる生徒の海。

「困ってるようなら、その子も静かにさせようか?」
 エヴァルトはミュリエルを庇うように前に出た。恭司の両手がワキワキと危険な動きをしている。

「結構だ、事態を何とかしたいなら事件を解決するべきだからな」
 可愛い妹分をそんな目に合わせるわけにはいかない、とエヴァルト。
「おや、アテがあるのか?」
 と、話に乗ってきた恭司。

 二人は事件解決のために廊下を急いだ。やはり目指すはダイエット研究会だった。