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カカオな大闘技大会!

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カカオな大闘技大会!

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第1章 盛り上がれ闘技大会 1

 何というか、あれだ。
 ただちょっと、恋人たちに格好つけてみたかっただけなのだ。たまには良いところを見せたら、あいつらもまた惚れ直すかな、といった希望的観測と、ささやかな望みに過ぎなかった。
 だから――
「お嬢が出てくるなんて、聞いてないんやあああぁぁ!」
「逃げるなんて許さないわよ、陣!」
 白銀が踊るリーズの剣戟から、七枷 陣(ななかせ・じん)は脱兎のごとく背を向けて逃げ出していた。それを追いかけてくるリーズの刃は、容赦なく彼に襲いかかる。
「ぬあああぁぁっ!?」
「もう、うろちょろとっ! おとなしくしなさい!」
「剣をそんなぶんぶん振りまわしながら言われて、おとなしくするバカいるかぁっ!?」
 そんな、さながら曲芸のように逃げ回る陣に、のんびりとした応援者の声がかかった。
「あはははっ、二人とも目いっぱい頑張れー!」
「くっ……こっちはお嬢の気迫にガクブルしてるってのに、のほほんと飯食いやがってコノヤロウ……」
 逃げる陣の視界に映るのは、巨大な闘技場の観客席でむしゃむしゃと弁当をつまみながら応援しているパートナーたちだった。小尾田 真奈(おびた・まな)が持参した特製弁当を、リーズ・ディライド(りーず・でぃらいど)、そして陣たちの友人でもあるヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)が美味しそうに食している。
 飛び回りつつリーズの攻撃を避ける陣を楽しそうに眺めながら、ヴィナはひとつまみ弁当の中のエビフライを口にした。
「うん、いつ食べても真奈ちゃんのお弁当は美味しいね」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、作ってきたかいがあるというものです」
「にゃははっ、ねえねえ、真奈さん。これ、すっごい美味しいねー」
「……リーズ様、それは海苔と言って、お米と一緒に……ああ……」
 物腰柔らかに真奈は注意するが、バリバリと海苔だけを美味しそうに食べるリーズに口を挟むのはあきらめた。まあ、別に害があるわけでもないし、食べ方は人それぞれだ。出来ればお米と一緒に……というところだったが、さして強要する必要もあるまい。
 幸せそうに海苔を食べるリーズを温かに見守る真奈。ふと、ヴィナはそんなリーズの顔を見て思い至ったことを聞いた。
「そういえば、リーズちゃんたちは闘技大会に参加はしなかったんだね?」
「んー、ボクが出ようかと思ったんだけど、マスターヤコーが混乱するといけないから止めといたんだー…………んに? マスターヤコーってなに?」
「いや、それを俺に聞かれても困るんだけどね……」
 苦笑してみせるヴィナ。すると、彼の代わりに、当たり前のように真奈が返答した。
「ほら、あれですよ、リーズ様。もしもお互いの名前が入れ替わって書かれてしまったら、困るでしょう? 特に彼はいい加減な性格ですので、混乱することは必至なのですよ」
「混乱? 誰が?」
「画面の向こうにいる方です。別名は神様とも言います」
 真奈はしごく当然のようにどこぞかを指差して言った。
 混乱するリーズとヴィナであったが、とりあえずそれはさておいて、と真奈は話題を切り替えた。これ以上画面の向こうの人がバカをしないうちに、というわけか……!? なんてひどい奴だ! お父さんはあなた達をそんな風に書いた覚えは……。
 あ、しまった心の声が。
「ふふ……それにしても、二人の陣くんは頑張ってるねぇ。あ、真奈ちゃん、そのたこさんウィンナー貰っていいかな」
「ええ、もちろんです」
 エビフライを食べ終えたヴィナは続いてタコさんウィンナーをつまんだ。かわいらしいタコの形に切られたウィンナーを食べて、残された爪楊枝を見ながらヴィナはどこか感慨深そうに言う。
「うん、これもすごく美味しいね。リーズちゃんも幸せそうに食べてるし……陣くんは二人に囲まれてとても幸せだね」
 幸せ。ヴィナの声色に込められたその響きは、とても穏やかだった。
 リーズはそれに、笑顔で力強くうなずいた。
「うん! 具体的にどうとかは分かんないけど、ボクたちは幸せに過ごすよ。ずーっとね! ヴィナさんたちに負けないくらい! ヴィナさんだって、ボクたちに負けるつもりないんでしょ?」
「俺? うん……そうだね。奥さん二人いること、色々言われるけど……でも、幸せだよ。陣くんと、競える位にね」
 かみ締めるように口にするヴィナに、真奈が柔らかく微笑んだ。それはまるで、ヴィナの幸せを喜ぶような微笑みだった。
「ふふ……でも、きっと私たちは、ヴィナ様たちよりももっと……いえ、誰よりも一番幸せになってみせます」
 悪戯っぽく変わった微笑みのもと、真奈は陣を見やりながらそう言った。その微笑みは、温かな花のようになって、ヴィナへと向き合う。
「だって、幸せの多寡の基準は人それぞれなんですもの。だから皆が皆、私たちが一番幸せだって思うのは、道理でしょう? そういう事、です」
「…………」
 幸せの多寡の基準は人それぞれ。そうか……きっと、俺たちは「幸せ」なんだって誇らしく言っていいんだろうな。誰かと競うこともなく、ただ自分の想いのもとで、心のもとで。
「これは……やられたね」
 首をかしげるリーズの横で、ヴィナはくすっと笑った。
 ――そうしている間にも、陣と赤髪獣人の娘、リーズ・クオルヴェルの攻防は熱気を帯びてきていた。
「お嬢、ここで会ったのも何かの縁や……お遊びはこのぐらいにして、いっちょ本気出させてもらう……ぜっ!」
 それまで逃げを決め込んでいた陣の身体が、急速に疾風のような速さを得た。地を蹴って、壁を蹴って跳躍する彼の姿は、まるで蜘蛛の巣を巡る蜘蛛のごとく縦横無尽に視界を飛び回る。
「ふん……望む、ところよ!」
「……っ!」
 隙を突いて突き出された牽制の拳を、リーズは捉えていた。無論、それに身を掴まれるほど陣は余裕をかましてはいない。弾き返された体を立て直して、再び疾風となって飛び交った。飛び交う間、陣の唇から不思議な文言が囁かれる。
「Caina……Antenora……Ptolomea……Judecca」
 相対するリーズでしか聞き取ることのできないほどのささやかなる文言が紡ぐのは、魔道書に秘められた魔力の糸。禁じられた言葉が生み出す魔力に、リーズの獣人たる証ともいえる狼の耳がピクピクと反応していた。
 高まる魔力の中心にいながら、こちらをかく乱するように飛び回る陣。リーズは、逆に一歩も動くことはなかった。
 どこにいるのか、どこから見ているのか。神経を研ぎ澄まし、陣の姿を決死で捉えてゆく。
「そこぉ!」
 だが……姿を捉えることだけに気をとられていたのが甘かった。
 一瞬足をつまらせた陣へと、一気に剣を振りかざす。途端――陣の不敵な笑みとともに、リーズの足元を魔方陣の光芒が奔った。
「なっ……!」
「引っかかったな、お嬢!」
 罠か……!? 気づいたときには遅かった。
 地を走った光芒から生まれたいかづちは、リーズに降りかかる。だが、リーズは果敢にもそれを受け止めた。ここで逃げたところで、陣の思う壺にはまるだけだ。ならば、いっそ――
「お嬢、まだまだいくぜ!」
「……ちったぁ、遠慮ってもんをしなさいよ!」
 いかづちを刀身で受け止めたリーズに、容赦なく加わった更なる追撃の手は、炎の嵐――ファイアストームだった。波打つ炎は、リーズを飲み込んで一気に放出された。
 かかった。業火の炎から飛び出てきた影を視界に見定めて、陣の指先がそれを捉えた。指先に集まるのは、先ほどと同じファイアストームの炎である。
 しかし、今度はそれをただ一点のみに集中させている。いわば凝縮された魔力の玉とでも言うべきものが、陣の突き出した指先に形成されていた。
「焔のレールガンって奴や! セットォ!」
 掛け声とともに、指先からレーザーのように発射されたファイアストームの塊が、人影を襲った。だが、それは……
「なっ……!?」
 ファイアストームが弾き飛ばしたのは、それまでリーズが握り締めていた長剣、そしてそれを包み込んでいるローブであった。一瞬にして燃え散ったローブ……すると、唖然としている陣の背中に衝撃が叩き込まれた。
「あでぇっ!」
「はぁ〜、もう……あっついにも程があるってのよ!」
 振り返った陣の首元に向けて、リーズの手刀が寸前まで突き出された。
 半ば半裸状態の彼女の衣装は、炎の嵐のせいでちりちりとわずかに燃え上がっている。……煙が舞い上がったのをいいことに、ローブと剣を弾きあげると、炎の中を突っ込んで後ろに回りこんだというのか。
 なんというか、陣の表情は負けて残念というより呆れていた。
「まったく……なんつー無茶するんや……」
「魔力をあれだけ増幅させて……無茶はお互い様でしょ?」
 そのとき、試合終了の鐘が鳴った。
 陣とリーズは、お互いに笑みを交わしあった。えへへと晴れやかな表情を浮かべるリーズを、陣はくすっと笑う。
 ふと、陣の目は観客席にいるもう一人のリーズたちに止まった。負けてしまったが……まあ、同じ名前の女の子を泣かせるよりかは、いいかもしれない。
(……なんて、言い訳だけどなぁ)
 次に闘うときは勝つ! ひそかに心にそう刻んで、陣はリーズと握手を交わした。