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緊迫雪中電車――氷ゾンビ譚――

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緊迫雪中電車――氷ゾンビ譚――

リアクション


■■第六


 氷ゾンビの群れから逃避してきた恐慌状態の乗客と、石化現象から避難してきた乗客、及びまだ事態に気づいていない皆に、高名な音楽家であるテスラ・マグメル(てすら・まぐめる)の小さな音楽会があるという知らせが届いたのは、少しばかり前のことだった。
 楽器を移動した五両目にて、セイレーンが誘うが如く、また人々を魅了しその緊張を解そうとするかのような美声が響き渡る少し前。


 四両目まで待避してきていた国頭 武尊(くにがみ・たける)に、五両目から知らせに来たルカルカ・ルー(るかるか・るー)が声をかけた。
「なんだか氷ゾンビの数が減ったね」
「ああ、オレもそう思っていた所だぜ――でもまだ、三両目には何人かの姿が見えるな」
 隣接する車両への扉を一瞥した武尊は、幾ばくか眉間に皺を刻んだ。
「逆側の六両目に通じる扉の方は、フィリシアに見に行ってもらっているんだけど」
 ルカルカが、フィリシア・レイスリー(ふぃりしあ・れいすりー)を思い出しながら呟く。
「そっちも封鎖した方が良いだろうな」
 現在武尊が確認した限りだと、四両目には氷ゾンビの姿はもう無い。その為彼は、三両目へと通じる扉を、乗客達の荷物で封鎖したのだった。それでも様子を確認する為に残していた、窓部分の隙間からは、四両目に移ってこようとしている蒼いゾンビ達の姿が幾人か見て取れる。扉を破られるのも時間の問題だろう。
「隣で音楽会があるから、この車両のみんなも避難――聴きに来て貰った方が良いと思うんだよね」
 ルカルカの声に、彼は深々と頷いた。トンネルをいっこうに抜けなかった事から前方車両へと向かい、そこで起きていた惨劇を確認していた武尊は、現在避難を最小限に止めるべく避難誘導をしている。
 だが、その避難先であるこの場所も危険である可能性を否定できない以上、ルカルカの提案に頷くしかない。
「オレはこの車両に残って、内側からも扉を封鎖するから、まずは避難誘導――いや、音楽会への案内を手伝ってもらえないか」


 この車両に残っている乗客は、様々な情報が錯綜していることや、朝倉 リッチェンス(あさくら・りっちぇんす)が実際に氷ゾンビと化した姿を目撃している為、今でこそ平穏だが、実際の所いつパニック状態が訪れてもおかしくない程、その各々が困惑しているのだった。
「分かったわ。ルカルカ、頑張るんだもん」
 こうして二人は、四両目の乗客を五両目へと避難させ始めた。
「テスラの唄を直接聴けるなんて、滅多にない機会なんだよ」
 ルカルカが明るくそう声をかけると、乗客達が驚いたように顔を上げる。
「オレも早いところ場所取りに行かないとな」
 武尊がそういって踵を返そうとすると、一人、二人と、乗客達が立ち上がり始めた。
 不安そうに立ち上がるか迷っている様子の乗客には、ルカルカがそれとなく友情のフラワシを用いる。
 一方武尊は内心で――乗客に留まられては満足に戦うことは出来ないからな、等と考えていた。自称、気紛れで自己本位、目的の為には手段を選ばないのが彼だったが、実はそれは扱く論理的かつ他者を大切にしている裏返しなのかも知れない。とはいえ、価値観と倫理観が独特なのは間違いがなかった。
 自己本位だと思う彼は、結局の所他の乗客の避難誘導を買って出ているのである。それは生来持ち合わせた、勇敢な性格の表れなのかも知れない。
「ちゃんと整列してね。こっちこっち」
 ルカルカが誘導しながら、立ち止まりそれらの光景を眺めている武尊へと視線を向ける。
 サングラスをかけ直した彼は、口元に微笑を浮かべながら、最後の客が扉をくぐるまでじっとその場にとどまった。
 そうして、四両目へと続く扉へ彼もまた向かい――近場にあった大柄な誰かの荷物で封鎖しようとする。

――だが。

「ちょっと待って」
 そこへルカルカが戻ってきた。キサラ・エノールも一緒である。
「一人になんてしないんだもん、ルカルカは」
 そんな朗らかな声に、武尊は苦笑する。
「足手まといだぜ」
「う、確かに……だけど私も、解決したいんです」
 キサラがそう述べると、ルカルカが微笑した。
「キサラの事はルカルカが守るから、武尊は心配しなくても大丈夫だもん――それに、誰か治療できる人間がいる方が、心強いでしょう?」
「それは、そうだけ――」
 武尊が続けようとしたその瞬間、前方即ち三両目の扉が破られた。


 まず侵入してきたのは、片野 永久(かたの・とわ)三池 みつよ(みいけ・みつよ)、そしてグレイス・ドットイーター(ぐれいす・どっといーたー)である。
「あ、可愛い女の子がいる」
 グレイスがルカルカを見据えて、そう述べた。
 だがその正面に、武尊が立ちはだかる。
「可愛くなくて良かった……のかな」
 キサラが同様と困惑を綯い交ぜにそう呟くと、永久が蒼くかわった頬を撫でた。
「仲間を沢山作らないと。兎を捕まえる為に」
 その言葉にキサラが青くなる。
 するとルカルカが一歩前へと出て、巨大な荷物――石像を手に構えた。
 武尊はといえば、基本的に事由がなければ武器を持ち込めないこのSLへ、スキルである『物質化・非物質化』で隠し持っていたヒートマチェットを取り出しつつ、同様に携帯電話から光条兵器である銃剣付き大型拳銃を取り出し、構えたのだった。
 まず始めに襲いかかってきたみつよに対し、その手足を斧であるヒートマチェットを用いて一瞬で切断した武尊は、とどめとばかりにみつよの頭部へ銃弾を撃ちこむ。
 続いて襲いかかってきたグレイスには、銃剣の先を突き刺した後、心臓部を狙って発砲した。しかし二人とも、暫しの間をおくと、氷片と化した人体の一部が集まり、元の通りに体を止めるのだった。
「銃剣士を気取ってみるのも悪くないか」
 ブレードガンナーと口にした彼は、とはいえどうしたものかと思案していた。


 そこへ隙を突くように永久が、キサラに向かって襲いかかろうとした。
 他二人の相手をしていた武尊の間をすり抜けた彼女の刃がキサラを襲おうとする。
 だが瞬間的に、スキルの物質化でルカルカが、イナンナの石像を取り出し、足首持って前に立った。永久を武尊が一時倒し、起き上がろうとしていたみつよとグレイスに向かってはじきながら、彼女はエントゲームで先手を打つ事にした。
 そして全体攻撃を行う。ルカルカは、スキルであるドラゴンアーツで像をぶんぶんとふり回しながら、氷ゾンビ達を迎撃した。
――猛打爆発!
――クリーンヒッター!
 そのような言葉が今の彼女には、よく似合うだろう。
「すごいな」
 光条兵器を駆使しながら武尊が感想を述べる。
 するとルカルカが、金色の瞳を静かに揺らした。
「ほえ?」
「まるで米国映画だぜ、ゾンビものの。最終兵器だな」
 彼のそんな声に、ルカルカは肩をすくめた。
「最終兵器でも何でも、もう……好きに呼んで下さい」
 心なしか遠い目をしていた彼女に対し、キサラもまた武尊の言葉に同意するように頷いたのだった。


 その頃、五両目では、シンセサイザーからヴァイオリンへと姿をかえ、テスラ・マグメル(てすら・まぐめる)のリサイタルが進行していたのだった。
――電車の旅、長い時間をもてあました乗客を慰撫するため、楽器を変えながら車内で小 さなリサイタルを。
 それは事実でもあり、建前でもあった。
 テスラはテスラなりに深くこの事態を検案していたのである。
――暇を持て余した乗客を、中央車両付近にあるこの車両に集め、周辺車両を無人にする。 こうすれば、他契約者が多少の無理をしても、一般客に被害が出ないのではないか。
 実際テスラのその案は功を奏し、どころか、疑心暗鬼や不安に駆られていた乗客の多くの心も癒す事となっている。
「では、続いてはマリンバによる――……そうですね、セイレーンの唄を」
 テスラが観客達にそう告げると、辺りはわき上がった。
 繊細な指が、マリンバをなぞっていく。
 連なり続いていく激励・各種の歌が、車両中、そして周囲へと漏れていく。
 何よりも引き唄う彼女自身がとても安心した表情を浮かべていること、落ち着いている事とそのたおやかな微笑に、乗客達は、いつしか観客へと代わっていった。
 パニックを起こす物もいなくなり、それまで恐怖していた人々が冷静さを取り戻し始める。
 現在に至るまで、この音楽会は大成功、大盛況を治めていた。
 エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)が頬を緩めながら聴いている。逃避中に、ついつい足を止めざるを得ない程の、穏やかな調べだった。
 扉を挟んで、国頭 武尊(くにがみ・たける)ルカルカ・ルー(るかるか・るー)、そしてキサラも笑顔を浮かべる。逆側の扉の傍にいるフィリシア・レイスリー(ふぃりしあ・れいすりー)も同様に、微笑を浮かべている。
 テスラの、誰もが聞き惚れる美声は、人々の不安を確実に取り除いていったのだった。


「だけどこの兎さん、どうする?」
 月美 あゆみ(つきみ・あゆみ)のその声に、一同が視線を向けた。
 眠り込んでいるとはいえ、このパラミタウサギは石化の原因である。
「飼い主に届けてはどうでしょうか」
 綾瀬がそう述べると、ヒルデガルドが双眸を伏せた。
「視えます。飼い主の元へと戻るその時計兎の姿」
「時計兎?」
 なんの事だろうと、草薙 武尊(くさなぎ・たける)緋王 輝夜(ひおう・かぐや)が顔を見合わせる。
「とりあえず連れて行ってあげたらいいにゃ」
 ミディア・ミル(みでぃあ・みる)が、同じ動物としての心情を察してそう声をかける。
 すると中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)が、名乗りを上げた。
「それでは私が、連れて行きましょう」
 こうして綾瀬の手で、一匹のパラミタウサギは飼い主の元へと戻ることになったのだった。
「じゃあ、あゆみはこの事、千歳さん達に連絡するね」
 あゆみがピンク色の髪を揺らしながらそう告げると、皆が頷いたのだった。