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リアクション
●このままで、いたいだけ
指同士を絡める握り方で、影野陽太……もとい、御神楽陽太と御神楽環菜の夫妻は手を握り合っていた。
夜の並木道、二人きりで歩く。
「覚えてますか……環菜? 昨年、夏の終わりの夏祭りで、俺に語ってくれたことを?」
「えっ? そんなことあったかしら」
「そ、そんな……」
「嘘よ嘘。忘れるわけないでしょ、バカね」
やっぱり環菜は変わった。少なくとも陽太に対しては、変わった。こんな無邪気ないたずらをする余裕は、かつての彼女にはなかったと思う。
「正真正銘の本心だったわ……私が死んでも、少なくとも陽太、あなたの記憶のなかでは、生きられると思ったから」
「陽太、私のこと、覚えておいてね。夏の終わりのこの夜のことだけでもいいから、記憶の片隅にでもとどめておいてね。たとえ何があっても……」
あのとき環菜は、自分に迫り来る死という運命を、天性の勘で察知していたのだろう。
記憶のなかで生きたい、そう彼女が考え、選んでくれた相手が自分であること、それが陽太はたまらなく嬉しい。誇らしい。
「どうして俺を……」
「選んでくれたか、って? そんなもの、す……好きだったからに決まってるじゃない」
なに言わせるのよまったく、と言って照れたのか、環菜はサングラスをかけ直した。
「環菜、頼んでいいですか?」
「何を?」
「俺、環菜の紅く綺麗な瞳が好きだから、サングラスをはずしてくれると嬉しいです」
環菜は無言でサングラスを外し、手持ちの巾着にしまった。
しばらくすると環菜は、なにやらもじもじとしはじめた。足を止め、爪先で地面をなぞったりしている。
「どうかしました?」
「……まだ?」
「なにがです?」
環菜は口を尖らせて言った。
「女に眼鏡やサングラスを外させるのは、『キスするよ』って合図かと……思ってたから……」
「そ、そうなんですか!?」
「そうなんですかもこうなんですかもわかんないわっ! 私、恋愛のルールなんて知らないの! 私がちゃんと付き合ってあげた男って、結局のところ陽太だけなんだから!」
と、ここまでは力強かった環菜の声が、だんだんとしぼみはじめた。
「だから……きっちりリードしなさいよ……もう」
陽太の逞しい手が、環菜の背中を支えていた。
同時に彼の唇は、彼女の唇と重なっていた。
環菜は目を閉じた。陽太も、閉じた。
はじめから一個の生き物であったかのように、そうやって二人は、ぴったりと体を付け合った。
息が苦しくなるくらい接吻を続けたのち、唇を離して彼は言った。
「好きです。環菜……」
「キスしてから言う? それを」
膝が震えてしまうほど心が陽太で満たされてしまった環菜が、言える強がりはせいぜいそれくらいだった。
「じゃあ、もう一度します」
陽太に抱かれ、もう一度キスされ……このまま気絶してしまうのではないかと環菜は思った。
深夜、誰もいない校庭の笹に、陽太は黄色い短冊をつるした。
『愛する女性を絶対に幸せにします』
環菜もつるした。
『愛する夫と、添い遂げます』
そして笑いあう。二人とも、これは願いではなく、決意表明のようなものではないかと。
「そうそう。環菜に返したいものがありました」
陽太は荷物から、ビニールにつつまれた衣装を取り出した。
「イルミンスールの制服です。前のデザインですけど……。去年預かっていたものを返します」
「持っててくれたの……ありがとう。じゃあ、着てみる?」
「着てくれるんですか?」
「いいえ、私じゃなくて陽太が」
「ち、ちょっと待って下さいよ、俺が!?」
「案外似合うと思うわ、『御神楽陽歌(ようか)』ちゃん、なんて名乗ったりして」
なあんてね、と環菜は言った。
「嘘よ。またひっかかった……お詫びに着てあげるわ、家でね」
帰りましょう、と環菜は陽太の手を握った。
帰ろう、二人の新居に。
愛しの我が家に。
七夕の夜は終わった。