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●優雅なる茶会

 恥じらうようにしてもじもじと、レジーヌ・ベルナディス(れじーぬ・べるなでぃす)が姿を見せた。初々しいという言葉は今日の彼女のためにあるようなもの、萩と撫子をあしらったたおやかな着物姿で、頬を染めつつやや小走りにやってきた。
「へ、変な姿になってないですよね……?」
「大丈夫だって。よく似合ってるじゃない。着付けは百合園の人が手伝ってくれたし、心配することないよ」
 というのはエリーズ・バスティード(えりーず・ばすてぃーど)、彼女の着物は明るすぎない空色で、ちょうどこの秋空を表現したかのような衣装である。すがすがしく鮮やかな印象があった。
 レジーヌは日本文化が好きで、個人的にも色々リサーチはしていたのだが、実際に来日した経験は一度しかない。もちろん、野点に参加するのも初めてだ。楽しみな反面、自分の知識が間違っていないか気にもしていた。
 対するエリーズは実にマイペースで、レジーヌのような心配はしていない。
「お茶会だって。どんなお菓子が食べられるかな〜? あ、あそこ場所が空いているよ。参加させてもらおうよ」
 戸惑いもせず堂々と、「ここ、参加させてね−。え? 履物は脱いで上がるの?」と、さっさと草履を脱いで毛氈の上に上がっていった。こちらは姫宮みことが主として取り仕切っている一角だ。
「そ、そんな座り方しちゃ……」
 レジーヌは慌ててエリーズに声をかけた。彼女が立て膝で座ろうとしたからだ。
「えー? ダメなのー? 着物ってややこしいなぁ」
 エリーズは不平顔だが、レジーヌを真似て居心地悪そうに正座した。
 普段は引っ込み思案なレジーヌだが、今日は茶道文化を学ぶ良い機会、勇気を出して同席の人に話しかけることにした。
「あ、あの……こういう場所、初めてですか……?」
 おずおずと話しかけたその男性は、濃い紫の後れ毛を払って言葉を返した。
「それなりにはたしなんできたつもりだよ。君たちも、茶道に興味があるのかな?」
 なんとも派手な着物だが落ち着いた口調だ。香水やメイクではない。その言葉そのものから、不思議と佳い香りがするように思えた。その人物こそジェイダス・観世院、さすが薔薇の学舎の前校長にして現役理事長、物腰にも気品がある。レジーヌはいくらか、気圧されたように返答した。
「は、はい……日本文化の知識は、私の母国、フランスで学んだだけですが……ずっと興味があって……もっと詳しく知りたいと思っていたんです……」
 ところがエリーズはやはりマイペースなのだ。
「日本文化? 私はアニメとか漫画以外はあんまり。なんかこの着物って肩凝るなぁ」
 ジェイダスは輝く歯を見せて笑った。見ていると引き込まれるよう、カリスマ性のある笑顔である。
「二人とも、それぞれ正直で美しい生き方だね。私は茶道にはいくらか心得がある。大雑把でよければ教えよう」
 まず大事なことは……と、ジェイダスが語り始めたときである。
 一瞬、会場に緊張が走った――かのごとくに思われた。
 穏やかな場に氷水入りのグラスが投げ込まれたような、しかもそれが、甲高い音を発して粉々に砕け散ったような、実際にそんなことはないのだが、そんな錯覚すら抱かせるほどの短くも強い緊張感である。
 それは、新たなる来訪者がもたらしたものだった。
「邪魔する」
 その声を聞いたとたん、弾かれたようにレジーヌは立ち上がって敬礼をした。エリーズは倣わなかったが、会場のあちこちで、同じ姿勢を取るものが見られた。
 金 鋭峰(じん・るいふぉん)、教導団の団長、あるいはシャンバラ国軍総司令官が姿を見せたのだ。
「教導団の諸君、今日はプライベートだ。儀礼は無用。楽に、楽に」
 鋭鋒はその三白眼で、周囲を見回して告げた。怒っているわけではなさそうだが、いつもと変わらぬ射貫くような視線である。レジーヌにも「楽にせよ」というように掌を下にして手を上げ下げして見せる。
 鋭鋒は共を連れ、桜井静香の前に立った。
「桜井校長、今日は招いてくれたことに謝辞を述べたい」
 今日の鋭鋒は三国志の孔明が着ているような平服だ。小ぶりの冠を頭に乗せていた。それでもなお、彼が自然と発する威圧感というのは物凄いものがあった。袋一杯に詰めた剃刀が、ずしりと音を立てて置かれたかのようだ。
 しかし桜井静香とて只者ではなかった。彼女は満面の笑顔で、
「うん、来てくれて嬉しいよ。お久しぶり」
 と座したまま言い、席を勧めた。なんら動じていない。そればかりか、久方ぶりの友を招くかのような口調だった。
 鋭鋒は礼を返すと、
「ルカルカ、このまま座って良いのか?」
 振り返りもせず述べた。すると彼の左後方に侍していたルカルカ・ルー(るかるか・るー)が、立て板に水のごとく返答する。
「正式の茶室であればともかく、本日は無礼講の野点ですので、入退場の方法にこだわる必要はないかと」
 今日の彼女は女郎花色基調の和服、帯は紅、髪色にもよく合う洒脱な姿だ。なお、ルカルカには茶道の心得があるので、身だしなみも姿勢も完璧であることも書き加えておきたい。
 このとき、ルカルカをフォローするかのように、そっとダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)が彼女に告げた。
「まあ、それは間違いではないがな。野点は、作法無き所に作法ありとも言われる。だから存外難しい物ではあるぞ……」
 するとルカルカも小声で返した。
「わかってるって、私はDNAレベルで茶道のことなら知ってるし。心配ご無用♪」
「DNAレベル……?」
「意外です? 私、日本人ですから」
「……どう返したらいいかわからない発言はやめてくれ」
「お、珍しく今日、ダリルを言い負かしちゃった?」
 なんてね、と笑いながら、鋭鋒を席に案内し、ルカルカは手早くラズィーヤにも挨拶していた。
「神楽崎優子さんが教導に短期留学することになったけど、できるだけ面倒は見させてもらうからね」
「こちらこそ、頼りにさせていただきますわ」
 ラズィーヤは軽やかに頷いてみせた。

 そんなルカルカたちとは少し離れた座で、カルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)夏侯 淵(かこう・えん)が酌み交わしている。
 まあ、酌み交わす、といっても酒ではなく茶なのだが。
「今日は平和に終わりそうだな」
 柳茶色基調の和装で淵が言うと、
「だろ? だから、俺たちまで団長のお伴についてゾロゾロ行くのも他校に威圧感を与えかねないからやめとこうぜ、って俺の提案は正しかったわけだ」
 座敷にあぐらで、カルキノスはぐいと濃茶を飲んだ。なお、「正座はきちーんで、悪いな」と言ってカルキノスは、最初からこの姿勢である。
「なんだ偉そうに。それくらい俺も思っていたぜ」
「そう思ってたなら先に言わねーと駄目だな、うん。そらそうと、今日は酒はでねーのか酒は?」
「戦国の世では飲み会の隠語だったりしたという話もあった気がするが、今日は純粋な『茶会』だけにアルコールはなしだ。酒は入れるな」
「そりゃつまらんなあ」
「つまらんことはないぞ。こういう会を中国では『茶芸』と言ってだな……まあ俺の時代より後の話だが、風景と季節を楽しみ、しみじみ茶を味わうわけだ。たまにはこういうのもいいもんだろ」
「風景と季節なぁ……ま、ああして『鋭鋒団長の剣』たるを果たしているうちの大将の晴れ姿を鑑賞するとするかね。そう考えると楽しいではあるな、我が子の成長を見守る父母の気分で」
「父母とはなんだ。……先に言っておくが『父』は俺のほうだからな」
「『せくしーれでぃ』が何を言うやら……」
誰が『せくしーれでぃ』だ! 『くーるがい(cool guy)』と呼べ!
 かっかっか、失敬失敬、と大笑すると、あまり行儀良くないがカルキノスは楊枝をういろうに突き刺し、ぺろりと一口で食べてしまった。
「お、結構いけるな、これ。菓子はおかわりしちゃいかんか?」
「駄目だろ……。おっと、少し気をつけたほうがいいかもしれん」
「気をつけたほうが? ああ」
 カルキノスは姿勢を正した。
「ダリルもいるし大丈夫とは思うが……ちっとばかし緊張はするよな」
 二人はそれきり黙って、ふたたびルカルカたちに目を向けた。軽く腰を浮かし、行く末を見守る。