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わたしの中の秘密の鍵

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【一 ケルンツェル屋敷の午後】

 蒼空学園から小型飛空艇を飛ばして凡そ五分程度、ほぼ真っ直ぐ南へ下ったところにのどかな田園風景が広がっている。
 ケルンツェルと呼ばれるその農村は、ツァンダ領内に於ける、クロカス領の飛び地であった。緑豊かなこの村の東端にクロカス家の別邸、所謂ケルンツェル屋敷が静かな佇まいを見せている。
 石垣で囲まれた宅地内は結構な広さがあり、この地方にしては珍しく、総木造式の大きな居宅が蒼空の中に尖った屋根を突き立てていた。
 そんなケルンツェル屋敷の、ある日の午後。
 フェンザード家令嬢ラーミラ・フェンザードの依頼を受ける形で、クロカス家令嬢レティーシア・クロカス(れてぃーしあ・くろかす)が、大勢のコントラクター達をその邸内に招きいれていた。
 ラーミラがレティーシアに求めたのは、自身の不可解なコントラクター化疑惑を解明して欲しい、という内容であった。
 フェンザード家はツァンダ領内に籍を置き、かつては上流貴族として名を馳せていた名門であるが、現在は急逝した先代当主ローレン・フェンザードの浪費癖が祟って財力の大半を失ってしまっており、目も当てられない程の窮状に陥っているのだという。
 そんな没落貴族の典型ともいえるフェンザード家だが、ラーミラの美貌には一切の暗い表情は無く、寧ろ自分の為に集まってくれたコントラクター達に向けて、その端整な面を華やかな笑みで彩っていた。
 レティーシアは、五十人程度の客ならば一度に引き受けることも出来るという広大な応接室にて、呼びかけに応じたコントラクター達を高級ブランドの紅茶とお茶請けの菓子でもてなしていた。
 まずは何といっても、レティーシアとラーミラがコントラクター達に感謝の意を示す挨拶を口上しなければならないし、そうするのが礼儀というものであった。
「本当に皆さん、よく集まった下さいました。我が友人ラーミラに代わりまして、厚く御礼申し上げます」
「……礼をいうのは、謎を解決してからで良いよ」
 レティーシアから向かって左手に位置する高級な座椅子に腰掛けていた清泉 北都(いずみ・ほくと)が、穏やかな笑みを湛えて小さくかぶりを振った。
 彼にしてみれば、礼をいって欲しくて今回の呼びかけに応じた訳ではなく、純粋に、喫緊の問題に困っている年頃の娘を助けてやりたいという一心から、何とかして解決の一助になりたいという思いで、調査に乗り出したに過ぎない。
 こうやって改まった形で礼を述べられると、却ってこそばゆい気分になってしまうのも、致し方無いというところであった。
 実はこの少し前、北都は青薔薇の花束をラーミラに贈っている。
 貴族の令嬢と対面するのに、手ぶらで参上するのは非礼に過ぎるというのが彼個人の常識であったが、北都のそういった何気ない心遣いが功を奏したのか、ラーミラは随分と早い段階で、コントラクター達に対する心情を極めて良い方向に傾けているのも事実であった。
「私達、皆で精一杯頑張りますから……どうか安心して、下さい……」
 ラーミラのすぐ隣で冬蔦 日奈々(ふゆつた・ひなな)がティーカップを静かに下ろし、穏やかに笑った。彼女は盲目ではあったが、とてもそうとは思えない程の滑らかな所作でラーミラの手を取り、ゆっくりと、しかし力強く頷きかけた。
「僕も、知らないうちに契約を果たしていたことがあるからね……とても、ひとごとには思えないんだ。これから色々聞かせてもらうことになると思うけど、全ては君の為だから、是非協力して欲しい」
 北都の言葉に、ラーミラは伏し目がちな表情で深く頷き返した。ところがその一方で、モーベット・ヴァイナス(もーべっと・う゛ぁいなす)がやれやれと小さく肩を竦めた。
「随分ないい草だな……まぁ良い。記憶が無いだけなのか、それとも本当に契約していないのか、これからおいおい分かってくるであろうさ。我らのコントラクターとしての経験と知識がこれ程活きてくる局面も、そうそう無いだろうがね」
 モーベットの半ばぼやきに近い台詞に、北都はばつが悪そうな乾いた笑みを浮かべるばかりである。
 北都のモーベットの関係を知らないラーミラは、幾分戸惑いがちに小首を傾げたが、ふたりの関係を知らないのは日奈々も同じである。日奈々はラーミラの手を取ったまま、僅かに苦笑を漏らすしか無かった。
「コントラクターにも、色々なひとが居る……っていうことですよ」
 日奈々の曖昧で大雑把な説明に、ラーミラはただただ不思議そうに目を丸くしていたのだが、レティーシアはその後ろで何ともいえない表情を浮かべて笑いを噛み殺していた。

 フェンザード家への移動はすぐには行われず、まずはこのケルンツェル屋敷で、出来ることはひと通りやってしまおうという運びになった。
 というのも、現当主のカズーリ・フェンザードがいささか気難しい人物であるらしく、大勢のコントラクターが一挙に押し寄せるのにはあまり良い顔を見せないだろう、というのがレティーシアの所見であった。
 レティーシアのこの見解は概ね当たっているらしく、ラーミラは苦笑を以って是とする以外に無かった。
 それでは、ということで、まず調査の緒段階で担当を買って出たのが、白砂 司(しらすな・つかさ)サクラコ・カーディ(さくらこ・かーでぃ)の両名である。
 司の調査内容は、ラーミラの身体能力を実測で計測する、というものであった。
 幸い、ケルンツェル屋敷の庭は広い。ラーミラの身体能力を計測するのに、これ程都合の良い立地もなかなか無いであろう。
 司の指示で、ラーミラはレティーシアから借り受けた蒼空学園女子生徒用の体育着に着替えていたのだが、これまで貴族の令嬢として育ってきた為、肌を公衆の面前に晒すという習慣が無く、体育着程度の衣服を身に纏っただけでも、ラーミラは酷く恥ずかしそうにしていた。
 しかしただ恥ずかしがっているだけでは、肝心の調査は進められない。
 ラーミラに対して申し訳無いとは思ったが、それでも司は敢えて心を鬼にして、身体能力測定を推し進めることにした。
「ではこれから、サクラコを比較対照として調査を開始する。きついと感じたら、いつでもいってくれ。すぐに中断する」
「はい……どうぞ、宜しくお願いします」
 相変わらず、恥ずかしそうな態度で幾分もじもじしながら、それでもラーミラは貴族の礼を取って、司に感謝の意を表す。するとその傍らから、サクラコが元気な声を蒼天に向けて張り上げた。
「よ〜し! それじゃあまず、短距離走から始めますよ〜!」
 そんな訳で、ラーミラの身体能力測定が始まった訳だが、聞き取り調査をメインに考えていた他の面々も、この調査を興味津々の思いで眺めている。
 ギャラリーと化したコントラクター達の中で、七瀬 歩(ななせ・あゆむ)は手元に分厚い資料を用意し、そこに様々な色のペンで幾つものメモを書き残しながら、ラーミラとサクラコの身体能力測定を眺めていた。
 ラーミラとサクラコによる身体測定は次々と項目を消化してゆき、矢張りラーミラがレティーシアに訴えかけていた通り、常人では考えられない数値を続々と叩き出している。
 勿論、熟練のコントラクターと同等の能力を得たという訳ではない為、サクラコが本気を出せば、ラーミラの能力などでは到底追いつけないのだが、それでも所謂一般人と比較すると、矢張り爆発的な能力の向上が見られるのは間違い無かった。
「ふむ……本当にコントラクター化しているかどうかはまだ判断出来ないが……数値だけを見れば、これは確かに立派なコントラクターだな」
 司が幾分渋い表情で手にした集計用紙をじっと眺めていると、そこへ歩が素早く駆け寄り、自身が抱えている資料を繰りながら声を弾ませて呼びかけてきた。
「あのっ、技能とか魔法は、どうなのかな? それに、記憶力とか計算能力も調べないといけないと思うんだけど!」
 歩の言葉に、司は顎先を指でさすりながら、ふむ、と小さく頷いた。
「サクラコ、聞いての通りだ。簡単に組み手をやってみろ」
「はいな〜!」
 結果は、実にシンプルであった。
 ラーミラは基本的な接近戦技能や魔法の類は身につけていたが、種族やクラス特有の専門技術はまるで身についていないらしく、いってしまえばコントラクターの中でも初心者に近い状態にある。
 歩は、ラーミラが未知の技術や、本来シャンバラ人が会得出来ない筈の、他種族固有の技能を身につけているのではないかとも疑っていたのだが、どうやらそのような傾向は見られずに終わった。
「こういう結果だと、却って判断し辛いな」
「……だね」
 司と歩は、困った表情で互いの顔を見合わせた。

 ひと通りの測定を終え、一旦小休止、ということになった。
 応接室に連なるテラスのテーブルで休憩しているラーミラに、歩が紅茶と茶菓子を供していると、北都がこの空き時間を利用して、ラーミラに色々とインタビューを試みた。
「今の能力が身につく前後に、何か変わったことは無かったかな? それと、気づいたのはいつ頃?」
 銃型HCのコンソールに指先を走らせながら訊く北都に、ラーミラは首を傾げて、自信無さそうに応じる。
「あまりはっきりとは覚えてないのですが……ここ二週間程のことだったと思います。偶々わたしの不手際で床に落としそうになった食材に手を伸ばした時、自分でも驚く程の俊敏さで掴み取ったのが、最初に気づいたきっかけでした……」
 最初のうちは、本当に些細な出来事の積み重ねだった、とラーミラはいう。
 ところが、その後のラーミラの能力の向上は凄まじいものであった。技能的、肉体的向上ばかりに留まらず、計算力や記憶力までが劇的に跳ね上がったのだという。
 それはつい今しがた、司と歩が行った簡単なテストの結果でも十分に裏付けられていた。
 だが、それ以外は状況的な変化は一切無く、それだけに、何故このような能力が突然身についたのかまるで分からないというのが、ラーミラのいい分であった。
「状況変化も無く、本当に突然、ってことか……これは少し、厄介かもね……」
 北都が腕を組んで眉間に皺を寄せたその時、ケルンツェル屋敷の正門付近から、野太い声が響いた。
 全員が一斉にその方向へ視線を飛ばすと、頑健な体躯を誇る特徴的なシルエットが、ひとびとの視界に飛び込んできた。
「すまん、遅くなった」
 馬場 正子(ばんば・しょうこ)であった。
 が、いつもと少し様子が異なる。というのも、正子はどういう訳か、裏椿 理王(うらつばき・りおう)に肩車させた状態で、このケルンツェル屋敷に姿を見せたのである。
 正子の巨躯を支える理王は、さぞかし苦痛の表情に歪んでいるであろうと思われたが、意外にも彼の唇の端は嬉しそうな形に彩られていた。
「へへ……オレ、約束したんだ。この問題が片付いたら、正子にお姫様抱っこさせて貰うってな」
 最も良く聞かれるパターンの死亡フラグを自ら立ててしまった様子の理王だが、とにかくも彼は、正子専属の騎馬と化すことで本来の目的を達しようとの思いで、自らを奮い立たせているようであった。
 傍らでは、桜塚 屍鬼乃(さくらづか・しきの)が理王の筋肉から得られた正子の身体データを持参したノートパソコンに黙々と打ち込んでいるのだが、矢張りお姫様抱っことは勝手が違うらしく、流れ込んでくるデータがいまいち信憑性に欠け、このまま記録して良いものかどうか、いささか迷っている様子であった。
 しかし理王は屍鬼乃の気苦労などまるで気づかぬ風に、そのままよろよろと覚束ない足取りでテラスへと向かい、脂汗を浮かべながらも、妙に気取った調子で紳士的な挨拶を述べた。
 対するラーミラはというと、この余りにも異様な光景に、少し怯えた様子を見せはしたのだが、それでも上流貴族の令嬢らしく礼を失わずに、しっかりと対応した。こういった辺りは矢張り、日頃の教育の賜物といえるだろう。
 ところが、この後がいけなかった。
「思い込みでないかどうかの確認と、それからもしも、本当に契約させられているのであれば、相手を突き止める必要があります……そこでお願いなのですが、オレに、お姫様抱っこをさせて頂けないでしょうか?」
 この申し出に対しては、即座に否の返答。
 当然である。
 仮にもラーミラは、今は没落しているとはいえ、上流貴族の令嬢なのである。しかも輿入れ先まで決まっている婦人に対し、どこの馬の骨とも知れぬ輩がいきなり、お姫様抱っこをさせてくれと頼んだところで、快諾する筈も無いだろう。
 自分の肉体を見も知らぬ男に易々と触れさせてやる程、ツァンダの貴族教育は甘くない。
 理王はそういった機微を、まるで理解していなかった。
「馬鹿め……だからうぬは所詮、馬止まりなのだ」
 正子の見下したような侮蔑の声が、屍鬼乃のノートパソコンに音声データとして容赦無く流れ込んできた。