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わたしの中の秘密の鍵

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【五 フェンザード家】

 夕刻。
 ケルンツェル屋敷での身体能力測定、及びラーミラ本人に対する聞き取り調査が完了した後は、いよいよフェンザード邸でのラーミラ周辺調査にシフトする段となった。
 但し、あまり大勢のコントラクターが一度に押し寄せると、現当主のカズーリが決して良い顔をしない。そこで人数を絞り、メンバーを厳選してフェンザード家に送り込もう、という話になった。
 勿論カズーリとて、メルケラド家への輿入れの障害となっているコントラクター化疑惑の解明には理解を示している為、余り大人数でなければ、コントラクター達を邸内に招き入れることもやぶさかではないという。
 かくして、十人のコントラクターが調査チームとして、フェンザード邸に入ることとなった。
「ようこそおいで下さいました。私が現フェンザード当主のカズーリです。どうぞ、よしなに」
 神経質な婦人であると聞かされていた為、どのような邪険な態度で出迎えられるのかと身構えていたコントラクター達であったが、意外や意外、カズーリは非常に穏やかで、物腰の柔らかな態度で、客人達を丁重にもてなそうという意思を見せた。
「こちらこそ、こんな大勢で押しかけてしまい、申し訳ありません。色々騒がしくなるとは思いますが、どうぞ宜しくお願いします」
 一団を代表して、火村 加夜(ひむら・かや)が挨拶を述べた。
 出迎えにはカズーリの他に、次期当主に予定されているラーミラの双子の兄ラムラダ・フェンザードも姿を見せていた。
 流石に双子というだけのことはあり、ラーミラとはほとんど瓜二つである。少し化粧を施して女物の衣装を纏わせれば、十分男の娘として通用するのではないかとさえ思える程の、中性的な美貌を誇る少年であった。
「この度は本当に、ご苦労様です。僕でお役に立てるのであれば、いつでもお申し付けください。出来る限りの協力をさせて頂きます」
 貴族の礼を取って挨拶を述べるラムラダの第一印象は、コントラクター達の間では決して悪くない。
 没落した貧乏貴族とはいえ、矢張り天性の貴種としての血筋は、どこかしらカリスマ性のようなものを具えているようである。
 ひと通りの顔合わせが終わると、コントラクター達はそれぞれ与えられた客室へと案内された。
 わざわざ部屋毎に寝具まで用意してあるところを見ると、カズーリも今回の調査は長期戦に及ぶと腹を括っているのが、容易に見て取れる。
 そんな中、あてがわれた客室に入った直後、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)は幾分困った様子を見せた。
「さて、参ったぞ……ネット環境は整備されていないのか」
 廷内に入って初めて分かったことだが、このフェンザード家は古式然とした旧来の貴族の風潮をそのまま受け継いでいる家であり、地球人との接触も極めて乏しい為、現代テクノロジーの一切が導入されていないという有様であった。
 電気も無ければガスも無く、辛うじて旧式の上下水道が通じているという程度である。暖房に至っては、各客室に設置されている暖炉だけが唯一の頼りであった。
「仕方無いね。携帯の電波は入るから、無線ネットワークで繋げるしかないんじゃない?」
 ダリルの客室を訪れていた隣室のルカルカ・ルー(るかるか・るー)が、苦笑混じりに提案した。ダリルも、これに同調せざるを得ない。
 一方、特段の準備作業も要さず、早くも調査に乗り出している者も居る。
 セレスティア・エンジュ(せれすてぃあ・えんじゅ)は早速ラムラダの個室を訪れ、聞き取り調査に入っていた。
 ラムラダは紅茶と茶請けの家士でセレスティアを出迎えた後、セレスティアの人払いをという要望に応じ、家士達を室外に退けさせた。
「いきなりこのような、不躾且つ無礼な要望をお許しください……それでまず、最初にお聞きしたいのですが、ラムラダ様はラーミラ様のご結婚を、どのように捉えていらっしゃるのか、お教え願えますでしょうか?」
 質問内容が極めてデリケートであり、下手をすれば相手を怒らせる可能性があることも十分承知した上で、セレスティアはそれでも敢えて切り出した。
 対してラムラダは、その端整な面を一瞬曇らせはしたが、すぐに表情を改めて、セレスティアの美貌を正面から真っ直ぐに見詰めてくる。
「今回の問題に関して、必要な情報なのでしょうね……では、お答えします。僕は正直、ラーミラの本当の気持ちをないがしろにしてまで、輿入れして欲しくはないと思っています。但しこれは、母様にもラーミラにも喋っていません。ですので、これはここだけの話にして頂きたく、お願い申し上げます」
 深々と頭を下げるラムラダに、セレスティアは戸惑いの色を隠せなかった。

 ラムラダの語るところに因れば、ラーミラには淡い恋心を抱いている相手が居るようだ、との話である。
 これまでラーミラは、自身の感情に関する話は一切していなかった為、この情報はセレスティアに軽い驚きを与えた。
 だがラーミラは、ラムラダやカズーリに対しては自身の気持ちを微塵にも明かすこと無く、ただカズーリの、ラムラダが次期当主となるに相応しい程度に、フェンザード家の窮乏を回復したいとの要望を無言で受け入れたというのである。
 それ故、ラムラダとしても必要以上にラーミラの気持ちに踏み込むことが出来ず、かといってカズーリの親心を無碍に踏みにじる訳にもゆかず、実に悶々とした毎日を過ごしている、というのが正直なところであった。
「成る程、そういうことでしたのね。中々お話し辛い内容であるにも関わらず、このようにご開示頂いたこと、まことに感謝致します」
「くれぐれもお願いしますが、僕の心情は決して家族には明かさぬよう、お頼み申します」
 ラムラダ曰く、カズーリもラーミラも、家族への愛を守る為に行動していることがよく分かるだけに、勝手な行為に走れないというジレンマを抱えているのだという。
 今回のコントラクター化疑惑という騒動が無かったとしても、フェンザード家は悪意に因らない、それこそお互いを思い遣るが故に生じた複雑な問題が水面下に潜んでいるという事実を、セレスティアは痛い程に実感しなければならなかった。
 セレスティアがラムラダから聞き出した情報は、即座に邸内のコントラクター達にも展開された。
 最初にこの報に接したルカルカは何ともいえない複雑な表情を浮かべて、持参したノートパソコンへの入力作業に勤しんでいるダリルの無表情な横顔を覗き込んだ。
「そういう事情があったんだ……さっきルカね、ラーミラさんのドレスについて、正子さんと一緒にお話してたんだよ。でもあの時、全然そんな風な顔色は見せてなかったんだよね」
「……流石に上流貴族の令嬢だ。自身の感情を完璧に抑え込み、本心をおくびにも見せぬ態度を振る舞う。ルカには出来ん芸当だな」
 ダリルの辛辣なひとことに、ルカルカはうるさいっ、と吼えてみたものの、しかし事実その通りでもあり、何となくもやもやした気分で認めざるを得なかった。
「それよりもだな、夜に備えて、今のうちに寝ておくべきじゃないのか?」
「あ……そうだった!」
 ダリルに指摘されて初めて気づいたように、ルカルカは慌てて自分の客室に戻っていった。
 彼女の役割は、深夜にラーミラの周辺で何か異変が生じないかを監視することであり、その為に態々、ラーミラ本人から寝室への出入りの許可を取り付けていたのである。
 ここでしっかり睡眠を取っておかねば、最も肝心な時に眠りこけてしまう恐れがあった。
「全く、何をやっていることやら」
 ダリルはルカルカが飛び出していった客室の扉を、幾分呆れた様子で眺めていた。
 一方ダリルの客室のすぐ外では、廊下を駆けてゆくルカルカを、正子と加夜が不思議そうな面持ちで見送っていた。
「随分と、慌ただしい奴だな」
「何か忘れ物でもしたんでしょうか?」
 頑健な体躯を誇る強面と、華奢な体格の美少女とが、互いに顔を見合わせる。
 よもやこのふたりが同じ年頃であり、誕生日も二ヶ月と離れていない等とは、余人が聞けば腰を抜かしてしまうだろう。
 それ程までに外見的な差異を見せるふたりだが、矢張り同年代ということで、妙に息の合う部分もある。
 実はつい今の今まで、ふたりはカズーリに対する聞き取り調査を行っていたばかりであった。
 どちらがいい出したという訳でもないのだが、輿入れの詳細に関しては、実質の推進者であるカズーリに訊くのが手っ取り早いということで、ふたりしてカズーリの個室を訪問してきたのである。
 ふたりが得た情報としては、まず今回の輿入れを最初に持ち出したのがカズーリであること、そしてメルケラド家とは既に顔合わせを済ませているものの、コントラクターを妙に毛嫌いするメルケラド家の意向により、コントラクター化疑惑は必ず解明する必要があることなどを聞き出すに至った。
 カズーリ自身はコントラクターに対して然程のアレルギー反応を見せていないのは、彼女が加夜達を自然体で迎え入れたことからも、よく分かる。
 逆に、ラーミラがコントラクター化することで得する人物が居るのかどうか――この点についてはカズーリもよく分からないと話しており、正子もこれといった推論が出ず、お手上げ状態となった。
「やっぱり、もっと違う視点で調査を進めないといけないかも知れませんね」
「然様さな……丁度今、物品調査班が色々調べおろう。その結果を待つとするか」
 これがひとまず散会の合図となり、加夜と正子はそれぞれの客室へと姿を消した。

 正子のいう物品調査班とは、桐生 円(きりゅう・まどか)オリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)、そしてキャンディス・ブルーバーグ(きゃんでぃす・ぶるーばーぐ)の三人を指す。
 円とオリヴィアは、浪費癖があったという先代当主の遺品や、フェンザード家が古くから所有している家系図或いは家宝等を借り受け、それらに対してサイコメトリを仕掛けることで、物品上から有効な情報を引き出そうという調査法に入っていた。
 一方、キャンディスの調査はというと、いささか空振りに終わった感がある。
 というのも、キャンディスは、自身がコントラクター化した経緯から得た経験上、携帯電話やパソコン等の通信端末を介して、無意識に契約を済ませてしまうケースがあり、今回もそれに類した原因が潜んでいるのではないかという観点から調査を進めていたのである。
 ところが既に述べたように、フェンザード家には一切の通信設備が無い。
 加えてラーミラ自身も、携帯電話やネットワーク接続した端末に触れた経験が無く、キャンディスが推理した方法は一切関与していない事実が判明していたのである。
「う〜む、残念ネ……ミーの推理は完璧! だと思ってたのにネー」
 円とオリヴィアが物品調査に勤しんでいる隣で、キャンディスは備え付けの安楽椅子にゆらゆらと揺られながら、ひとりぶつぶつとぼやいている。
 実のところキャンディスは、今回のコントラクター化疑惑にある種の個人的な期待を抱いていたのだが、生憎その思いは儚い夢に終わりそうな雰囲気が漂っていた。
 一方、円とオリヴィアは調査開始から相当に神経を集中して作業を続けていたのであるが、調査が進めば進む程、奇妙な事実にぶつかることに気づいた。
「ねぇ……先代のローレンさんって相当な浪費癖があったって話だけど……でも全然、高価な購入品とか出てこない、よね?」
「そう……ね。一体、何にそこまで財貨を注ぎ込んだのやら……」
 ふたりは更に、調査を進めた。やがて、随分と多額の支払いを示す領収証が、古びた箱の中から出てきた。
 単純にそれだけならば、この領収証が浪費の実態を明かす手がかりになるだろうという期待を抱かせるだけで済んだのだが、問題は、そこに記されていた報酬支払い相手の氏名であった。
「ちょっと……これって!」
 円が思わず叫んだのも、無理は無い。
 先代当主ローレンが、何かの調査で多額の報酬を支払っていた相手というのが、カニンガム・リガンティだったのである。
 何のことかさっぱり分からないキャンディスは、安楽椅子に揺られながら、不思議そうな面持ちを円とオリヴィアに向けている。
 円とオリヴィアは互いに頷き合い、迷うことなく、この領収証にサイコメトリを仕掛けた。この一見貧相な紙片こそが、今回の問題を解き明かす重要なヒントであるように思われた。
 ややあって、ふたりは術を解き、疲れ切った様子で手近の座椅子に腰を下ろした。
「何か、重要なものでも見えたのかしらー?」
 珍しくキャンディスが興味をそそられた様子で、安楽椅子から上体を乗り出してきた。
 円は疲労の度合いが激しく、すぐには起き上がれそうに無かったのだが、オリヴィアは回復が速かった為、ゆっくり上体を起こし、端整な顔立ちを渋面に染めて、低い吐息を漏らした。
「先代のローレンさんが、家が傾く程に財貨を投入したのは、ある調査の為だった……それは、魔導暗号鍵という代物だそうよ。そしてこの魔導暗号鍵は、フレームリオーダーと呼ばれる何かと、深い関係があるみたい」
 矢張りキャンディスには何のことだか、さっぱり分からない。しかしそれはオリヴィアも同様であり、サイコメトリで得られたこれらの言葉が何を意味するのかは、更なる調査が必要であろう。
 それからややあって、円が幾分回復した様子でゆっくりと起き上がった。まだ表情は青ざめているものの、その眼光にはしっかりとした力が宿っている。
「先代のローレンさん……ただの急逝じゃないね」
 円の言葉に、オリヴィアが深刻な様子で深く頷く。ふたりが見た光景は、想像を絶するものであった。
「あのトリケラトプスみたいな、八本の角を持つ怪物……ローレンさんに致命傷を与えたのは、多分、あいつだと思う」
 サイコメトリで得た映像情報――その中に現れた、八本の角を持つ、トリケラトプスによく似た風貌の巨大な魔物。先代当主ローレン・フェンザードは、その魔物の全体重をかけた踏み付けにより、肉体を破壊されてこの世を去った、というのである。
 円が事前にカズーリから聞いていた話では、単に旅行先で事故に遭って死んだ、ということであったが、事実はどうやら異なるらしい。
 恐らく、カズーリ自身も真相は知らないのではないか――円の低い呟きに、オリヴィアもキャンディスも応える術を知らない。
 室内は、重苦しい空気に包まれた。