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第5章 少女少年探偵団、結成


「……ということは、控室から向かったのは、病院の方角なのですわね?」
「はい。百合園の控室からそちらの方角に走っていくのが目撃されています」
 アナスタシア・ヤグディン(あなすたしあ・やぐでぃん)はメモ帳を広げながら園芸部の女生徒の話を聞いていた。
「場所を案内して下さる?」
「こっちが会場で、あそこが大樹の入り口です。あっちが市場で……病院は……」
 一人の守護天使の青年が、彼女の横で道案内をするべく指を差した。
 金色の模様が浮かぶ、青にも緑にも見える美しいたっぷりとした光翼。石飾りをあちこちに付けた金色の服。豪華な格好で良いところの出身ではないかとも思われるのだが、薄茶色の髪に特別特徴のない顔立ち、いつも浮かべている笑顔のせいかどうにも印象に残らない。
 その印象に残らなさを手掛かりに、彼に話しかけた声があった。
「アンノン(仮名)さん今回も災難ですね〜」
 天御柱学院の笠置 生駒(かさぎ・いこま)である。
(ヨハンでもトマスでも、ジョージでもラファエルでもなかったんだよね。確か一番最初の発音は、『ア』だったはず)
「え? アンノン? そんな変な名前じゃないですよ」
「あれ、違いましたっけ」
 わざと言って、生駒はへらりと笑った。非確認(アンノン)だから別に問題は、ない。でも、もし聞けたならいいなと思っていた。
 花泥棒を探すお嬢様たちの集団を探していたのも、別に名探偵になりたかったわけじゃなくて、花泥棒の正体より難しい謎に挑戦したかったからだ。
「そう言えば言いそびれていたような気も……」
 首をひねる守護天使に期待を募らせる生駒だったが、アナスタシアがむっとしたように口を挟んできた。
「災難ってどういう意味ですの? 事件が起きているなら、解決を手助けするのが善良な市民の義務ですわ。そうですわよね?」
「……一応ここの族長補佐が僕の父なんで、まぁいいかな、と思ってるんだけど」
 アナスタシアに問い詰められて少し困ったような、でも普段とも変わらないような顔で守護天使が笑っていると、今度は結崎 綾耶(ゆうざき・あや)が彼に近づいてぺこりとお辞儀をした。
「お久しぶりです、その節は大変な目に」
「ああ、先に脱出されたみたいで、無事で良かったですね。もしかしてこちらが?」
「はい。こちらが、私のパートナーですっ。──某さん、この方が以前私がヴォルロスで誘拐された時、お世話になった守護天使さんですよ」
 綾耶が横に立つ匿名 某(とくな・なにがし)を手で示すと、某は進み出た。
「はじめまして、だな。綾耶が世話になったみたいだな、俺はとくな──」
「……ええっと……とくな……?」
 繰り返す。
「──なにがし」
「な、なに……がし……?」
(……それって人の名前……?)
 彼はどこかで聞いたセリフを頭の中で言ってから、
「ごめん、……聞きなれない名前だからちょっと驚いたんだ。意味はを教えてくれるかな」
「匿名は、『名前が明かせない』、『秘密』って意味だな。某っていうのは、ぼやかした言い方で、『はっきりしない』っていう──」
 自分で言っておきながら、某のテンションと一緒に何故だか落ちていく肩を、綾耶は励ますように支えた。
「な、某さん頑張ってください」
 その姿を見て、守護天使はしみじみと頷いた。
「……そうか、親に恵まれないのは僕だけじゃなかったんだな……」
 微妙に失礼なことを彼は口の中で呟く。
 それを見て、逆に某は同情した。名前について聞こうと思っていたたが、それ以上の突込みはやめるのが武士の情けというものだ。
「えーと、じゃあ、超心苦しいんだけど、『テンさん』って呼ばせてもらうな」
「いや、僕の名前は……アル──」
 彼らはそうして守護天使の名前を聞いたのだけれど。聞き取りにくい小さい声で、それも彼のイメージにそぐわないものだから、一時間後にはすっかり忘れてしまったのだった。


「──アナスタシア」
 彼らが盛り上がっている中、メモに街の主要な場所を書き留めていたアナスタシアに、カツ、と靴音をさせて足を踏み出したのは、ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)だった。
「百合園女学院推理研究会代表にして名探偵の私を差し置いて事件解決とか片腹痛いわ」
 青いロングドレスの腕を組めば目に入る。腕に嵌めた腕章には、燦然と輝く『代表』の文字。
「推理研究会……そのような部活がありましたのね」
 まぁと感心したように頷くアナスタシアの呑気さに、ブリジットは少し苛立った。
「探偵小説を一、二冊読んだくらいで探偵の真似が出来るわけないでしょ。だいたい神楽坂少女探偵団ってライトノベルじゃない。ポワロ全集貸してあげるから読みなさいよ」
 ブリジットはアナスタシアの前に分厚い文庫を手渡した。中にはさりげなく入部届が挟み込んである。
 アナスタシアはそれを思わず受け取りながら、これが親切何だか分からないまま尋ねた。
「あ……ありがとうございますわ。これは何ですの?」
「地球の名作ミステリー。ミステリーの女王って呼ばれてる作家人の、一番人気のあるシリーズよ」
 そうなんですの、とアナスタシアはしきりに感心したように頷く。それを見届けてブリジットはじゃあねと、踵を返した。
 側にいたパートナーの橘 舞(たちばな・まい)はアナスタシアにお辞儀をするとブリジットの背中を小走りに追いかける。
「ブリジット、いいのですか? お手伝いに来たんだとてっきり……」
 舞も、推理研究会のメンバーである。だからという訳ではないけれど、この百合園に起きた小さな事件を解決するつもりでいたし、ブリジットもそうするつもりだと思っていたのだ。
 むしろてっきりアナスタシアと張り合うと思っていたのだが。
 だが早足で歩きながらこのツンデレのパートナーは即席の探偵団から遠ざかっていく。
「まぁ、この謎もない今回の事件は、アナスタシア向きよね。私が出張るまでもないし。迷探偵のお手並みを拝見させてもらうわ」
「……私は止めさせたくて来たのですが。ブリジット、まさか自分一人で解決するつもりなんですか?」
 返答がないので、舞は自分の考えを続ける。
「私は思うのですけど、犯人の少年はきっと病院のお見舞いに届けているとか、そういうことなんでしょうか?」
「多分ね」
 ブリジットが頷けば、舞は少し早口になって。
「毎日届けるぐらいなら、きっと少年にとってとても大切な人なのでしょう。それならば、なおさら絶対盗みなど止めさせないといけません。その方が、毎日届けられていた花が、実は少年が盗んで取って来た物だと知れば、きっと悲しむでしょう」
「そうね」
「じゃあ、教えてあげましょう。一緒の方がきっといいですよ」
 ブリジットの横に並んだ舞に、彼女は顔を向けて首を振った。
「……それはまだ秘密よ」
「どうしてですか?」
「探偵は探偵、助手は助手よ。ホームズやポワロを差し置いて、ワトスンやヘイスティングスが事件解決してどうするのよ」
「ではこのまま本を渡しただけで放っておくんですか?」
「そんなことしないわよ」
 ブリジットが急に立ち止まり、携帯電話を取り出すとどこかに電話をかけ始めた。
「……ええ、小学生くらいの男の子が……忘れ物の花があるんだけど……」
 舞は、パートナーの意外な行動に驚きつつ、やきもきして終わるのを待った。電話を切ると、舞が待ちきれずに尋ねる。
「ブリジット、何処にかけたんですか?」
「探偵が事件を解決できないことがあれば、偶然だろうが真打登場だろうが、解決しなきゃまずいでしょ?」
 アナスタシアたちの探偵団が張り切って会場に向かうのを遠くに見ながら、ブリジットは言った。
(……ナースセンターまで届けに来てください、って言われちゃったけど……)
 目当ての病室は分からなかったが、内科の病棟だとは分かった。もし彼女たちが辿り着かなければ自分が行くことになるだろう。
 どっちにしろ、これは保険だった。
「──だから、お手並み拝見よ」


「それでは聞き込みに参りますわよ」
 園芸部員から事情を聴いたアナスタシアたちは、早速周囲の聞き込みを始めようとした。
「探偵は証拠を足で掴むものだそうですわ。犯人の居場所を特定するには目撃証言、つまり聞き込みが必要ですわ」
 彼女が張り切って出発しようとした時、百合園女学院の後輩・藤崎 凛(ふじさき・りん)が近づいてきた。
「お姉様、こちらをどうぞ」
 ごそごそと荷物を探していた彼女が取り出したのは、ピンクの可愛い帽子だった。
 狩猟時に被る鹿撃ち帽という、前後につばのついた丸い帽子で、両側に付いた耳当てが頭頂部でリボンによって結ばれていて──要するにシャーロック・ホームズが被っている、アレである(厳密には原作には書かれておらず、挿絵によってイメージができたらしいが)。
「あら、この帽子は?」
「探偵帽と呼ばれていますのよ」
「それは知りませんでしたわ。良いものをお持ちですのね」
 探偵の言葉にわくわくしているだろうアナスタシアと帽子を見比べて、パートナーのシェリル・アルメスト(しぇりる・あるめすと)が意外そうに尋ねる。
「リン、どうしてそんなもの持ってるんだい……?」
 事件なんて事前に起こるのが分かっている訳じゃないだろうに。突然の探偵帽に首を傾げたシェリルに、
「祭りに事件はつきものです。こういった場合に備えておいて良かったです」
 凛はアナスタシアと同じく、冒険に目を輝かせている。どうやら箱入りのお嬢様たちは、非日常の響きに弱いらしい。
(……いいか。振り回されるのも結構楽しいんだよね。余計な事を考えずに忘れていられるし)
 凛と自分との関係。剣の花嫁という種族であるがゆえに頭を過ってしまう嫌な想像が、思考が、最近ずっとまとわりついていた。それを忘れていられるなら、付き合ってみよう。
 そんなシェリルの内心は知らず、
「私、琴理お姉様のように聡明でありませんけれど……お嬢様探偵の助手として、精一杯お手伝いさせて頂きます!」
 凛はぎゅっと拳を握り締め──決意を込めていたけれど、とても可愛らしく。
 隣にいる守護天使に向け火花を散らした──いや、見た目は一生懸命見つめているだけだったが。
 凛の視線を受けて、ん? と背後を何度か振りかえり、可愛い女の子の視線を不審に思っている守護天使に向けて、
「君も大変だね」
 とシェリルは肩を竦める。
「リンは君をライバル視しているようだけど……まあ適当に構ってやって」
「? ライバル?」
 守護天使は意外そうな顔をして首をひねる。それはそうだろう。傍目には睨んでいるようにはちっとも見えない。付き合いの長いシェリルには分かるけれど。
「ああ、気にしないで。……そういえば、一緒に行動するなら名前を知らないとやり難いよね。私はシェリル。君は?」
「……ああ、僕はア──」
 これまた彼は名乗ろうとしたのだが、
「そろそろ出発しますわよ、守護天使さん!」
 アナスタシアの宣言によって、彼は引っ張られて行ってしまったのだった。