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リアクション
約百年前。研究所。
「…………」
金襴 かりん(きらん・かりん)となる前のアンネ・アンネ1号が静かに自分の両の手を見つめていた。
まだあの時の事を気にしているのかと訊ねる兄。アンネ・アンネ1号は感情を表には出さないが、兄はアンネ・アンネ1号が何を考えているのか察したようだった。
「……だいじょうぶ……すぐに行くから」
アンネ・アンネ1号は顔を上げて答えた。兄はうなずいてから行った。今日は兄弟全員揃っての定期調整兼お茶会の日なのだ。
アンネ・アンネ1号はとある悪魔が死者の魂を加工し機晶姫の素体に宿して製作したアンネ・アンネシリーズの1号目なのだ。アンネ・アンネ1号には双子の0号の兄と0−2号の姉に3号の弟と4号の妹がいる。いないのは2号の妹だけ。いない理由がアンネ・アンネ1号の胸の奥に鋭く突き刺さっていた。
「……ニコちゃん」
アンネ・アンネ1号はぽつりといない2号の愛称を洩らした。自分の手で殺した制作者を同じくし機晶石を分けた妹の名を。殺したくて殺した訳ではない。製造者がその場にいながら突如暴走したアンネ・アンネ2号を止めるにはそうするしかなかったからだ。もし止めなかったら現実世界で起きた研究所が大破する事故を引き起こし兄弟を含む行方不明者は多数となり明確な生存者はアンネ・アンネ1号だけとなっていたはずだ。
「……忘れたこと、ない」
事情だけを見れば他の兄弟達を護るためには仕方が無い事だったかもしれないが、アンネ・アンネ1号にとってはやりきれない事であり、忘れる事が出来ない出来事。とくに今日のように兄弟全員が集まる日には心の奥が痛い。
「……」
アンネ・アンネ1号はゆっくりと定期調整をしに行った。
定期調整後のお茶会。
がやがやと賑やかなお茶会。食べたり飲んだり歌を口ずさんだりと思い思いに楽しむ兄弟達。
「……」
アンネ・アンネ1号は賑やかな兄弟の様子を静かに見守り、いないはずの妹を見て悲しい気分になる。
妹が心配そうにアンネ・アンネ1号に声をかけた。
「……ここに。にこちゃんが、いたら……って、また皆で、笑いあうことができたらと」
とアンネ・アンネ1号が答えると兄弟達はアンネ・アンネ1号を何とか励まそうとする。
「……ありがとう」
アンネ・アンネ1号は優しい兄弟達に礼を言うも心の内では分かっていた。兄弟全員が揃う可能性を摘んだのは自分自身だと。
「……」
アンネ・アンネ1号は静かにカップに口を付けた。
そうやって自分なりにお茶会を楽しんでいた時、どこからか聞き覚えのない名前を呼ぶ誰かの声が聞こえて来た。
「……声」
アンネ・アンネ1号はカップをソーサーに置き、辺りを確認するも声の主と思われる者はどこにもいない。気のせいだと片付ければいいのにアンネ・アンネ1号にはそう思えなかった。なぜだか心に引っかかる。
「……金襴……かりん……知らない、名。自分の名は……アンネ・アンネ1号」
アンネ・アンネ1号が気になったのは見知らぬ声が名前として口にする“金襴かりん”だった。アンネ・アンネ1号にはそれが自分の名前の様に思えていた。理由は分からないが心がそう言っていた。
「……でも、あの声が、わたしを呼んでいるのだとわかる……何故?」
兄弟達の声は遠ざかりアンネ・アンネ1号の心はどこからか届けられた声の事ばかり。幾度も繰り返される別の名前に必死に呼びかけていると思われる口調。
「……金襴かりん」
アンネ・アンネ1号は“金襴かりん”と声に出した。
それと共に
「その名をくれたのは、誰より大切な人のような……」
急に胸の奥が暖かくなり自分に笑いかける誰かの顔が浮かぶ。亡くなるまで自分の側にいた大切な人。
「……あの人が……そうだ……わたしは」
思い出す。“かりん”という名をくれたのは老衰でこの世を去った夫ではなかったか、“金襴”と自分で付け、今は現在のパートナーと兄弟捜索中ではなかったか。ここは自分のいるべき世界ではないはず。
「……」
忘れていた記憶を思い出し始めたアンネ・アンネ1号の目に映る兄弟達はぼやけ声も聞こえなくなりパートナーを失い音無き世界で生きる事となった現実に戻って行った。
■■■
「かりん!」
エミン・イェシルメン(えみん・いぇしるめん)は通りに倒れているかりんを発見し、駆け寄った。エミンはかりんと一緒にかりんの行方不明の兄弟の手掛かりを探すためパラミタ中を旅していた中、この町を訪れ二手に分かれて情報収集をした後、待ち合わせ場所に行った時、そこにかりんが倒れていたのだ。
「どうしたんだい! ほら、起きるんだ」
エミンはかりんに声をかけてみるが何の反応も無い。
「……一体何が起きてるんだ? 倒れている人がたくさんいるなんて」
エミンはかりんと同じ状況に陥っている人達の様子を確認し、異常事態に遭遇したのだと知った。
「……身体が冷たくなって……もしかして……とにかく何とかしなければ」
かりんをどこか安全な場所に連れて行こうとした時エミンはかりんの身体が冷たくなり始めている事に気付いた。
そこに人命救助に勤しむ者に安全な場所と推測される解決策を教えられ、エミンは速やかにかりんを安全な場所に寝かせた。そして、渡された毛布を掛けてからエミンは必死に呼びかけた。
安全な場所。
「かりん、金襴かりん、早く戻って来るんだ! こんなところで眠っている暇はない。やるべき事があるだろう。君の兄弟を探すという。信じているんだろう、兄弟が生きているって!」
エミンは必死にかりんに呼びかける。
「だからこそ、こうやってパラミタを旅して一緒に手掛りを探しているんだ。そうだろう? 金襴かりん」
エミンは静かなかりんの顔を心配の顔で見ながら必死に声をかけ続ける。反応が無い事に不安になるも別の世界にいるかりんには少しずつ届いていた。
「それに今、君は美しい眠り姫だけど君にキスする人は自分じゃないんだ。その資格をもっているのは君の愛する人だけだろう? その人と、兄弟を捜して再会すると約束したんじゃないか!」
エミンは少しでも刺激になればと『ナーシング』をかけ続けると共にロマンチストらしい表現を含めながらも必死に呼びかける。ここでかりんが亡くなっては生きているかもしれないかりんの兄弟達に申し訳が立たない。何としてでも助けなければならない。かりんとかりんの兄弟、そして再会を心から願うエミン自身のためにも。
「名前は覚えているかい? “金襴かりん”は君にとって何より大切なものだろう?」
とエミン。かりんにとって“金襴かりん”はとても大切なものなのだ。かりんと前のパートナーである亡き夫との絆の証だから。だからこそエミンは何度かフルネームで呼びかけたのだ。
「金襴かりん!! 兄弟達に会うためにこちらに戻って来るんだ!」
エミンは『ナーシング』と一緒に何度も“金襴かりん”を繰り返す。
それによってアンネ・アンネ1号に大切な名前と暖かさと共に大切な人の顔を、忘れてはならない絆を思い出させ、現実に引き戻した。
「……」
現実に戻ったかりんはむくりと上体を起こし、ぼんやりとしていた。
「かりん、良かった! 戻って来たんだね」
エミンはかりんが目覚めた事に気付き、心底安心した声を上げた。
「……はい。ここは、現実なんですね」
かりんは自分の帰還を喜ぶエミンの声が聞こえない事に現実に戻ったと知りいつものように相手の唇の動きを読んで会話をする。
「あぁ、そうだよ。現実だ」
エミンはかりんに答えた。別世界で何かあったのか気になりながらも答えなかった。なぜならかりんが囚われた世界が想像出来たから。
「……かんがえてた。もし、また……にこちゃんと、会うことがあったら……その時は、きっと今度こそ止めようと……そしたら他のみんなは、無事だったかもれないと」
かりんは唐突に今でも思い出す度に考えていた事を話し始めた。だからこそあの世界に妹を殺め他の兄弟が無事である世界に囚われたのだろう。
「そうか」
エミンはそれだけしか言わなかった。エミンには分かっていたから。それに対して何かを言う必要も無い事も。何を言っても過去はどうにも出来ないから。
「……これからも、いっしょに兄弟を、さがして……」
兄弟の姿を見たためか、かりんは思わずエミンにこれからも一緒に捜してくれるかと訊ねていた。しかし、その言葉は途中でエミンに遮られた。
「もちろんだよ。どんなに大変でも自分は手伝うつもりだよ!」
エミンは声高く言った。答えに迷う必要の無い事だと言うように。
「……ありがとう」
かりんはエミンの優しい言葉に心内で笑み、感謝の言葉を述べた。
シャンバラ教導団、廊下。
「でもリースみたいな大人しい子がこっちに入学するなんてね。やっぱり、親に無理矢理入れられたの?」
シャンバラ教導団の女子生徒が一緒に訓練所に向かう同じ歩兵科のリース・エンデルフィア(りーす・えんでるふぃあ)に訊ねた。
「……えと、地球に住んでいる二人の姉さんみたいにボディーガードになってお父様のお役に立ちたいと思って……それでお父様に初めてわがままを言ってこちらに入学先を変えて貰ったんです」
リースは女子生徒に答えながら少しの勇気を出してイルミンスール魔法学校に入学させようとする父親に初めての反抗をした事を思い出していた。
「そうなんだ。でもリースは読書家で私の知らない事も知ってるから研究とかそういうのに向いてると思うんだけどなぁ」
女子生徒はリースが軍事関係の難しい本を毎日読んでいる事や座学でリースに助けて貰った事を思い出しながら言った。
「そ、そんな事無いです」
リースは少し戸惑ったように言った。
そうやってお喋りをしている内に射撃訓練所に到着し、リースはいつものようにライフル銃を構え訓練を始めた。
「リース、また服に火薬の匂いが付く事、気にしてるの?」
女子生徒が撃ち終わり、袖に鼻をひくつかせているリースに呆れたように言った。
「……えと、何か悪い事をしている気がして」
リースは顔を上げ、どもりながら女子生徒に答えた。
「もう、いつもいつもそうやって撃つ度に気にしてたら訓練にならないよ?」
女子生徒はますます呆れていた。
「……そ、そうですね」
そう言ってリースはライフル銃を構えて撃ち始めようとした時、妙な違和感を感じた。
「…………」
いつも使っているのはライフル銃のはずなのになぜだか銃ではなく杖だと唐突に思ったのだ。秘術科に行った事は無いはずなのに。
「リース?」
隣にいた女子生徒に促され、我に返ったリースはライフル銃を改めて構え、撃ち始めた。
そして、撃ち終わると
「……この匂い、火薬とは違うような……これは……ハーブ」
リースはいつものように火薬の匂いを気にして袖に鼻をくっつけるが、先ほどとは違って鼻を刺激するのは匂い知ったものではなくミントやローズマリーなどのハーブの匂いだった。
「……で、でも、ここはシャンバラ教導団……ハーブを使うような事はした事は無いはずなのに……とても……懐かしい気が……」
リースは妙な出来事に戸惑うもなぜだか自分の居場所を見つけたような安心感を感じていた。
「……私、本当は……」
ハーブの匂いはリースに本当に現実へと導いた。
■■■
「本当はイルミンスールの……」
ぱっとリースは目を覚まし、イルミンスール魔法学校生である現実に戻っていた。
「ハーブが効いて良かったよ。痛いところは無い? 倒れる前の記憶は覚えてる?」
近くの店で人命救助のため購入したローズマリーやミントを持ったリアトリス・ブルーウォーター(りあとりす・ぶるーうぉーたー)がリースの目覚めに安心し、念のため具合を訊ねた。
「……え、えと、大丈夫です。その、ありがとうございました。倒れる前の事は……あまり覚えていません。何か妙な声に誘われたのは確かなんですが……あ、あの、私と一緒にいたナディムさんは無事ですか?」
リースはゆっくりと上体を起こしてからリアトリスに大丈夫である事を伝えてからナディム・ガーランド(なでぃむ・がーらんど)の事を訊ねた。
「心配はいらないよ。必ず俺が助けるから」
最後の質問に答えたのは隣にいた酒杜 陽一(さかもり・よういち)だった。現在進行形で陽一はナディムの救助を行っていた。
「ナ、ナディムさん!!」
リースは顔色を変え、驚いていた。
「それじゃ、僕は……」
リアトリスは本来の仕事に戻りたいと思いつつも目覚めぬナディムが気掛かりの様子。
「俺が助けるから。それよりも相手が相手だから気を付けてな」
リアトリスの気持ちを察した陽一が行きやすいように言うと共に正体不明の魔術師についてよく知る故、警告喚起もした。
「分かった。それじゃ、頼むよ」
そう言ってリアトリスは行った。
それから陽一はリースにも手伝って貰い、ナディムを起こすために頑張った。
陽一は弱めの『雷術』でナディムの世界に雷を発生させ、『驚きの歌』で地震を起こし、リースは名前を呼び続け、現実に引き戻そうとしていた。
ティル・ナ・ノーグの小国に所在している陸側のとある町。
「……ったく、姫さんの奴、城を抜け出してどこに行ったんだよ」
小国に仕える騎士団の団員であるナディムは石橋にもたれながら文句たらたらの溜息を洩らしていた。食事の時間になっても姫様が顔出さないため使用人が部屋へ様子を見に行くも消えており毎度の城抜けだと言う事でナディムは捜索にかり出されていた。
「毎度毎度、人間の足なんか無くて陸なんか歩けないくせになんで陸側に逃亡するかな」
ナディムはぶつぶつと文句を垂れ続ける。水中にある城周辺も捜索するものの毎回発見するのは陸側にある町ばかり。今回も水中にいなかったため陸側の城下町にいるだろうと予想を立てている。
「と、ぼやいていても仕方がねぇ。さっさと見つけないと」
ナディムはひとしきりぼやいて落ち着いた所で仕事に戻り始めた。
姫様が興味を持つような場所や怪しい所は隅々まで探し、行き交う人には必ず訊ねて歩く。
「ちょっと、聞きたい事があるんだが、上半身が人間で下半身が魚で水が入ったデカい金魚鉢にタイヤを付けたような乗り物に乗った女を見なかったか?」
ナディムは姫様の特徴を伝え、見かけなかったか男性に訊ねる。
「う〜ん、そんな目立つ様な格好なら見たら覚えているはずだが、見かけなかったな」
男性は少しだけ考え込むもすぐに答えた。
「そうか。協力感謝するぜ」
ナディムはそう言ってさっさと次の場所へ行った。
捜索を始めてしばらく。
「……いつもならもうそろそろ見つかるはずなんだが」
ナディムは軽く溜息をつきながら捜し歩いていた。今回は今までいた場所にもおらずかなり手こずっていた。
「……本当にどこに行ったんだ……おわっ!?」
どこを捜すかと考えていた時、突然ナディムの足元に雷が落ちて来て地面が揺れた。ナディムは慌てるも何とか踏ん張り耐えた。揺れはすぐに収まった。
「……雷に地震って何かの前触れか? こりゃ、早く鉢が割れる前に城に連れ戻さないと」
ナディムは晴れた空から降って来た雷と地震に嫌な予感を感じ、溜息ばかりの顔に真剣さが浮かんでいた。万が一、また雷や地震が起きて姫様が入った鉢が割れたりしたら大変な事になる。
ふとここで
「……って、そう言えば何で俺は姫さんが鉢に乗ってるって分かるんだ?」
ナディムは根本的な事に疑問を抱き始めた。先ほどまで疑問に思わなかったのになぜか気になって仕方が無い。
その時、どこからともなく自分を呼ぶ声がする。
「それにこの声は……姫さんとは違う。だけど、聞き覚えがあるぞ」
耳に入った声は姫様と違うと認識出来るものの謎の聞き知った感を感じる。
「……」
ナディムはそのまま足を止め、何度も聞こえて来る声に耳を傾けていた。
そして、
「……あぁ、そうだ……」
ようやくナディムは思い出した。声の主は契約を結んだ相手だと。自分の捜す姫様はこの世界にいないと。
ナディムはゆっくりと姫様と喧嘩別れをしなかった世界から現実へと戻って行った。
■■■
「……ん」
ようやくナディムが目を覚ました。
「……ナ、ナディムさん、無事で良かったです」
この場にいる誰よりもパートナーであるリースが一番ほっとしていた。
「おっ、リースか」
目覚めたナディムはむくりと上体を起こし、寝起きのような感じでリースの応対をした。
「何とか無事みたいだね」
「あぁ、内容は覚えてねぇけど、妙な誘い声が聞こえたと思ったら妙にリアルな世界にいたぜ。もしかして……」
胸を撫で下ろす陽一にナディムが自分が遭遇した事件について知る限りの事を話し、犯人の予想までする。自分達も前に遭遇した事があるエリザベート・ワルプルギス(えりざべーと・わるぷるぎす)を苛立たせている相手ではないかと。
「考えている通り例の魔術師の仕業だよ。二人共、何とか無事そうだから俺は他の人を助けに行くよ」
陽一はナディムが誰を挙げようとしているのか察し、先回りをして言った後、自分の仕事に戻った。
「あぁ。助けてくれてありがとうな」
ナディムは自分を救った陽一に礼を言って見送った。
この後、助かったからもう無関係だと去るような事はせず、リース達は少しだけ休んでから人命救助の手伝いをした。
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