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蒼空学園の長くて短い一日

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蒼空学園の長くて短い一日
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リアクション

 音楽室の普段教師が立っている壇上は今、即席ステージと化している。
 そこで歌うのはコスプレアイドルユニット『シンフォニア・メイデン』の『動』の歌姫こと綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)だ。
 相方で恋人のアデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)ではなく仲間と演奏するのも、――当然ながら衣装の類い(たぐい)は持っていなかった為――私服で歌うのも、何だか新鮮な気分だ。
 そういえば純粋に仕事抜きで歌をうたうのも久しぶりだったろうか。
 母校である蒼空学園に用事で顔を見せ、傘を持っていなかった彼女たちは二時間半をどうするべきかと校内を彷徨っていたのだ。

「図書館は昼寝するには中途半端な時間だし……」冗談のようなことをさらりと口にするさゆみに苦笑して、アデリーヌは飛び込んで来た廊下の風景に目を細める。
「そういえばこの廊下でさゆみが――」
 思い出されるのは母校での懐かしい想い出だ。
 嬉しい事も、楽しい事も、時には悲しい事も……色々な思い出が一杯ある懐かしい高校。
 話に花を咲かせながら歩いていると、二人はいつの間にか音楽室へと辿り着いていたのだ。
「音楽室――。
 あら、誰か歌っているみたいだわ」
「この声、ジゼルね!!」
 顔を華やがせたさゆみに、アデリーヌはついていく。
 扉を開いた先から流れて来る音楽は美しかった。ベルテハイトのリュートに合わせて、ジゼルが歌を歌っていた。



 二人の合奏の後続いたのは誰だったろうか。
 リカインの舞台の奥まで響くのだろう揺るぎない歌声は相変わらずで、さゆみもアデリーヌもそれに安心して自分の声を委ねた。
「ジゼルと歌うの、久しぶりね」
「そうね。何時以来かしら……」
 アデリーヌが選曲した楽曲の前奏がカラオケセットを通してスピーカーから流れ出し、さゆみは後についてくるであろうジゼルの歌声を想像しながら腹の底から声を揺り動かす。
 相手の声量、声質を考えてコントロール出来るのは、プロのデュオとして活躍する彼女のなせる技だった。
 だが後から乗ってきたその音に、さゆみは歌いながら想定外の何かに違和感を感じていた。
「(ジゼルの歌、こんなだったかしら……?)」
 透明だったはずの音は色を濃い持ち、強い想いが溢れ出て来るようだ。それだけ経験を重ねたという事なのだろうが、それを抑えつけるように頼りなく聞こえてしまうのは一体どういうことなのだろうか。
 視線を送るといつも通りの笑顔で返されて、さゆみはどこか釈然としないままその歌を歌い終えた。



 歌姫たちの競演は続き、そのうちにシンフォニア・メイデンの即席ゲリラコンサート状態になっていた。
 好きな物を好きなだけ歌えるのはとても開放的な気分で、いつもよりも更に強い歌声を響かせるさゆみの情熱を突き動かすようなにノリの良いポップスに、どんどん人が集まって来る。
 『静』の歌姫アデリーヌはその歌に歌声を合わせつつ、自分はしっとりとしたバラードをセットリストに加え、妖婉さと切なさを織り込んだ静かな情感を歌い上げた。
 二人の息のあったコンビぶりと、豊かな表現力はシンフォニア・メイデンを知るものも知らないものも魅了しているらしい。
 音楽室にやってきた観客たちは膨れ上がり、やがてそこに入りきらないほどに達していく。
 さゆみとアデリーヌがシンフォニア・メイデンの歌を歌えば、観客の興奮と悲鳴は最高潮に達していた。
「……いっ……くるし……」
 ぎゅうぎゅう詰めの観客に潰されてジゼルは顔を真っ赤にしながら藻掻いている。捌く人間が居ないのだから仕方が無いが、観客の人数が多過ぎるのだ。
「ジゼルちゃん、こっちです!」
「うんッ!」
 伸ばされた加夜の細く、けれど力強い手にひっぱられてジゼルはその場を後にして行った。

* * *

 音楽室を逃げる様に後にして、少し歩いた先の廊下で小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)が立ち止まっていた。
「その子なら購買部のパンの山に飛びつこうとして、購買のおばちゃんにカウンターパンチを食らってるとこを見たよ。それで吹っ飛んだまま何処かに行っちゃったんだけど」
「僕が見たのはカフェテラスの前をフラフラしてたところだよ。匂いを嗅いでるみたいだったけど、何か思い出したみたいで急に走り出して行っちゃったんだ」
 彼らが話しているのはトゥリンと唯斗だ。
「ありがとう。やっぱり食べ物関係だね」
「その二つが潰れたってことは、残るは学食か」
「そうだね」
 踵を返したトゥリンは、こちらへ向かって来たジゼル達に足を止めた。
「Hiジゼル」
「こんにちはトゥリン。どうしたの」
「ターニャを探してる――そうだ。ジゼル、アリクス知らない?」
「何で私に聞くの? 幾らお兄ちゃんだからって何時でも一緒に居ないし、私知らないわ」
 刺々しい言葉に首を振って歩き出しながら、トゥリンはこっそり「離婚の危機だ」と唯斗に耳打ちした。
「ジゼル!
 生徒会終わったらバイト先行こうと思ってたんだよ」
 美羽が気づいて駆け寄って来る。
「こんな天気になっちゃったものね。女将さんからも今日はお店閉めたって連絡がきたわ」
「そうだよね。
 はあ……暇になっちゃったな。
 ジゼル達は何してるの?」
「音楽室に居たのです」フレンディスが言う。ジゼルが続いた。
「さゆみ達と歌ってたの。でもシンフォニア・メイデンの人気が凄くて、人が沢山集まりすぎちゃって、潰されちゃうかと思ったわ」
「繊細な僕なんて死ぬ思いでしたよ!」と、ポチの助は身体をぶるぶると震わせた。
「それでね、ちょっと思ったんですけど――」
 加夜が考えを表に出した。
「放送室に行って『幸せの歌』を流して貰らうのはどうでしょう。
 こんな天気で皆気分が落ち込んじゃってるみたいですから、歌ならあの二人みたいに皆を元気づける事が出来る気がするんです」
 提案に美羽は頷いている。
「放送室かぁ……。
 そうだ! ついでにターニャの呼び出ししてみようよ」
「名案だね美羽。もしそれで彼女が出て来なかったとしても、防犯カメラチェックで出来る」
 そんな訳で彼らは、ジゼルと加夜の『幸せの歌』に引っ張られる即席パレードのように廊下を進んで行ったのだ。



「ターニャが好きなのは……食べ物。
 だから食べ物関係を当たれば大体そこにいる」
 トゥリンの考えを聞きながら、美羽は監視カメラの映像をチェックしている。
 確かにタチヤーナは、色んな飲食施設に現れた。
 だが、
「あ。居た!」
 と思ったら消える。
「そこ! そこに居る!」
 と思ったら消える。
 の繰り返しで、
「ターニャって、本当に神出鬼没なんだねぇ」と逆に感心してしまうくらいだ。
「コハク、どうしようか」
「うーん……」
 美羽に困った子供のような顔で見つめられて、コハクが答えを出すより早く、カメラ室の扉が開いた。
 ジゼルたちが放送室から戻ってきたのだ。
「凶司に頼んで迷子放送流して貰ったの。
 でも反応無い……みたいね?」
 トゥリンが端末を見て首を振った。
「駄目だね。
 取り敢えずアタシ、アリクスにメールしてみる。
 さっきトーヴァから食堂で話しあるってメールあったけど、アタシはターニャ探すので忙しいから後で電話して貰う事にしたんだ。
 でもあの件は、アリクスも関わってるから食堂に行くと思う。
 合流して待ってたら、ターニャがくるかも。皆も着てくれる?」
 トゥリンに珍しく頼み事をされて、美羽は嬉しくなって笑顔を浮かべた。
「勿論!」
 二つ返事で答えて、唯斗たちも頷いた。
 一人だけ首を振ったのはジゼルだった。
「私は……行かない。
 ごめんね。ちょっと調子悪いの」
 扉を開けて出て行くジゼルを、フレンディスと加夜が追いかけて行く。
「ジゼル、どうしたのかな……」
 残された美羽たちは、不思議そうに顔を見合わせるばかりだった。 

* * *

「痛ッて!」
「ごめんなさい!!」
 廊下をすれ違い様に思いきりぶつかって、先に謝罪して来たタチヤーナに、奈落人椎葉 諒(しいば・りょう)は舌打ちした。
「泥、ついてませんよね?」
 手に持った赤いカブのような野菜――テーブルビートが当たって、諒に泥がついていないかタチヤーナは確認している――ように見せかけて本当は体格のいい男にぶつかったことでテーブルビートが潰れていないか心配していた。
「汚ねぇな、あんだよそれ」
「これですか? スヴョークラです。今し方通りがかった植物園で見つけて――」
「勝手に取ったのか?」
「管理している方に話をきいたら菜園じゃなくて植物園だから収穫していないみたいなんです。でも今を逃すと腐ってしまうだけで勿体無いです。
 なので、今から食堂に持って行って料理して貰おうと――。
 食べごろのうちに、美味しく、バターをたっぷりとかけて……食堂にはピロシュキーもあるそうなので一緒に……うぇへへへ」
「気持ち悪ぃ女だ」

 もう一度舌打ちして歩き出して、数十メートルもしないうちに今度は腹筋に思いきり何かが当たったかと思うと、相手は向こう側に転んでしまった。
 小さな少女、トゥリンだ。
「おい、さっきから何なんだ!!」
「マコト――?」
「俺は諒だ! 真じゃねえ」
「ふぅん。じゃあマコトは中に居るんだ。
 ごめんね、パートナー探してたら丁度そこで見かけたから慌ててた」
 トゥリンは諒の事を無視して奈落人の中に存在する真に話しかけると、急に鼻で笑った。
「マコトは良い奴なのにね、アンタはぶつかっただけなのに大人げない奴だね」
「何だと!?」
「まあまあ、子供なんだし許してよ。な?」
 怒れる諒とトゥリンの間にさっと入ったのは唯斗だった。
 美羽が「大丈夫?」と聞きながらトゥリンに手を差し出している間、唯斗は纏った闘気で諒を背中で牽制していた。
 暗に彼女に余計な真似をするなよ。と、そういう警告のつもりだろう。
 逆に苛立ちを覚えた諒だったが、頭にしつこく自分を呼ぶ声が聞こえてその場で叫ぶ様に答えた。
『諒! 諒!!』
「うるせえな聞こえてるよ!」
『カガチからピロシキ食べないかって誘われてるし、食堂に向かってくれ』
「面倒くせえな」
『俺の手持ちでプリン買って良いから』
「プリン?」諒の目の色が変わる。プリンは彼の好物なのだ。
 あと一押し。真は続けた。
『一番高い奴でもいいよ』
 交渉は成立し、諒はトゥリンに絡むのをやめてその場を後にする。真はふうと息を吐いた。

『随分不機嫌だったけど――』
「俺はな真、最近職安所占めだした軍人だか傭兵だかでイラついてんだよ!
 そいつらのせいで割りのいいバイトが取られたぞクソッタレ!
 ――ああ、そういえばあん中の何人か――さっきの女が着てた軍服のマークと同じもん付けてたな……」
 先程の女性は確かトゥリン達と同じ軍服を着ていた。ということは諒が見た同じ徽章の兵士とはプラヴダの――死んだ兵士なのかもしれない。
 脳裏に過るのは、あの時真と戦い、彼らを庇って死んだトゥリンのパートナーのハムザ・アルカンの事だ。
 哀切のほろ苦さが胸に込み上げて来る。
『だめだ、雨でちょっとテンション下がるのに、更に下がっちゃ……。
 こうなったら思いきり食べに行くよ!!』