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リアクション
「(俺こと蔵部 食人(くらべ・はみと)という人間は凡人である。
天賦の才を持った天才ではない
それでも今まで戦ってこれたのは、日々の努力の結果だ。
しかし怪我での入院で身体が鈍ってしまった。
勘を取り戻すために、最近は鍛錬を欠かさないでいる。
雨が降っていようともそれを変えるわけにはいかなかった――)」
食人は――何に使うつもりなのか分からないが――そんな導入部を頭の中で描きながら、イコンの技術を転用して作られた黄金の機械龍『魔装機龍ヴェイドラン』から食堂のテラス席へ降り立った。
この天気だというのに彼は先程まで、校庭で新しい技の練習をしていたのだ。屋内の施設を使わなかったのは、運動部が使うだろうという配慮である。が、だからと言ってこの暴風雷雨で外に出るのは、やはりこの男がバカだからだろう。
「やはりあの技に必要なのは速度の調節だなぁ」
ぶつぶつ独り言を呟いて中へ入って来た彼の『姿』を目の端に止めて、食堂の角の席についていた蔵部 明(くらべ・あける)は口をぽかーんと開けてしまった。
「何やってるんだ、あのクソ親父」
呟いて、きなこパンを食みながら完全無視、無関係を決め込んだ。
そうしている間に、食人は少し離れた位置に行ったらしい。
明は傍観者として、ただその姿を見守るのだ。
*
「あれ? 何だか雰囲気違うけどこの間のウェイトレスさんじゃないか」
爽やかな笑顔にキアラは驚愕に身体を氷のように固めてしまった。
「ウェイトレスさーん!」
イソイソ近付いて来た食人を見て、「人違いです!」とか、「無関係です!」とかそう叫んで回れ右したいのは山々なのだが、彼は真っ直ぐこちらへやってくる。
そもそもキアラの唇は震え、何か言おうにも言葉が出なかった。
何故なら――
食人は『ニット帽に海パンのみ』の紳士的スタイルだったからである。
細身ながらもしっかりと割れた腹筋はヒクつき、彼が動く度に上腕二頭筋と大腿筋の上に筋が盛り上がる。
限りなく裸に近いその肉体は、運動後で火照り、外の冷たい空気を纏っている所為か食堂内の暖かさで湯気をたてているようだ。
汗と抑えきれないフェロモンと言えば聞こえは良い牡の匂いをまき散らして、食人はキアラの前に真っ直ぐ立った。
「久しぶりだねウェイトレスさん」
白い歯が輝く。
「この間はウェイトレスさんにも店員さんにも迷惑を掛けて申し訳ない。
お詫びというほどではないが何か奢りますよ?」
あの時は妹と一緒に迷惑を掛けてしまった。
真面目な彼はキアラに対して、貴賓に対応するようにスマートに、
ニット帽から財布を取り出して、にじりにじりと近付き、
キアラの肩を掴もうとして、そして平手打ちを受けた。
「喋るな触るな近寄るなあっち行け変態破廉恥男ッッ!!」
*
「しゅーてぃんぐすたー! しゅーてぃんぐすたー! しゅーてぃんぐすたー!
男なんて大っ嫌い! 通報してやる! 粛正してやる! てゆーか死ーんーじゃーえええええええええええええ!!!」
食堂が静まり返る程の悲鳴が木霊し、煌めく星が飛び回る。
マジカルワンドを振り回すその手は後ろから掴まれて、微動だにしなくなった。
「何してんだお前は。他の生徒も居るのに危ないだろう」
「隊長!!」
後ろに居た――仕事面『だけ』は頼りになる――隊長の登場に、キアラは思わず彼に抱きついた。
「キアラ!? 一体何が――トーヴァはどうしたんだ?」
男嫌いでかつ自分を嫌っている筈の少女に此処まで縋られて、アレクは何時もの毅然とした態度を捨て、可愛がっている妹たちにするように彼女の顔を覗き込んだ。
「大丈夫だ、トーヴァがくるまで俺が何とかするから。キアラ、落ち着いて話してごらん」
「お姉様が居ない隙を見計らって、あいつが、あの裸の変態男が私に近付いて来たんスよ!」
指を指されたのは食人で、キアラよりも能力が数段上の彼はキアラの攻撃を受けても大した傷を負っているわけではなかったが、
――それが逆にまずかった。
「お前……蔵部食人。
キアラに何をした! そんな公共良俗に反する装いで女に近付いて、彼女が泣く様な――こんなに震えて怖がる様な事をしたのか!?」
「え? 俺はただ、ウェイトレスさんに謝――」
「否、言い訳等聞くものか。
俺の大事な部下を傷つけた罰、直接その海パン一丁の身体に受けて貰おう」
戸惑う食人を全くの無表情で見据えながら、アレクは物質化した大太刀の柄を握り閉め鞘を捨てながら間合いへ歩みを進めて来る。
先程キアラが逃げながら攻撃してきたから、アレクと食人の距離は100メートルは軽くあるだろうに、歩いて辿り着くまで数秒と掛からないスピードで、それが『怒り』を表しているかのようだった。
「待て、誤解なんだ。俺は別に何かしようとした訳じゃなくて」
「黙れ外道が! 神にその汚れた身を捧げ、悔い改めろ!!」
正義の男食人は、外道に外道呼ばわりされながら、修行の甲斐あってか超速の刃をしゃがむことで首の皮一枚で避けた。
頭の後ろにあった筈の柱は斜めの亀裂が入り、ズルズルと動いたかと思うと、まっ二つに折れて床に崩れ落ちる。
マジで、ガチだ。殺される。
「避けるなよ。それじゃ綺麗に落とせない。
晒す為のお前の首が!!」
応えるのは土台無理な注文と共に、返す刀が斬り上げて来る。
見開かれた金色は獲物を捕らえて離さない鷲の目だ。
狙われたのならば、そいつには死は確実に訪れるだろう。
そんな訳で先程とうってかわって、静まり返る食堂に野太い悲鳴が木霊していた。
「やはり父親という存在は大抵どいつもこいつもろくでもないのであるな。
人類は皆、母親を愛すればいいのに」
さり気なく自分がマザコンキャラだとアピールしつつ、明はパンを食み続け、動こうとしない。
こうして海パン男食人は、一部始終を見ていたトーヴァがこれは笑い事じゃ済まないと飛んで出てくるまで、食堂を半壊させながら逃げ回る事になったのだった。
* * *
『あ、カガチにアレクさんこんにちは』
遠くからの挨拶はアレクには届かなかった。
何故なら挨拶をしたのは奈落人に憑依された状態の『中の人』だったからだ。
『ほら。諒、挨拶して!』
真の促す言葉に、諒はカガチとアレクに近付いていった。
「お、椎葉さんじゃないの」
「シイバ? シイナじゃなくて?」
「奈落人が憑いてる」
「へえ。
初めまして椎葉さん。
本体さんにはお世話になってます」
少々ズレているような気もするが一応正しく行われた挨拶に、アレクの歪んだ性格と口の悪さを直そうと尽力してきた先生は感慨無量だ。
『ちゃんと挨拶出来てる! それに大分言葉遣いもよくな……』
「なんだこの賢者タイム永続発動な男は?
猫かぶってんのかキメェ」
『って何言い出すの諒!?』
「俺はな、真。イラついてんだ。
職安の件――手に職、そして脚に職と言われてるこの時代で稼げなくてどうするってんだ!」
「職安? ナラカのか?」
「4月頃から職安所占めだした軍人だか傭兵がうざったくてしょうがねぇんだよ!」
「ナラカの職安……四月……」
首を傾げていたアレクは、何かを思いついて諒の方を見る。
「……ああそれ俺の所為かも」
考えているのは、兵器として扱われたジゼルを助ける為に出したあの日の命令の事だ。
「オーダーは『Annihilation(殲滅)』。結局団長殿への手土産に何人か持たせたが……。
敵対勢力は15……4名だったか。さて、何人残したかな――」
「なんだと! じゃあお前の所為だってのか!? ふざけんなよ」
『なんか凄く喧嘩腰だしちょっと待って!!』
諒の中で一人慌てている真だが、アレクはと言えば特に何も反応していないようだ。
『そうだよな。アレクさんは大分良い子になったんだし、このくらいの煽りで喧嘩になったりな――』
独り言に近いその言葉は強烈な痛みによって遮られた。
意識が自分の肉体というより諒の方へ向いていたから、真には訳が分からない。
頭を整理している間にアレクが歩くというには些か早過ぎるスピードでこちらへ迫って来る。
痛む場所の感覚的に、そこへ相当量の打撃を加えられた。そしてその相手はスピードとパワーを考えれば、倒れた自分の上にまたがり仁王立ちで見下ろしているこの男だ。
『アレクさんが!?』
「おい、シイナだかシイバだか知らねぇが先生がそんなんじゃ駄目だろうが、え?」
言いながら真のポケットから端末を拝借すると、アレクは画面を見て何か作業し始める。
「初対面の人にはきちんと挨拶、だろ?
どうしたんだよ先生。俺に教えてくれた事、初めから忘れたのか?
ほら言ってただろ?
Please repeat after me.
I am pleased to meet you.How is Your Highness?
(お会い出来て嬉しく存じます、ご機嫌如何ですか『殿下』)」
俺に敬畏を払えと、そう伝える言葉に真はすっかり思い出したのだ。
アレクの釣り餌――つまり真のパートナーの一人が録音してきたジゼルのあの微妙な台詞集の事を。
急な方向転換では無かったから気づかなかったのだが、思い出してみれば確かにアレクの態度が徐々に柔和に変化していたのはあの日からである。
『もしかして初めからこれだけが目当てで……、諒の言う通り猫被ってたってことか!?』
自分の端末を腰のポーチから取り出すと、耳に当ててアレクは唇を歪めている。
やはりなのだ。
真はアレクに完全に騙されていた。そして失念していた。
身分卑しからぬ生まれの、規律を守る優秀な軍人。
プロフィールから考えれば、アレクにとって慇懃に振る舞うのも、感情を押し殺すのも、どちらも赤子の手を捻るより簡単なはずなのだ。
「Now...I got the prize.(さて、賞品は貰った)」
手から真の端末を彼の顔面の上に滑り落とすと、アレクはこの上なく幸せそうな笑顔で、教えられたよりもはるかに優雅に美しく最大限の礼儀を以て、教えてすらいないBow and scrapeで挨拶してみせた。
「さようなら真先生。
ご教授頂けて光栄でした。
この喜びと恨みは、一生忘れません」