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あわいに住まうもの

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あわいに住まうもの

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 決戦――最後に残るもの

 王の纏った瘴気のヴェールが完全に失せ、すべての結界が崩れ去った。それは同時に、王が持つ全てが放出されるという事でもあり、また、王の結界が維持していた「あわい」そのものの崩壊を意味していた。
「ちいっ!」
 至近距離まで肉薄しようとした朝霧 垂(あさぎり・しづり)が黒い雷を避け、目の前を通過する漆黒の剣を潜る。胎動する闇が目の前で再び構えを取る。見え隠れする核から放たれる雷が、接近しようとする契約者を怯ませ、漆黒の剣が仕留めにかかる。無貌のそれは苛烈な攻撃をいなし、躱し、受け止め、契約者達と正面から切り結んでいた。
「滅びよ!」
 ぶわり、と闇が膨れ上がる。垂が剣の一撃を受けた瞬間を狙うように、黒い稲妻が意志をもつ蛇のように後ろへ回り込んだ。
「しまっ……!?」
「清メ給ヘ!」
 放たれた札に力が注ぎ込まれ、うねる雷が弾かれる。ティア・ユースティ(てぃあ・ゆーすてぃ)の支援魔法だった。ほぼ同時に癒しの力が満ち、垂の傷が癒えていく。
「助かったぜ!」
「押し合いしてると体力削られちゃうからね。頑張って!」
「応よ!」
 言う間に雷が撃ち込まれ、ティアの周囲に展開していた光の剣が一つ弾け飛んだ。雷は前衛後衛の区別なく、戦意を見せるもの全てを攻撃した。王が纏っていた瘴気のヴェールの一形態であるそれは、威力そのものはそれほどではないものの、着実に契約者達の体力を削っていた。
「あれをどうにかしないことには満足に攻撃できないな」
 ばぢり、と霊気の剣で王の剣と打ち合い、間合いを取った紫月 唯斗(しづき・ゆいと)が呟いた。同様に間合いを取った風森 巽(かぜもり・たつみ)が隣に着地し、王を見据えて構えを取る。
「……考えがある。少々危険だが」
「おお? どうやら似たような事を考えてたみてぇだな」
 巽の言葉に、にやりと笑みを浮かべ、垂が片腕をゆるりと構えた。ぴたりと王の胎動する混沌に狙いを定めたそれを見、巽が頷いて共に構えを取った。
「唯斗、あとを任せる。ティア、手筈通りに」
「解った」
「タツミ、やるの?」
 巽が頷く。ティアが真剣な顔で頷きを返し、巽が垂を見据えた。
「済まないが、付き合ってもらう」
「へっ、こんな果てまでついてきたんだ。今更だろ」
 左右に展開した二人がじり、と間合いを詰める。王は漆黒の剣を構えたまま動かない。ぶう、ん、と音を立ててリィの展開している結界が揺らぐ。限界が近い。じり、と間合いを詰めて機会を探る垂が呟いた。
「……正直な所な、お前達が自分の世界で如何生き様が俺達が介入するような問題じゃないとは思うぜ。だけどな、俺達の世界にまで影響を与える所までやっちまったら話は別なんだよ」
 ひとかけらの憐憫。その言葉に王の剣が鋭さを増す。
「そうせざるをえぬのが、我ら異形よ」
 へっ、と息を吐き、垂が身体を深く沈める。緊張感が高まっていく。その張りつめた糸を、垂が切った。
「行くぜぇっ!」
「来い、契約者!」
 垂と巽が同時に走り出す。黒い雷が爆ぜる。走り出した二人をしたたかに打つそれを、歯を食いしばって耐え、二人は王に肉薄した。
「甘い!」
「甘いのは貴様だ!」
 鋭さを増した剣。狙いが明確になり、威力を増したその太刀筋を見切った唯斗が、王の剣と打ち合う。その一瞬だけで、二人の拳が王に届くのには十分だった。
「貰った!」
「……どちらが、だ?」
 巽の咆哮。しかし、凍りつくような王の声と共に、体が硬直する。膨れ上がった胎動する混沌に、打ち込んだ拳がめり込み、捕えられていたのだ。
「っ、だが、好都合!」
「ほう、なら、ここまでも計算の内か?」
 どくん、と闇が胎動する。ぞぶり、と拳、腕、肩……と飲みこまれていく。声を出す暇すらなく、垂と巽は混沌の中に呑みこまれていく。
「タツミ!」
「ちいっ!」
 ティアの札と唯斗の剣が飛ぶ。しかし、札は雷に、剣は王の振るう刃に阻まれ、二人は一息に混沌の中に呑みこまれていった。もがく二人の元に声が届く。
「――そうせざるを得ぬ。お前たちの世界が持つ法則の元では、我らは生きられぬ。我らがお前たちの信ずる神々と争った果てに封じられ、再び現界するためには、お前たちの望む世界を奪わねばならぬ。受け入れろ、混沌を。我らの世界を」
 徐々に浸食していこうとする混沌の渦の中で、ぎしり、と垂が拳を握り込む。
「知らねぇよ」
 ごう、と握った拳が炎を纏う。エネルギーが手の中に収束していく。
「お前達がどんな目的でこういった行動を取っているのかは問題じゃねぇ、そんな理由なんぞ知らねぇ。ただ、俺達の生きる場所を護る為に、お前を倒す!」
 その輝きに混沌が揺らぐ。浸食する混沌の中で、巽の声が響き渡る。
「悪いが我らが帰る場所は無でも混沌でもない! あの輝く青空の下だっ!」
 二人の拳が光り輝く。己の体もバラバラにしかねない、取り込まれた状態での殴り合い。王の全身が、混沌全てが恐れに戦く。
「吹き飛べ!」
「青心蒼空拳! 発勁!」
 ごう、と高まった力が暴走する。ごぼり、と沸騰する混沌の奥で、輝きが見える。それを二人が認めた途端、王が纏っていた沸騰する混沌が、過度のエネルギー供給で吹き飛んだ。
「ここまでの……!」
 王の驚愕の声が聞こえる。爆ぜ飛んだ混沌の奥。はぎ取られた雷のヴェール。紫色に輝く、結晶の集合体。人の形を為し、漆黒の剣を握る、無貌なる者の本体を二人は暴いた。
「ティア! 今だ!」
 一瞬か、或いは無限の時間か。二人が取り込まれていた外側の世界では、ティアが叫んでいる時だった。一瞬の迷いもなく、ティアが弓を構える。
「おっけー、タツミ!バシッっと決めちゃうよ!」
 爆ぜ飛んだ混沌が再び収束しようとする。受け身を取った二人が再び打ちかかる。その背後で、ティアの詠唱が終わる。
「天清浄、地清浄、内外清浄、六根清浄ト祓給ウ、清メ給ウ事ノ由ヲ、八百万ノ神等、諸共ニ、小男鹿ノ八ノ御耳ヲ、振立テ聞シ食ト申ス」
 切られた刀印と共に弓が引かれる。爆ぜ飛んだ混沌が帰ろうとする場所。王の存在の核。底へ向けて浄化の力が放たれる。
「天地一切清浄祓!」
 神威の矢に乗せられた浄化の力が戻ろうとする混沌を押しとどめる。何も纏うものとてない、むき出しのそれが晒される。雷も、混沌も失った生身の王が、矢を受けるために翳した漆黒の剣の向こうで、唯斗が長く伸びた剣を構える。
「ぶち抜け!」
「おおおおおおおお!」
 霊気の剣が爆ぜる。だが、唯斗の剣は止まらない。混沌の胎動を失った剣は、闇を薄れさせ、じり、と刀身へ霊気の侵入を許す。
「……見事」
 ばきり、と致命的な罅が剣に入る。次の一瞬。唯斗の剣は振りぬかれていた。閃光。だが、それも一瞬。ばちり、と明滅した視界の向こうで、真二つになった核が流れる。
「あばよ、孤独な王様」
 無数の剣がその欠片をさらに細断する。流星のように煌めいた結晶は、ぶわり、と強烈な瘴気の嵐となって周囲を吹き荒れた。顔を覆った契約者達の耳に、和輝の声が響いた。
「官制より各員。崩壊の進行を確認。現刻を以て作戦を終了。撤退せよ」
「早く……扉へ……もうっ!」
 かたかたと震えるリィの手に、血だらけのエイラの手が添えられる。
「もう少しだけ、もう少しだけ持たせます! 皆、早く、門へ!」
 瘴気の乱流に煽られ、足場が次々と崩れていく。青い顔をしながらも結界の維持をする二人の後ろ、扉の向こうに、揺らめく門が見えていた。契約者達が軋む体に鞭打って次々と扉に飛び込んでいく。気付けば、残っているのはあと数名になっていた。
「さぁ、帰ろうぜ?」
 垂がボロボロになりながらも、その手を伸ばした。青い顔をしたままのリィが躊躇う。
「……私も、今や、あの王達と、同じような存在です。いつ、ああなるか、わかりません。帰っても、いいのでしょうか?」
「結界師だろうが、寄生種だろうが、ただのヒトだ。大切な事は何も変わらない。そうだろ?」
 言って、巽がそっと背中を押す。それに、エイラも手を添えた。
「きっと、大丈夫だよ。みんなが、いるんだもの」
「その通りですわ。ですが、迷っている時間ももうありません。さあ、早く!」
 ユーベルの言葉に全員が頷き、扉へと飛び込んだ。それを待っていたかのように、空間を支えていた二人の呪具がさらさらと緑色のきらめきになって崩れ落ちていく。扉が閉ざされ、空間が完全に崩落する。その陰で、吹き荒れる瘴気の風に交じって、かすかに、ぐつぐつ、と何かが煮えたぎる様な音が響いていた。