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リアクション
●9
ハードな雪は容赦なく、如月 正悟(きさらぎ・しょうご)を打ち据えた。彼の業を打ち据えるように。その運命の重さを、思い出させようとしているかのように。
(「方位磁針が無効化される山中……か」)
正悟の息は荒く、手先には感覚がなかった。足まで麻痺してきたのか、前に進むことすらままならない。巨大な荷を負って歩いているような気がしてきた。一歩一歩、進もうとするたび背中が軋む。骨が悲鳴を上げる。
(「つーかだ。……雪山舐めてたよ!」)
無論、彼も準備はしてきた。情報はそれなりに仕入れたつもりだし、食料や防寒の装備もきっちりと帯同したはずだ。しかし、かれの準備を嘲笑うほどに山の脅威は猛烈だった。間もなく彼は、山肌に横穴を見つけ転がり込んだ。倒れ込むと、もう指の一本すら動かしたくない気持ちになる。
ようやく休める……と思ったのもつかの間、正悟の頭は石より重くなり、濃い霧がさしたようにぼんやりとしはじめた。
(「……っ、眠くなって来やがった」)
少し休めば、また歩けるようになるだろう。少しだけだ。少しだけ眠れば、もう元通りだ。彼は大欠伸をした。ごつごつした岩窟が、ふかふかのベッドよりも魅力的に感じられた。閉店まぎわの銀行のシャッターのように、瞼が容赦なく降りてくる。
ダメだ。眠ってはダメだ。心の声が叫んだ。いいから意識を保て。何でもいいから。
「そういえば、聞いたことがある……なにっ、知っているのか正悟!」彼が思わず一人芝居を始めたのも、この状況では無意味ではないはずだ。正悟は命をかけて演じた。誰もいない舞台で。「雪山では、リア充がイチャイチャしている洞窟を見つけ破壊すればエルドラドを見ることができるらしい。ミンメー書房の本に書いてあった……」
ふあーあ、ともうひとつ欠伸をした。わざとらしいしゃべり方は疲れる。それでも、ぶつぶつと呟き続ける。
「……しっかし、温泉でのんびりしてえなぁ……できれば混浴だったりしたらヒャッホーイなんだけど。噂によるとこの辺にも温泉がある可能性があるとか言っていたし」
温泉。
熱い湯の雫が頬に当たる感触を夢想し、彼は目覚めた。むくりと身を起こして頬に触れた。感触は、幻ではなかった。
「湯が……どこか、この付近に温泉が湧いてるんだ!」
うおおと声を上げ、無我夢中で正悟は外に飛び出した。この眠気を覚ましてくれるものならなんでもいい。こんな寂しい場所で一人、リア充にもなれずに死ぬなんてまっぴらゴメンだ。
「ヒャッホーイ!」
山肌をよじ登り、正悟は歓喜の声を上げていた。見間違いではない。ついさっきまで倒れ込んでいた洞窟の真上に、もうもうと上がる湯煙があったのだ。温泉は本当にあったのだ。秘湯だ。見つけた途端一も二もなく、彼は服を脱ぎ捨てていた。湯の温度なんて確かめない。全裸(マッパ)でダイナミックに飛び込む。
「なんじゃ貴様はーっ!!」
天津麻羅は湯船に浮かべていた盆を盾のようにして身を守り、片手の一升瓶を、棍棒のように振り回した。そして撲った。打擲した。全裸で突然狼藉してきた男(正悟)を。
「えっ、何!? 何!?」宇都宮祥子も泡を食って立ち上がり、相手の顔も見えぬまま、謎の男性(繰り返すが、正悟)をガッシボッカと殴りつけるのだった。ジャブとストレートをワンツーと見舞った。
「ま、待て君たち! 誤解だ! 今回に限っては本当に誤解だ! 人がいるなんて露ほど……あぐぅ!」
世界を狙えるアッパーカットを喰らい、正悟はぶくぶく、湯に沈んだのだった。
それでも色々見えたのでは? 否。悲しいかな、ラッシュ攻撃を受けて正悟のここ数分の記憶は粉微塵になって消滅していたとか。嗚呼、エルドラドは、遠かった。
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