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【ザナドゥ魔戦記】ゲルバドルの牙

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【ザナドゥ魔戦記】ゲルバドルの牙

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第4章 三人の娘たち 7

 レン・オズワルド(れん・おずわるど)はナベリウスの居城へと侵入していた。
 森を走りぬけ、ただひとり、そのスピードを生かして先にたどり着いていたのだ。
 その目的は、ナナとエンヘドゥとの思い出を探すことだった。かつてアムドゥキアスの居城に潜入していたパートナーのリンダ・リンダ(りんだ・りんだ)によれば、エンヘドゥは自分を監視するナベリウスと一緒に遊んでいたのだそうだ。
 今回はそれが鍵になるかもしれないと、彼は考えていた。
 ナナの部屋を見つけると、そこに飾られていた彼女の似顔絵に触れる。サイコメトリを使ってその過去を感じ取ると、よりいっそう、ナナとエンヘドゥとの思い出の深さを知った。
 それはつまり、ナナが知った、暖かさや、優しさや、慈しみや、愛……。そしてそれを知ったナナの、戸惑い。
 魔族が、魔族たらんことを彼は否定する気はない。
 しかし、変わろうとする者の邪魔をすることは、許されるべきではないと思っている。
(皆が皆、自分の生き方を選べる世界を俺は望む)
 そうであるならば、そこに魔族も人もない。
 そう、彼は願っていた。
 と――居城の廊下を走るレンのもとに、足音が聞こえてきた。それは、廊下の向こう側から聞こえてくるものである。はたと足を止めて、その足音が近づくのを待っていると、現れたのは数名の人影だった。
 そしてその先頭に立つ若者が抱くのは、ひとりの幼い娘。
「ナナ……!」
 ナベリウスがひとりであるナナが、気を失ったまま若者に抱かれていた。
 そしてレンが驚きに目を見開いたのは、さらにその若者の顔を見たからだった。
 若者は久我内 椋(くがうち・りょう)。南カナンを襲った、〈闇の化身〉モートの仲間でもあった契約者だった。
 そのとき、言葉なくとも、事の全貌をレンは理解する。
 ナナが奴らに連れ去られようとしているのだと。そしてそれをレンが認識したことは、椋のパートナーであるモードレット・ロットドラゴン(もーどれっと・ろっとどらごん)も気づいていた。
 瞬時に、地を跳んだレンの攻撃を、モードレットが防いだ。
 魔導刃〈ナイト・ブリンガー〉の刃と、モードレットの〈龍殺し〉の槍とがぶつかる。甲高い金属音が鳴ったそのとき、二人の顔は肉薄するほど近づいていた。
「貴様……なぜこのようなことをする!?」
「このまま全てが地上の思い通りにいっても……面白くないだろう?」
 レンの問いにモードレッドは冷笑を浮かべて答えた。
 更なるレンの攻撃をモードレットは防ぐ。互いの刃がぶつかり合う音が、何度も鳴り響いた。
(お、おい、椋。このままだと、時間がなくなるぜ。どうすんだよ)
 そんなモードレットの様子に、慌てた声でホイト・バロウズ(ほいと・ばろうず)が言った。しかし、いまの彼は魔鎧状態になっている。声はつまり、椋の身体を纏う鎧からのものだった。
「もうすぐです。辛抱して待ちましょう」
(もうすぐっ……て……)
 椋が冷静を崩さずに言うため、ホイトは当惑するしかなかった。
 と、そこに、椋の契約印が光ったと同時に、もうひとりのパートナーである悪魔の浴槽の公爵 クロケル(あくまでただの・くろける)が現れた。
「おっと、状況は派手になってるね」
 緊張感のない声で、そんなことを軽く言う。
 椋は視線でそれを咎めると、彼に問いかけた。
「それで……どうでしたか?」
「あー、ダメだったよ。あいにくと、向こうは上手くいっちゃったみたいだ。こうなったら、暴君と少年しだい、だよね?」
 クロケルは肩をすくめる。
「……時間が、きたようです」
 と、そのとき。
 レンとモードレットたちとを隔てるように、廊下に魔方陣が現れた。
「なに……!?」
 それは紅き血のような魔方陣。
 そして、その中心に、迸った雷のなかから姿を見せたのは、はぐれ魔導書 『不滅の雷』――別名、カグラと呼ばれるバルバトスの配下だった。
「遅かったですね」
「ちょっと向こうの様子も確認しないといけなかったから。でも、そっちは上手くいったみたいじゃない? 本当ならもうちょっと駒が欲しかったところだけど……まあ、仕方ないわよね」
 カグラは椋にクスっと笑いかけると、彼らを魔方陣のなかに招き入れた。
 赤い輝きが椋たちを包み込む。
(転移魔法か……ッ!)
 そう悟り、レンが動き出したときにはすでに時も遅く。
「バイバイ、サングラスのお兄さん」
 カグラの、バルバトスにも似た妖艶な笑みを最後に、目の前の魔方陣は消失してしまった。カグラだけではなく、椋たちの姿もすでにない。
 後に残されたのは、レンだけだった。
「クッ……」
 レンは拳を握った。
 そのサングラスの奥にある瞳は何を宿すのか。それは伺えない。しかし彼は、自分を悔いる苦い表情を浮かべ、その場に立ち尽くした。



 カグラがナナを連れ帰ってきたときから、バルバトスの機嫌は悪かった。
 そもそも彼女の予定では、今この場にナナがいることすらもなかったはずなのである。本来なら、あのゲルバドルの森で全ての片がついていたのだ。
 それだけ、ナベリウスは三人の力が揃ったとき、そしてゲルバドルの森を戦いの舞台としたときに、恐るべき実力を発揮する。
 だが――
(そうは、いかなかった)
 ナベリウスは三人の力が揃うことなく、南カナン軍に敗北した。念のためと思って送り込んでいた刺客も、あえなくやられたという。
 まったくもって、不愉快だった。
 しかし彼女は、その原因に気づいていた。それもこれも、全てはエンヘドゥのせいだということに。
 アムドゥスキアスの背中を後押ししたのも、ナベリウスたちの間に不和を生じさせたのも、全てはエンヘドゥという存在があったから。
 自分はエンヘドゥを人質に取ることでシャムスたちを罠におびき出そうとしていたが、逆にいまは、彼女の手によって足元をすくわれているではないか。
(なら……)
 ひとつ、その可能性を潰しておかなくてはならない。
 なにより、自分に苦渋を舐めさせた責任は、己が身をもって払わなくては。そうでなくては、自分の気も済まない。
 だからバルバトスは――。
 ブロンズ像になったエンヘドゥ・ニヌアを、粉々にしたのだった。
「な、なんてことを……」
 粉々になったブロンズ像を前にして、膝をつくのは、エンへドゥの世話係を任されていた雲雀だった。彼女はエンヘドゥと親しかった。
 だが、そんな雲雀の嘆きの声はバルバトスには虫の鳴き声のようなものでしかない。
「どうして……どうしてこんなことをっ……!」
「邪魔になるからよ〜。それに、さんざん、ワタシを手こずらせてくれたんだもの。その借りは返しておかなくちゃ、ね♪」
 明るげに言っているが、その笑みは氷のように冷たいものだった。
 雲雀は大粒の涙を流し、彼女を罵倒する。血も涙もない、悪魔だと。だがそれは、バルバトスにとってなんら中傷にもならない。
 やがて雲雀は、バルバトスの配下たちのよってその場から退室させられた。
 そんな一部始終を見ていたカグラは、さすがに驚きを隠せないように目を見開いていた。
 だが、その横にいるモードレットは逆に、面白そうに微笑を浮かべている。まるで、これから始まる憎悪の戦いを、楽しみにしているかのように。
 ふと、
(ふ〜ん……アムドゥスキアスの魔力のなごりね。……まあ、いいわ〜。どうせ粉々になったら一緒のことだから)
 バルバトスはブロンズ像の欠片を見て、そんなことを思った。
 これをまずはどのように使おうかと考えながら、彼女は底冷えするような冷笑を浮かべていた。